契約妻の華麗なる推し活
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「そろそろクリスも結婚を考えたらどうだ?」
宮廷の役人が使う休憩所で、同僚のシオンという男がそう言った。
「そういうお前はいつになったら女遊びをやめるんだ。仕事しろ仕事」
「そーゆーとこだよクリスぅ!」
シオンは馴れ馴れしく俺の肩を組んだ。
「いつも口を開けば仕事仕事、って言ってるから周りから堅物だって呼ばれるんだよ。いい歳だし、奥さん迎えて家庭持ってもおかしくないぞ?」
「俺がそういう歳ならシオンもそうだな」
「俺は良いんだよ。長男じゃねぇし。数多の女の子がみんな俺のことを待ってるんだからな!」
「最低野郎か」
「ヒドッ」
休憩を切り上げ、俺は仕事に戻ることにした。
結婚か…
それは母親にも言われていることで、確かに考えねばならない課題なのは事実だった。
しかし、今は仕事に打ち込みたい。それを考慮してしてくれる妻ならいいかもしれないが…
❇︎
「あら、そういう条件なら良いのね?じゃあさっさと籍を入れちゃいましょ」
「は、母上っ!?」
母親にそんな話をしたらあれよあれよと縁談が進み始めた。
「俺は今は仕事に打ち込みたいんです!」
「だからそれを受け入れてくれるお嬢さんを見つければ良いんでしょう?」
「えぇ…ですが…」
「ウジウジしないの。それに結婚したらお父様から男爵位を貰えばいいわ。その方が仕事しやすくなるわよ」
「…確かに」
侯爵の父から爵位を貰うことに釣られて俺はあっという間に妻を迎えることになった。
❇︎
そうして結婚式で初めて見た妻・ユリザリアは、笑わない女性だった。
俺の仕事の関係でお見合いもデートも何もなく、結婚式当日に初めて夫となる者に会わされたらそれは気分の良いものではないと思うが、とにかく表情が動かない。
目線も合わないし会話も事務的なものだけ。
「お前…結婚しろとは言ったけど、こんなに早く…しかもよりによって“氷令嬢”を娶るなんて……」
「“氷令嬢”?なんだそれは」
「お前の奥方の社交界での呼び名だよ。彼女、有名人だぞ?」
「ふむ…涼しそうな名前で結構だ。俺は暑いのは苦手だからな」
「そんな物理的な意味じゃねぇよ。全然笑わないし、眼差しが氷点下って意味で…
……まぁ、ウン。とにかくおめでとさん」
そう言ってシオンは他人事のように笑った。
の割には後で結婚式のことを「新郎新婦どっちも表情が凍ってて、色々白いのも相まって氷像展覧会みたいだった」と文句を言ってきた。想像力が豊かで何よりである。
でも彼女の淑女としての振る舞いは文句無しに堂々としたものだった。
これなら家を任せても大丈夫だろう。
そう思って俺は結婚初夜に彼女に話を切り出した。
「俺は家にほとんど帰らないので自由にしてて下さい」
ユリザリアのつり気味な瞳が見開かれたが、すぐ平静を取り戻したようだ。
「訳をお伺いしても宜しいでしょうか」
「俺は今仕事に集中したいのです。周りからの声もあって結婚はしましたが、家庭にそれほど時間をかける余裕がない。その代わり貴女には屋敷で自由にしてもらって構わないです」
ユリザリアは少し考え込んで俺を見上げた。
「自由に、というのはどのくらいの範疇なのでしょうか」
「そうですね。必要最低限にしますが夜会などには妻として同行してもらうことと、女主人としてこの屋敷を整えてくれることさえしてくれれば基本なんでも大丈夫です。でもまずはこの環境に慣れてくれれば良いのでゆっくり過ごして下さい」
「お心遣い痛み入ります」
「いえ、理解が速くて助かります。時間も金も好きに使って下さい」
「ありがとうございます」
「今日から貴女がここの女主人なので、どうぞ気は遣わないで下さい。あと外出も家令に伝えておいてくれれば自由でいいですよ」
「承知致しました」
こうして夫婦の初夜は更けていった。
実はこれでも両者とも緊張してたけど目一杯愛想良くしようとしていたことは誰も知るまい。(俺も知らない)
その翌朝、いつも通り、陽が昇るか昇らないかの早朝に出勤しようとした俺にユリザリアは律儀に見送りに出てきた。
「朝早いので身体に負担がかかります。見送りは結構ですよ」
「妻として当然ですのでお構いなく」
模範回答を返された俺は反論もできず使用人たちと妻に見送られ、仕事へ向かった。
❇︎
「は?それってつまり形だけの妻ってこと?契約夫婦ってことか?バカなの?」
「……別にバカ呼ばわりすることはないだろ。元々俺が仕事に集中するために結婚したようなものなんだから」
「な、なんて愚かな男なんだ…信じられない」
「ハイハイ。さっさと仕事しろ」
「ちぇー。そういう話ならもう気軽にお前ん家に遊びに行けなくなったなぁ」
「宴会で酔い潰れて近いからって理由だけで俺の家に転がり込んでそのまま三日居座った前科があるお前が何を言っているんだ?」
「確かに野郎の家に転がり込んでおいて、新妻のいる家に転がり込まないなんて色男の名が泣くぜ」
「よしわかった。今後俺には近づかず話しかけず目も合わせず息もするな」
「絶交の対応が迅速うぅ!!!」
泣きながら抱きついてきたシオンを極厚書類で叩いたことに関しては俺は悪くないと思う。
❇︎
結婚から二週間ほど経ったころ、廊下を歩いていたときに上司と鉢合わせた。
「ジニー室長、お疲れ様です」
「トルマンス君か。書類提出の帰りかね?」
「はい」
「私も帰りの途中だ。共に部屋に戻ろう。新婚の惚気でも聞かせてもらうか」
「は、はぁ…」
ジニー室長は俺の直属の上司だが、心底楽しそうなニヤニヤがイケオジの御尊顔を台無しにしている。
「期待しているほどではないかと。今日まで見送りと出迎えのときにしか会ってませんし」
「そういえば新婚の割には仕事場にいたねぇ。相変わらず若いのに仕事熱心なことだ。じゃあ惚気はおろか、愚痴も無さそうだね」
「あ…いや愚痴ってほどではないのですが…」
「何かあるのかい?」
そんなキラキラした目で見ないでくれ。カッコいい室長が人の不幸は蜜の味みたいな顔しないで欲しい。
「……その、結婚してから早朝でも毎日律儀に見送りをしてくれるんです」
「素晴らしい奥方じゃないか」
「はい、まぁそれは良いんですけど。でも帰りも馬鹿真面目に俺の帰りを待つんですよ」
「……君、結婚前と同じ時間帯に帰ってるよね?」
「はい…遅い時には日付を跨ぐのに、起きて待ってるんですよ。それも毎日」
「妻の鑑のようだけど、それは流石に困ったものだね」
「何度言っても妻の務めだからって聞かなくて…。なんでそこまですると思います?」
顎を撫でて天を仰いだが、すぐに室長は思い当たる原因を挙げた。
「夫である君の機嫌を取りたいとか?堅物の君を怒らせたら怖いだろうからね…」
何故そこで身震いをするんですか。俺、別にそんな鬼ではないんですけど。あとしれっと言ってましたが堅物って悪口ですよ。
ガシャーーーーーンッッ
「ッアアアアアアアアアァァーー!!」
「何事だ!?」
突然音と悲鳴が聞こえてきたのは目の前の俺と室長の目的地の部屋。
「トルマンス君はここで待機を!」
「りょ、了解!」
素速い反応で中を確認しに扉を室長が開く。
そこに見えたのは青いマグカップ(だったもの)が粉々に砕け散った破片。それを囲み、「アッ…」という表情でこちらと目が合ったシオンとその他の面々。ちなみに青色のマグカップを使っているのはこの部署では俺だけである。
状況を理解した室長が破壊しそうな速さと勢いで扉を閉める。
「今日はもう帰宅しなさいトルマンス君⭐︎」
「なに流れるように隠蔽しようとしてるんですか。ていうか別に不慮の事故でコップ割られたくらいじゃ怒りませんよ俺」
「いいから!今日はッ!あとの仕事は私たちでやるからッッ!!」
「何言ってるんですか俺もやりますよ。〆切近い書類ありましたよね?あと俺怒ってないですから」
「ほらッだってトルマンス君、新婚じゃん!?!?早く帰りな!?」
「結婚二週間目で初めて言われたんですけど」
「それはマジでごめんね!?だから今日はひとまず帰ろうかッッ!!そーいえば明日皆からサプライズプレゼントがあるから楽しみにしててねッ!!!」
「それ先に言ったらサプライズじゃないですよ」
そして半端投げ出されるように仕事場を後にした俺はとりあえず異例の早さで帰宅することになったのである。
❇︎
「旦那様!?お早いお帰りですねっ?」
家令に驚かれながら、やっぱりこの時間に家にいるのは契約違反だよなぁと考える。
「野暮用でな。新しいマグカップを取ったらすぐ戻ろうと思う」
「マグカップでしたら取って参りますのでお部屋でお待ち下さい」
「分かった」
ぴちりと閉めた首元をため息を吐き出して緩める。
久しぶりに昼間の自分の屋敷を見ると、まるで見知らぬ場所のようだった。
心なしか屋敷全体が赤っぽい色でまとめられているような気がする。
彼女の髪も俺の瞳も、誰も赤色を持つ人間は居ないはずだが…
なんだか居心地悪く感じた。
やはりこのまま仕事場へ戻ろう。
俺はそう決めた。
深夜まで旦那の帰りを待つような真面目なユリザリアのことだ。不意に帰ってきたら驚かせるだろうし、気を遣わせるだろう。
ただでさえよく知らない男の許に嫁がされたのだからその心労たるや。
そうして適当な部屋に入って待っていようとしたら、その部屋の向こう側がやけに騒がしいのを感じた。
不思議に思い、そぅっとドアを開く。そこにいたのは侍女一人と妻のユリザリアで、
「キャアアアアッ尊いっ!尊いですわあエレンさまーーっ!!」
「来世まで推せますぅっーー!!!!」
と、発狂していた。
「…??????」
二人が拝んでいた先には美青年が描かれた肖像画が祀られている。サインが書き込まれているようだし、舞台役者だろうか。
「追加公演なんて配給過多で軽く昇天できるわね」
「前回よりバジョアプですって激アツですよねっ!!!」
…。
……。
………?
落ち着け俺。今まで仕事で多種多様のクレーm…じゃなくてありがたーい意見を聞いてきた俺の理解能力を使えば彼女たちの会話を解読するなど造作もな
「前作の降臨が珍しくツンデレver.だったときは天界へ召されるかと思ったけれど今回の役はいつもの爽やか系だから地球平和ね。はぁ…今日も推しが健やかでいてくださってしんどいわ」
…。
………。
うーん無理だなぁ。難解すぎるなぁ。
ていうか今まで見たことないくらい喋ってるなぁ。
目も表情も別人のようにギラギラしてるなぁ。横の侍女…アデールもあんな喋るやつだったか?
ていうかあの男誰だよ。確かに俺はあれほど見目麗しいわけじゃないが(むしろまだ20代なのに「堅物ジジィ」と意味不明な暴言を吐かれるくらいだが)、結婚したての夫を差し置いて美青年に夢中なのはどうなの。
いや、結婚したての妻を放置した俺も俺だが…
頭を抱えて考え込む俺に気づかずユリザリアは全力で美青年を祭り上げていた。
「必ずチケットはこの命に変えても当選させるわよ!できなくとも会場推しするんだから!!」
「ご一緒いたします!!!!」
いっ、「命に変えても」だとッ…!?
いきなり突きつけられたユリザリアの覚悟の重さに愕然とする。
そのチケットは一体どんな物なんだ、入手できないと彼女に危険が迫るとでも言うのか。彼女の夫なる者が妻の危機に気付くことはおろか守ることさえできぬというのか…!?
「さあ!旦那様がお帰りにならないうちに今日発売の新登場グッズを狩りに行k……」
突然立ち上がったユリザリアとばっちり目が合う。もちろん「旦那様(俺)」と。
「…………」
「…………」
永遠かと思えたほど長い沈黙だった。
「せ、せめて護衛はつけてくれ……」
「………。…か、しこまりましたわ」
俺はどうするのが正解だったのか。
肖像画の美青年が何の憂いもなさそうな爽やかな笑みをこちらに向けていた。
❇︎
「大変…大っ変、お恥ずかしいところをお見せしましたわ」
「いや、連絡もなしに帰ってきていた俺も悪いですし…」
俺と向かい合って座るユリザリアの背後には、先程大量に購入してきたキーホルダーやらぬいぐるみやらタオルやらの赤色に染まったグッズが積み上げられている。
あの気まずい帰宅から、動揺しながらも強かにグッズ狩りに出向いたユリザリアの後ろ姿には“氷令嬢”のこの字もなかった。
「今まで隠していましたが、私はこの舞台役者でいらっしゃるエレン=キトラー様の大ファンなのです」
「な、なるほど」
照れて扇子で口元を隠すが、その扇に「エレン神」の文字がデカデカと貼られている点については指摘しない方がいいのだろうか。
「しょ、正直驚きました。噂や今までの生活で見た貴女からは想像もつかなかったので…」
「噂ですか?」
「その、氷のように冷たい令嬢だとかなんとか」
「あぁ…もともと表情筋が人より動かないのです。しかもあがり症なので口下手で…」
なるほど。結婚式や見送りのときのあの無表情はそういう理由だったのか。
さっきの発狂ぶりを見れば彼女の中身が氷なんかでないのは明白。
どうやら社交界の面々は彼女を誤解しているようだな。
「実家での推し活は人目を忍んでこっそりとしていたのですが、こちらに嫁いできてアデールと出会ったり自由が増えたりして、ついこのような惨状に…。隠していて申し訳ありません」
「いやいや謝ることじゃないですよ」
深々と頭を下げる彼女に慌てて上げるように促す。
「ですが、妻として淑女として貴族としてあるまじき行為でしょう?」
「家令からは、その推し活?で使うお金はご自身で稼いだものだと聞きました。なおさら俺に謝る必要はありません」
それに作家や役者を神のように信仰するという文化が一部の若者の流行なのだということはシオンから聞いたことがある。
そしてさらにその一部には貢ぎ過ぎて破産する例もあるというが、ユリザリアは自ら投資を行い、自身の収入だけでその推し活の出費を補っているという。
「だから、今までこっそりとしか出来なかった分、その推し活を楽しんで下さい。俺は余計な口出しをするつもりはないし、むしろ応援しますよ」
それは本心だった。
俺の都合で彼女はほぼ無理矢理結婚させられたのだ。それでも妻としての役目をきちんとこなしてくれている。ならば少しでも楽しい生活を過ごして、ここを好きになって貰いたい。衣住食を保証することぐらいしか出来ないが、妻を幸せにできるのならば本望だ。
「…………」
「ユリザリア?」
「あっ…いえ、お心遣いありがとうございます。…そう言って頂けて幸せです」
頬を少し赤く染めたユリザリアを見て、俺は「屋敷がなんとなく赤いのはエレン=キトラーのイメージカラーだからか!」と一人納得していた。
「あの、もしよろしかったらこちらを…」
ユリザリアがそっと差し出してきたのは赤い花が刺繍されたハンカチだった。
「え、くれるんですか?」
「はい。素人の品なので拙いですが…」
「あ、ありがとうございます」
受け取ってよく見てみると、赤い花束のなかにさりげなく「エレン=キトラー」の文字が上品にあしらわれている。
「私同担歓迎派ですので…!いつでもこちら側へどうぞ」
突然のカミングアウトからの流れるような、且つ淑女らしさを微塵も霞ませない布教。相手に違和感をまったく抱かせずその名前を刷り込むという高等技術。エリート室長でもこれほどスムーズに示唆させることはできないだろう。脱帽である。
そんじゃそこらの令嬢には真似できない芸当ではないか。
俺はこの淑やかな妻の正体に衝撃を受けた。
その後は、結婚式ぶりに彼女と夕食を共にした。
隠し事の無くなったユリザリアはよく喋り、表情がころころと変わる少女だった。話題はエレン=キトラーの好みやデビュー当時の裏話、彼の趣味や家族構成、彼の今まで演じてきた役どころや代表作など多岐に渡った。
一方的に喋る女性は苦手だと思い込んでいた俺だったが、不思議と不快感は無かった。
❇︎
そして何がどうしてこうなったのか、俺とユリザリアは街の一角に位置する大劇場に訪れていた。
いや、そうだ。
先日マグカップを不慮の事故で破壊してしまった同僚・後輩たちが今日のチケットをくれたのだ。
「お詫びにもなりませんがどうかこちらをお納め下さい!」
「いや、本当に怒ってないって。でもコレ本当に貰っていいのか?」
「ハイ!コネで良い席貰ったんで!評判良いらしいですよ」
そのチケットは例の舞台役者が出演しているものだった。
「あぁ、知ってる。妻が話していたからな」
突然俺の口から飛び出した「妻」という単語に硬直する同僚・後輩たち。
「先輩の話題に『妻』が出てきただと…!?」
「そういえばコイツ新婚だった」
「心なしかあのクリスの顔がデレてる!?」
「は?そそそんなわけないだろ!」
「どんだけ魅力的な奥方なんスか…」
「いいなあ俺も嫁さん欲しー」
「結婚してぇーー」
「良いじゃないですか、これで奥さんとデート行って来たらいいじゃないですか」
「デ、デート!?」
「はー、んだよ。こんなことならマグカップもう一回割っときゃよかった」
「は!?」
「あのトルマンス先輩も人並みに人を愛する感情があったんですね」
「失礼じゃない!?」
「はいはい、今度惚気聞いてあげますから」
「お前ら、急に対応雑じゃないか!?謝罪の雰囲気だったよな!?」
「「「どうぞ末永くお幸せにー(棒)」」」
奴らは半端投げつけるようにチケットを俺に押し付け解散していったのだった。
…そしてそのチケットを持ってユリザリアと共にやって来たのだ。
国内でも有数の大規模な劇場の周りは露店や飲食店で賑わっており、多くの人が行き交う。
その劇場のど正面で感涙に咽び泣いているのは信じ難くもあの我が妻ユリザリアである。
「うっうっ、ここにエレン様が実際に息をしていたなんて…!すごい。なんかすごいオーラが地面から出てます。マイナスイオン出てます…!!あぁ生きてて良かっだぁああ”あ”」
あれほどエレン=キトラーへ熱をあげていたのだから、感動は分かる。あの淑女としては完璧なユリザリアがここまで喜んでいるのを見ると何故か父親のような感慨深い気持ちになる。
泣き崩れる令嬢とそれを見守り感動している男は、周りの通行人たちから見たらそれなりに変質者のように見られていたのだが。
不審者として捕まらなかったのはユリザリアの出演者ポスターや限定グッズへの熱い羨望の眼差しがあったおかげだろう。
「席に近い入り口はこちらですね!」
「走ると転びますよ。開演時間は逃げませんからね」
「いいえ、逃げますよ!今も一刻一刻と時間は迫っているのです」
はやる気持ちを抑えて早歩きをする彼女に慌てて追いつく。ユリザリアからわくわくが溢れて止まらない。落ち着いてくれ、と思う同時に可愛いな、とも思う。
夫らしくエスコートしようと腕を差し出すが、焦るユリザリアは構わず駆けていく。どうにか抑えた小声で推しの名を呟きながら。
ーーもや。
「ん?」
なんだ今のは。
胸焼けか?昨日は呑んでないはずだが…
わずかな違和感は無かったことにして、彼女が呼ぶ声の方向へ向かった。
開演を知らせるブザーが鳴り響くと、横隣のユリザリアが懐から横断幕やらうちわやらを取り出し、フル装備で目を輝かせていた。
いざ劇が始まると、ユリザリアは息を潜めストーリーの展開を固唾を飲んで見守っていた。
エレン演じる主人公に仲間が集うとユリザリアは我が子のことのように嬉しそうにし、強敵が現れると世紀末のように怯え、エレンが活躍すると無音で拍手喝采。主人公が感動のラストを迎えると涙を流して喜んでいた。
カーテンコールでエレンが演じきった満面の笑みで礼をすると、顔を真っ赤にしながらスタンディングオベーションで大興奮。
その夢中な姿を見て、俺の胸の違和感は増していく一方だった。
公演後には出演者が見送りをしてくれるそうで、感動の余韻残る観客たちが出口へ流れていく。
ユリザリアも走り出したいのを堪えて、顔を扇で隠し「本当にっ…良かったですわ」と呟き涙を流していた。
違和感を超えてはっきりと不快感へ形を成した胸の引っ掛かりが喉の辺りまで込み上げてくる。
行く先にエレンの姿を認めて淑女式高速移動を発動させようとするユリザリアの手を、思わず掴んだ。
今日、君の隣にいたのはずっと俺なのに、君が俺を見ていないことが気に食わなくて。
「えっ?」
「ユリア」
魔が差して愛称で呼んでみれば、彼女のコバルトブルーの瞳がまっすぐ俺を捉える。
やっとかよ、と黒い俺が呟く。
「あの男じゃなく、貴女は俺だけをみていてくれませんか」
妙にその言葉は空間に響いた。
俺は何を言ってるんだと我に返ったときには、ユリザリアの顔は真っ赤に染まっていた。
「え、えっと…それは…どういった意味で…」
「いや、その、」
彼女につられて俺の顔面も熱くなっていく。
「そ、そのままの意味といいますか…。あまりにもユリアが彼に夢中なのがその…良い気がしなくてですね……」
なんだそれ。自分で言っておいて消えたくなった。こんなの自分の欲しいものが手に入らなくて文句を言ってる子供じゃないか。
「えーっと…『彼』?
クリス様、もしかして勘違いされていらっしゃるかもしれませんが、エレン様は歴とした女性ですよ?」
「……………えっ」
俺たち二人の異変が目立っていたのか、少し遠くからこちらを見ていたエレン=キトラーが、苦笑しながら手を振ってきた。言われてみれば骨格が女性っぽい気がする。
「この〈赤薔薇歌劇団〉の役者さんは皆さん女性ですわ」
「女性……」
「ということは、つまりクリス様は“やきもち”を焼いていたということですか?」
「やきもち…」
オウム返しをしてみても、事態は良くなりはしない。むしろ顔の熱が全身へと広がっただけである。え、待って◯にたい。
ユリザリアが俯いて黙ったので、俺は自害用の刃物を探した。
「……ふふ」
「えっ?」
顔を上げたユリザリアは恥ずかしそうに、でも心底嬉しそうに微笑んでいた。
「ユリア?」
「趣味を尊重してくださるだけでなくて私自身も大切にして下さるなんて、私はなんて幸せ者なのでしょうか」
その上目遣いがとびきり可愛く見えて。
「嬉しいです、クリス様。不安にさせてしまい申し訳ありません。でもご安心ください、」
彼女の恥ずかしいような嬉しいような笑みから目が離せなくなる。
「私のガチ恋の推しは、クリス様ですわ」
これが、俺の推しが爆誕した瞬間である。
ー・*❇︎*・ー
初めてエレン様をお見かけしたのは、お母様に連れられて初めて演劇を観に行ったときのことだった。
凛とした立ち姿や生き生きとしてコロコロ変わる表情。そのひとだけが一人輝いているかのような存在感だった。
エレン様に釘付けになってしまった私は、彼女を応援しようと毎回のように劇を観に行ったりグッズを購入したりした。
けれど家でいざ淑女教育が始まると、講師の夫人やお母様にはそういったことは控えるように言われた。淑女としてあるまじき行為だ、はしたない、と。貴族として感情を表に出さない。興奮しているところなど見せてはならない。感情を押し殺しなさい、揺れ動かぬ氷のようにーーー。
でも溢れ出るエレン様への気持ちは抑えきれず、こっそりと隠れて推し活をするようになった。
エレン様は素晴らしい方なのに、何も悪いことはしていないのに、隠れていることがひどく辛かった。
突然結婚が決まったときはもっと推し活ができなくなってしまう、と絶望に近い感情を味わった。なのに。
「俺は家にほとんど帰らないので自由にしてて下さい」
思わず思考が停止した。
初めて会った旦那様は時間もお金も好きにして良い、と話した。その表情は劇団25周年記念公演でエレン様が演じた王女の護衛スカイラーと同じ表情だった。
状況を理解した私は、歓喜に打ちひしがれた。ありがとうございます神様仏様エレン様…!!!!
屋敷には同じ趣味の侍女までいて、私の推し活は過去の栄華をも超える繁栄を見せた。
しかし淑女たるもの、立派にお勤めを果たしている旦那様の恥になってはならない。そして妻としての務めを必ずこなす。旦那様だけには隠し通すと決めたその矢先、思わぬ形でバレた。
淑女失格、絶望、離縁、勘当、路頭に迷って無一文、推し活不可能…!!
その瞬間にして自分の没落っぶりが想像できて、私は心の中で今までの感謝をエレン様に伝えようとした。
しかし次の瞬間、新人時代のエレン様が演じたモブキャラが実は王子様だったときぐらいの衝撃を受ける。
「今までこっそりとしか出来なかった分、その推し活を楽しんで下さい。俺は余計な口出しをするつもりはないし、むしろ応援しますよ」
私はそのときクリス様のお顔を初めて見たような気がした。
真面目そうだけど優しい雰囲気を持つ人で、下がった困り眉が可愛らしかった。
もし恋をするならエレン様みたいな人が良い、と思っていた。
けれど、実際に恋に落ちる人がエレン様みたいな人だとは限らない、ということを私はすっかり失念していたのです。
クリスが結婚する半年前ぐらい。
シオン「よし、定時だ!俺はもう帰るぜ!愛しのマリーちゃんが俺を待ってる!!」
クリス「阿呆!こっちはお前のミスで仕事が長引いてんだよ、帰らせるか!!」
シオン「えっ……『帰らせるか』ってそんな…。ごめん、俺異性愛者なんだ…」
クリス「誰もお前を口説いてねぇよ仕事しろこの阿呆!」
シオン「ギャアァッ!耳引っ張らないで、千切れちゃう!!くっそー、この堅物ジジィめ!」
クリス「は!?俺まだ二十代だぞ、ジジィなんか程遠いわ!」
シオン「そっち!?」
ジニー「君たち仲良しだねぇ」




