【9ー5】
【9ー5】
線香の匂いはいつもの家の匂いを追い出しながら天井の隅まで昇っていた。和室の奥に鎮座した仏壇の回りには何処か乾いた花束が並び仏壇の前の空間を嫌というほど強調していた。そこに座ると写真の中で笑う姉の視線と向き合わなければならなくなってしまう。
写真の中の姉はこんな時でも写りがよく梨花は少し萎縮してしまう。
その写真と向き合う事はほとんど無かった。仏壇の前にはいつも母が居た。
「ただいま……お母さん」
そんな母に梨花は小さく声をかける。部屋の灯りを点けて窓を開ける。家中の淀んだものを追い出そうとする。
姉が死んで一ヶ月。
母は目に見えて生気を失い棺の中に見た姉の最後の姿より黄泉に近いように見えた。
学校に行っている間の母の行動を梨花は知らないが家に帰ってきてみるといつも母は仏壇の前で姉のバイオリンケースを抱え泣いているのであった。
梨花は慣れない手付きで夕食を作り母に食べさせる。まだ30台後半の世間から見れば若い母親だった。しかし、中学生の梨花が世話を焼くその光景はとてもそうは見えなかった。
「お母さん、晩御飯食べよ?」
「……要らないわ」
「だって昨日から何も食べてないでしょ? 食べなきゃ駄目だよ」
母を立たせて梨花は居間へと連れて行く。椅子に座らせると梨花はその正面に座った。いただきます、と一人手を合わせて梨花は箸を伸ばした。
アジの干物に、ほうれん草のおひたし、味噌汁。梨花の用意出来る最大限の物だった。色の沈んだほうれん草に梨花が箸を伸ばすと母は呟いた。
「……不味い」
「え?」
「不味いわ」
母は両手を机に叩きつけた。指の先の箸がひしゃげる。食器が揺れ金音を鳴らす。
「どうしてこの程度の料理も上手く出来ないの!? お姉ちゃんならもっと上手く出来たわ! 」
「ご、ごめんなさい」
食卓の端には伏せられたお椀と箸が写真立ての前に置いてあった。写真の中の姉は笑顔のままだった。
「お姉ちゃんじゃなくて、あなたが死ねば良かったのよ」