第18話 準備して結ばれる身体
「あの時は本当に……びっくりした。その……いろいろと」
「でも、嫌ではなかった?」
「ああ……すごく……興奮した」
「ふふっ……私も、です……」
うまく言葉で表現することのできないあやふやな理想なんて、現実になるはずがない。曖昧な理想は、ぼんやりとした霧のようなものでしかない。
そう思っていたのに、あの日を境に、それぞれの理想は常に目の前にいる。明確な色と形、匂いと温度を伴って。
「謙志くん……好きです。だからいい子で……私のものになってね?」
謙志に近付いた桃音の目が細められて、その隙間にある瞳が妖しく光る。
謙志は無言で何度もこくこくと頷くと、全身の力を抜いた。
(俺は……桃音のもの……)
この身体は、この心は、全部が桃音のもの。桃音のために存在するもの。そして、彼女が好きにしていいもの。
そこから二人はゆっくりと、互いの身体をふれ合わせていった。相手が好きだからこそ重ね合わせる身体は、心から愛おしく思うほど熱かった。
「桃音……」
ぐったりと動けなくなった桃音の身体を、謙志は両腕で抱きしめる。
「ありがとう」
「ん……どういたしまして……って言うのは……なんか、変だね」
「そんなことない。初めての相手が桃音で……本当によかった」
自分は生身の女性と性行為などできず、こじらせた欲望を肥大化させて、いつかモンスターになってしまうのではないか。そんなふうに恐れたこともあった。けれど、桃音に出逢えたことで初めて満たされた。桃音に翻弄されて、我慢させられて、どぎまぎさせられて、そんなふうにふれ合ってもらえて、本当に嬉しかった。
「俺……桃音のこと、必ず大切にする……だから、ずっと一緒にいてほしい」
「謙志くん……」
「大好きだ、桃音」
謙志はそう言うと、桃音の唇に口付けた。
◆◇◆◇◆
「華純! きゃぁ~久しぶりっ! 元気にしてた!?」
待ち合わせに少し遅れてやってきた友人の福井・ベルタ・蓮花は、華純の姿を見るなり甲高い声を上げた。
「蓮花、久しぶり! あたしは元気よー! とにかく元気で明るくいないと、向こうじゃすーぐ舐められるからねー」
蓮花に笑顔を向けつつ、華純は答えた。
「お二人さん、行くよー。積もる話がたくさんあるんだからね!」
そんな華純と蓮花を、上尾・カリーナ・麻衣子がうながす。
三人は大学に入ってから仲良くなった友人同士だ。一年前、華純が海外の大学に留学してしまったのでしばらくは蓮花と麻衣子の二人だけだったが、留学を終えた華純が帰国したので早々に三人で集まり、今日はたっぷりとおしゃべりに花を咲かせる予定だ。
「それで、どうだったの、海外」
種類豊富なケーキの時間制限付き食べ放題コースがあるスイーツ専門店に入った三人は、カラフルなケーキにフォークを差しながら早速口を開いた。
「うーん……まあ、慣れちゃえばそんなに大変でもなかったわよ。一年もいれば、最低限の日常会話は自然と身に付いたしね」
「あっちの大学の講義に出つつ、本場のチアリーディングを学んでたんでしょ? やっぱり、こっちとは違う?」
「ええ、それはね、本当にすごかった。応援相手のスポーツ選手並みにチアガールも身体を鍛えないと、難しい技はできないし……こっちにいた時の三倍はトレーニングをしたと思うわ」
「えっ、じゃあ、筋肉ムキムキになった?」
「まあ、そこそこに……腹筋は割れてるわよ」
「どうりで! なんか姿勢がきれいだし、前より美に磨きがかかってる感じがする!」
「あら、ありがと」
蓮花がそう褒めると、華純はすまし顔でお礼を言った。
「カレシはできた?」
「うーん……まあ……何人か」
麻衣子に尋ねられると、華純は歯切れの悪い返事をする。
「なにそのゆるい返事~。イイ男、いなかったの?」
「まあ……外国の男も、悪くはなかったわよ。でも……そうねえ」
「やっぱり、同じ国の男がいいって?」
「そういう結論かしらね、一応」
「元カレとか?」
「華純の元カレって、えっと……最後に付き合ってたのは、スポ科のなんか、いかつい人?」
「松浦……だっけ? 短期間で別れてたと思うんだけど」
「うーん……それはそうなんだけどね」
華純が謙志と付き合っていたのは、去年の春先から夏にかけてだ。
大学に入った直後から、美人で明るい性格の華純はよくモテた。同輩からも先輩からもよく告白されたし、そのうちの何人かとは付き合った。だが、大学に入ってはっちゃけたようなノリの子供っぽい男は、すぐに魅力的に思えなくなった。
そこで華純は、合コンで知り合った年上の社会人と付き合うことにした。しかし、年収やステータスをやたらとひけらかすような男は、それはそれで子供っぽく感じてしまい、結局はすぐに飽きてしまった。
そんな華純の視線が向いたのは、女子とほとんど話すことはなく、常に硬い表情でいる同じ学年の謙志だった。空手をやっていて、高校の全国大会で入賞するほどの実力があり、なおかつ偏差値の高いこの玉苑スフィア大学に一般入試で入る頭の良さもある。天文研究会に所属していて、見た目は少々野暮ったくて若干垢抜けしていなかったが、男子の中でも背が高いほうでガタイのいい謙志は、手のひらの上で転がすのに難しくはない相手のように思われた。
実際、華純が告白をすると、謙志は口数少なく頷いてくれた。見た目が硬派でも、中身は所詮、健全な青少年。謙志もほかの男と同じで、自分の女としての魅力にすぐにイチコロにされたのだと、華純はそう思った。
だが、それがそうとも限らなかった。
告白したら付き合うことを承諾してくれたので、彼は自分のことを好きになってくれたのだと思ったのだが、デートに行こうと誘うのはいつも華純からだった。謙志から誘ってくれることはなく、実際に二人で出かけても、謙志はまるで華純の護衛かのように付いてくるだけ。華純を楽しませようといった積極性は皆無に等しかった。
さらには、華純がボディタッチを増やしたり、謙志の一人暮らしの部屋に行きたいというアピールをしたりしても、いつだってのらりくらりとかわされてしまった。華純がせがむ形でキスはしたものの、それ以上のふれ合いを謙志が求めてくることも、そして華純に許すこともなかった。
結局、なびいたようでまったくなびかない謙志が嫌になり、華純は別れを告げた。別れたくないとごねてくれるかと思ったが、謙志は無表情で、「わかった」と頷くだけだった。
そうして恋愛事に少し疲れた華純は、気分を変えたいと思った。入学時からチアリーディング部に入って活動していたが、短期でもいいから、一度深くチアリーディングを学んでみようかと思い、一年間の海外留学に出たのだ。謙志への想いを、ほんの少しだけこの国に残して。
「なんか……遊びたいだけなら気軽な相手で構わないんだけどね。真面目に付き合いたいなって思ったら……やっぱり、真面目な相手がいいわよね」
「経験者が語る真理ですな~。まあ、ウチもそうだと思うけど~」
「え、じゃあ、松浦にアタックするの? ヨリを戻そうって」
麻衣子が尋ねると、「それもアリかな」と華純は答えた。
「海外に行って、少しはあたしも成長したし。今なら、謙志に求めることばかりしないでいられると思うのよ」
「わーお、華純さん、おっとな~。華純は魅力的だし、きっと松浦も、すぐに華純のことが気になるよ~」
「華純ならもっといい人を狙えると思うけど……まあ、華純が松浦を好きだって言うなら、応援しないとね」
「ありがと。二人とも、頼りにしてるからよろしくね」
正直、未練があった。不満がつのって自分から別れを切り出したが、謙志のすべてを嫌いになったわけではないのだ。
それに、謙志と付き合う前の軽薄な男との浅い付き合いや、海外で繰り返したワンナイトラブ。それらの経験を経た今なら、はっきりとわかる。謙志のように真面目で堅実な男を、あふれ出る自分の女の魅力で虜にしてしまうこと。女として幸せになりたいのなら、それが最も確実な方法だと。
(今なら……もっとうまくやれる)
前回のような敗北はしない。堅物の謙志でも、今度こそ自分に夢中にさせられる――華純にはその自信があった。




