第01話 残って気になる声(上)
好きなタイプというものはいったいいつ、どうやって作られるものなのだろうか。一度作られたら、生きている間にその色や形が大きく変わることはあるのだろうか。自分で意識して得たわけではないのに、すっかり自身から切り離せなくなった自分の好きなタイプは、この現代社会において果たして正常なのか、異常なのか。
進級を目前にした大学二年次の春休みの、ある夜のこと。
自宅にいた松浦・デイビット・謙志はノートパソコンを広げると、動画配信サービスサイトにアクセスし、大人向けの動画を見始めた。
ノートパソコンには有線イヤホンのプラグを差し込むが、そのイヤホンを自分の耳に装着することはしない。さらに、再生ボタンを押しても、動画の音量はすぐにゼロにしてしまう。イヤホンは、万が一操作を誤っても音が漏れないようにするための、ただの保険だ。
そうして謙志は、無音のまま流れる動画をぼんやりと見つめた。
自分の中に「好きなタイプ」と呼べるものができあがったのはいつの頃なのか、それはわからない。小学生の時かもしれないし、中学生の時かもしれない。はっきりと自覚したのは高校に入ってから――スマートフォンで卑猥な画像や動画を目にする機会が多くなってからだが、いったいいつ頃の何がきっかけでこうなってしまったのか。
謙志が男女間の性行為に対して、無意識のうちに強く求める要素。それはいくつかあったが、その一つに、声への強いこだわりがあった。
高校生の頃、友人たちを真似するようにいやらしい画像や動画を見始めた謙志は、いくつかの動画を見ているうちに、ほとんどの女性演者の声が、自分の中の性的興奮を逆に鎮めてしまうことに気が付いた。
クラスメイトの女子たちの日常会話が聞こえる分には気にしたことがないのだが、大人向けの動画を見ている時の自分は、どうも異性の声を強く気にしているらしい。ハスキーボイスや、かすれて詰まったような声、逆に作られたような甲高い声の女優が出ている動画だと、たいそう萎えてしまう。かといって、控えめでささやくような声が好みかというと、それもわずかに何かが違う。
自分のその違和感を少しばかり研究した結果、どうやら自分の中には至高の理想とする声があるようで、その声に「ピタリ」と当てはまる嬌声以外は、一切聞きたくないようなのだ。
そう自覚して以来、謙志はいやらしい動画を見る際は音声をオフにして、自分の中にある理想の声に集中した。
そんなふうに謙志の中にいつの間にか形作られていた好きなタイプは、声に関するものだけではない。親友にすら言えていないのだが、自分はどうも、どちらかというと受け身な姿勢を好むらしい。男性が女性を力強く責める内容よりも、女性が男性を責める内容のほうが、身体は熱くなる。しかし、そのこだわり要素にも謎の奥行きがあった。
たとえば、痛みを伴うものや、罵声、罵倒による精神的な苦痛を連想するプレイにはまったく食指が動かない。自分の嗜好に合っているだろうかと期待をつのらせて動画を見てみるが、何かがわずかに違う。
卑猥な動画の内容で謙志の性的興奮を最も高めたのは、男性が女性にリードされるシチュエーションなどだ。身体的、精神的に過酷でハードな苦痛のない、興奮がせせらぎのように流れていく内容こそ、謙志は興奮した。
だが、そうしたジャンルの動画は少ない。前半はそういうシチュエーションでも、後半になると結局は、余計な激しさが出てきたりする。それでは謙志の中のえっちな気持ちは、まったく満たされない。
それに、好みの雰囲気のプレイ動画を見てもまだ何か、謙志にとっては物足りない。自分が本当に求めているものはもっと別の形をしているはずだ、という気がしてならないのだ。
高校時代の謙志は、異性と付き合うという経験をしていない。三年間で二回ほど告白されたことはあったが、ほとんど話したことがない女子だったうえに、高校の時は部活の空手にすべての時間を注いでいたので、二回ともお断りをしたのだ。
大学に入ってからは一年次の秋に、そして二年次の春に、他学部の女子から告白された。高校の時と同じでどちらもろくに話したことのない相手だったが、空手で忙しいということはもうなかったし、高校生と違って大学生ならば誰かと付き合うのは当然の営みだろうと思い、謙志は相手のことが好きというわけではないが、付き合いを了承した。
しかし結局、そのどちらのカノジョとも三カ月未満で別れてしまった。キスはしたのだが、ぐつぐつと煮詰まってしまった自分の好きなタイプにどちらのカノジョも合致することがなくて、どうしても謙志が性行為の段階に進めず、それを不満に思った相手が去っていった――という次第だ。
そんなわけで、謙志はいまだに童貞だった。
身長が自動販売機と同じほど高く、地味なほうではあるが顔もそう悪くなく、たくましい体つきをしているので、謙志を気にする女子はたまにいる。しかしいかんせん、謙志は女子との関わりを苦手としており、愛想もないほうなので、とても親しく女子から距離を詰められるということはほぼない。本人は気にしていないが、むしろ女子にはよく怖がられている。二人目のカノジョと別れてから半年以上が経っているが、別の女子といい感じの雰囲気になる、ということもなかった。
そのため、ムラムラする時は、こうして動画でも見ながら一人で処理するしかなかった。
好きなタイプこそこじらせているものの、青年期真っ盛りの身体の性欲は人並みに強く、短時間の無音の動画視聴でも、十分に興奮して発散できる。だが、こんな自分が本番行為に臨める日は、果たして来るのだろうか。賢者タイムに入った謙志は、ベッドに寝転がって目を閉じた。
恋人がいなくても性行為ができなくても、広い世の中には面白いことがたくさんあって、多様な生き方ができる。童貞だからといってへんに焦ったり、卑屈に思ったりする必要はない。そう思うのだが、一度も芯から満たされたことのない自分の中の欲望を一度くらいは本気で満たしておかないと、いつか自分は、制御できない化け物になってしまう気がする。そんな恐れを、謙志は一人で抱え込んでいた。
◆◇◆◇◆
「おっ、新入生かな。女子が二人いるじゃん」
春休みが終わって四月になり、謙志は玉苑スフィア大学の三年次に上がった。
大学の最寄り駅であるレンテバー駅で待ち合わせた高校時代からの親友、野中・グレン・将樹と二人で東門を通り、「ゆりのき通り」を歩く。そこではいま、通りの左右に各体育会、各サークルが宣伝ブースを出しており、新たに入学してきた一年生にそれぞれの部活やサークルをアピールしていた。
謙志と将樹が所属している天文研究会もブースを出しており、新歓期間中は会員が交代でブースに立ち、新入生たちに勧誘の声掛けを日々行っている。
今日は会長である大網・ナタリーヤ・素子が朝からブース当番をしているのだが、そんな彼女の前には、テーブルを挟んで二人の女子が立っている。二人はテーブルの上に飾られている星空の写真を熱心に眺め、見つめ、見比べては、素子と楽しそうにおしゃべりをしていた。
「いい反応だな。入ってくれそう」
「どうだろうな」
「テンション低いな~、謙志。楽しみじゃないか? 女子でも男子でも、新しいメンバーが増えるのってさ」
口数も表情も少ない寡黙なタイプの謙志と違って、人当たりが良くて喜怒哀楽がはっきりしていて明朗な性格の将樹は、期待に胸をふくらませて笑顔になる。そして謙志の背中を押すと、天文研究会のブースに近付いた。
「素子会長、おはようございまーすっ」
「おっ、野中と松浦だ。おはよー」
ショートヘアの素子は将樹と謙志に気付くと挨拶をし、それから新入生の女子二人に笑いかけた。
「三年生の会員が来たよー。野中先輩と松浦先輩だね」
「おはようございます。お邪魔させていただいてます」
「あの……おはようございます」
先に挨拶をしたほうの女子は、高校を卒業したばかりとは思えないほど美人で大人びていた。前髪はとても短く、あえておでこを出して子供っぽさを出しているのだろうが、丸っこい瞳と手慣れたメイクが年齢以上の大人らしさを出している。ミディアムロングの髪は自然な茶髪で、染めているわけではないのだろう。
一方、遅れてゆっくりとした声で挨拶をしたほうの女子は、逆に年齢よりも少し幼く見えた。丸顔で頬がふにっとしており、メイクはしているのだろうがほぼすっぴんに近い。成人しているとはいえ背も低いので、服装次第ではまだまだ高校生に見える。だが、左目の下にある泣き黒子が妙に艶っぽくて印象的だった。




