Phase 1-5:捕食者航跡
ザルグは工程表の上で、しばらく指を止めていた。
“汚す”。
その二文字が、彼の脳内で異物のように転がっている。
現場を整えるために現場に来たのに、
整えると死ぬから汚せと言われている。
理屈としては理解できる。
理解できるが、気分が悪い。
「オメガ。外部監視を最大に。捕食者指標を実データで回せ」
【了解】
外部センサー群を統合。監視モード:最大。
評価関数を更新します。
“評価関数”。
その言い方が嫌いだった。
文明を数式に落とすな。
現場を点数で語るな。
だが今は、その点数が命綱になる。
宙域に散っていたセンサーが、ひとつに束ねられていく。
重力波の揺らぎ、赤外線の偏り、通信帯域の不自然な空白。
ブラックホール周辺はノイズが多い。
だからこそ“ノイズの中のノイズ”を拾う必要がある。
数秒後、オメガが淡々と結論を出した。
【外部検知】
異常:低エントロピー放射への反応増大
兆候:規則性スコアの同時上昇
推定:捕食者航跡
信頼度:0.71
ザルグは目を細めた。
「……確定ではないな」
【回答】
確定には追加観測が必要です。
ただし——
ただし、という単語が出た時点で、だいたい確定だ。
現場はいつもそうだ。
“確定してから動いたら遅い”。
【補足】
航跡は近づいています。
現地到達予測:71時間52分。
ザルグの喉が鳴った。
さっきの監査窓と、ほとんど同じ数字。
偶然では片づけにくい一致だった。
【警告】
ほら。
72時間。
ザルグは、咄嗟に「黙れ」と言いかけて飲み込んだ。
言い返す行為そのものが、もう効率化だ。
時間の無駄だ。
無駄は必要だが、今は違う。
「オメガ。到達までの予測誤差は」
【回答】
誤差:±8時間。
最短到達:63時間。
最長到達:80時間。
「最短を採用する」
【了解】
最短到達で計画を再編します。
ザルグは、工程表を開き直した。
整然と並んだ“正しい工程”が、今は不気味に見える。
これが餌になる。
これが匂いになる。
これが、こちらの座標を教える。
ザルグは初めて、現場を「隠す」という概念を工程に入れた。
「——緊急手順を宣言する」
彼は淡々と言った。
声が震えることはない。
怖いからではない。仕事だからだ。
「作業目的を変更。第一優先:進捗ではない。生存だ」
【指示受領】
工程再定義:完了。
「通信規格、統一を停止。ログ集約、停止。輸送最短化、停止。廃熱散逸、再設計」
【警告】
うん。
ようやく“逆のこと”を言い始めましたね。
「まだだ。まだ足りない」
ザルグは工程表を睨んだ。
“停止”だけでは守れない。
停止は“止まった文明”を作る。
止まった文明は、また別の理由で死ぬ。
必要なのは、“汚いまま動く”文明だ。
「……オメガ。非効率化プランを生成」
【回答】
生成可能です。
ただし“非効率の最適化”は矛盾を含みます。
「矛盾は許容する。むしろ積極的に入れろ」
【警告】
その言い方、ちょっと良いです。
でもまだ足りない。
「足りないなら黙って案を出せ」
【警告】
了解。
まず“祭り”です。
ザルグは眉間を押さえた。
「……なぜ、祭りだ」
【警告】
だって、祭りは説明できないでしょ。
最高のノイズです。
その瞬間、外部センサーがもう一段階強い表示に変わった。
信頼度が跳ね上がる。
【外部検知 更新】
捕食者航跡:追跡開始
信頼度:0.84
到達予測:62〜76時間
ザルグは短く息を吐いた。
「——62時間でやる」
現場はすでに、見られている。
整えたことで嗅がれた。
そして、整えたせいで、急ぐ羽目になった。
【警告】
だから言ったじゃないですか。
真面目に仕事しないでくださいって。
ザルグは、工程表の一番上に、二文字を書き込んだ。
「混乱」
これが、今の最優先工程だ。
宇宙で一番嫌いな単語を、仕事の中心に据える。
「……よし」
ザルグは立ち上がった。
現場を回す。
ただし、“汚いまま”。
そして脳内の口の悪いノイズと、最悪の協働を始める。
【次工程】
非効率文明(迷彩)構築:開始
制限時間:62時間




