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「……そう、あの子はそう言ったのね」
カップを優雅に傾けながら、ロゼッタは感慨深げに言った。
「はい。如何いたしましょう?」
「そうねぇ、向こうから来てくれるなら話は早いわ。放っておきなさい」
「彼らはどのように?」
「お茶に招待しましょう。あの子が来る時、一緒にお茶できたら素敵じゃない? ね、そうは思いません? クルトさん」
「……早く帰してやって下さい」
机にうつぶせのまま、クルトは答えた。
今現在机で優雅にお茶しているのはロゼッタとクルトの二人だけ。少女と男は檻に入れられていた。
一体あれから何時間過ぎたのか。過ぎてみればあっという間な気もするが、辺りは薄暗い。座りっぱなしのせいか背中と腰も痛くなってきた。
「それは駄目です。今帰したらこの子達は確実に騒ぎを起こすでしょう。これから大事なお話があるのに、それは好ましくありませんわ」
「!!!」
男が何か言っているのが見える。声は聞こえないが、まあ何を言っているのか想像はつく。クルトだって似たような気持ちだ。今後は本気でロゼッタとの付き合いを考えねばならないだろう。少女の方は気落ちした様子で、今の所大人しくしている。賢明な判断だ。騒いだ所でこちらには声は届かないし、自分ではどうしようもない。
それと、もう一人。
「あなたにも是非同席して頂くわ。あの子も喜ぶでしょう、楽しみね」
「……あんたは誰だ」
「先程挨拶は済ませたでしょう。嫌ですわ、もうお忘れになったの?」
男は無言でもって答えた。
言葉通りロゼッタは先程名乗ってはいた。名前だけ。男が尋ねたいのはそれだけじゃないだろうに。
今にも唸って飛びかかりそうな荒々しい容貌の男だが、見た目に反して理性的な男らしい。唸りもせずに大人しく席に着いている。足に鎖が繋がれてはいるが。
「あなたはあの子の名付け親ですってね。素敵だわ。だからあの子の為に来て下さったのね」
男が無理矢理連れて来られたのは明らかだ。ロゼッタの白々しさに、クルトは背筋が寒くなるよりも力が抜けた。なんかもう、どうでもよくなってくる。危機感がどんどん薄れていく。まるでロゼッタの一人芝居を見物している気分だ。これからどうなるのか、非常にスリリングな演劇であるが。できれば芝居の中でくらいはハッピーエンドを要求したい。
「……あいつに、何をさせる気だ?」
「私はただ欲しいだけ。あの子が取り戻すというのなら、私も取り戻してみたいだけですわ」
やはりとてもお美しい微笑みを浮かべながら、ロゼッタは意味深な答えを返した。
そうこうしている内に――
「彼女が来ました。どうしましょう? 私が迎えに参りましょうか?」
地味男がしゃしゃり出る。彼女に会えるなら自分が行きたいが、そんな気力もない。ロゼッタに吸い取られたようだ。突っ伏したまま、横目でクルトは向こうの様子をうかがう。
「そうね、あなたにお願いしようかしら。あなたもあの子には興味あるでしょう?」
「はい、魔法を探求する者としては、当然」
「素直でよろしい」
ロゼッタは若返ったようだ。元から子供じみた所がある人だが、今は拍車がかかっている。言動が幼くなり、なんかこう、上手く言えないが無邪気な若さがにじみ出ている。クルトの気のせいかもしれないが。
ロゼッタは微笑んだまま、右手で空を切った。それだけで、たったそれだけの動作で男の姿は静かにかき消えた。
さっきもそうだった。
あのいけ好かない男と、リサと名乗った少女。二人ともロゼッタが軽く手を振っただけで、次の瞬間にはいつの間にか現れていた檻の中に入れられた。
魔術士ではないから断言はできないが、これは魔術の範疇を超えている。通常、術を行使する場合は『設定』を行う必要がある。力をどこから持ってくるとか発動条件、術の効果等、いわゆる術の設計図だ。設定の方法は様々だ。単純な術ならば力ある言葉や紋章一つでも十分で、つまり呪文を唱える、印を切るだけで術は発動する。しかし複雑で大きな術となると、呪文だけや紋章だけでは術を設定しきれない、らしい。だから呪文と紋章を組み合わせたりと色々な設計図が出来上がる。ようだ。
ロゼッタが先程からなんでもないようにやってみせる空間転移の術。あれはかなり大規模な術の部類に入る筈だ。
大きな街ならば大概設置されているポータブル。この駅は鉄道や馬車、船ではなくて魔術による空間転移の駅である。ポータブル間でしか移動はできないが、距離が何千キロとあろうと一瞬で到着する。お値段は超高いが。、
最近このグレイソンの街にも設置された。他の街に比べると規模は小さく、一度に転移できる最大人数は三人と世界最小のポータブルだが、隣にある鉄道の駅よりも建物は大きい。その建物の壁・床・天井全てに紋章が刻まれている。紋章は常に薄く鈍く点滅し、夜にはそれは幻想的な光景となっている。今や人気のデートスポットの一つである。
「……」
クルトは目を閉じ、身体の力を抜いた。
疲れた。その一言に尽きる。
次目を開けたら、どうか見慣れた我が家でありますように。
闇だ。
深い闇。全て沈んでいる。
「……で、アンタこれからどうするつもり? 森へ行っても今のアンタは余所者よ? 見たら分かるでしょう?」
イルマに言われるまでもなく、エーファは一目で分かった。
ごく一部であるが、森は変質していた。もはや別の空間ですらある。しかし、変化しているのはごく一部。ほんの一部。これくらいなら変わったとは言えない。と、エーファは思う。
「猫さんは半分正解、半分不正解って所ですね」
唐突な男の声に、エーファとイルマは全く動じなかった。
「驚いていませんね。残念。驚かそうと思ったのに」
薄っぺらい笑顔を貼り付けたまま、大して残念がっていない様子で、男は森から現れた。
右手に灯りのついたカンテラを持ち、闇を小さく照らしてる。
「お前はそこ居るのだから、喋ったっておかしくないだろう。何を驚くんだ?」
「誰も居ないと思ってた所にいきなり声かけられたら、普通はびっくりするんじゃない?」
「確かに、声だけしたらちょっとびっくりするな」
「でしょう? 誰だか知らないけど、そんな事ぐらいじゃ驚かないわよ、アタシ達は」
「まあ、別に私はあなた方を脅かしに来た訳ではないですから、いいんです。そろよりも――」
「負け惜しみか」
珍しい事にエーファが噛みついた。
「負け惜しみね」
乗っかってやれば、
「……はは、これは手厳しい」
男の薄い笑みが少しだけ張り付く。いい気味だと、イルマは少し楽しくなってきた。
先程から散々な目に合っている。すこしばかり意地悪をしたって許されるはずだ。どうせこの男も、あの眼鏡女の仲間なのだろうし。そもそも、魔女や魔法使いでもないのにイルマの言葉を理解できる者も珍しい。イルマにとっては貴重な存在だ。これでもっと色男ならば文句はつけようがないのだが、
「まあ、ともかく。本題に入りましょう。我が主人が――」
「断る」
また男の言葉を遮って、短くエーファは言い放ち、無遠慮に一歩、大きく前進した。
「……力ずくですか。綺麗な顔して、乱暴な人ですね。残念です」
「違うわ、単に怒っているの。これは」
珍しい事だと、小さく驚きながらイルマは己の前に立つエーファを眺めた。
そう、エーファは怒っていた。
仲間をあっさり見捨てていく、あの眼鏡の女のやり方を。そして見捨てられた女達の姿が重なって見えて、非常に不愉快だった。
昔の自分に。
いや、現在進行形での自分に重なって見えて、不愉快だった。早く帰りたかった。誰も居ないけれど、暖かい我が家へ。ゲルトにも会いたくなかった。なにかあるとすぐに会いたくなる人だけれど、今は会いたくない。
八つ当たりを、してしまいそうだから。
「八つ当たりされたくなかったら大人しく道を開けなさい。ここはアタシ達の家だもの。案内は結構よ」
流石は使い魔。ちゃんと主人の状態を分かっているじゃないか。なんて、偉そうな事を考えつつ、エーファはもう一歩踏み出した。
男は無言で森へ数歩、退いた。
警戒している。少し緊張してきているようだ。男の纏う空気と匂いが若干変わった。
「……弱りましたね。私は戦闘とか苦手なんですが。ほら、私は研究者ですから、本当は」
口ではそんな弱腰な事を言いながらも、引く気はないようだ。力が、男の元に集まりつつあるのがよく見えた。
「どうでもいい。邪魔をするのなら相手をするだけ」
「やめておきましょう。言ってるじゃないですか、私の専門は研究だって。勘弁して下さいよ、ただでさえ慣れない事務仕事でストレス溜まってるんですから。駄々をこねるのは止めて下さい。全く、親子揃ってろくでもないですね」
「関係無い」
「そうですか? 見たところ大部分はあの子みたいじゃなですか? あの人も喜ぶでしょうね」
「黙れ」
男の言葉に反応するものがあった。ざわざわと、身体の奥底がざわめく。一人喚けば、それはあっという間に全体に広がった。嘆き悲しみ喜び怒り、諦め。絶望。様々な声が波のようにエーファを襲う。
――まま、まぁま
――おぉおおおおおん……
――☆>○◎☆□!!???*****
――GA!A!A!AAAAAYAAAA!!!!
煩い。
うるさくて堪らない。
「黙れ!」
久しぶり過ぎるそれらの存在に少し懐かしさも覚えるが、やっぱりうるさい。煩わしい存在だ。
「私はなにも言ってないですよ?」
男は面白がっている。エーファがなにでできているか理解した上で、揺さぶっている。どこを揺さぶれば一番大きく揺れるか、全部理解した上で。
「ど、どうしたのよアンタ? しっかりして頂戴!」
逆にイルマは狼狽えていた。珍しいくらいに狼狽えてた。いつもの太々しさはどこに行った? ここにはイルマを弄ぶ奴はいないというのに、なにをそんなに動揺している?
後ろから飛び出して、まるで男からエーファを庇うように二人の間に割り込み、イルマはエーファに叫んだ。
「しっかりしなさいよアンタ! ここが家に帰れるかの瀬戸際でしょう!? もうたくさんよ、早く帰りましょう。家はすぐそこよ。分かってるでしょう? 何度も帰った家だもの。分からない筈ないわ」
その通り。森に一歩足を踏み入れば、望むだけで家との距離は消える。森は目の前。つまり家はすぐそこ。目の前。分かってはいても、何故か声にならない。
イルマはなおも吠えた。反応のないエーファを揺さぶるように。
「それにアンタは満腹かもしれないけど、アタシのお腹はペコペコなのよ。アタシが満足するご飯用意するって、アンタ誓ったでしょう!? 魔女の誓いよ、忘れたの? 破ったらどうなるのか、アンタ分かってんの!?」
いや、分からないな。
即答しかけたが、口に出すのはやめた。部外者がいるから対面が悪い。
「……そういえば、そうだな。約束したな」
「そうよ。そうでしょう? アンタ何一人だけでゴハン食べてるのよ!」
イルマは憤慨している。ここまで感情を表すイルマも珍しい……それは、自分も同じか。
唐突にエーファは興が冷めた。頭が冷えたといっていい。変わらずに己の内側で声達は煩いが、もうそんなに不快ではなくなっていた。イルマのお陰だ。エーファという存在を強く認識できた。
「悪い。失礼な真似をしたな。謝るから水に流して欲しい」
男に向かって小さく頭を下げる。
八つ当たりなんて、最低だ。どんな相手でも、いかなる理由があろうとも。
「構いませんよ」
男はエーファの謝罪を快く受け入れた。
「では、参りましょうか。ご案内しますよ」
男はカンテラを森の方へと照らした。すると細い道が現れる。イルマが不安気にエーファを見上げたので、エーファは小さく肯いてみせた。
「大丈夫。私に敵うものなんていないから」
「別に、怯えてなんかいないわ」
「そう。それはよかった」