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クロッセル兄妹の一日
がんがんする頭を抑え、リサは起き上がった。
ひどい頭痛だ。がんがんと頭が痛む。これが噂の二日酔いというものだろうか? お酒を口にした覚えはなかったのだけれど。
ちょっと変わった女の子――というには年がいっているかも。リサよりもいくつか年上ぽかったし、身体も大きい。言い換えよう、ちょっと変わった女性エーファの入団式は楽しかった。思いがけない人にも再会できたし……。
ヴィリバルト・オルゲン。
兄の一つ上の先輩で、リサの初恋の相手だ。もっとも初恋といってもそれほど情熱的な恋ではなく、遠くから友人達と共にきゃーきゃー騒いで眺めているだけで十分な、アイドル的な恋だ。ヴィリバルトとお近づきになるよりは、共にヴィリバルトの事で友人達を盛り上がっていたい。ヴィリバルトは身近なアイドルだった。
ヴィリバルトに会うのは久しぶりだった。学校を卒業してからは警官学校に進学し、兄が都の王立大学に進学したら疎遠になったし、兄が戻ってきてからも直接会う事はほとんどなかった。
その人と、たくさん喋った。笑いあった。
エーファがスープ好きで、ヴィリバルトはスープは食べた気がしないから嫌いだという事。
エーファが暖かい飲み物だと思えばいいととんちんかんな事を言い出し、いやそれはスープとは違うだろうと、ヴィリバルトは熱弁を奮った。嫌いな物だからこそ熱くなったんだろうか?しまいにはエーファにどうでもいいと言われてたっけ。「お前なぁ」って、ヴィリバルトは呆れ、兄はくすくす笑っていた。リサはなんとなく口を挟めずに、二人の短い会話を聞いていた。
一人仲間外れにされた気分。ちょっと面白くない、ほんのちょっとだけ。そもそもあのパーティーはエーファの入団式。エーファが楽しく仲間達と過ごせたらそれでいい。まだ二人しかいないけど。
ヴィリバルトさんも入団すればいいのに。
リサは着替えながら思った。
ついでに誘えば良かった。我らが『ヴォルグ』には兼業を禁止する規則はない。問題はない筈だ。少なくともこちら側には。
なんて、うだうだ考えていたら気づいた。
さっきからヴィリバルトの事ばかり。今もそう。思い返されるのはヴィリバルトの呆れたような顔やしかめ面ばかり。胸の奥も甘く疼いた。まるでアレのよう。
みれん。
いやでも、未練だなんて。告白だってしていない。振られた訳じゃない、未練もくそもない。ナニ勝手な事言ってるんだろう?
うだうだと回る思考の渦を、ぶるんぶるんと首を力の限り振り切って払い落とす。
まだ夏休みの最中だけど、もう残りも半分だ。残った宿題も片付けねばならない。のんんびりうだうだしている場合じゃない。気合いを入れて、しっかり朝ご飯……て時間じゃないけど、しっかり食べて宿題をしよう。うん。
そう今日の予定を決めて、リサは部屋のドアを開けた。
「おはよう、お兄ちゃん」
おはようって時間じゃないけど。
カウンター席に座りながらそう挨拶した妹に内心突っ込みながら、エルヴィンは挨拶を返した。
「おはよう。なんか食べるかい?」
「うん、お願い」
「分かった」
夕方の仕込みをしつつ、昨日の夜の、正確には今日の朝まで続いた宴会の残り物を皿に盛った。
久しぶりにあんなに遅くまで飲んで食べていた。まだ疲れが残っているのがよく分かる。昔は徹夜なんて何でもなかったが、最近はそうでもない。疲れが取れない。普段ならば昼前にはいつも店を開けるのに、今日は休んでしまった。体力が落ちた所為か若さがなくなった所為かエルヴィンには分からなかったが、調子に乗ると痛い目に合うという事だけはよく分かった。
「はいどうぞ」
「ええ、これ昨日の残り物じゃない! 飽きた~」
「贅沢言わない。僕だって忙しいんだからさ」
「ぶーぶー、どうせ暇じゃない」
「そんな事無いよ? 確かにお昼は暇な時もあるけど、夜はそこそこなんだから。バイトでも雇おうかな、って考えるぐらいにはね。リサにも手伝ってもらったでしょ?」
「何回かはね……そうだ、あれが看板娘ってヤツよね? きっとその所為だわ!」
胸を張って自慢げに言う妹を見ていると、たまに頭が痛くなる。リサがそんな時は大概問題を起こしている時だ。
「はいはい、そうかもね」
だが、その事に関してはあながち外れではない。確かに男一人でやっていた時よりは客の入りが良かった気がする。男性客だけではなく、女性客の方も。
ほとんど趣味でやっていたようなものだったけれど、そろそろ本腰を入れる時期なのかもしれない。
これまでは特に何も、自分の将来について考えることはなかった。ただぼんやりと、時間が過ぎていく、その先にやはりぼんやりと将来はあるのものだと、そう考えていた。
昨日の宴会の所為だ。
それで色々思い出した。ヴィリバルトと長く話しこんだお陰でもある。先輩面して人生なるものを様々語っていた。エルヴィンとしてはエーファともっと、できれば二人きりでどうせなら話してみたかったが、リサがエーファには付きっ切りだった。よく話が尽きないものだと感心した。時々は自分やヴィリバルトを交えながらも、始終二人はべったりくっついたように話し込んでいた。
「まあ、そんな訳で近いうちにバイト雇うかもしれないけど、変なちょっかいかけないでよ?」
「どういう意味?」
「ギルドに勧誘、とかだよ」
「強制はしないわ」
しれっと言い放つ図太さにむしろ感心する。自分も図太い方だと自覚はしているが、リサには負けると思う。
「勧誘自体やめてもらいたいね」
「だってここがうちのギルドの本部じゃない!」
「あのねぇ、ギルドだって言ってもろくに活動してないじゃない。そもそも君はギルドがなんなのか、本当に分かってる?」
リサは驚いた事に即座に言い返さなかった。これまでは何かしら、冒険者の集まりだの冒険する団体だの言い返してきた。それが、ない。
嫌な予感がして仕込み中の具材から目を離し、リサに目を向けるとリサは真剣な顔をして言った。
「そうね、それを真剣に考える時が来たのよね。うん、分かってる。あたしなりに考えてみるわ」
違う、僕が言いたいのは真逆の――
「ご馳走様、お兄ちゃん。美味しかったよ。それじゃあたし今日は宿題してるから、忙しくなったら呼んでよ。気晴らしに手伝ってあげる」
とても言い笑顔で、そう言われたら兄としては何も言えなかった。
まるで憑き物が落ちたようにすっきりとした笑顔で、リサは食器を流し台に置くと、そのまま二階の部屋へと上がっていった。
残されたエルヴィンはぽつりと、
「……弱ったね。逆に火をつけちゃったかな?」
自らの失言を悔やんだ。
そして今後の懸念を口にした。
「……利用料は、払うべきなのかな?」
リサにとってギルドとは、これまではごっご遊びの一つだった。ちゃんとした活動目的があった訳じゃない。子供の頃は本の中の冒険に憧れ、なんとなくギルドに入っていれば冒険に出れるものだと思い込んでいた。やがて年齢を重ね、すこし現実という物が見えてくると、冒険者なんて職業は無い事に気づく。それでもリサはギルドを止められなかった。
ヴィリバルトの事だってそう。恋愛ごっこに過ぎない。
だが、リサの中で少しだけ変化が生まれていた。
明確な変化ではない。いつのまにか、少しだけ、変わっていた。本人すら気づかぬ内に。
魔女だと名乗った、彼女。
エーファ。
綺麗な人だ。それに、不思議な人。わくわくさせられる。ヴィリバルトと知り合いらしいのにも驚いた。
「とにかく、今日は宿題がんばろ。明日はそれからよね」
明日はエーファの家に遊びに行ってみようかな。
なんて、明日の計画を考えながらリサは宿題に取りかかった。
ヴィリバルトの一日
朝帰りならぬ昼帰り。
母親には「送り狼だなんてあたしゃあんたをそんな男に育てた覚えはないよ! でもよくやった! 流石あたし達の息子だよ!」と、けなされ誉められた。ひどい誤解をしているのは分かったが、ヴィリバルトは訂正する気力がなかった。それよりも早く横になりたい。
のろのろと自室に戻り、着替える事もなくベッドに倒れ込む。
いつも目に入るから近い距離かと思えば、意外と森は遠かった。森の入り口近くにある『秘密の近道』を通ったお陰で魔女の館までは一瞬だったのだが、森と街は意外に遠かった。歩いて一時間程だろうか? 見回りで歩く事は多々あるから歩く事は苦痛ではない。ただ近いと何となく思い込んでいた二つの距離が、歩けども歩けども縮まらないのが苦痛だった。
おまけに。
少し前をどんどんと進んでいく、あの少女。
身体はしばらく見ない内に女性らしく、また背丈も伸びていたが、口を開けば昔のまま。ぶっきらぼうで淡々として、でも己の感情に素直な子供のような彼女。
初めて会った時は自分も警察学校を卒業したばかりの新米で、彼女も今よりもずっと幼かった。小柄で華奢で、乱暴に扱えば壊れそうな儚さがあった。今では当時の面影は全くなくなっていたが。
別にエーファが大女だという訳ではない。同僚や知人の中にはエーファよりも大きな女性だっている。ただ昔に比べると、あの不用意に触れれば壊れてしまいそうな儚さが霧散していた。その差が大きい。昔を知っているので、尚更。
それでもあの宝石みたいな綺麗な目は変わらなかった。彼女は恐れずに人を真っ直ぐに見つめるから、耐性のなかった頃は目のやり場に困った。
今日、昨日から今日にかけ、自分はどこかおかしくはなかっただろうか? 不自然な態度は取ってなかっただろうか? 思い返せば気が滅入る。おかしな態度を取った事を思い出したからではない、そんな事を気にする自分に対してだ。その小ささに情けなさを覚える。
それに、あのボルツとかいう胡散臭い男。
エーファが全く気にしていなかったら問いただせずにいたが、あの男はどう見ても裏社会の人間の匂いがした。警官として過ごしてきた数年間で身についた感覚だ。どうもまっとうな社会人の匂いがしない。しかしボルツという名も、あの垂れ目の顔にも覚えはなかったので、そう神経を尖らす必要はないと結論づけた。
しかし気になる。とても気になった。詳しく聞きたかった。どういう関係なのかと。
理性と見栄で何も聞かなかったが、男に問いただしたかった。根掘り葉掘りと。
男が帰った後にそれとなくエーファに聞ければ良かったが、多分アレはなんにも分かっていないに決まっている。そんな気がして、あと見栄も邪魔して結局何も聞かずにそのまま別れた。
そうして、こうしてうじうじと思い悩んでいる。
「……寝るか」
こういう時は寝るに限る。
忘れるように。
起きたら、すっきりと忘れられているように、深く眠ろう。
明日はまだ休みだが、明明後日は仕事だ。
上司に無理矢理取らされた夏休みが、明日でようやく終わる。明後日からは仕事だ。
いつもの日常。
変化のない、代わり映えのない日常が戻ってくる。
ヴィリバルトはその事に安堵を覚えると共に、物足りなさを感じながら眠った。