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奥手な二人は脱いだら淫ら(R15版)  作者: 矢崎未紗
第一章 曖昧な理想

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第01話 残って気になる声(下)

 それから一週間ほど経った頃のこと。

 謙志は将樹と共に、全学部全学科共通公開の青年心理学の講義に出ていた。

 今年着任した比較的若い教授の講義で、内容が幼少期から自分たち世代までの人間の心理について学ぶというものだったため、一年生から四年生まで実に多くの学生が興味を持ったらしく、かなり大きな教室が講義場所として指定されていたが、ほぼ満席だった。


「あれ……なあ、四列前のあそこ」


 講義開始のチャイムが鳴るまであと三分ほどというタイミングで、隣にいた将樹が右斜め前方を指差した。謙志がそちらに視線を向けると、女子校出身だというあの一年生女子二人が隣り合って座っていた。


「あの二人、天文研究会に入ってくれないかなあ」

「なんでだ」

「えっ? まあ……新入生が増えたら嬉しいってのもあるけど、普通にかわいいじゃん、あの子たち」


 将樹は決して、派手な異性関係を築くような気質ではない。しかしコミュニケーション能力が高く、初対面であっても基本的に誰とでも朗らかに話せる性格なので、異性に対しても一歩距離が近い――と、謙志としては思う。


「下心がある勧誘はやめろ。大網に言いつけるぞ」

「げっ、それはやめてー。素子会長、そのへんはマジで厳しいんだから。でも、謙志も思わなかったか? かわいいなーって」

「…………」


 それは正直思った。特に、大人びているほうではなくやや幼く見える泣き黒子の女子のほうが――主に声に対してだが、正直気になった。


「謙志もさ、そろそろまた、カノジョができてもいいじゃん」

「いなくてもいい」

「うーん……そんなこと言わないでさあ……」


 将樹は煮えきらない語尾で小さく唸った。

 将樹も今は恋人がいないが、謙志と同じで、入学してから二、三人くらいとは付き合ったはずだ。将樹こそ、性格がよくてイケメンと称される顔つきをしているのだから、またカノジョができてもいい頃合いだろう。


「えぇっ!? うそ……ほんとに?」

「らしいよー。もう、みんな早くてびっくりするよねー」


 その時、少しだけ大きな声量になった、例の女子二人の会話の一部が聞こえた。大人びた女子のほうが告げた内容に、控えめな泣き黒子の女子が何か驚いたようだ。


(ああ……やっぱり、あの声――)


 ――気になる。

 いつになく学生が多くて、教室内の喧騒はうるさいくらいのはずなのに、泣き黒子の女子の驚く声や細く笑う声が、まっすぐに謙志の耳に届いてくる。森の中で、川など見えないのに水が流れるせせらぎの音が迷うことなく聞こえてくるように。ゆったりと涼やかな、芯があるのに儚く消えていくような余韻を響かせる彼女の声が、どうしても謙志の耳の奥に残る。


(もし……もしもあの声に……)


 あの声に理想の責め方をされたら、自分はどうなってしまうだろう。

 いや、そんなことが起きるはずがない。控えめな彼女はどう見たって、男にリードしてもらう側のか弱い女の子だ。痴女や肉食女子のように、いやらしく男を食い散らかす優位な立場には、間違っても立たないだろう。


(馬鹿……考えるな)


 白昼堂々、これから講義が始まるというタイミングで卑猥なことを考えている自分を、謙志は胸の中で殴って黙らせた。

 昨夜しっかりと処理したはずだが、まだまだ自分の身体は欲求不満らしい。今夜はいつもよりも念入りに、自分の欲求を満たせるような動画を探して自慰にふけよう。謙志は夜の自分をそう甘やかすことに決めて、頭の中を切り替えた。



   ◆◇◆◇◆



 それから十日ほど経った四月最後の金曜日の夜に、天文研究会の新歓コンパがレンテバー駅近くの居酒屋で開かれた。

 謙志と将樹はサークル運営の中心となる三年生なので、ほかの三年生たちと共に一足先に居酒屋に行き、店外と店内で新入生を誘導する係に分かれた。

 新歓コンパにやって来た一年生は全部で七人で、女子が四名、男子が三名。残念ながら、女子校出身のあの女子二人はいなかった。


 ムードメーカーでもある将樹は、座ってもらった新入生たちに早速話しかけ、ほかのサークルメンバーも会話に混ぜて、場を盛り上げていく。

 そうして最初の乾杯を終えると、料理が続々と運び込まれてきた。

 将樹と違って積極的に会話の輪に入らない謙志は、いつものように座敷席の一番端っこに座り、注意深く全員のグラスや料理皿に視線を配り、空になったものは下げ、次の飲み物が要らないか、都度聞き回った。

 そんな謙志がタブレットを使ってそれぞれの二杯目を頼んだ時、「あっ!」という声が謙志の背後で聞こえた。なんだろうかと思って謙志が通路のほうへ振り向くと、そこにはあの女子二人が不安そうな表情で立っていた。


「あの……遅れてごめんなさい。天文研究会の新歓コンパって、ここでいいんですよね? 今から参加でも大丈夫ですか?」

「え……ああ、大丈夫だ。将樹!」


 大人びた女子に恐る恐る尋ねられた謙志は頷くと、奥の席にいた将樹に声をかけた。


「一年生二人、追加だ」

「えっ……ああっ、あの時の二人じゃん! いいよ、おいでおいでー!」

「はい……あの、遅れて申し訳ありませんでした」

「ごめんなさい」

「いいよいいよ、気にしないで! こっちの不手際だからさ。飲み物を頼んだら、もう一度乾杯しよっか!」


 萎縮して丁寧に謝る二人に、会長の素子もやさしく声をかける。そしてあらためてそろった新入生九名を中心に、サークルメンバー全員でもう一度乾杯をした。

 素子が自己紹介をうながしたので、遅れてきた二人の名前を謙志はようやく知ることができた。大人びた女子のほうは井口・アリエル・結美(ゆみ)、泣き黒子の女子のほうは舟形・エリーズ・桃音(ももね)といい、地方出身の謙志は聞いたことがないのだが、二人とも桜華(おうか)育慧(いくえ)女学院という、この第二首都特区では一、二を争う名門の中高一貫女子校出身とのことだった。


「二人の入会がギリギリだったから連絡先一覧に追加できてなくて、新歓コンパの連絡をするのが遅くなっちゃったのよ。ごめんね。でも、来てくれてありがとう」

「いえ、ご連絡いただけてよかったです」

「はい」


 素子が謝ると、結美と桃音は嬉しそうにほほ笑んだ。

 最初の印象と違わず、二人ともお嬢様らしい丁寧な言動だったが、結美のほうが誰とでも積極的にコミュニケーションをとる一方で、桃音はどちらかというと受け身で、静かに聞き役に回っていた。

 とはいえ、初対面の人が多くいる場所でひどく緊張しているというわけではないようで、自分が、自分が、と話すよりも、人の話に耳をかたむけているほうが好きなようだった。時折話を振られて長く語ることもあったが、その口調は誰よりもゆっくりで、自分の口から発する言葉を慎重に選んでいるように謙志には見えた。そしてその声はやはり、謙志の胸の中に不思議とさざ波を立てるのだ。


「桜華育慧って、校則がめちゃくちゃ厳しいって本当?」

「はい。でも六年もいれば厳しいというか……まあ、普通かな、って思いますよ。スマホは持ってきてもいいんですけど、朝のホームルームで先生に預けて、先生が職員室の金庫に入れて保管して、帰りのホームルームで返してくれるんです」

「ええぇっ!? 何それ、異常じゃない!?」

「ずっと鞄の中にあったらたぶん、授業中もさわりたくなっちゃうので……そういうルールでよかったなーって思いますよ? ね、桃音」

「うん。ずっと手元にあったら勉強に集中できなくて……この大学に入れなかったと思います」


 結美が同意を求めると、桃音は小さく頷いてから補足した。

 結美も桃音もとても真面目な雰囲気なので、そんな校則がなくても、二人ともしっかりと勉強に集中できそうなものだが――謙志は何も言わなかったが、そう思った。

 それからも、新メンバーの一年生を中心に会話は弾んだ。しかし、謙志の意識がはっきりと興味を示したのは、桃音のことだけだった。

 たとえば、彼女には兄と姉がおり、その二人は二卵性双生児であること。二人とも大学ではなく専門学校へ行き、それぞれ美容師、パティシエ見習いとしてすでに働いていること。桃音の家は決して裕福ではないのだが、「もっと勉強したい」と望んだ桃音の願いを叶えて、両親が中高一貫の女子校に入れてくれたこと。大学の費用は、両親だけでなく社会人の兄と姉も少し出してくれていること。だから、大学の成績はすべて最高評価を得て、二年次以降は学費免除制度を使いたいことなど。それから、家族全員が心配するので、アルバイトは実家マンションのすぐ近くにあるファミリーレストランしか許可してもらえなかったこと。サークルには入りたいと思っていたが、これまた家族が心配するので、家族を心配させないようによくよく吟味していたこと。そして、親友である結美も一緒に入ることを条件に、この天文研究会への入会が認められたことなど。


 ずいぶんと心配性な家族がいて、そして経済的に少し心配事もあるように思えたが、桃音自身は四年間の大学生活を思う存分に楽しみたいと思っていると、少し恥ずかしそうに語った。

 その控えめで純朴な笑顔はとてもかわいらしく、謙志はあらためて思った。

 桃音の声が、どんなに自分の理想に近い声だとしても、謙志の思い描く理想の関係を築ける相手ではない。おとなしくて控えめな桃音は、決して謙志が妄想するような破廉恥な行為はしない。桃音は、自分の理想を叶えてくれる女子ではない。何度もぶり返す自分のこの邪な下心は、早く一切合切捨て去らなければ。

 こうして謙志は、まだまだ恋愛方面で日照りが続くことを覚悟しながら新たな年度をスタートさせたのだった。

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