愛情
「いってらしゃい。」
3人での共同生活が始まってから3日目。今日から工場はまた稼働する。工場長に事情、療養中の母に代わって妹を預かることになったという嘘の事情を説明し、僕だけ休みにしてもらった。
「さて、僕たちも行こうか。」
色々とリュックに詰めている咲に声をかける。今日はこれから店長の家に向かう。最近疎遠になっていたあのカフェの店長が、僕たちがいない間子守を引き受けてくれたのだ。その顔合わせと様子見を今日行う。店長には子どもが2人いるらしく、初めて会うその子達とたくさん遊ぶと張り切っている。
大きく膨れたリュックを背負い、咲が潰れそうになりながら玄関に来る。
さすがに止めた。
そんなこんなで出発が少し遅れ、店長の家に着いたのは10時過ぎ。カフェの隣に回ると、小さな庭付きの可愛らしい家が現れる。他にも家が建ち並んでいるが、一発でここだと分かる。
「いらっしゃい。」
呼び鈴を鳴らすと女性と女の子が出てくる。店長の奥さんらしい、おっとりとした雰囲気の女性だ。
「慶人くんと咲ちゃんでしょう。山弘さんから話は聞いているわ。さぁどうぞ。」
僕たちを認めるとにっこりを優しい笑顔を浮かべる。そのまま中に招かれる。
家の中も可愛らしい雰囲気で全体的に温かみがある。
「ほら、春香あいさつして。」
女性の後ろで咲と同じくらいの女の子が恥ずかしそうに隠れている。母親に促されてさらに後ろへ隠れてしまった。
「もう、困ったわね。」
困った表情を作りながらも、その声は嬉しそうだ。
「この子は春香。咲ちゃんと同じで今年一年生になるからよろしくね。それから私は広美。よろしく。」
僕たちも自分でちゃんと名乗って、咲は早速遊んでいる。持ってきた荷物を広げ、楽しそうに自慢する姿を眺める。
「それにしても、妹を預かるなんて大変ね。」
咲の遊ぶ子供部屋は、リビングから見える作りになっている。これなら咲が変な事をしていないか確認できる。広美さんに勧められて座り、2人でお茶会をする。といっても飲むのは緑茶だ。
「そうでもないですよ。助けてくれる人がいるので。」
思い浮かぶのは平宮さんのことだ。僕1人では手一杯なことも平宮さんと一緒であれば苦ではない。あまり迷惑をかけないようにと頑張っているが、その頑張りを平宮さんは褒めてはくれない。僕が1人で色々していると困った表情をして一緒にやってくれる。いつまでもは一緒にいない。それなのに頼ってしまう。頼ったいけないのに頼ってしまう。頼らないと、平宮さんが心配する。それだけは嫌だから、諦めるしかない。
「響くん、でしょう。」
僕の言葉を拾ってそう答える。その顔は母親の顔だ。少しだけ、ほんの少しだけ、僕の母親に、小さい頃に見た母親に似ている。その視線が少しだけくすぐったい。
「はい。平宮さんもそうですけど、こうやって店長が咲を預かろうかって提案してくれたのもすごく助かってます。」
昨日、バイトが始まったら咲を見ていられないからと色々な人に連絡をした。とはいえ頼れる相手は少なく、店長の提案を聞いたときは嬉しかった。僕も嬉しかったが、それ以上に平宮さんが喜んでいた。
「私で助けになれるなら、嬉しいわ。あの人、あんまり店のこと頼ってくれないから今回のことは私もすごく嬉しいの。」
今度は妻の顔だ。山弘さんと呼んでいた僕たちにとっての店長を、広美さんがとても大切にしていることが伝わってくる。
「だから、こちらとしてもありがとうね。」
その表情にドキリとする。こんなにも真っ直ぐに誰かを愛せる人がいるのだと驚く。
こんなに真っ直ぐな愛情を初めて見た。愛情と呼べるモノを、見ることすらも初めてかも知れない。その真っ直ぐさは少しだけ羨ましい。
その後は他愛もないお喋りをする。趣味の話や店長の話。それから小学校の話。意外にも話題は尽きない。時々咲の方に視線を向けると、楽しそうに遊んでいる。今は、ノートをひろげて文字の勉強中だ。咲はたった1日で自分や平宮さんの名前を、ひらがな、カタカナ、漢字で書けるようになった。やっぱり飲み込みは早い。
「あら、もうこんな時間ね。」
咲のノートを見て褒めていると、広美さんが時計を見てそう呟く。もう12時を過ぎている。
そういえば、昼食はいらないと言われたがどうするのだろうか。
「春香、行くよ。」
まだ鉛筆と格闘している娘にそう声をかける。それから僕たちの方を振り向き、意味深に笑う。
よく分からないまま向かった先はカフェだった。昼時の、人もまばらなカフェは珍しい。他のお客さんと喋っていた店長が、僕らを見てニヤッと笑う。この表情もいつもみる少し女性っぽい笑いとは違う。昼と夜、時間が違うだけで色々と違う。
「好きなの選べよ。」
水を持ってきてそう尋ねる。今は店長ではなく父親だ。
そのまま少し広美さんと話すと、お客さんに呼ばれて去って行く。どちらが本当の店長、とかはないのかも知らないが戸惑う。
「ねぇ、これなに?」
そんな店長には目もくれず、咲は料理を選んでいる。カタカナは読めるからメニューが読めないのではない。どんな料理か、という意味だ。とはいえこれは説明しにくい。適当に名前で選ぶしかない。
「お待たせ。」
器用に食器を3つ持ち店長が料理を運ぶ。危ないから止めなさいと注意され嬉しそうに謝っている姿は、見ているこちらが恥ずかしくなる。
「これがハンバーグ?」
悩んだ末に選んだ料理を前に、咲は目を輝かせている。子ども用に星やハートを模った小さいハンバーグが4つ皿に盛られている。僕は普通サイズのサンドイッチだ。
広美さんの料理が車で咲はお利口に待っている。全員で手を合わせ、すごい勢いで食べている。
咲はよく食べる。ここの優しい味付けが好きだった。もう過去形なのが寂しいような、嬉しいような。今のバイト先と出会ったからの変化だ。
広美さん達はいつも昼食をここで食べているらしい。咲も、これからは昼食をここで食べる。だから弁当の心配もいらないし、好きなモノを選べて咲も嬉しいだろう。量や味も配慮してくれるから安心だ。
昼食が終わるとまた家に戻る。2人はまた遊び、広美さんは家事を始め、僕も教材を広げる。穏やかな各自の時間が流れ、気付いたら5時の町内放送が流れていた。
「広美さん、明日から咲のことをお願いします。」
店長の奥さんに会ったことがなく不安だったが、この人になら咲も安心して任せられる。頼もしい返事ももらい、帰路につく。もう平宮さんは帰っている頃だろう。




