◆4 すべて闇へと落ちろ!
翌日ーー。
総務部長・遠藤聡は、午前十時に出社するなり、白髪混じりの頭を抱える事態になっていた。
警察から捜査課の刑事がやって来て、いろいろと訊いてきたのだ。
庶務係の者が次々と死んでいるので、事件性の有無を確認するためという。
まず、広報課のOL鈴木明子、二十九歳が、デパートの屋上から飛び降り自殺。
次いで、総務課長の上野恵、四十二歳が、昨晩、自殺同然の交通事故を起こした。
いきなり赤信号の交差点に飛び出して、跳ねられたのだ。
大学時代に付き合っていた彼氏の名前を、うわごとのように呼び続けて。
そして、庶務の係長・石田憲一、三十五歳は、浮気を疑った妻に、マンションのベランダから突き落とされたと聞く。
おまけに、庶務係の高木稔という若手社員も、長期の有給休暇を取っていたが、
「滞在先のホテルに戻って来ない。
ブランド物のスーツと靴が樹海入口に置いてあったので、どうやら富士の樹海に入り込んだようだ」
と、彼の家族から会社に連絡が入った。
いまだ行方不明のままだ。
まさか、これほど不幸が立て続けに起こるだなんて。
刑事でなくとも、疑問に思って、調べたくもなろうものだ。
遠藤総務部長は、口をへの字に曲げる。
刑事が立ち去ったあと、支社長の本郷四郎、六十歳が、渋い顔をして姿を現す。
灰色の背広を着た、小柄な禿げ男だ。
普段から影が薄い男だったが、今日は何か言いたげにしていた。
それなのに、結局は何も言わずに、私の前から立ち去ってしまった。
これ以上、警察に調べられるようになったら、どのような風評が立つかわからない。
「その際は、責任を取ってもらうからね」
と、いうことなのだろう。
ま、それも当然か。
俺も支社長の立場なら、事件があった部の部長に、管理責任を問うだろう。
でもーー。
俺は茶色のスーツを脱いで椅子に掛けてから、デスクトップパソコンに電源を入れる。
(コッチには、本社の佐藤常務がおられるんだ。
支社長ごときが、俺に詰め腹を切らせることなんか、できはしないさ)
モニターに、USBに入れてあったデータを映し出す。
私立探偵に調べさせた調査報告書だ。
今年入ってきた新人OL佐藤優という、本社常務・佐藤達彦の姪っ子が、学生時代に奔放に遊んでいた姿を活写したものだ。
彼女は地元女子大に通っていたため実家住まいだったが、サークルやゼミの活動があるから、などと口実をでっち上げては、赤いハイヒールを履いて、オトコと泊まり込みで遊んでいた。
これらの調査報告資料を使って、俺の子飼いである、高身長イケメンの佐々木孝に、姪っ子にモーションをかけさせた。
地元では数少ない、深夜まで営業しているバーで待ち合わせて、これらの資料を佐々木に見せた。
「方法は問わないから、本社常務の姪っ子をモノにしろ。
こちら側に取り込むんだ」
と命じたら、佐々木は櫛で髪を整えつつ、怪しく笑った。
「わかりました。
必ず落としてみせますよ」
念の為に訊いてみた。
俺は佐々木が、同じ庶務係の女性と同棲しているのを知っている。
「良いのか、白川とかいうメガネ女は?」
「ああ、あれは予備ですよ」
そう言って、佐々木は青いスーツの襟を掴んで、得意げに胸を張っていたーー。
そんなことを想起していたとき、ドアがノックされた。
なんと佐々木の同棲相手だったメガネ女ーー白川美奈が入室してきたのだ。
俺は慌てて、パソコンのモニターを消す。
「な、なんの用だね?」
「退職するにあたって、ご挨拶を」
「ははは、そいつは大変だ。
君もとんだ災難だったねえ」
と、笑って誤魔化す。
「同期の娘に、目の前で飛び降りされたんだって?
そりゃあ、トラウマものだろう。
我が社に居続けると、フラッシュバックくらい起こるかもしれん。
辞めるのが賢明だろうな、うん。
ちなみに、私は、君が佐々木君と別れたから、腹を立てて退社しようとしてるという噂は信じとらんよ。
仕事に理解のある君ならば、恨んだりせずに、佐々木のために身を退いてくれると思ってたんだ。
ウチの総務部のエースが、本社常務の姪っ子ちゃんとくっつくってことは、本当に良いことなんだ。
ウチの営業利益は、本社と肩を並べるほどになってるのに、なぜか扱いが九州や北海道の支社と同程度のままだ。
おかしいだろ?
もっとウチと本社とで人事異動がなされるべきなんだ。
プロジェクトによっては、そっちの方が遥かに効率が良い。
うん。とにかく、君が佐々木君を諦めてくれて良かった。
総務で一番有能だったのは彼なんだからね。
白川さんが煽りを喰らってウチを辞めるはめになったのは申し訳ないけど、それが組織というものだから、君もわかってくれるだろう?」
「……」
白川美奈は表面上は穏やかに微笑んでいたが、内心では、
「わからねーよ! このマダラ白髪が!」
と、毒ついていた。
銀縁メガネを嵌め直しつつ、思った。
やっぱり、我慢できない。
私、白川美奈は、遠藤部長が前にする机に手を突き、身を乗り出す。
そして、部長の耳元で囁いた。
「遠藤部長。
白髪混じりオジサンの貴方こそ、身を退くことを考えなさいな。
いつまでも、本社重役の椅子に座ろうとしないで、諦めたら?
そうだ。
諦めやすくなるように、
『これをしたら、本社復帰はパーになる』
ってことを、やってみなさい。
『やっちゃいけない』と思うことをやってみるの。
そうすれば、嫌でも、諦められるから。
諦めると、良いわよ。
心も身体も軽くなって、高い所から、すぐさま飛び降りたくなっちゃうから」
総務部長・遠藤聡は、ボーッとした顔になって、コックリと頷いていた。
白川美奈が退社した後、部長室で独り残った遠藤聡は、白髪混じりの頭を掻きむしる。
ゴッソリと毛が抜けた。
頭が痛い。耳鳴りもする。
視界がグルグルと回転する。
まずい。
数年前におさまった更年期障害が、ぶり返したのか、と思った。
いつの間にか、パソコンのモニターが明滅している。
(あれ? たしかシャットダウンしたはずじゃ……)
仕事用のスマホが鳴る。
発信者を見たら、本社の常務・佐藤達彦だ。
総務部長・遠藤聡は慌てて電話に出る。
「こ、これは、これは佐藤常務。
今晩は、いったい何の御用で……」
「君には失望したよ、遠藤君」
「は?」
「嫌がらせだろう?
よくも私の許に、姪が醜態を晒した証拠写真を送りつけてきたものだな」
「は!?」
慌てて確認すると、探偵からもらった佐藤優の調査資料データを入れたUSBが、パソコンに挿さったままだ。
まさか、これを佐藤常務に送信した!?
これは自分が、本社に戻るための切り札として取っておくつもりだった。
今、このタイミングで、しかも佐藤常務に送ったところで、何の効果もない。
単なる嫌がらせでしかない。
「い、いや、これは、その、何かの間違いで……」
「姪に訊いてみたら、君は佐々木君を介して脅してきたというじゃないか。
これらの写真を使って。
まさか、探偵を使って、学生時代にまで遡って、姪のことを調べるだなんて、人事採用絡みだとしても、やり過ぎじゃないかね」
「そ、そんなことはーー」
「捜査課の刑事まで呼びつけていたとか。
やはり、姪を脅す気か?」
「いえ、あれは、たまたま部下がここ数日で立て続けに亡くなっためにーー」
「こんな調子では、どうやら、姪が惚れ込んでいる佐々木君についても、よく注意しておく必要がありそうだな。
もっとも、彼は君の脅しに同調しなかったようだが。
ーーとにかく、君が腹の底で、私に悪意を持っていることは、よくわかった。
今後、電話を私にかけないでくれ」
プツンと回線が途切れた。
(ああ、やっちまった……)
遠藤聡はスマホを机の上に放り出し、椅子の背もたれに、大きく身を預けた。
ただでさえボンヤリしている頭に、絶望感が溢れ出す。
ふと視線を横に向けたら、部屋の窓が開いていた。
窓の外には、同程度の高さを誇るビルが建ち並び、その上には夜空が広がっている。
もし空を飛べたら、気持ちが良さそうだ。
ボーッとしながら、そんなことを考えていると、脳裡に女性の声が響いてきた。
『諦めると良いわよ。
心も身体も軽くなって、高い所から、すぐさま飛び降りたくなっちゃうからーー』
総務部長・遠藤聡は、口から涎を垂らして、コックリと頷いていた。
(俺はもう自由だ!)
靴を脱ぎ、窓の縁に足を乗せて、飛び降りる。
「自由に羽ばたくんだ!」
と、叫びながら。
◇◇◇
新たな犠牲者が加わった頃、白川美奈は自室に篭り、ほくそ笑んでいた。
銀縁メガネを鏡台に置き、おかっぱ頭を整えつつ、鏡に映った自分の顔を見詰める。
もう会社は辞めた。
これで会社で不審死があっても、私を尋問したりはできない。
警察なんかに、物証が立件できない〈呪い〉は止められないのだから。
私、白川美奈は、大口を開けて笑った。
これでようやく、セミロングの、舌足らずの甘い声を発する、あの女を狙える。
そして、もう一度、孝と……。