5
「ねぇねぇ、話は元にもどるけど」
エルヴィンもキッチンの中にある椅子に座って茶を飲んでいる、まったりとした時間の中。
リサはきらきらと瞳を輝かせながら、エーファに尋ねた。
「魔法って何? 魔術って何なの?」
来たか。
「あー……、まだ、実を言うと私もまだまだ修行中だから、あまり詳しくは言えないけど……」
真っ直ぐなリサの緑の瞳を見ていられなくて、なんとなくキッチンの中を眺めながらエーファは言葉を探す。
綺麗に整理されたキッチンだ。様々な調味料が入った瓶などが並んでいるが、どれもすっきりと自分の場所を守っている。常にごちゃごちゃして、どこになにがあるか分からなくなるエーファのキッチンとは大違いだ。
「……土地にはね、《力》があるんだよ。ほら、植物とかが芽吹く力。で、そういう力が集まるのか何かが引き寄せてるのか、ともかく《力》が他の土地と比べて一際強い場所があるの。それで、その土地の力をちょっと分けて貰うのが魔法。魔術っていうのは、その《力》そのものに干渉するのもの……らしい」
「らしいって?」
「さっきのほら、アリサさんの娘さん。マルタとロッテから聞いた。あの二人には魔術の才能があるから詳しいんだよ」
「素敵ね……」
リサは羨ましげだ。うっとりとした眼差しを虚空に注いでいる。
「……リサはさ、」
リサの事をなんと呼ぼうかと一瞬躊躇い、結局他の者も大概呼び捨てにするように呼び捨てで言った。
「学校とかで習わないの? 今の学校はそういうの勉強する、って聞いたけど」
「それはね、エーちゃん」
いつの間にか妹と同じあだ名でエーファの事を呼んだエルヴィン。
くすくすと笑いを小さくかみ殺しながら、エルヴィンは教えた。
「魔術を習うのは才能のある子だけなんだよ。まあ才能がなくても自習は自由なんだけどね、魔術の基礎理論は数学やら化学を基にしてるから、このリサには荷が重いんだよ」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
「好きならかじりつけばいいのにねー」
にこにこ笑いながら、なかなか辛辣な事を言う男だ。
「数学と化学?」
聞き慣れない単語を、エーファはおうむ返しに繰り返した。
「そういえばえーちゃんこそ学校とか行かないの? あたしより少し上ぐらいでしょ? 今じゃ高等を卒業した後は大学行くのが普通だし、あたしも当然そのつもり。エーちゃんは?」
昔はなかった大学もここ数年で創立された。世界でも数が少ない、魔術を専門とした大学だ。魔術の他にも文学部などもあり、そこそこ規模は大きめな大学である。
「……学校には、行かないな」
一時期憧れた時期はあったけれども、今のエーファにはもう必要も魅力もない場所だ。
リサの言葉で思い出される。
昔はマルタとロッテが羨ましい時期があった。二人の話す学校という場所は、それはそれは楽しそうな場所だった。
「必要な事は全部ばば様から教えて貰ってた」
幼い頃のエーファにとって、先代魔女が全てだった。
先代魔女はなんだってできて、なんでも知っていた。あんな人がいなくなるなんて信じられない。
「ふぅん?」
何か考え込むリサ。
「へぇ、じゃあ君学校とか行った事ないんだ。成る程ねぇ」
逆にエルヴィンは納得がいったように肯く。
なにが成る程なのか、エーファには分からなかった。
「どういう意味?」
「いや、特に深い意味はないんだ。ただ君みたいな可愛い子を今まで全く知らなかったから、その不思議の理由が分かったから」
「? 学校に行けば分かるのか?」
「多分ね、きっとそう。君はとても目立つもの」
教えてくれたが、結局よく分からない。
しつこく尋ねるのも気が引けて、エーファはエルヴィンの足下でくつろぐイルマに目をやった。
しかしイルマはエーファにまったく構わない。目すら合わなかった。
「つまり、エーちゃんは箱入り娘なのね!」
唐突にリサは結論を述べた。
「箱入り娘って?」
今日は知らない言葉ばかりが飛び出してくる。
またまたおうむ返しに繰り返せば、エルヴィンが教えてくれた。
「大事に大事に、まるで箱の中で育てられたかのような、世間知らずな可愛い女の子のことだよ」
可愛い女の子。エルヴィンはいやにその箇所を強調したが、エーファが気にしたのは別の箇所だった。
「箱の中、か……」
言い得て妙かもしれない。
エーファはこれまでほとんど森の中から出た事はなかった。箱を森とすると、まさしくエーファは森の中だけで育った。
「面白い言葉だな」
「ふふ、でしょ? エーちゃんってどっか天然っぽいしね、まさにぴったりだわ!」
「天然?」
天然の意味は分かる。自然のものって事だろう。
逆に聞きたい。じゃあ反対の人工ってなんだと。
「そういう所よ」
リサはきっぱりと言い切ったが、その一言だけで分かるはずがない。
「それじゃ分からないよリサ。大体君も大概天然なんだから、偉そうに人の事天然なんて言わない方がいいよ」
エルヴィンが呆れながらたしなめる。
「というか、こんな所で時間潰してエーちゃんは大丈夫なの? 無理矢理リサに連れてこられたんじゃないのかな? つい引き留めちゃってるけど、時間は大丈夫?」
「無理矢理じゃないってば! 失礼ね!」
兄に対して憤慨した後、リサはくるりと身体をエーファの方に向けた。
「そうそう、すっかり説明が遅くなったけど、我らがギルド『ヴォルグ』について説明するわね」
「あははは、説明する程の事もないと思うけど」
「お兄ちゃんは黙ってて! 話が逸れたけど、あたしはエーちゃんにギルドに入って貰いたいの。最初に言ったようにこのギルド、入会金やら登録料は勿論、更新料だってなんにも要らないし、ギルドマスターはこのあたし。ね、安心でしょ?」
「……」
ね? と、ちいさく小首を傾げてみせるリサは可愛かった。だからそれだけでもう十分だから、エーファは肯いていた。
こっくりと、深く。
ギルドって何だろう? そんな根本的な疑問を頭の隅においやって、エーファは肯いていた。
「ありがとう! エーちゃん!!! これであなたもギルド『ヴォルグ』の構成員よ!」
がっとエーファの手を握り、リサは感激の意を表した。その感情の激しさにエーファは圧倒される。エーファはこれまで、こんなにも率直に自分の感情をさらけ出す人間を見た事がなかった。その感情の激しさには眩しささえ覚え、その輝きの前では些細な疑問は吹き飛んでしまう。
リサは衝動的にエーファの手を握った後すぐさま手を放し、席を立って入り口近くの妙な機械の台に駆け寄る。そして台の引き出しの中から台帳を一つ取り出し、再びエーファの元に戻った。
「はい、これがうちのギルドのメンバー表。ここに名前と住所を書いて頂戴」
差し出されたのは一冊の台帳。かなり古い。この事務所とやらと同じくらいに、古びた黒の台帳だ。
開かれたページの中にはもう既に何人もの名前が書かれている。どれもが知らない名前だ。ただ直前に書かれた名前はエルヴィン・クロッセル。
エルヴィンも構成員ならば安心だ。
なんの根拠もなしにエーファは安心しきり、署名する。
氏名・エーファ
住所・森
「……なんかあっさりしたサインね。苗字とかははないの?」
署名の内容を見たリサが戸惑いがちに尋ねた。
「ない、と思う。ねえ、なかったよね?」
リサの疑問に答えようと、いつもの調子でついエーファはイルマに尋ねた。
「そんなものないわよ。ついで言えばアンタ、戸籍もないから」
面倒くさげにだが、イルマは答えた。
「戸籍?」
「聞いてみなさい、教えてくれるわよ」
聞き返せば、それ以上は教えてくれなかった。
「戸籍がどうかしたの?」
エルヴィンが二人の会話を拾い、聞いてくれた。
こちらから聞く手間が省けたと、エーファは深く考えもせずにありのままを伝える。
「私、戸籍がないんだって」
「……へぇ」
エルヴィンの穏やかな緑の瞳が、一瞬鋭く光る。
まずい事だっただろうか。エルヴィンのその様子にエーファは危惧したが、リサは全く気にしない様子で言った。
「え、って事はなに? エーちゃんてば不法滞在? 素敵! アウトサイダーね!!」
「こらリサ。そんな物騒な単語は気軽に使っちゃダメだよ? 他にお客さんいないからまだいいけど、敏感な人は敏感なんだからさ」
「えー、別にいいじゃない。戸籍がないって珍しい事じゃないでしょ? 流浪の民とかはみんなそうなんでしょ?」
「だから、それがさ、」
「それがなによ?」
リサは兄を睨む。エルヴィンは肩を竦めて、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「……ともかく、これでエーちゃんも我がギルドの一員よ! これからよろしくね!」
曖昧な笑みを浮かべたまま黙り込んだ兄を放っておいて、リサはエーファに向き直った。
「よろしく」
なににがよろしくなのか今ひとつ分からないまま、エーファは肯いた。
勢いに飲まれる。
一歩立ち止まって考える時間もなかったし、それよりもむしろ考える必要性もエーファは思いつかなかった。
それだけ、魅せられていた。
「それじゃ今からエーちゃんの入団式を執り行います! まずは買い出しよ! エーちゃんも一緒に行きましょ!!」
エーファの返事を聞くまでもなく。
リサは強引にエーファの手を掴んで、エーファを連れ出す。
「こらこらエーちゃんはお客様でしょ? 買い出しに連れ出しちゃダメでしょうが」
「もうエーちゃんは身内も同然よ!」
身内。
これまた素敵な響きだ。エーファはその響きにうっとりする。
「……ナニやってんだか」
イルマの呆れた呟きも、耳には入ったが気にならない。
久しぶりの人との会話。それもかなり友好的な。イルマと二人きりだった日々が嘘のような、この楽しさ。
「……」
エーファは浮かれていた。はしゃいでいた。
傍目には突然のリサの行動に戸惑い驚き、どうしたら良いのか分からずに呆然としているように見えただろうが、それは大いなる勘違いだ。誤解である。
エーファは心の底からこの状況を楽しんでいた。
正確には今己の手を引く少女そのものを。
次は何を魅せてくれるだろう?
大きな期待を胸に踊らせ、エーファは少女が手を引く方へと行く。
自ら望んで、その手に引かれていった。