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森の魔女  作者: 杉井流 知寄
第二章 魔女、街に行く
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 4

 事務所の中は流石事務所というだけあり、天井も高く広かった。

 

 入り口の近くに妙な機械の乗った台が一つ、数人がけのテーブルがいくつか。奥がオープンキッチンになっており、L字のカウンター席がついている。


「ナニよ、事務所っていうより食べ物屋じゃない……でも美味しそうな匂いね。今日の夕飯はここで良いわよ!」


 イルマはケチをつけながらも上機嫌に鳴いた。お眼鏡にかなったらしい。


 事務所の中は甘い香りが充満している。先程お土産を買いに行った店といい勝負だ。


 事務所と食べ物屋。世間知らずなエーファにはそれぞの特性も、その二つの違いはよく分からなかった。


「やあ、おかえり。随分遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」


 奥のオープンキッチンの中に男性が一人立っている。


 室内なのにチェック柄の帽子を被った、すらりとした長身の男性だ。薄い灰色のシャツに水玉模様のタイが合わされている。


 リサの兄だろうか? 顔立ちがよく似ている。リサよりずっと大人びた感じだが。


「ただいま、お兄ちゃん。みてみて、この子魔女のエーファちゃん。期待の新人よ!」


 リサは一直線に男性の元へと駆け寄った。


 エーファもその後に続く。


「お客様の間違いでしょ? ダメだよ、誰彼巻き込んじゃ。またひどい目みたいのかい? あの時は大変だったよねぇ、リサ君?」


「んもう、そんな昔の事は忘れてよお兄ちゃん。過去は過去、今は今! 私達は新しい伝説へと向けて出発よ!!」


「ねぇ、君。エーファさん、だっけ? うちの馬鹿が迷惑かけてるみたいだね。いいんだよ、こんな馬鹿ほっといても」


 全く懲りていない様子のリサに、男は矛先をエーファに変えた。


「……」


 話が全く分からないエーファはなんとも答えようがない。俯いて黙っていると、


「ああ、ごめんね、僕らばかり喋って」


 その謝り方はリサとそっくりだった。


 ほっとして顔を上げると、そこには不満げな顔したリサと、穏やかに微笑む男性がいた。


「事情は分かってるかい? 君は今、君の人生における輝かしい時間の一部を無駄遣いするかしないかの瀬戸際なんだよ。君はとても可愛いから忠告しておくけど、関わらない方がいいよ。間違いなく時間の無駄だから」


「お兄ちゃんは何にも分かってない!」


 リサが大声を上げる。


「この子は本当に魔女なんだから!!!」


 正確には魔女見習いです。


 即座にツッコムが、声には出せない。


「今までとは違うの! 本物の魔女なんだからね!!!」


「だったら尚更でしょ? お前は魔女がどういう者か、知ってるのかい? お前の大好きな冒険ものには全く縁の無い人達なんだよ」


 ぼうけんものってなんだろう?


 そんな疑問が顔に出たのか、


「まあともかく、リサ。君はいつまでお客様に立たせたままでいさせる気なんだい? こっちに来て座って貰ったら? お茶ぐらいは出すよ」


 リサのお兄さんが手招きした。


 イルマはにゃあと猫らしく鳴き、お兄さんの元へと走った。


 イルマは無類のいい男好き。彼はイルマのお気に入りになったようだ。男のごろごろと喉を鳴らしている。


「可愛い猫ちゃんだね」


 よしよしと、男はイルマを撫でた。


 ごろごろと、イルマは身体をよじり、お腹まで男に見せつけた。


「……」 


 私にはいつだってあんな風には甘えないのに。


 エーファの中で一方的にやきもちが起こる。


 例え嘘でも演技でもなんでもいいから、あんな風に甘えられてみたい。思いっきり甘やかしてやるのに。


「名前はなんて言うの?」


「……イルマ」


 ついぶっきらぼうに答えてしまった。


 その瞬間、イルマと目が合った。


 ――だからアンタはガキなのよ。


 その冷めた瞳はそう言ってるみたいで、エーファははっとして、落ち込む。


「? どうしたの、エーちゃん?」


 項垂れながらカウンター席に座るエーファに、リサが不思議そうな顔できく。


「……なんでもない」


 説明なんかする気にはなれなかった。


 自分の醜態を自分の口で説明する気になんかならない。それが子供だっていう事かもしれないが、ならないものはならない。


「飲み物はどうする? お茶でもいいかな?」


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 男は柔らかく微笑んで、イルマから手を放して立ち上がった。


「自己紹介がまだだったね。ボクはエルヴィン。この店を任されてる」


「事務所!」


 すかさずリサが訂正を入れたが、エルヴィンはさわやかに無視。


「狼の看板がぶら下がっちゃってるからよくいかつい雰囲気の店だと勘違いされるんだけど、そんな事ないから。また気軽に来てよ。お茶ぐらいはいつでも出せるからね、歓迎するよ」


「こ・こ・は、ギルド『ヴォルグ』事務所です!」


 尚もリサはギルドの事務所という事に拘る。


 そんなリサに、エルヴィンは少しだけ妹の面目を立ててやる気になったらしい。お茶の用意をしながら、ギルドとやらを語った。


「まあ、なにか困った事があれば妹に相談するといいよ。ギルドのマスターはリサだし、行動力と突飛もない思いつきだけが取り柄の奴だから、なにかしら面白い事になると思う」


「ずばっと解決してみせるわよ! なによ、面白い事って。どういう意味よ?」


「そのままの意味だよ。まあ本人にはそういうの、中々実感できないのかもね」


 リサに答えながら、エルヴィンはお茶を入れる。


 こぽこぽこぽ。


 大きなティーカップにお湯が注がれる。いい香りがエーファの鼻を刺激した。


「つまり、自覚がないって事ね」


 イルマがエルヴィンの足下でくつろぎながら言う。


「いいわね、アンタと一緒じゃないこのお嬢ちゃんも。いいお友達になれるかもね」


「お友達?」


「そう。オ・ト・モ・ダ・チ」


 嫌みったらしくイルマは一音一音くっきりと発音した。何故ならお友達という単語は今までのエーファには縁のない言葉だったから。エーファの名付け親である男の娘達とは仲が良いが、あれは妹達みたいなものだ。友達とは違う。  


「なにが友達なの?」


 リサが隣に座りながら、不思議そうに尋ねる。


 イルマの言葉が分からない者には、エーファはただ独り言をぶつぶつ言っている危ない人にしか見えない。


「……えー、と」


 エーファは少し迷った。


 イルマがね、と状況を説明する事に。


 エーファにとってイルマが喋るのは当たり前の事だが、他の人間にとってはそうではない。もしくは強い魔術の素養がある人間ならばイルマの言葉は分かるようだが、この二人はどちらも違う。


 一々説明するのも面倒ではあるが、それだけではない。


 イルマが喋るんだよ。


 そう説明した時の反応が、少し怖い。


 他の人間にそう説明した時、イルマの言葉がわからない人間に説明した時の反応。そのどれもが、エーファにとって嫌な思い出しかなかった。


 しかし。


 だからいって。


「ねぇねぇ、何の事?」


 魔女が嘘を語る訳にはいかず。


 それに、こんなにきらきらと瞳を輝かせて自分の言葉を待っているリサに、適当な嘘なんてつける筈もなかった。


「……イルマはね、喋るんだ。あなた達には何言ってるか分からないだろうけど、人の言葉を喋るんだよ」


「うわ、本当にっ!?」


 驚くリサ。その驚きはあくまで好意的だ。気味悪がる風は全くない。


「うん」


 ここまでは予想の範囲内の反応だ。


 問題はここから。


「ふうん? じゃあさ、君は動物の言葉が分かるの?」


 来た。


 お茶を差し出しながらのエルヴィンの質問に、エーファは緊張する。


「……いや、イルマしか分からない」


 お茶を受け取りながら、エーファはお茶だけを見て答えた。


 横にいるリサの顔も、正面に立っているはずのエルヴィンの顔も見れない。


 魔女の使い魔であるイルマは特別な猫らしい。イルマの言葉が分かるなら他の猫や動物達の言葉も分かっても良さそうだが、現実は違う。全く分からない。


 だから、


「まあ、そんなものかもね」


 エルヴィンの言葉にほっとした。力が入っていた肩がぬける。


「そうなんだ、ちょっとがっかりね」


 リサの言葉にもあまり傷つかなかった。


 言われ慣れた言葉だったから。


 昔はもっとひどい事も言われた。まだ子供だったし、子供は直球な物言いしかしない。売り言葉に買い言葉で、更にエスカレートする。


「こらリサ」


「ごめんごめん、つい……あははは。悪気はないの。ごめんね?」


「考えるよりも先にやっちゃう子だから、ごめんね? 気にしないで貰えると嬉しいな」 


「分かった」


 肯いて、お茶のカップを手に取る。


 白い陶器のカップはまだ少し熱かったが、ちょっと熱いくらいがエーファの好みだ。躊躇わずに口に含む。


 と。


「……」


 舌にさす何とも言えない、感覚。甘いとか酸っぱいとか、そういう味覚ですらない。美味しいとか不味いとか、そういうレベルでもない。なんだこれは? ハーブティーの一種のようだが、エーファは今までこんなお茶を飲んだ事がなかった。


「口に合わないかな? ヴォルグオリジナルのブレンドティー。うちの家の名物なんだよ」


「……あー、変わった味、ですね」


 カップの中身をまじまじとのぞき込む。


 色は普通のハーブティーらしく、薄緑色。香りも爽やかで、どこもおかしな所はない。


 味以外は。


「あははは、いきなり敬語でどうしたの? やっぱり口に合わなかった?」


 やっぱり?


 言葉には出さなかったが、エーファの胡乱げな眼差しが全てを語っていた。エルヴィンは照れたように帽子越しに頭をかきながら、言った。


「いやあ僕が入れるお茶って、家族の人以外にはあんまり受けが良くないんだよねぇ。これが。なんでだろう? 僕らは普通に飲めるんだけどね」


「癖になる味よね―」


 隣では平気な顔して、リサがそのお茶とやらを飲んでいる。


 エーファが今まで飲んできたお茶がお茶でないのか、それともこれがお茶でないのか。二者択一である。まあ、本人達が特殊である事は認めているので、こちらが異常なのだろう。


 ああ、でも。


 エーファはもう一口含む。


 舌にさすこの感触。炭酸水のような、独特の感覚。


「……確かに癖になるかも」


 美味しいとは、思わないけど。


「でしょう!?」


 嬉しそうに笑うリサに、


「そう? 気に入って貰えて嬉しいな」


 穏やかに微笑むエルヴィンを眺めていると、エーファまで嬉しくなる。


 こんなお茶の時間は久しぶりだ。


 先代魔女が亡くなってからは、ずっとイルマか独りきりの食事やお茶の時間。誰かと一緒なのはいつぶりだろうか。


 思い返してみれば、名付け親との距離もいつの間にか開いてる気がする。訪ねてくる頻度がめっきりと減った。猟師である彼は森にもよく来るし、森に来れば魔女の館を訪ねるのが常だった。それがここ最近、というか長い間顔も見ていない。今頃彼は何をしているんだろう? 先程訪ねた時も留守にしていた。森に入っていないなら自宅に居るはずなのに。


 それが、どうしたんだろう? 考えるだけじゃ分からない。会えないなら会いに行けばいい。


 また会いに行ってみよう。お昼に居ないなら夜に。もし夜居なかったら朝に。会えるまで、会いに行ってみよう。


 不思議なお茶を飲みながら、エーファはそう決意した。


 たとえ会いたい人に会えなくても、きっと得るものはあるはずだ。


 今日の、この時間のように。




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