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◆2 心霊の権能は、恐ろしい

 私、白川美奈が出社して、玄関口を進んだとき、いきなり声をかけられた。


「訊いたわよ。驚いちゃった」


 背中をポンと叩かれて、私は振り向いた。

 パーマ頭で厚化粧、赤い口紅が目立つ、白いスーツ姿の女性が立っていた。

 彼女は、広報の鈴木明子。

 私と同じ二十九歳の同期OLだ。

 ちょっと押しが強いのが玉に瑕だけど、気さくな性格をしている。


 彼女は、社内の広報ページで、彼氏の佐々木孝が転勤するのと一緒に、私、白川美奈が結婚退職するお知らせを掲載しようとしていた。

 そのための文章と写真を用意していたという(手回し良すぎるでしょ!?)。


 私を一階ロビーの休憩所に誘うと、彼女は厚化粧の顔を、私に寄せてきた。


「それにしても孝のヤツ、酷くね?

 いくらあの新人ちゃんが、若くて、小さい、可愛い系だからって」


「貴女だけよ。私の味方してくれるの。

 皆、冷たい……」


 でも、私が自販機の紅茶に口を付けながら言うのを、彼女は聞いていなかった。

 自販機からマイカップにコーヒーを注ぎ、一杯空けてから、いきなり本音をぶちまけた。


「あーよかった。貴女がフラれて。

 私、同期がいなくなっちゃうところだったわ。

 お弁当食べる時だってボッチになるの、嫌だもの。

 それに、後輩に気を使いながら、無理に仲間に入れてもらうのだって惨めだわ。

 あの子たちのファッションや化粧の話だって合わないし、男の話だって合わないし、あなたとずっと居られたら幸せ。

 これからもよろしくね」


 私は言葉を失った。

 このパーマ頭の同期は、一言、多いのが玉に瑕だ。

 私は、なんとか言葉を(つむ)いだ。


「……そうね。

 今日は『デパ地下の日』だしね。

 ランチが楽しみだわ」


 今日の昼は、パーマの明子と、ランチを一緒に食べに行く日だった。

 ウチの会社は駅近にあるが、同じ駅近には、老舗デパートもある。

 だから、一週間に一度、同期の仲間同士で、デパ地下で弁当を買って、屋上で食べる習慣が、入社以来、続いていた。

 入社してからずっと、続けてきた「デパ地下の日」は、最初の頃は六人も参加者がいた。

 ところが、次々に、結婚や転職、退職などでメンバーがいなくなって、今では鈴木明子と、私、白川美奈の二人きりになっていた。


 ちなみに、広報の鈴木明子は、このデパートで、赤い口紅をはじめとした化粧品を買い漁って、クレジットでの返済が滞るほどになっている。

 それでも、ついつい買ってしまう、と明子は嘆く。

 だから、私が少し立て替えてあげたことすらある。

 それなのに……。


(破談になったことを言いふらしたの、貴女ね……!)


 私がメガネ越しにジッと見詰めると、鈴木明子はトロンとした表情になる。

 涎が垂れて、ほんの少し、赤い口紅が溶け始めていた。


 私たちの他にも、デパートの屋上でランチを摂る、様々な会社のOLたちがいたけど、彼女たちは皆、下の階へ通じる出入口近くでたむろしている。

 柵の近くのベンチで腰掛けているのは、私たち二人だけだ。

 それを良いことに、私は同期の彼女の耳元で(ささや)いた。


「もうクレジットの返済に悩まなくても良いわ。

 あっちへどうぞ」


 私が柵の向こうにむけて指をさすと、鈴木明子は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、柵を越える。

 そして、デパートの屋上から、ためらうことなく飛び降りた。


 わあああ! と人々が騒ぎ出したのは、それからしばらく後のことだった。

 あまりに急な出来事で、明子が柵を越え、飛び降りるのを目撃した人たちも、しばらくの間、何が起きたのか、事態を理解することができなかったからだ。


 私は銀縁メガネをくゆらせ、ベンチに座ったまま、しっかりと脳裡に思い描く。

 二日前の夜、吊り橋で出逢った、長髪を前に垂れ流した、白い影の女の姿を。


 私は、彼女が何者かは知らない。

 でも、今や私は、心身ともに、彼女と共にある、という実感があった。


(まさか、私に、人を言いなりにする力が宿っているなんてね。

 思わず明子に使っちゃったじゃない。

 やっぱ、死んだんだろうな……)


 鈴木明子はベンチで並んで座っていた。

 だから、彼女の広げた弁当が、すぐ隣にある。

 それでも私は平気な顔で、卵焼きや唐揚げを口に運んで、モグモグさせていた。


 仲良しの同期が死んだ?

 でも、構わない、と私は思った。

 実際、明子の最期は笑顔だったから。

 喜んで落ちていったんだから。


 でも、いきなり一人のOLが、デパートの屋上から飛び降りたのだ。

 屋上は言うに及ばず、特に一階の地表では、大騒ぎになっていた。

 見てはいないが、地上七階建てのビルから、頭を下に思い切り飛び降りたのだから、明子のパーマ頭はグチャグチャになって、頭蓋骨が割れて、脳漿まで飛び出していることだろう。


 ざわざわと喧騒が広がる中、皆の視線が、銀縁メガネをかけた、おかっぱ頭の私に向けて注がれ始める。


 やがて警官がやって来て、何人かの人々が、私に向けて指をさす。

 二人組の警官が、私の許に走り寄ってきた。


「君、さっき飛び降りた女性とお知り合い?」


 私は自分の弁当箱を布に包みながら答える。

 明子の弁当は放置したまま。


「はい。会社の同期です」


「詳しく話を訊きたいから、署まで来てくれないかな」


「はい……」


 警官二人に挟まれて、まるで事件の犯人かのような格好で、私、白川美奈は交番まで連れて行かれた。

 デパートのエレベーターで一階に降りて、外の大通りに出る。

 すると、デパートから出たところの現場では、すでに黄色いテープとブルーシートで現場周囲がかこまれていて、頭がグシャグシャになった鈴木明子の死体が隠されていた。


 辺りを見回すが、明子によって、道連れに潰されたような人はいないようで、ホッと胸を撫で下ろす。

 最近、人口が減ってきて、駅近でも人通りがまばらになっていたが、それが幸いしたようだ。


 私は駅近の交番で、事情聴取を受けた。


「明子さんは、ボーッとした顔になって、笑いながら飛び降りましたよ」


 と、見たままの事実を伝えた。

 ついでに、


「彼女、クレジットの借金が(かさ)んで、嫌になっちゃうって言っていましたよ」


 と、言い添えた。

 ついでに、


「誰だかわからないけど、彼氏にフラれたみたい」


 と、嘘も言っておいた。


「明子の親御さんの連絡先は、会社に問い合わせてくだされば、すぐにわかりますよ」


 とも、付け加えた。


 その結果、私は、捜査に協力的な人物と思われて、警官の方々からは丁寧に扱われた。



 やがて、二時頃になり、同じ庶務係の後輩が、私を交番まで引き取りに来た。


「災難だったっすね。

 でも、良かったじゃないすか。

 大勢、目撃者がいて。

 マジで先輩がヤケになって、明子先輩を突き落としたのかと思いましたよ。

 ははは」


 後輩の名前は、高木稔、二十六歳。

 今日は縞模様のスーツを着込んでいる。

 毎月カードローンで限界まで買い込むほどの、ブランド愛好者だ。


 元は営業課にいて、好成績を収めていたらしいけど、口が軽いのが欠点で、営業課長のお伴をして大口の取引先のお偉いさんとの酒席に呼ばれた際、相手を怒らせてしまったらしい。

 そうした噂が真実であろうことは、交番から会社に帰る途中の、わずかな時間で、わかってしまった。

 長い髪を掻き分けながら、彼はヘラヘラ笑う。


「そー言えば、庶務課じゃ、白川先輩が佐々木先輩にフラれたって話題になってますよ。

 でも、相手があの、小さくて可愛い新人の佐藤優ちゃんじゃ、仕方ないっすよ。

 あんな娘が入って来なきゃ良かったっすね。

 それとも、その前に佐々木先輩と同棲にでも持ち込むとかしておけばーーまあ、何を言ったところで、後の祭りっすね」


 とうに同棲してたんだよ。

 それでも捨てられたんだよ!


 と、喉まで出かかったが、私は黙っておいた。

 そう言ったところで、佐々木孝に非難が集まることなく、私、白川美奈が惨めだと憐れまれるだけだろう。


 後輩の高木は、会社に辿り着いて、エレベーター待ちをしている間にも、依然としてペチャクチャ喋り続けている。

 失礼な話を。


「マジで白川先輩には可哀想だと思うけど、僕だって、新人の佐藤さん、初めから小さくて可愛いと思ってたし、狙ってたんすよ。

 それなのに、高身長の佐々木先輩に取られちゃって、マジで悔しいっすよ。

 でも、正直、背丈以外は、バッチリお似合いっすよね、あの二人」


「……」


 チンと音を立てて、エレベーターが一階に到着して、扉が開かれた。

 中に入ると、幸い、私と後輩の高木の二人だけだった。

 総務部は六階だから、そこへ昇る前に、早々に決着を付けた。


 私、白川美奈は、縞模様スーツをはおった、高木稔の耳元で(ささや)いた。


「ほんと、アンタ、口数が多すぎるよ。

 今まで、一言多いって注意されて来なかった?」


 すでに私、白川美奈には、怨霊の能力が宿っている。

 呪いの(ささや)きを続行する。


「ねえ、高木君。

 君、少しうるさいし、デリカシーに欠けてるよ。

 不快だから、消えてくれない?

 あ、そうそう。

 私、もう警察で絞られるのは嫌だから、独りで死んで? ね?」


「はい。わかったっす……。

 やっぱ、そーっすね、独りで()くなら、アソコでしょ。

 いっぺん行ってみたかったんすよ……」


 高木後輩はスマホを手に、旅行に行く手続きを始める。

 目的地は、『富士の樹海』と表示されていた。


 慣れた手つきで旅行予約を終えると、急に目を丸くして、


「あれ? 俺、意識飛んでました?」


 と、隣にいる私に問いかける。


「ちょっとね」


 私、白川美奈が軽く微笑むと、高木後輩は頭を掻いた。


「いやあ、マズイっすね。

 おかしいっすよ。

 ゲーム明けじゃないってのに。

 マジで、どーしたんだろ、俺。

 おかしいな……」


 高木クンは、ブランド物のスーツをはおり直しながら、(しき)りに首を(ひね)っていた。


 が、退社前には、何かに操られたかのように、高木は有給休暇を申請していた。

 庶務課のスケジュール表に、一週間の旅行予定を書き込む。

 そのまま、フラフラとした足取りで、後輩の高木稔は職場から出て行った。



 彼、高木稔が行方不明となって騒がれるのは、少なくとも一週間後ということになる。

 でも、私は知っている。

 彼が笑顔を浮かべたまま、富士の樹海に入り込み、高い岩場から下へと飛び降りることを。


 そこまで確信した段階で、ようやく私、白川美奈は、会社を辞める決心がついた。

 このまま会社にいると、関係ない人たちまで殺してしまう。

 これ以上、無駄に誰かを、殺しに巻き込むことは、本意ではない。

 私が狙うのは、私から孝を奪った、あの泥棒猫の新人OLだけなのだから。

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