第14話 尻込みして見えるもの(中)
「はぁ~……」
桃音と別れたあと、レンテバー駅前のファミレスで一人夕飯にしてから帰宅した謙志は、手洗いとうがいをするなり、居間の座椅子に座って大きなため息をついた。
(これでよかったはず……だよな?)
メインの目的である買い物が済んだから解散、とはなりたくなくて、謙志は勇気を出して桃音を誘った。桃音は頷いて、一緒にウィンドウショッピングを楽しんでくれた。桃音と様々な話をしながら一緒に歩けた時間は楽しかったが、正直、楽しかったからこそ、まだ満足できなかった。もっと桃音と一緒にいたくて、なんなら、この部屋に招いていやらしい行為をしたいとも思った。
だが、謙志の中の理性が、「それだけはやめろ」と強く叫んでいた。こんなに楽しい時間を、最後の最後に自分の性欲で汚すつもりかと。桃音は、「理想のえっちができるとても都合のいい相手」ではなくて、「大好きで、大事にしたい女の子」だろう? そんな大事な娘とのせっかくの初デートの最後に、自分の欲望をぶつけるような真似をしていいのかと。
(またしたい……けど……)
謙志はスマホを手に取り、カレンダーアプリを開いた。この部屋で桃音と二人、卑猥な行為に夢中になった最後の日は、期末試験前のことだった。それから、実に一カ月も過ぎている。
これまで、桃音とえっちなことをしたのは三回。本番行為はしていないので謙志はいまだに童貞であるし、おそらく桃音も処女のままだ。とてもそうとは思えないほど、ずいぶんと耽美的で濃厚な時間を過ごしたように思うが、あの夢のような時間はまた味わいたい。ただし、それはもう、曖昧な関係のままではしたくない。
(告白して、ちゃんと舟形と……)
付き合って恋人同士になりたい。桃音と特別な関係になりたい。それから思う存分、いやらしくて甘い行為をしたい。遠慮がちにふれ合うだけでなく、本番行為だってしたい。桃音としたい。こんな微妙な関係でするよりもきっと、互いのことを好きだと承認し合ってするえっちはもっと気持ちがいいはずだ。
そう思うはずなのに、今日もまた、「好きだ」と告げることはできなかった。今日は食事をしている時でも歩いている時でも、電車を待っている間でも、言えるタイミングは何度もあったはずなのに。
「はぁ~……」
意気地なしで情けない自分に、謙志はもう一度大きなため息をついた。
きっと、桃音には悪く思われていない。地に落ちるのが怖いので期待値を最大にして舞い上がりたくはないが、自分たちは相思相愛の可能性が高いはずだ。だから不必要に恐れず、「好きだ、付き合ってほしい」と言えばいい。そうすれば、明るい未来にすとん、と足を踏み入れることができるはずだ。
(なんで……言えねぇんだよ)
謙志はこれまでの人生で、女子から告白されることはあったが、自分から告白したことはない。だからなのか、あと一歩の勇気が出せない。結美に片思いをしている将樹と違って、自分はきっと、勝算があるはずなのに。
(次に会えるのは、夏合宿か)
合宿の前でも、連絡をして予定が合いさえすれば、桃音はまたこの部屋に来てくれるような気がする。だが、この曖昧な関係のまま、自分に都合がよすぎるほどの桃音の好意を利用して彼女の身体にさわることは、もうしたくない。
(もっとちゃんと……大事にしたい……)
自分と同じように将来のことを悩んだり、真面目に勉学に励んだり、そんな頑張り屋の桃音を大事にしたい。そう思うからこそ、自分の中の臆病な心も大きくなってしまって、告白する勇気が出せないのかもしれない。
(合宿で……二人きりになれるチャンスはあるか?)
合宿中は、宿泊施設との兼ね合いもあるので、星空観察を行う時間はきっちりと決まっている。しかし、それ以外の時間はわりと自由時間が多い。合宿中に桃音と二人きりになれるチャンスはありそうだが、代わりに、誰かに水を差される可能性も十分ありそうだ。
(うーん……なるようになる……よな)
夏合宿では、告白するのにいいタイミングが来るかもしれない。そのタイミングが来たら、その時こそ勇気を出して告白しよう。チャンスが来なかったらその時はその時で、また次の機会を待つだけだ。
今一つ積極性に欠け、運任せにしようとしている自分の意気地なしを自覚しつつも、謙志の臆病な心は桃音を想い続けた。
◆◇◆◇◆
「桃音、松浦先輩とのデートはどうだった?」
入浴を終えて部屋に入ってきた光希は、二段ベッドの上ですでに横になっている桃音に問いかけた。
「楽しかったよ、すごく……でも……」
「告白はできなかったんだ?」
「うん……」
桃音はとても残念そうな声で頷いた。
「まだ気持ちがあふれるほどにはなっていないのかな?」
「そんなことないと思うんだけどなあ……もう、満杯だよ」
あんなにも切なく、誰かと離れがたいと思ったのは生まれて初めてだ。もっともっと一緒にいたくて、お別れをしたあとが本当に淋しくて、今すぐにでも謙志に会いたいと思うほどの気持ち。その恋情はもうしっかりと、自分のこの心を深く満たしていると思う。あふれ出ないでいるのが、むしろ不思議なくらいに。
「次に会えるのは合宿? 一週間後だっけ?」
「うん……」
「星空を一緒に見上げながら告白できたら、すごくロマンチックだよねえ。でもあれか、サークルのみんなで一緒に見上げるから、二人きりにはなれないのかな?」
「そうだね……たぶん、そうだと思う」
新歓合宿の時も、指定の時間になったらサークルの皆で庭に出て、いっせいに星空観察を始めた。場所は各々自由に選んでいたが、夜であたりがとても静かなこともあって、わりと小さな声でも互いに聞こえてしまう。新歓合宿の時と同じような感じで星空を観察するだろうから、謙志と二人きりになることはおそらく難しいだろう。
「ねっ、松浦先輩のどこが好きなの?」
光希は上段に上がるための梯子に足を乗せると、ひょこっと顔を出して桃音を見つめた。
「どこって……」
「かわいい、っていうのは聞いたよ。でも、ほかにも好きなところがあるでしょう?」
「えっと……」
桃音は起き上がり、横座りになった。
「優しいところ……。将来のこと、真面目に考えてるところ……。浮ついてなくて……甘いものは好きじゃなくて……」
「甘いものが好きじゃない? そんなところが好きなの?」
「えっと、なんていうか……見た目どおりのイメージっていうか……節制できているっていうか」
「ああ、まあ、たしかに……。欲望に任せて好きなものだけを食べまくる人だと、あまり魅力的には見えないね、男でも女でも」
「私、松浦先輩のこと……すごく、すごく好き。もっと一緒にいたいって思うの……でも、なんで好きって言えないんだろう」
「ん~……すごく好きだからじゃない?」
「えっ?」
光希の答えに、桃音は驚いた顔になった。
「相手のこと、すっごく好きだからさ。自分の中にあるその好きって気持ちを、少しでも壊したり汚したりしたくなくて……だから言い出せないんだよ。傷付かないようにずっとしまっておきたい、って無意識に思ってるんじゃないかな」
「そう……なの……?」
「まあ、あとは単純に、桃音が奥手なだけ。でも大丈夫だよ。そろそろきっと、言えると思うよ。だって、もうあふれちゃうからね。出すとか出せないとかじゃなくて、きっと自然に出ちゃうよ」
「うん……」
大学で結美に会えない時期なので、こうして直接話を聞いてくれる光希の存在はありがたい。今日のデートが楽しかった半面、好きだと言えなかったことを落ち込んでいた桃音だったが、少しばかり気が晴れた。
「ありがとう、光希お姉ちゃん」
「いいってことよ。告白して付き合えたら、ちゃんと教えてよー?」
光希はそう言って梯子を下りると、下段の自分のベッドに横になった。桃音も横になり、スマホのメッセージアプリを開く。特に新規メッセージがあるわけでもなかったが、これまでの謙志との数少ないやり取りを見返しながら、早く合宿の日にならないかと切実に思った。
◆◇◆◇◆
そして長いようで短い一週間が過ぎ、天文研究会の夏合宿の日になった。
毎年八月下旬の週末に二泊三日で行われるこの夏合宿では、大学がある首都特区を出て、四大州の一つであるジョウホク州にまで足を伸ばす。合宿の間貸し切っているバスに乗って参加メンバーは移動し、一日目は星空観察スポットとして有名なホテルに泊まった。なるべく費用を抑えるために、部屋は男性用、女性用の大部屋を二部屋借りるという方式だ。
少し早めの夕食を終えると、サークルメンバー全員でホテルの屋上に上がらせてもらい、一行は星空観察を始めた。屋上には天体望遠鏡も設置されており、桃音は結美と一緒に何度も順番待ちをしては望遠鏡を複数回のぞき込んで、はるか遠くに見える星々の光を目に焼き付けるように観察した。謙志のほうは望遠鏡をのぞき込む数は少なく、その代わり、自前の一眼レフのレンズ越しに黙々と空を見上げていた。
「今日はちょっと雲があるけど、それもなんかいいね」
「そうだね。北部で気温が低いから、雲もなんだかきれいに見えるもんね」
そう言いながら、桃音は自分が着ているウィンドブレーカーに視線を下ろした。
春に行われた新歓合宿の時よりも気温が高いかと思いきや、標高が高い北部の山に来たからなのか、夏だが夜でも寒さをはっきりと感じる。しかし、謙志と一緒に買いに行った中古のウィンドブレーカーは、実に暖かい。インナーも真冬のものを着ているし、前回の合宿に比べればずいぶんと楽に星空観察ができた。
そんな桃音の隣で、結美はスマホのカメラを頭上に掲げた。カシャ、という撮影音が、静かな闇の中でくっきりと聞こえる。
「きれいに撮れる?」
「まあ……悪くはないかな。せっかくのこんなきれいな星空なんだもん。パパとママと、あと一応、弟にも見せたくて」
結美はそう言って笑った。




