第15話 あふれて重なる恋情(下)
「桃音、正直に言っていい。そのほうがたぶん将樹も、中途半端に希望を持ち続けるより楽だと思う」
「はい、では……あの……申し訳ないんですが、絶対に無理だと思います」
「うぇっ……そっか……そっかあ……。その理由って、教えてもらえる?」
将樹はたいそう落胆して肩を落としたが、十分に覚悟はしていたらしく、激しく取り乱すということはなかった。
「新歓コンパで、結美ちゃんが自分の両親の話をしましたよね。とても年が離れているって……その話を聞いて、野中先輩はどう思いましたか?」
「え? そりゃ、まあ……すごいな、って。自分だったら、二十歳も年齢が離れている相手と、そもそも恋愛ができるかどうかわからないし……」
「そうですよね。その年の差を聞いたらびっくりするし、けなすことはないと思いますが、『すごい』って感想が出てくるのが普通だと思います。でも、それじゃ結美ちゃんにはだめなんです」
「どういうこと?」
将樹は真剣な表情で尋ねてくる。
桃音は背筋を伸ばすと、丁寧に説明した。
「私と結美ちゃん、高校の卒業旅行で南の島……ティルセント島に行ったんです。そこで、かなり当たると評判の占い師さんに占ってもらって、その時に結美ちゃん、こう言われたんです。『あなたとうまくいく人は、あなたのご両親のことを〝すごい〟と言うのではなく、〝素敵だね〟と言ってくれる人。あなたと同じか、限りなく近しい温度で、あなたのご家族のことを見てくれる人。そういう人は、きっとあなたと何事も〝ピタリ〟とうまくいく。あなたもそれが、感覚として必ずわかる。だから、新しい出会いがあるたびに、ご両親の話をするといい。いつか必ず、真っ先に〝素敵だね〟と返してくれる、ピタリと当てはまる人と出逢えるから』って」
「占い師……」
「占いを本気にしてるなんて、笑ってくれても構いません。でも結美ちゃん本人だけじゃなくて、その時一緒に私も、ああ、そうだなって思ったんです。だって結美ちゃんは、ご両親のことが本当に大事ですから」
占いをしてもらったその日の夜、ティルセント島のホテルで結美は語った。
二十という年の差など感じないほどにいつだって仲良しの両親のもとで、自分は本当に大事にされて幸せに生きてこられた。でも、父との別れは、自分が思うよりも早く来てしまう。自分が三十歳になった頃か、もしかしたら二十代で。きっと母は大号泣して泣き崩れるし、そんな母を弟と一緒にどこまで支えてやれるかわからない。自分も絶対、悲しくて寂しくて涙が止まらないと思うから。だからその日が来るまでは、家族と過ごせる時間を大切にしたいと。
そして、さらに結美は続けた。占い師の言うことは当たっていると。たぶん自分は、こんなにも両親のことが大事だから、同じように自分の両親を大事にしてくれる人でないと、きっとどこかで行き詰まるだろうと。逆に言えば、二十もの年の差がある両親のことを「素敵だね」と言ってくれる人となら、間違いなく何もかもうまくいくだろうと。
「つまり、井口ちゃんの両親の話を最初に聞いた時に『すごーい』って返事をした男はもれなく全員、井口ちゃんの恋愛対象外ってこと?」
「はい、そうです。もちろん、今から『素敵だね』と言ったところで、それが変わることはありません。もし結美ちゃんの気が少しでも変わって付き合えたとしても、きっとどこかで綻びが出ると思います」
「そう……そっかあ……」
桃音の回答はやけに深く、将樹に刺さったようだった。将樹はだらしなく背中を丸めて、アイスカフェラテをストローですする。
「納得したか?」
「うん……なんか、腑に落ちた感じ」
謙志が確認するように尋ねると、将樹はこくん、と頷いた。
「まあ、そりゃそうだよね。自分が大事にしているものを同じように大事にしてくれる人とこそ……良い関係になりたいよね」
「ただの友達なら、そこまでじゃなくてもいいんだと思います。でも、結美ちゃんはご両親という、とても高い理想をずっと見上げて育ってきたから……たぶん、恋人選びというか、将来の伴侶選びは絶対に妥協できないと思います」
「友達なら……いいのかな」
「はい。結美ちゃんに向ける恋愛感情を一切なくして普通に接していれば……そのうち、少しは結美ちゃんの壁も薄くなると思います。その先で恋愛に発展することは、たぶんないと思いますが……」
桃音はあえて隠したが、占い師には時期のことも言われていた。結美にとって「ピタリ」と感じるお相手は、おそらく社会人になってから出会うだろうと。少なくとも、学生時代に出会う可能性はとても低い。学生のうちは自分を安く扱わず、自分自身の人間性と、他人を見る目を磨き続けなさいと。そうすれば、その人と会えた時に必ず「ピタリ」という感覚がわかると。
「そっか……わかった。ちょっと時間はかかりそうだけど……井口ちゃんのことは諦めるよ。で、舟形ちゃんの次に仲良しのお友達ポジを目指すね」
「それはやめたほうがいいんじゃないか」
謙志がやや呆れ顔で将樹を止める。すると将樹は、ぎこちない笑顔になった。
「いいじゃん、目指すだけなら。そうなれる可能性は低いんだから」
「まあ……お前がそれでいいならいいか」
「うん。舟形ちゃん、ありがとね。答えにくいことだっただろうに」
「いえ……」
桃音としては、こうして謙志と付き合い始めたあとで、そして謙志も同席している場で訊いてくれてよかったと思った。そうでなかったら、今までのケースのように、曖昧にはぐらかすことしかできなかっただろう。
「じゃ、お邪魔虫は退散しますか」
「えっ?」
「ん? なんで驚くのさ、舟形ちゃん。今日は俺が頼んだから時間を空けてここに来てもらったけどさ、舟形ちゃんは謙志と付き合い始めたんだろ? じゃあ、さっさと俺がいなくなればさ、このあといくらでも、謙志とデートなりいちゃいちゃなり、できるじゃん?」
「そ、それ……はっ……」
将樹が茶化すように言うと、桃音は頬を赤くした。
「二人が無事にくっ付いて、ほんとによかったよ。マジで俺、そこは本当に安心したからさ……ま、俺のほうは駄目そうだけど、二人は末永く仲良くしてよ。謙志は不器用で女の子との接し方もうまくないけどさ、真面目で本当にいい奴なのは俺が保証するから。じゃあね」
将樹はそう言うと、まだ半分は残っているアイスカフェラテのカップをさっと下げ台に持っていって、店を出てしまった。桃音は将樹に悪い気がしたが、将樹は強がっているだけで、一人になって気持ちの整理をしたいのかもしれない。
「ありがとう、桃音。たぶん将樹は、少ししたら立ち直ると思う。自分自身との付き合い方を、ちゃんとわかってる奴だから」
「はい……」
謙志はそう言ったが、それでも桃音は、将樹に対して申し訳なく思ってしまった。
不躾な輩は前置きもなくいきなり結美に告白をしていたが、将樹は決してそんなことはなかった。将樹なりに、結美を怯えさせないように気を遣いながら、少しずつ距離を縮めようとしていたはずだ。
けれど、残念ながら結美の恋愛対象に将樹が入ることはなかった。そしてこの先も、おそらく入ることはないだろう。
将樹が抱える失恋の痛みは、まだ桃音が経験したことのないものだ。その痛みが癒えるのにどれくらいの時間と、そして言葉が必要になるのか、桃音にはわからない。謙志にもわからない。将樹が自分で自分の心と対話しないと、乗り越えられない痛みなのだ。
「桃音がへんに申し訳なく思う必要はないぞ? 将樹だって、前から自分でもわかっていたはずだ。自分じゃ井口には相手にされないって」
「はい……。でも……それでもなんだか、申し訳ないです。私たちは……その……お付き合い……できたのに……」
「そんなふうに思わなくていい。俺たちが付き合い始めたことと将樹が井口に失恋したことは、別々の事象だ。どんなに気が置けない親友でも、俺と将樹は違う人間で、同じように、桃音と井口も違う人間だ。将樹も十分そうわきまえているから、自分のことと俺たちのことを混同しないために、俺たちが付き合いだしたいま、こうして俺を通して桃音を呼んだんだ」
「はい……」
桃音が結美のことを理解しているように、謙志は将樹のことを理解している。その謙志が気にするなと言ってくれるのなら、これ以上桃音が将樹に気を回すことはしなくていいのだろう。
「えっと……じゃあ……デート……しますか?」
「あ、そ、そうだな……でも、えっと……」
今日は何かを買うという明確な目的がない。時間はまだ昼前なので、今から遊びに行ける場所を探して出かけてもいいが、桃音にあまり出費の負担はかけたくない。
「さ、散歩……とか?」
謙志は途中停止しながらもどうにか頭を回転させて、とても質素な提案をした。すると桃音は、嬉しそうにのほほんとほほ笑んだ。
「ふふっ、いいですね。玉苑スフィア大学に通いだしたけど、実は大学の敷地以外のこのあたりって、まだほとんど知らないんです。周辺を少しお散歩して、どこかでお昼ご飯を食べて、そしたら、謙志くんのおうちに行きましょうか」
最後、桃音は少しだけ妖しげな笑顔になった。男を誘惑して精気を吸い取るサキュバスのようだ。しかし、謙志からは誘えなかったことを桃音が代わりに提案してくれたので、謙志は妙にほっとした。そして同時に、緊張と興奮のボルテージがうっすらと、だが確実に上がるのを感じたのだった。




