表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

8:02の忘却

作者: 大海暑 冴

いずれ起こるかもしれない未来の話。

「おはようございますタケシさん。現在時刻は7時20分、6分前に小雨が降り始めました。」


「おはようレイコ。今日のコースはC、7時40分ジャストで帰ってくるよ。」


「分かりました、ランニングシューズと雨具は玄関にご用意しています、どうかご武運を。」


そういうとレイコは口角を上げ目を細める。

唇の伸び幅7.4センチ。

皮膚の裂傷、劣化無し。

視線の向き…合致、今日もオールクリアだ。



「よし、行ってくる。」


7:23

湿った木枯らしに立ち向かうように僕は駆け出した。


「皆様!上空からどうもおはようございま〜す!」


自立思考型アンドロイドが市民権を得てからはや半世紀。

この惑星では種族を越えた情が溢れかえっている。

見た目も中身も最早オリジナルの人間と大差ない(空は飛ぶが)。ロボット工学的に言えば不気味の谷に無数の線路や高速道路が開通されている状態だ。


たった今ランドセル型ブースターを背負って空を飛翔していったのは自立成長型アンドロイド【Type54:Aster】

赤子の姿から始まり、年月を重ねる毎に体格、思考回路が人間と同じ速度で変化する。


「全く、近頃の若いアンドロイドは苦労を知らないな。」


ゲホゲホとランドセルが撒き散らした排気ガスにむせた中年男性が横に並ぶ。


「おはようございます都根さん。今朝は非常に蒸し暑い天気ですね。」


「ああ全くだ、こんな日に外回りなんてふざけてる。営業なんて全部アンドロイドにやらせりゃいいのに、平社員は辛いな。」


「午後からは豪雨に見舞われるようです。もしかしたら交通機関が停まるかもしれないですね。」


「おいおい〜、タケシくんの予報はよく当たるんだから、毎日若干の曇りくらいで頼むよ〜。」


「はは、生憎ですが、私はただの風見鶏なので…。」


隣人である都根さんの愚痴を聞きながら今日も決められたコースを走る。

走っている間は面倒毎を忘れて無になれる。というのは都根さんの口癖だが、僕の頭の中はいつもレイコの事で一杯だ。


自立軍用兵器アンドロイド【Type0:Clover】

レイコは現役で稼働している最古のアンドロイド

だ。

僕はそんなレイコのパートナーとして今まで25年も平和に慎ましく暮らしている。


「ただいまレイコ。」


「お帰りなさいタケシさん、予定時刻を1分25秒過ぎていますけど、何か問題がありましたか?」


「一緒に走った都根さんが足を挫いてね、背負って帰ってきたんだ。」


「そうでしたか、ご苦労様でした。朝食はご用意しておりますから、着替え終えたらリビングまでお越しください。」


「ああ、ありがとう。」



【Type:0】の耐用年数は『15年』。

レイコの回路はとっくの昔に限界を超えている。


“万が一”思考回路が故障して“うっかり自爆機能を発動される”とこの町一帯が灰に替わってしまう。

前例は14件、件数が最も多い鳥取県では土地の70%が砂丘と化している。



8:02


「じゃあ、いってくる。」


「いってらっしゃいタケシさん。」


僕はレイコの口角7.4センチ笑顔をしっかり見届けてから玄関ドアに手をかける。

それと同時に僕はカウントを始めた。


1

2

3



「あ、待って下さい。」


レイコの足音が奥へ消える。


4

5

6


「これ、忘れ物です。」


レイコは“タケシ”の刺繍が入った紺色のハンカチを持って玄関まで戻ってきた。

タイムは6秒、想定範囲だ。


「ああ、すまない。いつもありがとう。」


僕はハンカチをワイシャツの胸ポケットに仕舞い改めてドアを開ける。


「いってらっしゃいタケシさん。どうかご武運を。」


「ああ、いってくる。」



忘れる物は曜日ごとに決めており、月曜日はハンカチを忘れる日だ。もしもレイコが学習させたルーティーン外の行動を起こした時には腰元の“光線銃”を抜き躊躇いなく撃つ。

僕はレイコの夫であると共に冷酷な執行者でなければいけない。

添い遂げるとはそういう事、それが僕に課せられた使命であった。



火曜日 晴れ

7:23分 コースAランニング開始


「5歳の娘が言うんだよ、将来は力持ちの彼氏が欲しいってな。パワー型といえば【Type:49】辺りが現行だが、いかんせん腕が大木みたいで不格好だからな、握り潰されないか心配だよ。」


8:02 玄関

「じゃあ、いってくる。」


「いってらっしゃいタケシさん。」


口角7.4センチ。

クリア。


1

2

3


「あ、待って下さい。」


4

5

6


「これ、忘れ物です。」


僕はメガネケースを受け取った。


「ありがとう、いってきます。」


「いってらっしゃい、どうかご武運を。」



水曜日 晴れ

7:23 コースBランニング開始


「あと数年で水商売は全部アンドロイドがする事になるとかならんとか。最近の雌型はみんな美人だからなぁ。昨日行ったキャバクラでは…いや何でも…、そういえば明日から雨が続くらしいぞ、ずぶ濡れの外回りもある意味“水商売”だよな、がははっ!」


8:02 玄関

「じゃあいってくる」


「いってらっしゃいタケシさん。」


口角7.4センチ。

クリア。


1

2

3


「あ、待って下さい。」


4

5

6


「…」


7

8

9


10


僕はゆっくりと腰元に手を…


「これ、忘れ物です。」


「ありがとう。」


僕は腕時計を受け取った。


そういえばリビングのテーブルではなくシンクに置き忘れていたのだ。

これは僕の失態である。決してレイコに非はない。

僕は時計を腕に巻いて家を出た。


「いってらっしゃい、タケシさん。どうかご武運を。」


木曜日 雨

7:23 コースBランニング

途中規定ルートが冠水した為コースCに切り替え、強風で傘が煽られたがタイムに影響無し。


8:02 玄関

「あ、待って下さい」

4

5

6


7

8

9


僕は腰元の光線銃を取り出して安全装置を引き抜いて…。


「これ、忘れ物です。それとタオル、革製品は濡れると痛みますから会社に着いたら拭いてください。」


僕はボールペンとタオルを受け取った。

光線銃は上手く後ろ手で隠す事ができた。


「いってきます。」


金曜日 豪雨

7:23 コースAランニング

冠水の為コースB変更、しかし冠水の為コースCに変更、飛ばされた傘の捜索の為、3分の遅れ。


8:02


「じゃあいってくる」


「いってらっしゃいタケシさん、どうかご武運を」

1

2

3



4

5

6


7

8

9


「あ…あの…レイコ。」


「どうかしましたかタケシさん?」


口角6.3センチ

…大丈夫、許容範囲だ、そうだとも。


10

11

12


13

14

15


16

17

18


「あ、待って下さい。」


「…ああ!…待つよ!」


19

20

21


22

23

24


後3秒で来なければ。


25

26

27


後3秒で来なければ。


28

29

30


後3秒で来なければ。


31

32

33


「あ…あ…レイ…コ…。」


34

35

36


「タケシさ…。」


「レイコォ!!!」


37


僕は“胸元”の安全装置に手を掛けた。


38


「…あれ?」


刹那、視界全体が真っ白に染まる。

39


「…。」


40

41

42


その中心にはレイコの姿がぼやけて見えた。

その手には…僕の…光線銃…?


43

44

45


「金曜日は“忘れ物をしない日”。タケシさん、貴方はそれを忘れていたのですね。」


…レイ……コ……?


46

47

48


「昨日も今日も雨具を付けずに出て行って…。タケシさん、いや【Type:22】。貴方は既に寿命を迎えていたのです。」


49

50

51


そうか…僕も…レイコと同じ…。


52

53

54


「大丈夫です。私達はずっと一緒です。」



55

56

57


「だって、家族ですから。」

レイコは自身のこめかみに銃身を押し付ける。


58


「…ああ、行こうか、レイコ。」


59








「もしもし都根です。【Type:0】【Type:22】共に活動停止、ええ、歴史博物館には既に連絡済みです。」


【Type:0】と護衛アンドロイド…タケシくんは重なり合って事切れていた。

【優しい執行者】は誰にも知られる事なく、静かに役目を終えたのだ。


「口角推定10センチ。満面の笑みってヤツだな。」

【補足】

レイコさんは戦時中に複数体実戦導入された軍用兵器の生き残りです。部材が少なくなった末期に作られた為、使いまわされたバッテリーでは長期間の行軍は不可能でした。その為、戦地に向かう仲間を「いってらっしゃい、どうかご武運を。」と、笑顔で送り出す事が彼女の仕事でした。

タケシを送り出した後、レイコは家事を一通り済ませてから夕方までスリープモードに入ります。

本当ならば任意のタイミングでレイコを処分する事も可能でしたが、できるだけ長く稼働する事が彼女に課された最初で最後の任務だったのです。

任務を終えたレイコとタケシはアンドロイド歴史博物館で寄り添い合って展示されています。

夫婦が描いた奇跡の軌跡を都根さんは書籍にするそうですが、キャバクラ通いで忙しいそうです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ