表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

「迷惑だ」と婚約破棄されたのだから、職場にも妻にも戻るつもりはありません

作者: 綾見ゆりあ
掲載日:2026/05/07

下腹部がグーっと締められるような突然の痛みに、冷静な顔を取り繕えずに歪ませた。

それが、私の「限界」を告げる合図だった。


鋭い痛みに背中が丸まり、机の上に突っ伏してしまう。頭の中に警報が鳴り響くようなヒリヒリした危機感が迫り、視界が涙で滲んだ。机の上に山積みになった未処理の書類が、まるで私をあざ笑うかのようにボアボアと動いて見える。

そんな幻覚から守るようにそっと下腹に手を回す。

(ああ、もう、ダメかもしれない……守れなくてごめんね)


◇◇◇


イーリスは5年前、学校を卒業すると早く親元を離れたくて寮がある騎士団に事務として就職した。

配属は人事になり、既に定年間近のベテラン職員から仕事のやり方を教えてもらいながら、自分の居場所はここしかないとがむしゃらに頑張ってきた。当時は新人が新人の採用をするという構図に度々嫌味を言われ、女というだけでも揶揄われたり、甘くみられたり、上手くいかないことが多くて部屋で泣いて過ごすことが多かった。


それでも、人手不足の騎士団だったから、採用を任されていたのはイーリスにとって僥倖だった。自分を甘く見る者、女が出てくるなと嫌味を言うやつは面接の時点で不採用にし、騎士としての実力よりも人柄重視の採用を重ねた。


「ねぇカイル、体調悪いんじゃない?大丈夫?」

「イーリスさん・・・実はちょっと頭が痛くて」

「え!休まなきゃじゃない、どうしてここにいるの!?」

採用したばかりの子ではよくあることだった。

先日はテオが腕のケガを隠していたために、それが訓練中にひらいて大出血を起こしたこともあった。

上司が怖いから「休みたいです」が言えず、無理をしてしまうのだ。言えたとしても「この大事な時期に休むな!出てこい」とどちらにしても休めないのだが・・・。


そういう子を見つけると、イーリスはすぐに動く。隊長達から休みをもぎ取って数日休ませるのだ。


そうやって、採用したらそのまま部隊に送って終わり、ではなく半年ほどは様子をよく見ながらフォローを重ねる。


たまには椅子に座りたいと思うほど走り回る就活シーズンを乗り越え、入団した新人騎士一人ひとりの個性を観察したり、早く慣れるよう個別に対応したりしていく。そして、そろそろ職場に慣れてきたなと感じる頃にはまた各地で宣伝して人材を集めるということをここ数年繰り返してきた。


なぜ、人事がそこまで走り回っていたかと言えば、騎士団という武の集団ということに尽きる。


全員がデカくて強くて、騎士としての高いプライドによる圧迫感がある。戦う人達だから古傷も沢山あるし、死と隣り合わせの職場だからこそ厳しく、訓練も怒鳴り声が止まない、すくみ上がるような恐怖の毎日になる。


そんなところで、昨日までほのぼのと学生生活を送ってきた新人たちが耐えられるわけがないのだ。


だから、「それでも騎士団に入ってみよう」「負けずに頑張ろう」という気持ちを一人でも増やさなければ・・・とイーリスは奮闘していた。


そうは言っても、イーリスも最初からこんなサポートができたわけではない。自分こそが毎日ビビり散らかして、「こんなとこやめてやる!」と心で叫びながら、それでも家には戻りたくない一心でやめられずにしがみついてきた。


そして、私自身が欲しかった存在に、私がなっただけなのだった。


◇◇◇


気が付けば、入団時は30人しかいなかった騎士団も、5年経った今では順調に数を増やして100人にまで増えた。


元々この中規模領地の騎士団として30人は少なすぎて、本来ならあり得なかったイーリスなど女性まで採用して人数を増やしていた。

その過程で採用した女性のシオンは斥候として活躍しているし、筋力があまりない小柄なリュカは頭脳派として活かすなど、今まで筋肉オンリーの男性世界だった騎士団も能力優先の組織として変化した。

今では多彩な精鋭が揃う100人規模の騎士団として他領にも知れ渡るようになった。


新人を大量に採用しつつ離職率が0(ゼロ)という数字が領主より認められたイーリスは、騎士団長のレナードと婚約することになった。


レナードに恋愛感情があったわけではない。それでも、家が貧しく、親の愛情を受けて育ったとはいえず愛情に飢えていたイーリスは家族になる婚約者という存在に喜んだのだった。


そして、快適なぬるま湯がいつの間にか熱くなっていくような、ゆるやかな地獄が始まった。


◇◇◇


騎士団長という仕事は忙しく、サポートをしようとイーリスは意気込んだ。恋愛感情はなくても、団長として皆をまとめる姿に尊敬があったし、それがあれば十分だった。


「レナード様、起きてください」

「ご飯です」

「この書類はやっておきます」

「手配しておきます」

「こちらを持っていってください」

「すぐお風呂に入れます」

「温かい服を用意しておきました」

・・・


朝から夜まで、レナードが快適に過ごせるよう、公私にわたるサポートをして、「ありがとう」と言われると嬉しくなり、もっとできることはないかと探した。


でも、起こされるのも、ご飯が出てくるのも、一ヶ月もすれば“当たり前”になり、レナードからの「ありがとう」が消えるのはあっという間だった。


すでにレナードという唯一の家族に依存していたイーリスは、身体を差し出すことによって関心をつないだ。


お腹に新しい命が宿るのは、それから間もなくだった。


◇◇◇


違和感はすぐに始まった。

妊娠には個人差があるというが、イーリスの妊娠は強烈な吐き気とともに発覚した。吐いて、吐くものがなくなれば意識がぼーっとするような眠気、世界とイーリスの間に白濁した膜ができたような非現実感に、仕事が手に付かなくなった。


「おい、この書類が終わっていないぞ」

「料理が足りない。騎士団長の婚約者なんだ、団員の飯くらいしっかり出さないか」


常にサポートされることが当たり前になっていたレナードは、イーリスのできていないことを常に怒鳴るようになった。


そして、そんな体を休められない状況に悪阻は悪化し、ネガティブなことしか考えられなくなっていたイーリスの中では、レナードは尊敬するサポートしたい相手から、恐怖の対象になった。


世界と膜一枚隔たりを感じる内側で、必死に書類を書こうとするが、自分が今何をしているのか、何を考えるべきなのかもあいまいになっていき、思いつめてしまうと下腹が警告を鳴らすようにグーっと締め付けられる。

(ああ、もう、ダメかもしれない……守れなくてごめんね)

もう、イーリスにとって唯一の希望はお腹の子だけだ。だから、この子のことは絶対守りたかったのに、苦しめているかもしれないと思うと、自分を覆う膜の厚みが増していくようだった。



今日は式典と、私たちの婚約発表が大々的に行われる日だ。でも、あんな人との婚約発表かと思うともうベッドから起き上がることもできなくなった。

それなのに、レナードの方がノックもなしにやってきた。


「今日は何の日かわかっているのか?女はこれだから困る。重要な局面で動けないなんて、迷惑でしかないんだよ。妊娠は病気じゃないだろう、領主様の奥様は3人も子どもを産んでいるが、そんな弱っているところを見たことがないぞ」


私のお腹にいるのはあなたの子どもなのにとか、休むこともできないから、とか反論は頭の中に浮かぶのに、吐き気とダルさで口を開くことができない。


今日の団長はもちろん主役だから、支度も念入りに行う必要がある。だから、イーリスの「行きます、頑張ります」という言葉を聞いて、用意をさせるつもりだったのかもしれない。


寝込むイーリスを呆れた顔で見ながらレナードが言う。

「・・・お前、使えないな。婚約を大々的に発表する前に分かって良かったよ。婚約も破棄だ。騎士団もクビ。何の役にも立たないで寝ているだけならこの家からも出ていけ」

「・・・・・・」


「ふんっ」

それ以上の言葉もないとレナードが出て行く。


(今日の式典は宴席まで含めて夜中まで続くはず。今日中に出て行かなくちゃ)

イーリスの中にあった、家族になれる喜びも尊敬も恐怖に変わり、今は絶望に塗り替わった。


起こしていた上半身をもう一度ベッドへと沈めた。

出て行かなくてはいけない。今すぐにでも出ていきたい。

・・・でもどこへ行く?


以前暮らしていた寮の部屋はとっくに他の誰かが住んでいる。実家にも戻りたくないが、騎士団員たちとばかり接していたイーリスに、頼れる知り合いはいない。


自分はバカだなと思った。

もっと立ち回り方があったのではないか、もっと早く決断して、頼れる場所を探しておくべきだったのかも、色々な思考が巡り、吐き気と混ざって涙が止まらなくなる。


こんな弱くて、赤ちゃんを育てられるのか。

こんな弱くて、何ができるのか。

こんなに弱くて、自分が嫌いだ。



絶望しかなかった。

自分と世界の間にある白濁した膜が黒く染まっていくようだった。


そして、いずれイーリスの世界は暗闇に落ちるのかもしれない。


◇◇◇


暗闇に、足音だけが響いてくる。


重装備をした重そうな足音や、軽い、わずかに聞こえるだけの足音もある。


誰か来る、と意識が浮上する。どうやらまだ暗闇には落ちていなかったようで、気が付くとイーリスは変わらずベッドの上にいた。寝ていたようだ。


近づいてくる複数の足音が、イーリスの部屋の前で止まり、コンコンコン、とノックの音が響いた。


現実世界と隔たる膜の中にいるイーリスは、返事が出来ない。


ドアが開き、式典用の正式な鎧や装備を身に着けた4人が部屋に入ってきた。


「・・・!!イーリスさん!」

そっと、上からかぶせられるように誰かに肩を抱きしめられた。久しぶりに感じる人肌の温かさもあって、誰かもわからないが抱きしめ返してしまった。


「イーリスさん、どうしてこんな寒い部屋に一人でいるんですか」

よく知る声が、苦しそうに聞いてきた。

「・・・カイル?それにリュカと、テオ?この抱きしめてくれてる子は・・・シオン?」


4人は、イーリスが人事官になった初期に採用した団員だ。4年以上経って、小隊長として小さくも各部隊をまとめる長に出世している。


「あなた達、どうしてここにいるの?」

今日の式典でも重要なポジションにいたはずなのに、と泣いている声が聞こえるだけのシオンを抱きしめたまま他の団員に質問をする。

「式典にイーリスさんがいないし、婚約が中止になったと聞いて。」

カイルが、眉間にシワを寄せながら教えてくれる。カイルだけでなくリュカとテオも、ベッドに横向きに寝る自分に目線をあわせるように膝をついて、一様に「心配です」という顔をしている。


「団長が副団長に、婚約は中止になったって言っているのが聞こえたんだ」

テオが続けると、まだ膨らんでいないお腹をいたわりながらも、ぎゅーと力が入るシオンに、トントンと落ち着かせるようにしながら、全て話してしまおうとイーリスは思った。


「今朝、レナード団長から婚約を破棄すると言われたわ。そして、ここからも団長が戻る前に出て行かないといけないの。でもダメね、気が付いたらそのまま寝ていたみたい。あなた達が来てくれなかったら夜中まで寝てしまうところだったわ」

団長の婚約者という立場がなくなったせいか、少し自嘲気味に言うイーリス。

就職時期こそイーリスが一番早かったが、実は5人の年齢はそう変わらず、普段から気さくな関係であったせいかもしれない。誰かに話したかったことが、ポロポロこぼれ出すようだった。


「出て行かなくちゃなのに、行くところが無くて、途方に暮れて」

涙までポロポロこぼれてきて、こんな姿を他人に見せるのは初めてかもしれない、とそんなことを思った。


それを見たテオは、拳を握りしめて立ち上がった。

「今すぐ、俺たちが連れ出します!」


「はい、隣の領地は幸い女領主の治める地です。きっと理解していただけるはず。助けを求めましょう。」

いつも知的で論理的な話をするリュカが、「きっと」などとあいまいなことをいうのは珍しい。


「俺達4人、さっき退団届を出してきたんです。だから、一緒にここから去りましょう。」

カイルがまとめるように、力強く言い切る。

それにはさすがに驚いたイーリスはシオンを離しながら起き上がる。メソメソしているシオンはそれでも離れず、今度は腰に腕を回して抱きついたままだった。


「何を言っているの!退団?あなた達小隊長じゃない!どうして」


「だって、イーリスさんがいないと、私たちがここにいる意味ないですよ。イーリスさんがいるところにいたいんです~・・・う~~~」

やっと話したかと思ったシオンだが、すぐにまた泣き崩れてしまう。


「そうです。イーリスさんが出て行かなければいけないなら、俺達が一緒に行きます。俺達が、無事に出産できる場所まで絶対に守りますから、もう安心してください。」

普段寡黙なカイルが力強く言い切り、イーリスの手を取っておでこを寄せる。騎士の誓いだ。


「イーリスさんの為に、出産についての本は全て読んでおきました。対策は万全です。今は心身共に安静が一番大事です。少々長旅になりますが、安心して寝ていてください。」

今度はリュカがイーリスの手を取って騎士の誓いをする。


「イーリスさんにどんな敵が襲ってこようと、俺が切り捨てます。」

テオが跪いてイーリスに誓う。


「私、イーリスさんだけじゃなくて、赤ちゃんのお世話もします。この先もずっと一人になんかしません。だから、元気な赤ちゃんを産める場所に行きましょう」

さっきまでメソメソしていたシオンが、少し離れて跪いてから誓ってくれる。寄せたおでこが離れないまま、ぽたぽたと濡れる熱を感じて、イーリスは、頼っていいのかなと思う。



「じゃぁ・・」

目を閉じる。皆に小隊長という立場を捨てさせる。今までの生活を全て捨てさせる。そこに躊躇いが無いわけがない。

でも、騎士としての誓いをされて、それを裏切りたくない。それに、一人で頑張らなくていいかもと思ったら、ふわっと軽くなるような胸の温かさを感じる。


「お願い。私と赤ちゃんを助けて」


「承知しました。」

4人が跪いた姿勢を崩さず返した。


◇◇◇


「夜の宴が終わるまで、あと2時間もない。早速準備して1時間以内にここを出るよ」


真っ先に顔を上げたリュカが指示を出し始める。


うっかり寝てしまってから、もう夜になっていたらしい。普段の疲れも相まって、ぐっすり寝てしまったようだ。

おかげでいつもあった白い膜のようなものが少し薄れて視界がスッキリしている。


イーリスも準備をしようと立ち上がろうとすると、シオンに制された。

「イーリスさん、なんで立ち上がろうとしてるんですか。カイルが運びますから、時間になるまでっていうか、時間になってもカイルが抱き上げて運ぶだけなんで寝ててください。服とか荷物は私が詰めますね。」

「あ、ありがとう」

シオンはイーリスの荷物まとめ担当のようだ。


「シオン、まとめたら荷物は俺が持っていく。裏口の通路を通れるようにしといてくれ。」

リュカが指示をしていく。知性派として騎士団の指揮も任されるほどだ、あっという間に1時間以内の脱出計画ができ上がったようだ。

「了解。」

そう言って、シオンが何かをリュカに渡していた。


「テオ、馬車の準備。できるだけ揺れない良いやつを手配してくれ。で、裏口から出た通りで待っててくれ。1時間後に合流だ」

「了解。一番良いやつ探してくる!俺のも頼んだ!」

そう言うと、テオもまた何かをリュカに手渡して出て行った。


「カイルはイーリスさんが馬車の中でも暖かく過ごせるようにクッションや布団を用意してくれ。揺れが厳しい場合は移動中ずっと抱えてもらうことになると思うが、できるよな?」

「もちろんだ。そのための筋力だったと思えば、鍛えてきた甲斐があるというものだ」

カイルも自信に溢れた表情で頷いた。


「僕は経路の確認と、ちょっと執務室で作業をしてくる。1時間後には出るから、イーリスさんはそれまで休んでてください」

「リュカ、皆も、ありがとう」


騎士団に入って5年、婚約してこの館に来たのはまだ半年ちょっとだ。まだ自分の家という感覚もなかったからちょうどいい。


そっとカイルが手を添えてくれて、イーリスは再び横になる。



ふわっと持ち上げられる感覚に目を開いた。

「時間になったのでそろそろ出ます。」

イーリスを抱き上げたカイルが声を潜めて話してくれる。

「分かった。でも待って。私を一度机のところへ連れて行ってくれる?」

頷いたカイルはイーリスを机の所に運んだ。


「え・・・」

机の上には4つの紋章が並んでいた。


「退団届を出したのに、急いでいたのでこれを置いてくるのを忘れてました。なので、ここに置いていきたいと4人で決めました。」


シオンやテオが出て行く前に渡していたのはこれだったのかと納得し、イーリス自身も自身の薬指から鉄の指輪を抜き取ってその並びに加えた。


「私も、こんな縛られるようなものは不要だから置いていくわ。」

「では、行きましょう」


イーリスを抱えたカイルとリュカが部屋を出る。

部屋は、住人と少しの服が消え、小隊長の紋章4つと、指輪が一つ残された。



◇◇◇


馬車に揺られながら、眠るイーリスを見つめるシオンは眉間に力が入るのを止められなかった。


イーリスはもともと、採用した全員を元気づけて回るような、太陽みたいと思うほど明るい笑顔の可愛い人だったのだ。でも、領主様に声をかけられるようになったころから少しずつ変化していった。戦えないくせに、女のくせに、と騎士団に最初からいた者から僻みの代わりの嫌がらせを受け始めたからだ。

新人騎士にそんな姿を見せることは無かったが、騎士団長との婚約が決まると、ヒソヒソ声が段々と大きくなり、それを聞いた他の騎士たちも遠慮して気軽に声をかけられる雰囲気は消えていった。


イーリスの太陽みたいな笑顔が消え、やつれているような体調の悪そうな日が増えていった。最初は「こんな状況だから」と思っていたが、時折お腹を守るような仕草に、4人の中で最初に妊娠かもと気が付いたのもシオンだった。


同期で小隊長という立場にあるシオン達4人はたまに飲み会をしたり、情報交換をする仲だったので、集まろうと声をかけた。


「このままじゃ、イーリスさんが倒れてしまう」

「どうしたら助けられる?」

イーリス救出作戦に切り替わるのはすぐだった。


そして今日、ついに実行した。

もう戻らない。イーリスを傷つけさせない。

4人の誓いだった。




万全の準備と、短期間で小隊長になる実力をもった4人が揃ったことでトラブルも即時解決させながら移動はスムーズに行われた。

イーリスもカイルに抱きかかえてもらうことで負担なく過ごすことができ、予定通り隣の領地に着いた。


あとは、門をくぐれば逃亡は成功だ。




「お前は確かゼノスフェルト領のカイル小隊長だろう?他領の騎士団を無許可で通すわけにはいかない。紋章はどうした?まさか旅行ではないだろう?」


通行料を支払って通れるかと思ったが、見つかってしまったようだ。門を守る2人の騎士によって通ることは許されなかった。女性を抱きかかえるカイルは鎧を身に着けていないし、リュカはもちろん、テオも軽装だ。


リュカやシオンは後方や斥候として活動しているのであまり顔は知られていないが、カイルやテオは最前線で戦うので実力と顔が知られてるのが裏目に出た。


「確かに僕らは騎士団でした。でも、今は紋章も持たない平民です。通行料をお支払いしますので入れていただけませんか」

リュカが問う。


「騎士団だと分かっていて通せるわけがないだろう。上の確認が必要だ。それまで待ってもらうか、ここへ入ることを諦めてくれ。」

明らかに具合が悪そうな女性を抱えるカイルが観光目的とは思えない。亡命か不祥事か・・・とにかく他領のいざこざをこちらに持ち込まれるわけにはいかない、と門番も気を引き締めている。


「分かりました。では、見てお分かりの通りこの女性は現在体調が優れません。太陽の下でいつまでも待てませんので部屋をお貸しいただけませんか」


「それなら、まぁ。馬車は置いてついてこい」

そう言って門に隣接する管理所のような建物へ入っていった。



案内された部屋は応接室のようで、ソファとテーブルだけが置かれたこじんまりとした空間だった。


1時間ほど経っただろうか、ふいに扉が開いてシオンが入ってきた。

「イーリスさんお待たせしました!オルテンシア様をお連れしました」

「シオン!オルテンシア様?」


カイルの中で毛布に包まれて眠っていたイーリス(馬車移動中もずっと抱っこだったからもう馴染んだ)が、驚いて目をあけた。そういえば馬車で一人降りて、しばらく姿が見えないままだったと寝ぼけた頭で思い出す。


「あら、あなたが噂の人事官様?可愛いのね。」

「オ、オルテンシア様?!」

先程から名前を言うしかできない。が、領主の登場に目が覚めた。




「ゼノスフェルトの騎士団を急拡大させた立役者の人事官様の実態がそんなだったなんて、想像もしなかったわ!」


イーリスやゼノスフェルト騎士団の状況を本人含めた5人で説明すると、ブルーラメール領の女領主、オルテンシアが上品さを失わないままに絶句の表情をする。


すると、その表情を待っていたかのように元騎士の4人がオルテンシアに向かって跪いた。


「発言をお許しください」

「そうよね。どうぞ。」

言いたいことを分かっているかのように、続きをうながすオルテンシアに、リュカが発言する。


「我ら四名、守るべき尊き命――イーリス元人事官、そしてその慈しみの中に宿る新たな命を守るため、ゼノスフェルトの騎士たる身分を潔く辞し、この地へと参りました。

我らはかつての騎士団において、小隊長という重責を全うし、研鑽を積んできた自負がございます。その剣も知略も、今後はすべてオルテンシア様のために捧げる所存にございます。


厚かましき願いとは重々承知しておりますが、どうか、イーリスが平穏に過ごせるよう、この領地にてお見守りいただけないでしょうか。伏してお願い申し上げます」


4人が揃って礼をする。


「代わりなどいるはずがない貴重な人材を性別で判断するようなバカな領地、出てきて正解よ。」


そのやり取りを驚きで見開いた目で見つめていたイーリスをよそに、5人は無事亡命を達成した。



◇◇◇



レナードは地につけた拳を握りしめながら、これ以上ない屈辱に耐えていた。

イーリスという婚約者が指輪を置いて去ってから1年が経ち、拡大を続けた騎士団は、今や退職希望者が後を絶たない。

他領にまで知れ渡ったゼノスフェルト騎士団の名声は、今や落ちぶれた領地としてのものに変わった。


そして、領主から「イーリス人事官を連れ戻し、騎士団を早急に立て直せ」という指令のもと、ブルーラメール領の騎士団で人事官となったイーリスに膝をついて復職を頼みにきた。


「イーリス、ゼノスフェルトに戻るんだ! 結婚もしてやろう。その子は私の子だろう?父親がいないなんて不幸なことするもんじゃない」

「レナード様。この子に父親はいますよ。不幸なんかじゃありません。」

「なんだとっ」

キッとイーリスの周囲を睨む。1年前までゼノスフェルトで小隊長をしていた見覚えのある男が3人、子どもを抱くイーリスの周りを守るように立っていたからだ。

「どいつだ?」


「どいつだ、ではありませんレナード様。私は、フォローしてくれる私のいないゼノスフェルト騎士団に戻るつもりも、ましてやあなたの妻になるつもりもないのです。お帰りください」


「それでは騎士団はどうするつもりだ!人数が半分以下にまで減っているんだぞ。こっちは増えているそうじゃないか。お前が引き抜いているんじゃないのか?」


「そんなことしません。6年前、私が入った時の団員は30人でした。領地の規模に対して人数が少なく、皆疲れ果てていましたよね。そこから、100人まで増やした仲間は、今や半分以下ですか?……私が5年かけて積み上げたものを、あなたはわずか1年で壊してしまった。……それなのに、あなたは私に何の役にも立たない、迷惑だと言っていたではありませんか。」


「お望み通り、あの日皆に手伝ってもらって家を出たんですよ。そして目が覚めました。あ~何やってたんだろうって。」


最後はレナードが聞いたことのないイーリスの砕けた口調に、本心なのだと悟る。


誰かに認められなければ価値が無いと思っていた。

誰かの役に立てない存在は不要だと思っていた。

自分は何もできず、認められない価値のない存在だと思っていた。


でも、違ったのだ。


誰かに評価される必要もない。

誰かの役に立てなくても、それは存在を否定するようなことではない。


毎日幸せだなぁと感じて笑って過ごせること。

それ以上のことなんて無かった。


それを、一緒についてきた4人と生まれてきた命、女領主として気丈にふるまうオルテンシアが教えてくれた。


そして、今まで自分が惑わされていたことの小ささに後悔と笑いがこみ上げてくるようになった。


自分はなんて狭い世界にいたのだろう。

世界はこんなに広いのに、たった一人に認められることだけを願っていた自分が逆に愛おしくなったくらいだ。


そんな1年分の感情をこめ、レナードに向き合ったイーリスは告げた。

「私を『女』という道具でしか見ず、成果を認めないあなたのところには、2度と戻るつもりはありません。もう一度言います。お帰りください」


冷たい声とは裏腹に、安心させるように腕の中の子にふわっと微笑んだイーリスの顔に、レナードは目を見張った。

こんなキレイに笑う人だったのか?自分の婚約者はこんなに美しい人だったか?


いや、違う。いつもネズミのようにちょこちょこと動き回り、張り付けたような笑顔で自分の世話をしていた。

やせ過ぎた身体がする動作に優雅さは全くなく、制服がなければ家政の誰かかと勘違いしそうなほどだった。自分の婚約者だと言うには恥ずかしく、隠すように大量の仕事をふって執務室に閉じ込めていた。


閉じ込めていた。私が。


騎士団長という地位にありながら、成果を出した部下の褒賞として差し出された自分が酷く惨めで、許せなかった。


自分が上だと誇示するためにイーリスを道具のように扱い、身体をひらかせ、蔑むことで自分の惨めな感情を塞いだ。


イーリスという人間を、自分は何も知らないし、成果を認めることもしなかった。


レナードは力なく立ち上がり、イーリスを見ることなく立ち去った。




その後、イーリスはブルーラメール騎士団の人事長官として采配を振るいながら、子どもを育てた。

自分が働きやすいよう制度を作りながら、一緒に亡命した4人も代わる代わる子どもと関わってくれたので、子育ては楽しいばかりだった。そして、4人それぞれが良い人を見つけて結婚し、子どもができると積極的に制度を利用した。

その制度は騎士団から拡大し、今や領地の制度として整えるよう動きが出来た。


女性が働きやすく、子育てがしやすい領地として、以後この領地はより発展していったのはまた別のお話。


【END】


ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
騎士団長は屑だけど、これ領主も問題ありますよね。離職率の高さや女性差別等の問題を根本的に把握せず、功労者の「女性」職員の報奨が「結婚」。 騎士団長が言う通り上司か部下の報奨と思われないように、言い含め…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ