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前編 停滞した日常に訪れた、些細な変化

大学受験、浪人受験に失敗し、自信も何もかも失い、三年間ネットゲームに逃げ込んだアキ。

そんなアキに、彼の最初のゲームフレンドであるリトが、ある日ある提案をしたのだった。


 背後の扉の先で聞き慣れた音が鳴った。無機質な操作音のみが響いていた部屋に、それはやや異質。

 ただ、アキがヘッドホンとコントローラーを置いて、その先にあるおにぎりを手にするには、十分な音だった。

 皿の横には、いつものようにメモが置いてあった。


 そのメモを見ることなく、呼吸をするようにゴミ箱へと放り投げた。ゴミ箱の周りにはチリ紙が山積みになっていたがそれには目をくれず、アキは飲み込むようにしておにぎりを胃の中へと導いた後、再びコントローラーを手にしてヘッドホンを装着した。


「来週の土日はお母さん達出かけるからね。秋人あきひともついてくる?」


 母からの愛情こもったメッセージ。アキを家の外へと誘うメモは、今回に限ったものではない。

 汗の充満した部屋、隅にはゴミ袋の山、散らかった漫画と通販の段ボール。服は乱雑に床に転がっており、靴下は同じ物を見つけるのが難しい程。

 机の上の参考書と教科書はほこりをかぶり、日を浴びないことで三年経った今も焼けは見られない。


 しかしながらアキの目にはモニターの画面の光しか映っておらず、母からの声も耳には届いていなかった。


「ああ、くそっ」


 アキの口からは時折罵倒の言葉が漏れ出るように飛び出す。それが自分に向けたものなのか、相手に向けたものなのか。本人にも分かってはいない。


 それがアキの日常であり、今のアキのすべてであった。


 しばらくカチカチと一人銃撃戦に明け暮れていると、チャットメッセージにフレンドがインしたログが流れてくる。

 早々に敵のもとへ飛び込み、集中砲火を浴びて自滅すると、ロビー画面に戻り当該の人物を招待した。


 程なくしてエメラルドグリーンの妖精姿をしたキャラクターが画面に現れる。


「やっほー、今日もニートしてるー?」


 冬の海のように透き通った、ハスキーで中性的な声。全く悪意のないその声がアキの耳に届くと、反射的に言い訳のような言葉を吐き出す。


「いや別に好きでニートしてるわけじゃないから。今は充電期間だから」


「今日も相変わらずだねー。あ、武器変えたんだ」


「まあ、短射程に飽きたから」


「半年前くらいに逆のこと聞いた気がするよ。じゃあ新モードの案内よろしくー」


 軽いテンポのやり取りが続くと、画面は戦闘シーンへと移行する。本人は気づいていないが、アキの表情は少しだけ和らいでいた。


 ニート。社会人でありながら、仕事をせずだらだらと家の中で日々を送っていること。


 社会的な立ち位置で言えば、アキはまぎれもなくそうだった。


 クラスでは優等生として小学生の頃から名を馳せており、本人自身がそれを一番自覚していた。

 成績は常に上位をおさめ、スポーツも部活に入ってはいなかったが、人並み以上にできていた。

 このまま大学に進学し、大企業に入り順風満帆な人生を送るのだろう。

 努力は常に欠かさず、それに結果がついてきており、アキの自信へとつながっていた。


 はずだった。


 アキの人生が一遍したのは大学受験。高校でオール五を叩き出していたその成績であれば十分目指せるレベルの地元の国公立大学を受験したアキであったが、結果は一次試験でマークシートを一つずらしてしまうというありきたりで致命的なミスを犯した。二次試験に命を捧げるレベルで挑んだが、そのミスが本番で尾を引き、結果は大きくボーダーに届かず。

 浪人生となったアキはひどく落ち込んだが、今までのプライドが糧となり、一年真剣に勉学に取り組み、成績も上がったことで、親からの勧めもあり、県外の難関国公立大学に挑んだ。


 アキのレベルであれば十回受ければ九回は難なく合格できる大学であったが、二次試験。絶対に合格するという極度のプレッシャーを抱え込み、開始十分で腹痛を引き起こした。それは試験が終わるまで続き、最後まで耐え抜いたアキであったが、結果は惨敗。成績開示をした所、模試の成績では考えられないくらい、二次試験のボーダーを大きく下回っていた。

 滑り止めで受けた地元の大学では、自信喪失に拍車がかかり、プレゼンテーション面接で力を発揮できず不合格。

 アキの目からは希望が抜け落ち、頑張っても無駄、努力は報われないという固定概念が頭の中に蔓延り、すべてにおいて無気力になってしまった。


 結果、再起を図ることなくニートと化して三年が経過した。最初のうちはもう一度頑張ってと声をかけていた両親も、今となっては紙の上でしか会話ができなくなっていた。

 気力は失っていたが暇には耐えられなかったアキは、勉強の息抜きとしてやっていたFPSゲームをだらだらと続ける日々を送っていた。


「アキ、ナイス三タテ。さっすがー」


「いや、リトのカバーがあったからだよ。俺は最後をもらっただけ」


「それはアキの特攻を信じてたからだってー。やっぱり短射程の方が向いているんじゃない?」


「今回はたまたま武器が見つからなかっただけであって、向き不向きは関係ないよ」


「そうかなー、ボクはアキに合わせるよ」


 画面上でハイタッチを交わすキャラクターを見て、アキはすんと鼻を鳴らす。その鼻音をマイクが拾ったのか、リトは素直じゃないなーと小さくつぶやいた。


「おいリト、聞こえてるぞ」


「いっけなーい、てへぺろ」


 画面の向こう側で本当に舌を出して言っているのを、アキは疑わなかった。


 リトは、アキがニートとなり最初に出会ったゲーム仲間であり、唯一のフレンドリストに登録された人物であった。


 たまたま最初に同じチームとしてマッチングした試合がうまくいき、無意識のうちにアキからフレンドの申請を送っていた。


 誰とも絡む予定のなかったアキは慌てて申請を取り消そうとしたが、瞬時にフレンドリストに名が刻まれた。

 最初はチャットでの会話のみであった。しかしながら、三か月程経ったある日、リトが初めてボイスチャットを使った。

 礼儀正しい敬語を使っていたリトの声は、思っていた以上に子どもっぽく、けれども抵抗感を感じない、ちょうどいいくらいの心地よさがあった。

 一年間の浪人生活の中で友達という存在と疎遠になっていたアキにとって、同性の、同じ趣味を持つ友達ができるというのは、心が揺れた。


 チャットの文体と同じように子どもっぽく無邪気に喋るリトに、わずかながら残っていた勇気を振り絞り出した声は、自分でもびっくりするくらい掠れていた。


 その声にリトが爆笑し、アキは一週間リトをフレンドに誘わなかった所、一週間後にリトの涙目が浮かぶ声を聞き、アキはすべてを許したのだった。

 以来、一日中ゲームをしているアキに対し、夜になるとリトが合流してボイスチャットで会話するのが、二人の日常であった。


 夜は深まり、ゲームの年齢層が上がり敵が強くなる時間帯。アキは銃撃戦で使う銃と物資を探していると、ふとリトからこんなことを聞かれた。


「アキは最近どう?」


「どうって?」


「単純に体調確認だよ。気力が出ないーとか、やることがないーとかってやつ」



「変わらないよ。というか、変わる気がしないよ。むしろ毎日悪くなっていっている気もするし」


 目当ての武器が見つからず顔をしかめながら、コントローラーの手を止めて無意識に頭に手を添えた。

 リトにはアキの事情をすべて話しており、時折リトから心配の声がかかる。


 しかしながら、事実気力の低下と頭重感に苛まれており、アキの口からよくなったとか明るい言葉は出てこない。


 今までであれば、リトはそれ以上言及はせず、会話の種もすぐ別のものに切り替わっていた。


 だが、今日のリトはいつもと違っていた。


「アキはー、何かやりたいことがあるのー?」


「愚問だよ。やりたいことがあればとっくにやっているよ」


「じゃあやりたいことが見つかれば、もう一度頑張れるってこと?」


 アキはコントローラーを操作する手を止めた。リトが今まで自分の心に深入りしてくることが初めてだったからかもしれない。

 けれどそんな硬直は一瞬のこと。アキは眉をひそめながら、キャラクターを操作し戦闘に使う車両に乗り込んだ。


「二回受験に失敗して、分かったんだ。頑張ることに価値はないってことに」


「価値がない?」


「そう、頑張ったって報われないし、報われたとしてもまた頑張らないと報われない。失敗したら落ち込むし、メンタルが壊れて体も動かなくなるかもしれない。この世界には、そういう人がたくさんいる。だったらもう、何も頑張らない方が安全だって、気づいちゃったんだ」


 アキの言葉には感情がこもっていない。事実を淡々と述べているだけ。


 思い返されるのは、二回目の受験に落ちたことを知った日。世界が急速に離れていくのを感じて、自分が自分じゃなくなる感覚。


 ああ、俺はこれ以上頑張れない。頑張ったら、壊れる。


 自分の中の、人間としての壁を感じたあの日以来。アキの目には世界から色が失われていた。


 しばらくの沈黙の後、リトが正面から車に乗ってやってくる。近くの集落に車を止めると、リトが乗っていた車を降りる。 

 いつものようにアキの隣に乗ってくるのを待っていたが、リトはなかなか助手席に乗らなかった。


 その様子に疑問に思っていると、リトの声が耳に入ってくる。


「アキは今まではなんのために頑張っていたの?」


「どうしたの、今日のリト。カウンセラーみたいだけど」


「えへへ、そういう日もあっていいんじゃないかなって」


 穏やかに笑うリトの言葉に嘘も不快も感じられない。だからこそアキは、前もって準備していた、考えていた言葉を口にする。


「結局は周囲の期待に答えるために頑張っていた、っていうありきりな理由だよ。周りの人からの評価を下げないため、先生のため、親のため。それが自分を縛りあげていて、気づいたら首もしまっていた」


「そうなんだー、でもすごいねー。ボクはお小遣いがもらえるーとか、今日頑張ったら明日休みだからーとか、自分が喜ぶことがあると頑張れるタイプだからさー。みんなのために頑張れるって、すごいことだよ」


「そんなんじゃないよ。俺はただ、失望されるのが怖かっただけだよ。そんなの、何も意味なんかないって分かっているのにさ」


「そっかーじゃあ今度は自分のために頑張るっていうのはどう?」


「できないよ。俺は自分のために頑張れない。そんなんじゃやる気が出ないんだ。今までの人生、周りの

ために頑張ってくることしかしてこなかったんだ。いまさら自分のためにすることに、価値なんて感じない」


 気づけば、語気が強まっていた。決めつけ思考であり、リトに理解してもらうことは求めていない。


 この三年間という止まった時間の中で、ぐるぐると考えていた。どうすればもう一度頑張れるのか、どうすればもう一度きらきらした人生を送れるか。

 自分の中に限界を感じて、ネットで同じ悩みを抱えている人を色々と調べてみた。

 けれどどこも書いてあることは同じ。

 頑張ろうとはしなくていい。自分軸を持てばいい。目標を決めないから迷う。運動、食事、睡眠をしっかり取ればいい。自律神経が悪い。燃え尽き症候群。


 そこにも、アキの求めている答えは見つからなかった。


「俺はもう、自分で決めたことに自信が持てない。何をしようとしても、価値を感じない。頑張る理由がない。だから、まだ飽きていないこのゲームをだらだらと続けているだけだよ」


 それが答えだよと言わんばかりに、アキはクラクションを二回鳴らす。これ以上聞いても返ってこないから、早く戦闘に行こうと。


 遠くの山から銃声が聞こえてくる。時期にこの場所にも敵が来る。

 その銃声が鳴り止んだ後、リトは動き出した。


 助手席に乗るのではなく、バンカー。アキの正面に飛び乗り、顔を合わせるようにしゃがんだのだった。


「じゃあアキは、理由があれば頑張れるんだね」


 そう言われて、アキは喉の奥に骨がつっかえたような感覚に陥る。


 リトはいったい何を考えているんだ。今まで弟のような感じだったのに、急に少しだけ大きい存在に思えてくる。


 なんだか嫌な予感がして、画面から目をそらしながら、ついいつものように逃げ腰な言葉が口をつく。


「そんな理由、あるはずないけど」




「じゃあボクが、もう一度君に少しだけ頑張れる言い訳をあげるよ」




 その言葉が頭の中を流れた瞬間、脊髄反射のようにリトを見た。


 自分より少しだけ背が低く、中学生のような童顔。セミショートに切りそろえられた茶色の髪。目はきらきらと輝いていて、まっすぐ自分を見つめている。


 見たことはないのに、そんなリトのリアルな姿が目に浮かんだのだった。


 不意に咳き込んだ後、アキはおにぎりと一緒についていた水を一気に飲み干した。そしてヘッドホンのマイクをつかんで二度三度咳払いをすると、もう一度口元にマイクを寄せた。


「理由じゃなくて、言い訳?」


「そう、言い訳。何かのために頑張るんじゃなくて、しょうがないなー、それなら頑張らないとなーっていう言い訳」


 理由があれば、人は行動ができる。理由があるから、行動に自信がつながる。


 アキは理由を求めている。それもただの理由じゃダメ。ご飯を食べるために、コンビニに行かないというありきたりな理由じゃダメ。今はウーバーイーツもあるし、実家にいれば自動的にごはんも出てきてしまう。


 本当に必要なのは、自分から動くこと。東京タワーをネットで見るのではなく、生で見に行くこと。ただ見るだけじゃなくて、生で見たいという言い訳。目的、理由じゃなくて、自分から動こうと思うこと。


 それをアキにあげると、リトは言う。


 その言葉を、アキは瞬きを忘れて聞く。普段軽口や浅いことで笑っているリトがこんなことを喋ることに驚いたと同時に、その中に幾深くの優しさが感じられ、口が開きっぱなしになっていた。


 近くで銃声音が響いたことで、我に返る。アキは瞬きを繰り返したのち、恐る恐る聞いた。


「それは、何?」


 ほんのわずかに伸ばした手。知らず知らずのうちに伸ばされていた手を、リトはしっかりとつかんだ。




「ボクとリアルで会ってみない? というか、ボクが会いたいから、会ってほしいんだ。場所は――」




***




 某日の土曜日。共働きをしている両親が家を出た音を確認すると、アキは動き出した。

 風呂は一週間に一回、親が寝静まった後にこっそり入っていたが、今日は朝から湯舟を張る。


 その間に服を探しに部屋に戻る。すると、扉を開いた瞬間、汗のしみ込んだどんよりとした空気が鼻をついた。


 今までは感じなかったその不快感に、急いで部屋のカーテンを開けて窓を開ける。その瞬間、マイナスを彷彿とさせる冷気が流れ込み、思わず「寒っ」と声が出る。それを機に、今日が二月であることに気が付く。


 久しぶりに部屋の中に入ってきた冬の太陽はアキの目に鋭く突き刺さり、顔をしかめる。三年ぶりの光が入ってきた部屋の中が露わになり、その乱雑さにさらに不快感が増した。

 体は自動的に動き出し、洗濯物は洗濯機に放り込み、ほとんどいらないものであったため、どんどん物がゴミ袋へと集約されていく。

 風呂が炊きあがるまで十五分程であったが、部屋の中にゴミ袋の山が築かれ、足元は見えるようになっていた。


 たった十五分でこれだけ変わるものなのかと驚きながら、風呂場へと向かう。ゲームの一試合にも満たない時間なのに。

 今までは必要性を感じずシャワーのみで済ませていたが、今日は三年ぶりに湯舟に浸かった。ほうと長いため息が出る。水面の先に揺れる自分の四肢は、日を全く浴びていないことで女性のような白さになっていた。


 十五分しっかり浸かった後、体を洗う。隅から隅まで丁寧に洗っていると、ふと鏡に映った自分の顔が目に入る。


 鏡を見るのも久しぶりだった。というより、見るのを避け続けていた。自分に自信が持てず、そんな顔を見るのが嫌だったからだ。


 そこに映っていたのは、とても人に見せられるものではない、浮浪者のような姿だった。適当に剃っていた髭は不揃いに長く伸びていて、髪の毛は肩まで垂れ下がり、頭頂部は毛量で盛り上がっていた。


 即座に次の行動は床屋に決まった。


 けれどここは美容室に行くべきだろう。眉毛を整えたほうがいいとよく聞くし。


 そう決意すると、急いで数年分の汚れを落とし、適当に髪を乾かして最低限の長さまで髭を剃る。長く伸び切った爪を切り、化粧台に置いてあったつけたこともない化粧水を肌に塗る。


 そして部屋に戻り、身支度を整えようとすると、まともな服がないことに気が付く。知らない間に身長が伸びており、服も高校時代に買ってもらったものばかりで二十代の男が着るものではないような柄物ばかり。

 美容室の後は服を買いに行かないと、と次の予定が積み重なる。


 二十代が着てそうな服と、鞄と、靴と。貯金は足りるだろうか。


 そしてアキは気づいていなかったが、どんよりと重くなっていた頭はいつの間には血流が周りだし、頭重感は消えていた。


 目はまだどんよりとしていたが、今のアキにはやることがあった。




 それがアキの止まっていた時間を、徐々に動かし始めていた。  (後編に続く)

後編もぜひ読んでくださると嬉しいです!

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