過保護すぎるか?
妻が先立ってからはや数年。あの悲しみの日から月日は流れ、俺の人生は娘ティアを中心に回ってきた。あの小さな女の子は、今や立派な大人になり、冒険者を志望するまでに成長した。ティアの瞳には、かつての妻と同じ、燃えるような情熱と優しさが宿っている。そんな娘を見ていると、胸が熱くなる反面、心配も尽きない。
ただ、俺には一つだけティアに話していないことがある。それは、俺がかつて「勇者」として名を馳せた男だということだ。いや、別に隠しているわけじゃない。自分から「実はパパ、勇者だったんだ!」なんて言うのは、なんだか気恥ずかしいというか、照れ臭いというか……とにかく、タイミングを逃し続けているだけだ。ティアには、ただの「ちょっと強いお父さん」くらいに思われている方が、気楽でいい。
ティアの旅立ち
朝日が差し込む我が家の小さなキッチンで、ティアは軽やかな足取りで準備を整えていた。革のブーツを履き、背中に小さなリュックを背負い、腰には初心者用の短剣を携えている。彼女の笑顔は、まるで世界の全てが希望に満ちているかのようだった。
「パパ、行ってくるねっ!」
ティアがくるりと振り返り、俺に手を振った。その笑顔は、まるで冒険の全てが楽しい遊びであるかのように輝いている。俺は内心で「いや、冒険ってそんな甘いもんじゃないぞ」と呟きつつ、笑顔で送り出した。
「気をつけるんだぞ、ティア。危ないことがあったらすぐ帰ってくるんだからな!」
「はーい、大丈夫だよ! パパ、心配性なんだから!」
ティアはそう言いながら、家のドアを勢いよく開けて飛び出していった。その後ろ姿を見ながら、俺の胸には複雑な感情が渦巻いていた。嬉しさと、誇らしさと、そしてどうしようもない不安。
だって、俺の大事な一人娘だぞ。こんな可愛い子が、野蛮なモンスターや怪しい冒険者たちに囲まれるなんて、想像しただけで胃がキリキリする。
「よし、少しだけ見守るか」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、ティアの後を追うことにした。もちろん、こっそりとだ。娘にバレたら「パパ、過保護すぎ!」と笑われるに決まっている。でも、ほんの少しだけ、彼女の安全を確かめたい。それくらい、許されるよな?
スライムの襲撃と火炎魔法
ティアが向かったのは、村の外れにある「初心者の森」と呼ばれる場所だ。冒険者ギルドの推薦で、初心者が最初に挑むには最適な場所らしい。そこには弱いモンスターしかいないと聞くが、俺の頭の中では「モンスター=娘の危機」という単純な方程式が成り立っていた。
森の入り口に着くと、さっそく見慣れた光景が広がっていた。木々の間をぬうように進むティアの後ろ姿。そして、その先に、ぷるぷると震える青いスライムが姿を現した。
「スライムだと!? 娘の服が汚れてしまう!!」
俺の頭の中は一瞬でパニックに陥った。スライムといえば、初心者向けとはいえ、粘液で服を汚したり、うっかり絡みつかれたりする厄介なモンスターだ。ティアのあの可愛いマントがベトベトになったらどうするんだ! いや、それどころか、もし滑って転んで怪我でもしたら……!
考えるより先に、俺の体は動いていた。
「ファイア・インフェルノ!」
瞬間、俺の手から放たれた最上級の火炎魔法が、森の一角を真っ赤に染めた。スライムは一瞬で消し炭になり、周辺の草木も軽く焦げるほどの威力だった。ふぅ、危なかった。ティアの服は無事だ。
「いきなり最上級火炎魔法を使う奴がおるかぁーぃっ!!」
突然、耳をつんざくような声が響いた。振り返ると、そこには小さな光の粒をまといながら宙を舞う妖精がいた。金色の髪をポニーテールにまとめ、鋭い目つきで俺を睨んでいる。ベロニカ、俺の古い戦友であり、かつての冒険の日々を共にした相棒だ。
「ベロニカ!? お前、なんでここに!?」
「なんでって、アンタがこんな過保護オヤジムーブかますってわかってたからに決まってんじゃん! ティアちゃんが旅立つって聞いて、様子見に来たのよ!」
ベロニカは小さな手を腰に当て、呆れたようにため息をついた。彼女のサイズは手のひらに乗るほどだが、その態度はでかい。昔からこうだ。俺が勇者として無茶な戦いに挑むたびに、彼女はツッコミを入れながらもサポートしてくれた。
「娘が心配で、つい……」
「つい、じゃないよ! スライム一匹にインフェルノとか、どんだけ過剰反応なの! ティアちゃん、初心者なりに頑張ろうとしてるんだから、ちょっとくらい自分で戦わせてあげなよ!」
ベロニカの言葉はもっともだった。確かに、ティアは自分で冒険者として成長したいと言っていた。俺がこうやって先回りして全ての敵を倒してしまったら、彼女の冒険は台無しだ。でも……でも、娘だぞ? あの可愛いティアが、モンスターに襲われるなんて見ていられるか!
「まぁ、今回だけだから。次からは控えるよ」
「ほんとに? アンタのその『今回だけ』って、信用ならないんだけど?」
ベロニカは疑わしげに目を細めたが、ひとまず話を切り上げ、ティアの後を追うことにした。
ティアの冒険と父の葛藤
数分後、ティアがスライムのいた場所にたどり着いた。彼女はきょろきょろと辺りを見回し、不思議そうな顔をした。
「あれぇー? ここにスライムがいるはずなのに、いなくなってるー?」
ティアの声には少しの戸惑いと、でもどこか楽しそうな響きがあった。彼女は地面に残った焦げ跡をじっと見つめ、首をかしげた。
「なんか、変な跡があるけど……まぁ、いいや! 次行こっ!」
そう言って、ティアは軽いステップで森の奥へと進んでいった。その無邪気な姿に、俺の胸は締め付けられるような思いだった。
「娘、尊い……」
俺は思わず呟き、ベロニカに肩を叩かれた。
「はいはい、親バカ全開ね。で、どうするの? このままティアちゃんの後をつける気?」
「少しだけだ。少しだけ様子を見て、危ないことがあったら助ける。それでいいだろ?」
「ふーん、まぁ、アンタがそう言うなら止めないけどさ。くれぐれもやりすぎないでよ?」
ベロニカの忠告を半分聞き流しつつ、俺はティアの後を追った。森の奥に進むにつれ、モンスターの気配が少しずつ強くなっていく。スライムより少し強めのゴブリンや、鋭い爪を持つウルフビーストが潜んでいるかもしれない。俺の勇者としての勘が、そう告げていた。
ゴブリンの群れと父の過保護
しばらく進むと、ティアが小さな広場に差し掛かった。そこには、ゴブリンの群れが待ち構えていた。数は五匹。初心者にとっては少し手強い相手だ。ティアは短剣を握りしめ、緊張した面持ちでゴブリンたちを睨んだ。
「よし、やってやるんだから!」
ティアの声には気合いが込められていた。彼女は短剣を構え、ゴブリンに突進する。動きはまだ拙いものの、ちゃんと訓練してきたことは見て取れた。さすが俺の娘だ! でも……やっぱり心配だ。
「うわっ、ティアちゃん、頑張ってるじゃん! いい感じ!」
ベロニカが小さな声で応援する一方、俺の頭の中は再びパニック状態に突入していた。ゴブリンの汚い爪がティアの服を引っかいたらどうする!? もし怪我でもしたら!?
「ティア、危ない!」
我慢できず、俺は再び魔法を放った。
「サンダー・ストーム!」
雷鳴が響き、広場は一瞬で雷の光に包まれた。ゴブリンたちは悲鳴を上げる間もなく黒焦げになり、地面に倒れ込んだ。ティアは目を丸くして立ち尽くしていた。
「え、え、え!? なに!? 雷!? どういうこと!?」
ティアが慌てて辺りを見回す中、俺は木の陰に隠れ、冷や汗をかいた。やりすぎた……かもしれない。ベロニカが隣で盛大にため息をつく。
「アンタ、ほんっとに学習しないね! ティアちゃん、ちゃんと戦えてたじゃん! なんで毎回こうなるの!?」
「いや、だって、ゴブリンが五匹だぞ! ティアが怪我したらどうする!」
「怪我って、ちょっとくらい擦り傷ついたって冒険者の勲章だよ! アンタだって昔はボロボロになりながら戦ってたじゃん!」
確かに、ベロニカの言う通りだ。俺も若い頃は無茶な戦いを繰り返し、傷だらけになりながら成長してきた。でも、ティアは違う。ティアは俺の娘だ。傷一つだって許せない。
ティアの気づきと父の決意
その後も、俺はティアの後を追い、彼女がモンスターに遭遇するたびに「ちょっとだけ」手を出してしまった。ウルフビーストには氷結魔法を、巨大なハチには風の刃を。ティアは不思議そうに首をかしげながらも、順調に森を進んでいった。
しかし、さすがに何度も不自然なことが続くと、ティアも何かおかしいと気づき始めた。ある時、彼女は立ち止まり、大きな声で叫んだ。
「ねえ! 誰かいるんでしょ!? モンスターが勝手に消えたり、雷が落ちたり、おかしいもん!」
俺は木の陰で息をひそめた。バレた!? いや、でもまだバレてないよな? ベロニカが呆れた顔で俺を見ている。
「ほら、言ったじゃん。ティアちゃん、頭いいんだから。そろそろバレるよ?」
「う、うるさい! もう少しだけ見守るんだから!」
だが、その時、ティアが突然こちらを向いた。
「パパ! そこにいるんでしょ! 出てきなさい!」
……完全にバレていた。仕方なく、俺は木の陰から出て、照れ笑いを浮かべた。
「はは、ティア、よく気づいたな。さすがパパの娘だ!」
「もう、パパったら! 過保護すぎ! 私、ちゃんと自分で戦えるんだから!」
ティアは頬を膨らませて抗議したが、その目はどこか嬉しそうだった。俺は頭をかきながら、素直に謝った。
「悪かった、ティア。パパ、ちょっと心配しすぎた。けど、お前が大事だからさ……」
ティアは少し照れたように笑い、こう言った。
「パパ、ありがとう。でも、私、冒険者として強くなりたいの。パパみたいに、かっこいい冒険者になりたいんだから!」
その言葉に、俺の心は揺さぶられた。ティアは知らない。俺がただの冒険者ではなく、勇者だったことを。でも、彼女のその純粋な想いに、俺は決意した。
「わかった、ティア。これからはお前の力を信じるよ。でも、もし本当に危ない時は、パパが助けるからな!」
「うん、約束! でも、パパ、ほんとに魔法すごいね! どこで覚えたの?」
その質問に、俺は少しドキッとした。勇者の過去を話すには、まだ少し早いかもしれない。
「まぁ、若い頃にいろいろあってな! いつか話すよ!」
ティアは「ふーん」と少し不満そうだったが、すぐに笑顔に戻り、冒険を続けるために歩き出した。ベロニカが俺の耳元で囁く。
「アンタ、いつか勇者のこと話さないとね。ティアちゃん、絶対びっくりするよ」
「そのうちな……そのうち」
俺はティアの後ろ姿を見ながら、そっと呟いた。
「娘、尊い……」