後編 たった一つの冴えた言い訳
リトの提案によりリトにリアルで会うことになったニート・アキ。
しかしながらアキに待ち受けていたのは、思いもよらない出来事であった。
「えーと。××駅の三番出口のコインロッカー前に十時に来てほしい。ここで合っているよな」
一週間後の土曜日、朝の九時半。アキはリトから指定のあった場所に来ていた。
土曜日の人の多さに若干頭がふらつき、ぎりぎりの時間にこればよかったと少しだけ後悔する。
不意に近くのショーウィンドウに映る自分の姿に目を向けた。
黒と白の無地の上下服に、少し厚底の黒いシューズ。肩からは某有名店の黒いショルダーバッグがかかっており、清楚感が漂っている。
そこには慣れないながらも髪を整えた、二十代の若者らしい格好をした自分の姿が映っていた。
髪をいじりながら、練習しておいてよかったと安堵する。
「それにしても、なんでリトは今日まで連絡しないんだよ……」
もしかしたら今日も来ないかもしれないという一抹の不安がよぎるも、リトは約束を破るような男じゃないと自分に言い聞かせる。
この一週間、リトは音信不通だった。ゲームの招待メッセージを送っても反応はなく、ログインもしていなかった。唯一の連絡手段であるゲーム用のボイスチャットアプリにメッセージを送るも、既読はつかなかった。
だからアキは、一週間前に予告された場所を信じて、今日ここまで来たのだった。
無数に行き交う人々。地元のスーパーでは見かけないような派手な恰好をした人がたくさんいる。
それが目に入る度に、自分が正しい恰好をしているのか不安が押し寄せてくる。思考がぐるぐると回り、大きな波に飲み込まれるような感覚に襲われ、アキは一度近場のトイレへと退出した。
洗面台に手をつき、弾んだ息を整える。顔をあげると、冬に似つかわしい汗が数滴額で光っている。
勢いに乗って来てしまったものの、社会とは三年もブランクがあることをいまさらながら痛感する。けれど言い訳をもらったからには、帰る理由も見当たらない。
それに、リトが指定してくれた駅は俺の家から数駅しか離れていない。つい口を滑らせて高校名を教えてしまったことがあり、わざわざ調べたのだろう。
額の汗をぬぐい、壁に手をつきながら再び外へ出る。
思えば、リトのことはほとんど知らないことにアキは気づく。
どこに住んでいるのか、何歳なのか、具体的に聞いたことはなかった。興味がなかったからではない。ただ頭の中に情報を入れたくなかった。現実を拒絶していた。それゆえにリトのことを知ることに、臆病になっていたからだった。
果たして出会ったら何を話せばいいのか。そもそも、出会ったら何か変わるのか。
不安に駆られながらも時計の針は進み、いつしか約束の時刻を目前にしていた。
その時、アキのスマホが振動する。ポケットからスマホを取り出しながら、自分の顔も恰好もリトには伝えていなかったことにハッとする。
とりあえず現在地を送ろうかと思案し始めたが、画面に映し出された文字に、アキの喉から擬音が零れ落ちる。
『コインロッカー一番、暗証番号は一二八四』
そのメッセージが示すことは一つしかない。けれどアキはメッセージを送らずにはいられなかった。
『どういう意味! リトは来ないの!』
焦って高速でタップ打ちして送信するも、既読がつかない。キョロキョロとあたりを見回すも、アキはリトの顔も服装も知らない。
駅の中心にある時計の針は約束の時刻を迎えていたが、待ち人は来ず。
アキは頭を搔きながらも、指示のあったコインロッカーの前へと移動し、暗証番号を入力した。
程なく機械音が鳴り、ロックの解除を確認。心の中では、二種類の顔で笑っているリトの姿が浮かんでいる。
その妄想を振り払い覚悟を決め、扉を開く。
そこには、文字がむき出しになった一枚の紙が入っていた。
『××学校、校門前鶏小屋の下、十一時』
紙を手に取りながら、アキの肩は大きく上下したのだった。
***
「それでリト。全部説明してくれるんだろうね」
「あはは、ごめんって。そんなに怒らないでよ」
「別に怒ってない。ただ理由を説明してくれ」
「ほら怒ってるじゃん。言葉が怖いよー」
低く、今にでも唸りをあげそうな声に、リトは笑いながら答える。コントローラーを手にしたアキの横には、幾枚もの紙が重なっていた。
それは今日一日で手に入れたもの。時刻は夜八時を指しており、最後の紙に指定された時刻にいつものゲームにログインすると、リトから即時招待が送られてきた。
マイクの音をオンにすると、いつものリトの笑い声が耳に入る。その笑いが、からかっているものではないことは理解していたが、今日の労力を考えると必然声も低くなる。
「めちゃくちゃ歩かされたんだけど、結局会えないって」
今日の目的は、リトに会うこと。けれどそれは最後まで叶わなかった。
代わりに紙の指示の下、市内各地を歩き回ることになった。
鉄橋、空き家、公園、河川敷。
美術館の受付の女性から紙をもらった時は驚いたが、最後の指示は夜八時にゲームにログインすること。
結局帰路についてログインするまでリトから返信も既読もつくことはなく、怒り三分の一、戸惑い三分の一、安心感三分の一が心の中を占めていた。
「というか、うちの市内で紙をばらまいたってことは、来ていたんでしょ。ますます意味が分からないよ」
心情を吐露していく内に、戸惑いの感情が広がっていく。
けれどリトは、すぐに答えを教えてくれない。
「本当に分からないの? 今日アキがやったことの意味」
意地悪な質問を投げかけるリトに、アキは素直に答える。
「やるも何も、リトの書いた紙の指示に従っただけだよ」
「途中迷ったりしなかった?」
「市内だから、迷うことはないよ。場所も僻地とかじゃないし」
「そうじゃなくてー、最後までやることに」
「だって、そこにリトがいるかもしれないでしょ。途中で投げ出す訳にはいかないじゃん」
するとマイク越しに、華やいだ微笑みが聞こえてきた。その声に、不覚にもアキは全身を硬直させた。
その意味を考えようとした所、次のアキの言葉で、思考は遮られた。
「アキは、ボクのために頑張ってくれたんだね。ありがとう」
頑張ってくれた。
ありがとうより、その一言がアキの胸に突っかかった。
「俺は何も頑張っていないよ。ただ言われた通りにしただけで……」
「もう、感謝しているんだから、素直に受け取ってくれればいいんだよー」
むー不満げな声を漏らしと女の子のような反応を示すリト。けれどこの三年間で歪んでしまった後ろ向き思考は中々治らない。
戸惑うアキであったが、リトはなおも言葉を継ぐ。
「でも、できたでしょ」
「できたって、何が?」
するとリトは、誇らしげな声色で堂々と言った。
「目的を持って行動すること。そして達成すること。頑張るって、そういうこと何じゃないかなー」
それはアキが三年前。もう自分にはできないと諦めていたこと。頑張る意味どころか、頑張るということさえ見失い、ネットの言葉にも信憑性を感じず、今までできなくなっていたこと。
ネットに書かれた文字は心に響かなかった。
けれどもリトなりの解釈であるその言葉は、なぜだか何よりも、信じることができた。
「きっとアキは、きれいな恰好をしてきてくれだんよね。見なくても分かるよ。そうじゃなきゃ、怒らないもんね」
ニートとなり引きこもりとなり、部屋は散らかり画面の前からほとんど動かない日々。
その日々が、たった一つ言い訳を与えられただけで、知らず知らずの内に行動を起こし、美容室に行き、服屋に行き、市内各地を渡り歩くまでに至った。
思わずアキは部屋の回りを見渡す。
ゴミ袋の山はあるものの、床にゴミは散らかっておらず、月夜がぼんやりとカーテンの隙間から覗かせている。
会いに行くという言い訳だけで、複合的にたくさんのことができていた。
その実感を、いまさらながらかみしめたのだった。
「アキが無気力で何にもできなくなったって言うから、アキはちゃんと頑張れる人なんだって、会う前に知ってほしかったんです」
「それ、青い髪のキャラクターの受け売りかい?」
異世界転生物のアニメで聞いたことあるようなセリフに、小さく微笑みが出る。
「ううん、ボクの受け売りだよ」
他人の名言を大いにパクりながらも堂々と言い放つリト。自然に、二人の間に笑いが巻き起こる。
そして、ひとしきり笑った後、アキは目尻の涙を人差し指で拭いながら、コントローラーを再び手に握る。
「ありがとう、リト」
「どういたしまして」
画面の中では、二人のキャラクターが何度もお辞儀をしていた。
「ところで、あれはもう開けてもいいの?」
アキは視界に常に入っていた紙の束に目を向けながら言う。そこには青色の封筒がまぎれており、「開けちゃダメ!」と大きく書かれていた。
それは、美術館の受付の方から、紙と一緒に渡され、開封しないよう念押しされたものだった。
「うん、むしろ今開けてほしいなー」
アキは分かった、と言うと、糊付けされた部分を丁寧に開き、中身を取り出す。
そこに入っていたのは、明日の日付で指定された、新幹線の切符だった。
行先は、アキの住んでいる県のお隣。政令指定都市となっている市の駅だった。
「今度はちゃんと、リアルで会おっ」
喜々として誘うリトに、今はもう怒りも戸惑いも感じていなかった。
「うん。明日、十二時に」
両親は今日明日出かけており、勝手に家を出てもバレることはないだろう。
ただその胸の中には、会って話をしたいという、ただ一つの感情が確固として存在していた。
***
そして翌日。
アキは二重の意味で驚かされる。
一つ目は、お互いに声しか知らなかったはずなのに、一目合っただけでリトであることが分かったこと。
そしてもう一つは――。
「アキ、やーっと会えたね!」
黒を基調としたアキの服装に対し、リトの恰好は対象的に明るい色が基調。
ライトグリーンのチェスターコートに、ニットの白いセーター。長めのクリーム色のワンピースに、白のブーツ。
白色のトートバッグを腕に下げ、髪は肩までふんわりと伸びた栗色。
顔の輪郭は健康的に丸く整っていて、目はぱっちりと大きく開いている。
「り、リトって、女の子だったの!」
待ちゆく人々が振り返る声を発したアキに、リトはいたずらが成功した子どものように微笑んで、
「ドッキリだいせーこー」
自信ありげにピースサインを突き出したのだった。そして小さく跳ねながら近づいてくるリトに、アキは混乱が隠せない。
「え、え、いつから?」
「いつからも何も、最初から女の子だよー。やっぱりー、絶対気づいてないと思ってたー」
「だ、だって女の子だって言わなかったじゃん。一人称だってボクだし」
「言わなかったも何も、聞かれなかっただし。ボクって言っているのは、ネットで女の子って明かすのは危ないかなって思って使っていただけだよー。気づいたら癖になっちゃって。というか、いつ聞いてくれるかなーってずっと不安だったんだよー」
そしてリトはバックからスマホを取り出し、ポチポチと操作すると、アキとリト、二人のキャラクターが並んでいるゲーム画面のスクリーンショットを見せてきた。
「逢坂歩実、二十三歳。今は専門学校に通っている大学生です!」
「え、しかも年上?」
「あー、絶対年下だと思ってたやつー。でも若く思ってもらえるのは嬉しいかもー」
しばらく口をパクパクとしていたアキであったが、自己紹介されたことを思い返し、慌てて財布を取り出す。
けれど運転免許証も職員証も持っていないアキは、苦し紛れに地元の歯医者の診察券を取り出して提示する。
「く、来栖秋人、二十二歳です。職業は、えーっと、今はニートをしています」
落ち着きがないアキの反応を見て、リトは口を抑えながら笑う。
「し、診察券って。ニートなのは知ってるし―」
アキは見る見るうちに顔が赤くなっていくのを頬で感じ、何かを言い返そうとするも、事実なので何も言葉は出ない。
そうこうしている内に、リトは手早くスマホを操作して画面を見せてくる。
「ここの店予約してるからー、早くいこー」
感動の初対面もそこそこに、リトは場所を移そうと提案する。
その足について行こうとするも、アキの足はうまく動かなかった。
「どうしたのー?」
その足はかすかに震えている。そしてそれが示す感情は、いつもの後ろ向き思考であることに気が付いていたものの、隠すことはできなかった。
「いや、俺なんかがいいのかなって。り、リトみたいな人だとは思わなくて……」
「なになにー、まだ拗らせちゃってるのー?」
年齢をお互いに明かしたからか、リトの言葉には容赦がない。あの子どもっぽさはどこへ行ったのか。
半面、アキは年上の、それでいて可愛い人という今までなかったシチュエーションに、卑屈に拍車がかかっていた。
「それじゃーボクが、もうアキが迷わないように、とっておきの言葉を授けてあげましょー」
そんなアキの目をまっすぐに見つめながら、聖母のように腕を胸の前でクロスさせ、とっておきの言葉を口にする。
「これから先、何かに迷ったら。全部、『ボクのため』だと思って行動して。自分のためでも、誰のためでもなく」
「え、それって……どういうこと?」
目を輝かせながら言うリトであったが、その言葉をいまいちアキは飲み込めなかった。
ボクのため? なんのために? 自分のためじゃなくて?
様々な思考が駆け巡り、思考停止状態に陥るアキ。そんなアキにやれやれとため息をつかんばかりに頭を揺らすリト。
「だって今のリト、すぐに迷うでしょー。価値はどうーとか、自分のために頑張れない―とか。
じゃあさ、もう全部、ボクのためだと思って行動してくれれば、迷わなくて済むんじゃない?」
確かに、と一瞬納得しかけたが、現実的な思考が呼び起される。
リトが住んでいる場所遠いし、何もかもリトのためって、重すぎないか。というか、それっていつでも連絡していいってこと? そんなにリトとの絆が深まっていたっけ。あれ、今日初めて会ったんだよね。
ぶつぶつと言い訳が小さく漏れ出るアキ。しばらくその様子を眺めていたリトであったが、何も返事をしないアキについに見かねて、リトは半歩、前に出る。
「もう、察しが悪いなー。あーあ、これは最後に言おうと思っていたんだけどね。もう言っちゃお」
そして有無を言わせず、アキの手を握った。びくりと大きく肩を跳ねたアキであったが、その拍子に合ったリトの真剣な目を見て、ぐちゃぐちゃと考えていた思考は一気に吹き飛んだ。
しばらくそのまま見つめあった後、リトは落ち着いた声で、こう言った。
「別に一人で頑張らなくたっていいんだよ。色んな人がいると思うけど、アキはこれから、ボクのために頑張ってほしい。というか、ボクが頑張れたのも、アキがいてくれたからなんだよ。
だからこれからは。ウチと一緒に、頑張っていかない?」
勇気を踏み出した女の子の一言に、アキはその場から動けなくなる。今すぐこの場から逃げたいと、心の底から叫んでいた。
けれど、触れ合った手のぬくもりはわずかに揺れていることに気づく。それを機に、アキは初めて、会ってからずっと自信満々だったリトの目がほんの少し濡れていることにも気づいてしまう。
ここで逃げたら、たぶん一生後悔する。そして、リトの言葉を信じれなかったら、もう一生、俺は誰のことも信じることができなくなるだろう。
でも、最後に一つだけ。ほんの少しの勇気を、俺にください。
「それって、そういう意味で……合っているんだよね」
その震える言葉は、三年間引きこもっていた自分にとっては、最大限の頑張りだった。
けれどそこには、たった一つの答えだけを待っていて。ジグソーパズルの最後のピースがそこにあるかのように。
本当にもう一度、前を向いて歩き出せる一押しを、アキはリトに期待した。
リトはわずかに目を逸らし、しっかりと握られた手を見つめた後、再びアキと目を合わせた。
「――――」
その答えを聞いた瞬間、今まで見えなかった未来への道が切り開かれたような気がした。
そしてもう、これから先の人生で何かに迷ったとしても、たった一つの言い訳で、なんでも頑張れるだろうという、大いなる確信がアキの中で芽生えたのだった。
***
「それでリト。君はどうして、ボクのことを信じてくれるの?」
「えっとね、それはね――」
人は時に迷い、時にどうしようもなくなってしまうことがある。
そんな時に大事なのは、信じること。それは自分でもよければ、他人でも、家族でもいい。
でもそれは、誰か大切な人であればあるほど、より揺るがないものとなる。
だから人は出会い、絆が生まれ、愛と友情が育まれる。
そんな奇跡のようなことは、行動という必然の中で、偶然生まれる。
そんな世界の中で、みんな生きている。
7年ぶりに短編を書きました!もしほんの少しでも読んでくださったあなたの心に響きましたら、ブックマーク、評価等をいただけると嬉しいです。感想を一言でもいただけると励みになります!
それではよい年末年始をお過ごしください!