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クルトは意気揚々と、花束片手に森へ向かっていた。
一昨日昨日今日といい、いささか通いすぎじゃね? と思わないでもないが、まあそういう巡り合わせなのだと、自分を納得させる。そもそも自分と彼女では接点がなさ過ぎる。こちらから会いに行かなければ会えない。だから仕方ない、と更にクルトは言い聞かせる。それにだ、イルマは住む場所がなくなると言っていた。それが気になる。
だから様子見もかねてクルトは森に来たのだが――。
「……」
声をかけるべきかどうか、クルトは一瞬迷った。
森には先客がいた。森を行ったり来たりしている、不審人物。その人物とは昨日初めてあったばかりだが、クルトはあんまり好きじゃない。なんとなく気が合わない雰囲気。
「お前は、」
ああほら。
クルトは小さく舌打ちした。
こちらから声をかけようか、そう考えていた時に、これだ。
「昨日はどうも。良く会うね」
「……この看板はお前の仕業か?」
笑顔で挨拶したのに無視られ、おまけにガン飛ばされた。
いらっとしたが耐える。
男が厳しい顔で指し示す看板を一目見て、大体の事情を察する。
「まあ、俺の仕事の結果ではある」
男は顔をしかめた。
まあ当然の反応か。男からするとクルトは胡散臭く、またこの状況を作り出した張本人だ。好印象は得難いだろう。欲しくないが。
「そんな奴が何の用だ?」
「あんたに答える義務なんかないと思うけどね、まあいいや。これ見たら分るだろう?」
花束を少し掲げてみせる。
男のしかめ面はますます深まる。だがそれ以上は何も言ってこず、男は看板に目を戻した。仕方ないから話しかける。
「で、あんたは? こんな所で何してんだ?」
「……知り合いに頼まれたんだ。そいつの妹の忘れ物を届けてくれってな」
男は片手に持つ袋を見せた。
小さな袋だ。中身は何かは全く想像できない。
「その子、彼女と知り合いなんだ」
「ああ」
男は難しい顔して看板を睨んでいる。
そんなもん無視して行けばいいのに。
クルトは男の生真面目さに呆れた。
だがまあ、その妹とやらも生真面目に看板の文句を忠実に守り、引き返したかもしれない。男もそう考えているのだろうか。
呼びかけようとして、クルトは気付いた。
男の名前を知らない。昨日自分は名乗ったが、男は名乗っていない。
まあ、別にいいけど。
「で、あんたは何悩んでんだ? その子はもう帰ったかもしれないだろ、こんな看板があったんじゃ」
「そういう素直な奴じゃないんだ。あの子は」
「ふーん?」
男が何も言ってこないから生まれる、沈黙。大の男二人が看板を前にして突っ立っているのは少々異様な光景だが、幸いにして他の人間はいない。人目を気にする必要はなかった。
「……で、あんたはこれからどうするんだ?」
「……」
男は難しい顔で黙ったままだ。
いい加減、飽きた。
「じゃ、俺は彼女に用があるんでこれで。妹さんに会ったらあんたがうろうろしてたって伝えとくよ」
男にそう言い捨て、クルトは森に足を踏む入れた。
「おいお前――」
男の制止する言葉は最後まで聞こえなかった。
森に足を踏み入れた瞬間。
ぐにゃりとクルトの視界が歪んだ。
視界だけではない。
感覚も、思考すらも歪む。
……だ……な……ん……
声にならない叫びを上げて、クルトの意識は途切れた。
ぼんやりと意識が戻ると、甘い香りがクルトの鼻を刺激した。
仰向けに寝かされているのが分かる。背中には柔らかい布が敷かれている。
「へぇ、二人はお知り合いだったんですね」
華やかな少女の声。クルトの知らない声だ。
それに応えるのは、
「ええ、この子が街に来たばかりの頃からの知り合いで、今はこんなのだけれど、昔は可愛らしかったんですのよ。寝顔は今も可愛らしいですけど」
ロゼッタだ。
クルトはがばっと起き上った。
「あら、もう気が付きましたのね。残念だわ、寝顔はとっても可愛らしいんですもの」
いつも通りの笑顔のロゼッタだ。だが言葉に刺を感じる。
何か気に障ることをやらかしただろうか?
クルトは自問する。
ないはずだ。ロゼッタがロルフに買いに行かせた紅茶を未だエーファに渡し忘れた事ぐらいしか、身に覚えはない。
「ど、どうもロゼッタさん。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
さっと立ち上がり、どもりながら後ずさる。
背中に敷かれていた布を拾い上げ、すぐに返せるように畳込む。
さっと辺りを見回すと、ここはエーファの家の前の広場だった。
家の前にはテーブルとイスが運び込まれている。そのテーブルの上にはお茶のセットが用意され、ロゼッタと少女は向い合わせで座っていた。少女の後ろにはあのいけすかない男が立っている。
一体いつの間に移動したんだ?
あいつも結局来てんじゃねぇか。
つーかさっきのアレは?
何でこんなところでロゼッタさんはお茶している?
様々な疑問がクルトの頭の中を駆け巡る。
「そうですわね、本当に奇遇ですわ。、まさかあの子の所にこんなに人が集まるなんて、考えもしませんでしたわ」
「あの子?」
随分と親しげな言い方だ。
クルトが聞き返すと、ロゼッタはにこりと微笑んで言った。
「娘がお世話になっております。わたくし、あの子の母親ですわ」
その頃娘のエーファは、ゲルトの家でぐーすか眠っていた。
朝仕事に出かけるゲルトを見送った後、特にやる事もないエーファは自分に割り当てられた部屋に戻り、眠りについた。
一度昼食時にアリサが起こしに来たが、エーファは起きなかった。アリサも無理に起こさずにそのまま部屋を後にした。
昨日突然ひどい怪我をしてエーファが夫に共に家に来たのには驚いたが、昨日の晩も今朝もエーファは元気だった。よく食べ、よく眠っている。だからアリサは心配はしてなかった。ただ夫が何か面倒な事に巻き込まれやしないか、それだけが心配だ。
エーファは夢を見ていた。
ゲルトに出会う前の事、出会った後の事。
ゲルトに出会う前の記憶は曖昧だ。たくさん覚えてはいるが、どれもあやふやで上手く思い出せない。はっきりしない。
しかし出会った時なら鮮明に思い出せる。
森に一人、うずくまっていた自分達。
当時の自分にとってじっとしている事は退屈な事ではなかった。今の自分にとっては死ぬほど退屈だが、当時の自分にとってはそうでもない。どう楽しかったかはもう忘れてしまったけれど。
そして魔女。
魔女。
まじょ。
もういない。
あの人は一人、時が来たと言って森の奥へ行ってしまった。
エーファを残し、一人で森の奥へ行ってしまった。
会いたい。
会いたいな。
ゲルトに会えたら次は魔女に会いたくなった。
会いに行こうか?
魔女が行った、森の先を想像してみる。
あの先には何があるんだろう? 今まで一度も行った事がない。未知の領域だ。
わくわくする……ような気がする。
ざわざわと背中がうずく。
自分たちも喜んでいる。
エーファは満足し、夢の中で更に眠った。