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森の魔女  作者: 杉井流 知寄
第四章 魔女、森を出ていく
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 9

「狭い所だが我慢してくれ。兄貴もすぐに帰って来るとは思うが……まあ、ごゆっくりと」


 案内された部屋は確かに狭かった。入り口も狭ければ通された部屋も狭い。綺麗に片付けられてはいるが、狭い。狭すぎる。


 古びたビルの二階にある、『ボルツ事務所』。その看板だけでは何を仕事にしているのか全く分からない。何でも屋だから何でもするのだろうか……と、至極どうでもいい事を考えながら、エーファは案内された席に腰を下ろした。


「イルマ、イルマ」


 男はイルマをいたく気に入っている。先程から構いっぱなしだ。細長い棒に毛玉がついた玩具でイルマを弄んでいる。


「くぅううううっ!!!」


 イルマとああいう風に遊んだ事はなかったが、イルマは良く反応している。口ではなんだかんだといいながら、身体はきっちり反応している。あれか、抗えない本能ってやつか。


「……」


 エーファはしばらく一匹と一人を眺めていたが、いかんせん飽きた。元々エーファには愛くるしい小動物も含め、動物を愛でるという感覚がない。赤子ならばどれでも可愛いとは感じるものの、イルマも男も赤子というには勿論、幼子というにも齢は重ねすぎていた。


「ちょっとアンタ! アンタは一体ナニしにきたの!? ナニやっているのよそこでアンタはっ!!??」


 イルマの悲痛に満ちた叫びに、成る程もっともだとエーファは肯く。


 何しに来たのか。それは重要だ。ただぼんやりと退屈に時間を過ごしに来たのではない。



 ぐぐぅぅぅ……



 空気を鈍く震わす、重たい音。


 エーファは己の腹を押さえた。



 ぐぐぅぅぅ……



 再び鳴った音と共に、己の腹は震えた。腹の虫が蠢いている。空っぽな腹の中で、腹が震えていた。

「なあ、」


 エーファは男の方に顔を向け、声をかける。男はイルマと戯れ続ける。エーファになど目もくれない。


「……」


 無視される事にはある意味慣れていた。一人で街に降りると大抵の人間は彼女を無視したから。慣れたからといって傷つかない訳ではないが、対処法は熟知している。早速行動に移す。


「無視するな」


「ほげぇえ!」


 エーファはとして軽く小突いた。そのつもりだった。だが男は実に大げさな悲鳴を上げ、前につんのめり床にそのまま激突して、ぴくりとも動かなくなった。


「いいザマね」


 イルマは満足気だったが、実行したエーファとしては不本意な結果だ。話をするどころではない。やり過ぎた。


「おい」


 うつ伏せの男をひっくり返す。白目をむいていた。鼻血も少し出ている。顔を打った所為か。


「さあ、こんな所からはさっさとおさらばよ! 早く帰るわよ!」


 自分から来たがったクセに。


 息巻くイルマを冷めた目で見下ろしたまま、エーファは首を横に振る。


「森には帰れない。困った事になったと言っただろう」


「内容までは聞いてないわよ!」


「そうか」


 それきり一人と一匹の会話は止んだ。猫が苛立ちを含んだ目でエーファを睨んだが、エーファは無視した。それよりも気になる事ができたから。


 エーファのなにかが、何かを訴えている。それに懸命にエーファは耳を傾けようとした。そういうものが訴える中身は役立つものが多い。分かっているからこそ、エーファは全力でその声に集中した。昔はよくその声を聞いたが、最近はとんと聞かなくっていた。もう居なくなったさえ、思っていた。


 何故今更? 


 少しばかり疑問に感じつつも、声を聞く事に集中、しようとした。


「……ナニマジな顔して考えこんじゃってるのよ? アンタでも頭使うのね」


 しようとしたが、できない。


 ごちゃまぜだ。


 かつては確かに一つ一つあったもの達が、いつの間にか混ざり合っていた。確かに別々のものだったはず。だが今となってはもうその記憶すら怪しい。本当に別々だったのか、エーファの中ではもう全てがごちゃまぜになっている。絵の具の色を混ぜ合わしたような、存在だけのごちゃまぜではない。過去・現在・未来、時間軸さえぐにゃりと歪む。別のものにとっての過去が、あるものにとっては未来の末路。


「アンタのクセに無視してんじゃないわよ!」


 猫が彼女の足元に突撃した。


 これは一個。一つの個体。黒猫。名前はイルマ。


 じゃあ、わたしは?


 彼女は己の内面を眺めてみる。それは久しぶりの行為だった。彼女の日々は穏やかに過ぎていて忙しさとは無縁だったが、しかし己を内省するような、そういう哲学的な瞑想とでも言うべき思索する時間は持たなかった。必要がなくなったから。


 かつて初めて彼女が自己を認識した時、その時の己の内面はたくさんの扉がある真っ黒な空間だった。扉は一つ一つどこかに繋がっていて、覗き見するのが楽しかった。しかし注意も必要だった。あまりに覗き見し過ぎると、その扉の向こう側に置き去りにされる危険性があった。実際何度かあった……ような気がする。今の彼女の記憶では曖昧になっているが。


「ちょっとアンタ!!」


 黒猫が苛立たしげに彼女に向って、ほえる。


 名前を呼んで欲しいと、彼女は思った。


 

 コンコン


 

 軽いノック音が響いた。


「おい、さっきすげぇ音したが、大丈夫か? 部屋壊してねぇだろうな?」


 誰も答えない。男は失神したままだし、彼女はぼんやりと黒猫を眺めていた。当然黒猫に答える術はなかった。


「誰も居ないのか?」


 訝しみながら、部屋の外の男はドアノブを回した。ドアは開いている。


「しょうがねぇ奴らだな、あいつらは」


 ぶつくさ言いながら、しかし面倒見の良い家主の男は不審な物音がした室内へと、躊躇うことなく足を踏み入れた。


「灯りもつけっぱなしで、あいつら本当にガキだな」


 男が現れる。黒猫は面倒な事になったと、ぼんやりとしている己が主を仰ぎ見た。


「ん? んん?」


 現状を目にし、男は唸った。そこで彼女は現れた男に目を向ける。


 白髪の、年老いた男だ。どこかで見たような気がしたが、どこで、いつだったかは思い出せない。


「お前さんは確かゲルトのとこの……エーファとかいったか?」


 エーファ。


 名前。私の名前だ。


 名前を呼ばれ、身体が強張っている事にエーファは気がついた。


「お前さんがやったのか、これ」


「……少し、やり過ぎた」


 硬くなった身体をほぐす為、大きく伸びをしながら、エーファは素直に答えた。


「少しじゃないわよ」


 イルマは呆れきった調子で突っ込む。


「少し、ねぇ……」


 老人もイルマと同意見らしい。苦笑いを浮かべている。



 ぐぅうう……


 

 弁明を始める前に、エーファの腹の虫がまた鳴った。


「腹減ってるのか」


「まあな」


「偉そうに言うことじゃないでしょ」


 イルマが突っ込むが、唯一言葉が分かっているエーファは無視。


「ゲルトの奴は元気か?」


「ああ」


「そうか、ならいい」


 それきり老人は黙った。男も目を覚まさない。猫のイルマはもちろん喋れないが、無視された事に対してふくれ、なにも言わなかった。


 沈黙がおりる。


 エーファは居心地悪く身じろぎした。


 沈黙には慣れている、はずだった。魔女は身内には無口な人だったし、ゲルトは誰に対しても無口だ。


 親しい人間はその二人だけだった。ごく最近までは。


 明るい笑顔の少女が思い浮かぶ。と、同時に蘇る歓迎会での御馳走達。


「……腹減った」


「そうだな、いい時間だ。なんか食ってくか?」


 エーファは肯くのを躊躇った。金を持っていないのを思い出したからだ。昨日森から飛び出した時点で着の身着のまま。財布を持ってこなかった。


「金の事なら心配するな。訳ありみたいだしな、ゲルトの奴にでもつけとくさ」


 老人はにやりと笑った。大人の包容力抜群の、かっこいい笑みだ。


 エーファの口元にも笑みが浮かぶ。


「それは、いいな」



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