第10話 はじけてつながる約束(上)
そしてむかえた金曜日。
桃音は三時限の講義を終えると、謙志のマンションに向かった。
三回目となる謙志とのふれ合いは、よりいっそう濃密になった。誰に教わったわけでもないのに、桃音は小悪魔な言動で謙志を誘惑する。そんな桃音のすべてが思い描いていた理想にぴったりで、謙志は息を荒くして桃音の身体にふれた。
「次は……私も先輩に……してあげますね」
行為を終えた二人はベッドを背にして寄り添い、床に座った。
桃音はぴたりと足を閉じた体育座りをして、ちらりと謙志を見上げる。
「松浦先輩が……嫌じゃなかったら……ですけど」
「え、あ……嫌では……ない……」
今日、謙志がたくさんさわったからか、次は自分がさわると桃音は言う。桃音にしてもらえると思うと、謙志の胸の中で「次」への期待が高まった。
「でも……〝次〟はいつになるか、わからないですね。試験期間なので」
ちょうど十日後から、大学は期末試験期間に入る。だが、試験ではなくレポート内容で成績をつける講義などの場合は、試験期間前にレポート提出期日が設定されている場合がある。そのため、桃音のように真面目に勉学に励む学生は、そろそろ学業が一番忙しくなる時期だ。「えっちしたいから部屋に来てほしい」などとは、気軽に頼めなくなる。いや、これまでのことも、謙志としてはとても気軽に頼んだわけではないのだが。
「試験が終われば夏休みで……八月は天文研究会の夏合宿がありますね」
「舟形は、合宿には参加するのか?」
「はい。でも、九月の秋合宿は不参加です」
謙志に尋ねられた桃音は、俯いて残念そうに答えた。
「九月は予定がある……とか?」
「いえ……お金が……」
「えっ、ああ……そうか」
「八月の夏合宿は、アルバイト代を貯めればなんとか費用が捻出できそうだったんですけど、さすがにその一カ月後の合宿費用は少し……厳しくて……」
「夏休みは……バイトのシフトを増やしたりはしないのか?」
「増やす予定です。でも、大学の図書館が開いている時間は図書館に行きたくて……本を借りて持ち帰るのって、結構重労働なので」
「そうか……。夏休みもたくさん、勉強するんだな」
「そのために、大学に行かせてもらっていますから」
桃音の学費は父だけでなく、すでに働いている兄と姉も出してくれている。母も時々お弁当を作ってくれるなどして支えてくれているし、家族皆が、桃音が大学で学ぶことを応援してくれているのだ。だから、大学の施設や制度で使えるものはすべて使い、この四年間で得られるものはすべて得るのが自分の義務だと、桃音は自分に言い聞かせていた。
「松浦先輩は……?」
「え?」
「夏合宿……参加しますか?」
「ああ、参加する。秋合宿も……標高の高いところに行けるから、いい写真が撮れるんだ」
「ふふっ、楽しみですね」
桃音は顔を上げて、にっこりとほほ笑んだ。
新歓合宿は一泊二日だったが、今度の夏合宿は二泊三日だ。新歓合宿ではほとんど謙志と話せなかったが、次の夏合宿では謙志ともっと話したり、一緒に星空を見上げたりすることができるだろうか。
もしもそうできたら、とても嬉しい。こうして謙志のこの部屋で卑猥なことをする間柄にはなったが、えっちなことをしなくても、謙志との距離を健全に詰めていきたい。桃音はそう願った。
「舟形、薄着には気を付けろよ」
「えっ……あ、はい……。あの、えっと……新歓合宿の時は、ありがとうございました」
謙志がウィンドブレーカーを貸してくれたことを思い出して、桃音は苦笑した。
「先輩のあの上着、すごく暖かくてびっくりしました」
「ああいう風除けは薄いものがほとんどなんだけど、あそこのメーカーが出してるのは防寒も兼ねてるから、重宝してる。スポーツ実習の授業で、冬場にグラウンドで動くこともあるから」
「そうなんですね。私も買おうかな……でも、高そうですね。無理かなあ」
桃音は購入を検討したが、スポーツ用品や登山用品などに詳しくないので、それらを売っている店がどこにあるのか、見当もつかない。大きな駅にでも行けば、アウトドア用品を売っている店などが見つかるだろうか。だが、そういう一般的な店にあるのは、謙志の言う「薄いもの」ではないだろうか。それに、良質な品ならば、きっといいお値段がするに違いない。合宿に向けて準備は必要だが、抑えられる費用はいつだって抑えたいのが桃音の財布事情だ。
「中古なら……買えそうか?」
「えっ? はい、あの……値段次第ですけど」
「そうか……」
「はい……」
桃音に確認をとったあと、謙志は不自然に黙り込んだ。続きを言おうかどうしようか、迷っているようだ。
桃音が特に急かさずに沈黙していると、謙志は大きく息を吸い込んでから言った。
「今度……一緒に……行かないか」
「え? どこに……ですか?」
「中古のアウトドア用品を扱ってる店が……探せばあると……思うから」
「あっ、な、なるほど……」
「えっと……いや、買うつもりがないなら買わなくていいし……でも……その……ネット通販をするより、中古は実物を見たほうが安全だし……その……」
謙志はもじもじしながら、片手で自分の顔を覆った。今日の卑猥な行為は終わったはずなのに、自分の頬が熱くてびっくりする。
「い、嫌なら……いいから……」
「いえ……あの……」
そんな謙志の半袖の裾を、桃音は指先でつまんだ。そしてぎゅっと少しだけ引っ張ってから、とても小さな声で続ける。
「一緒に……行き……たい、です…………松浦先輩と……」
「あ、えっと……じゃあ……」
謙志は頭の中で、ぐるぐると考えをめぐらした。そして不器用な手つきで、脳内に浮かぶカレンダーをめくる。
「えっと……試験が終わってから……がいいよな……夏休みに入って……舟形が少しはバイトを増やしてからなら……予算もわかる……か?」
「は、はい……たぶん……」
「じゃあ……連絡……する」
それは、いつになるかわからない約束。でも明確な、二人で出かける約束。おそらくきっと、「デート」と呼べるもの。
「あ、時間……えっと……駅まで送る」
「はい……」
カーテンはずっと閉めているので、謙志はスマホを手に取って時刻をたしかめる。そして桃音をうながすと、そろって家を出た。
駅までの長くはない道のりを、謙志と桃音は黙って歩いた。二人の歩幅はやはり違いすぎて、謙志が少し先を歩いてしまう。桃音が小走りになって追いつくと、謙志は「あっ」と気が付いて、歩くスピードを桃音に合わせて遅くした。
そして、二人は言葉少なに別れを告げる。改札を通過していく桃音の背中を、謙志はすべての他人が邪魔だと思いながら見つめた。
すると、途中で桃音が立ち止まり、謙志を振り返る。桃音は嬉しそうにはにかむと、ぺこりと会釈をしてホームに向かった。
(ああ…………好きだ……)
謙志の胸の中に、その想いが満ちる。
もっと一緒にいたい。行かないで、まだ隣にいてくれ――そんなふうに、切ないほどに桃音を求める気持ちで淋しくなる。
謙志はとても重い足取りで一人暮らしの部屋に戻り、そして少し時間を潰してから夜の居酒屋のアルバイトに向かうのだった。
◆◇◆◇◆
(大学の試験って、こういう内容なんだ)
翌週の半ば、サークルの部室で同じ経済経営学部の先輩を見かけた桃音はすぐに駆け寄り、部室に置いてあるという過去問を見せてもらえないかとお願いをした。自由に見てもいいらしいのだが、きれいに整理されているわけではないようで、欲しい講義の過去問は同じ学部の先輩に頼んで出してもらうのがいいと、会長の素子からアドバイスをもらっていたのだ。
すべての講義の分とはいかなかったが、経済経営学部の過去問を手に入れた桃音は、まずは図書館に行って、それをコピーした。そして原本を部室に戻して、そのまま部室で過去問を眺め始める。
高校までのテストのように、主に知識を問うような暗記系の問題はとても少ない。経済用語、経営用語で憶えていなければならないものは多いのだが、大学の試験では、わざわざそれを問うことなどしない。それらをすべて憶えて理解していることが前提で、試験問題は記述式が基本となっていた。




