第31話 陣形魔法と夕暮れの空
「ザノーさん、魔族を倒したあとは、最初に会ったときと別人でしたね」
そう言いながら、キルイは運んできた魔族の死体を、穴の中に放り込んだ。
ふたりは前日の戦いの後始末をしていた。クルードは手伝うと言ったのだが、ザノーが剣の振り方や握り方の癖を知りたいと、工房に連れていかれてしまった。リステには「力仕事は向かない」と断られ、スモルは二日酔いで使い物にならない。ザノーは弟子たちを向かわせようとしたが、せっかくオリハルコンの剣を打つのだから、一部始終を見ないのは勿体ないと、ヴァルダの側から遠慮した。それで結局、ふたりで作業することになったのだった。
ヴァルダはキルイに言われ、昨日のザノーの家に戻ってからのことを思い出した。
ザノーはみなを椅子に座らせ、自分は部屋の奥から酒を持ってきたり、工房からパンを持ってきたりと慌ただしく動いた。「手伝いましょうか?」と申し出るキルイにも、「客は座ってればいいんだ」と断ってまた部屋の奥へ行き、全員分のカップをテーブルに置く。そして上機嫌で酒を飲み、古くからドワーフに伝わる歌を歌い、子供のようにはしゃぎ、誰よりもはやく酔いつぶれて寝てしまう。それはいつものことなのか、頃合いを見てやってきた弟子たちが、ザノーを担いでベッドへと運んで行った。
「気難しくはあるが悪い奴ではないからな」
ヴァルダはそう言ったあと、そばにあった魔族の死体がすべて穴に入っているのを確認し、魔法で埋めた。
後始末を終えたふたりは、そのまま西へ向かって出発する。山を下りる前に、ザノーにはそうすると伝えてあった。すると別れ際に、あれも持っていけこれも持っていけと渡され、キルイのリュックは、ザノーが焼いたパンや畑で採れた野菜でいっぱいになっていた。
ふたりは隣の町まで戻ると、そこから魔王城へ向かう本来の道筋である南へ進んだ。通りかかる町や村は、魔王城に近づいているのを暗示するかのように、その規模が小さくなっていき、ついには何日も人と出会うことがなくなってしまった。その間に、二度ほど魔族の襲撃に遭った。難なく退けたものの、いつ襲われるかもしれぬとの緊張感が疲労に変わり、体にまとわりつくようだった。
「次のドラスリーベが、魔王城前の最後の町だ。食料を買えると助かるんだがな」
夕闇が迫る中、ヴァルダはつぶやくように言った。最後に立ち寄ることのできた町を出て以来、野菜や果物を節約してきたが、携行食以外はほとんど残されていなかった。
「この先に町があるんですか?魔王城が近いっていうのに、危なくないんですかね?」
キルイは食料よりも、町の立地の方が心配になったようだ。
「もちろん、それは分かっていただろう。だが、そこに町を造るしかなかったのだ」
「どういうことですか?」
言葉が足りなかったようだと思ったヴァルダは、ドラスリーベの町の成り立ちを、簡単に話して聞かせることにした。
「町ができたのは、二百年前の魔王の脅威が去ったあとのことだ。そのころ、この大陸では国同士の争いが起こってな」
「せっかく平和になったのに、そんなことがあったんですね」
キルイは理解できないとばかりに険しい顔をする。
「そんなものだ。魔王という共通の敵がいなくなれば、お互いが次の敵となる。しかし、それに嫌気が差した人々が、争いに巻き込まれず自由に暮らせる町を造ろうと考えた。そうなると、どの国の支配も及ばない場所でなければならない。だから、こんな魔王城に近い場所に造るしかなかったというわけだな。最初は数人だったが、国同士の争いが長引くにつれ徐々に人が増え、それなりに大きな町になったのだ」
「そうなんですね。でもボクだったら、魔王城に近いところに住むのはやっぱり嫌かなあ。魔王が復活したら、一番はじめに狙われることになるかもしれないですからね」
キルイはそう言いながら、町のある方を見やった。町はまだ遠く、その輪郭すら捉えることはできない。しかし、キルイは何かに気づいたように目を細める。
「あれ、なにか光ってません?」
ヴァルダも遠くへ目を向ける。しかしキルイが言うような様子は見えない。困惑ながらもそちらを見続けていると、突然、日の暮れかかる空へ向かって、不思議な光が立ち上った。
「町の方からだな」
「急ぎましょうヴァルダさん」
「待たんか。町からどれだけ離れていると思っておる」
ヴァルダが呼び止めるが、キルイは町の方へ走って行こうとする。しかし光が急速に弱まっていき、ついには消えてしまうと、キルイは立ち止まった。
「何が起きたんでしょう?」
声には苛立ちと緊張が感じられた。
「恐らく陣形魔法だ」
「陣形魔法?」
初めて聞く言葉にキルイは振り返り、鸚鵡返しした。ヴァルダはキルイのそばへ近づきながら、その説明をする。
「ああ。普通の魔法とは違って、あらかじめ陣を仕掛けておくんだ。インクで書いて魔力を流し込むのが一般的だが、動物の血を使ったり、壁や地面を彫ったり、魔力で直接書く場合もある。手間はかかるが、その分、大きな作用が見込めるのだ。それに、陣を書いた者の魔力を込めた道具さえあれば、魔法を使えない者でも発動させることができる。効果はいろいろあるが、さっきのは破壊の魔法だな。あれだけの規模のものには、なかなかお目にかかれるものではない」
「じゃあ町は……」
キルイは悲しげに光が発せられた方に目をやる。
「その可能性が高いが、結論を急ぐ必要はなかろう。もう日が暮れる。今日はこのあたりで野営をすることにしよう」
そう言ってヴァルダは、野営できそうな場所を探した。その後キルイは、残り少ない食材を使って料理をはじめたが、ことあるごとに町の方へ目をやり、悲しげな表情を浮かべるのだった。
「ああ、やっぱり」
間もなく夕暮れが訪れようとするころ、町の様子が見えてくると、キルイは悲嘆の声を上げながら走り出す。あれから丸二日近くが経っていた。ヴァルダは何も言わずキルイを見送り、変わらぬ足取りで町へと向かう。
ヴァルダが追いついたとき、すべてが破壊された町の前で、キルイは呆然と立ち尽くしていた。大きながれきや立ち残る建造物などはなく、地面には小さな破片ばかりがあふれている。いかに強烈な魔法だったかが見て取れ、広大な残骸の中に、人が生きている可能性を感じることはできない。遠くに見える難を逃れた畑との対照が、その異様さを際立たせている。
しかし、ヴァルダはある疑問を抱いていた。それは、誰が何の目的でこの陣形魔法を発動させたのか、である。陣が配置されたのは、おそらく町ができるより前だろう。建物ができたあとに陣を書くのはまず不可能だ。とすると、町の人間が陣形魔法を使った可能性が高い。自滅するためとは考えづらく、どこかに生きている人がいる可能性はありそうだ。
とはいえ、なにか手がかりはないかと探すにしては、あまりにもすべてが破壊され尽くしている。魔王城は近い。キルイの精神的なショックは心配だが、ここは先へ進むべきだろう。そんなことを考えていると、不意に視線の先の地面で板のようなものが立ち上がり、砂塵が舞う。それは地下へとつながる扉だった。そして地面に開いた空間から、男が顔をのぞかせる。
「人だ!ヴァルダさん、誰かいますよ!」
キルイが驚きと喜びの入り混じった声を上げる。運よく地下にいたのか、あるいははじめから陣形魔法を避ける目的だったのか。念のため警戒しながら、キルイとともに地下から抜け出てくる男に近づこうとすると、左手の方から「カンダフ君、無事だったんですね!」と悲鳴にも似た声が聞こえ、ふたりして立ち止まる。ヴァルダが声のした方へ目を向けると、何者かが森の中から出て来て、男の方へ駆け寄って行こうとしている。目を凝らしてみると、それは魔族だと知れた。
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