家族
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べータ)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
いつの間にか夕食も作らず眠ってしまったようで、目が覚め時間を確認すると昼過ぎだった。
布団を畳んでいると、リビングから話し声か聞こえる。ひとつはいつの間にか帰ってきた平宮さんのモノだ。もうひとつも聞き覚えがある、けれど当たっていて欲しくない相手だ。
「おはようございます。」
イヤイヤリビングにつながる扉を開くと僕に背を向ける形で客人が座っていた。
「やっほ、慶人くん。遅かったね。」
祖母親の秘書をしている女性だ。秘書に似つかわしくないマイベースで脳天気な言動は、今でも変わっていない。
「おはようございます、小春さん。」
向かいの席に座ると、平宮さんが昼食を並べてくれる。申し訳なさそうな表情でこちらの様子を伺っているが、むしろ謝りたいのは僕の方だ。油断していた、訳ではないがまさか家にまで押しかけてくるとは思わなかった。しかも小春さんを選ぶとは、思っていなかった。
僕が一緒に住もうなどと提案していなければ巻き込まなかったのに、そう考えるとあの提案は失敗だった。
「彼氏?よかったね。」
小春さんの発言に正面を向く。僕の真剣な気持ちとは裏腹に、小春さんは変わらず笑顔だ。顔を合わせるのは10年ぶりくらいだ。今更なにか感じることでもあるのだろうか。
「何の用ですか。」
できるだけ無愛想に尋ねるが、効果はない。
「社長が帰ってきて欲しいんだって。今日中に。」
その内容はかなり重いモノなのに、小春さんの口ぶりは軽い。彼女も僕の事情は知っているはずだ。実際僕をのけ者にしていた1人だ。こうやって顔を合わせるのは久しぶりだが、家を出る直前の日も僕は彼女が離れの前の庭で歩く姿を見た。それなのに、なぜそんな軽い口調でその言葉を発することができるのだろう。
「それは、絶対ですか。」
分かりきっている質問だが投げかけずにはいられない。
「うん、絶対連れてこいって言われたから、素直についてきて欲しいかな。」
表情はさっきと変わらないが、雰囲気が変わった。小春さんは空手の有段者だ。社長秘書という肩書きだが、実際はボディーガード的な側面が強い。そんな彼女から逃げられるとは元から思っていない。
素直に返事を返して平宮さんの作った昼食を食べて家を出る。
実家までは車で3時間。
一緒に来た平宮さんも静かで、小春さんだけが喋っている。外の景色を見て時間をやり過ごす。
社長、は確か去年叔父に変わった。だが、叔父と僕に接点はない。実際に用事があるのは前社長の祖母だろう。今更何の用か。考えても分からない。あの家でまた社員として働いて欲しいなんて要望ではないはずだ。アルファである僕を無視し続けた実家だが、そもそも他の人たちに対しても放任主義な性質だ。2度と実家に顔を出さなければ、アルファと結婚しても許される。それでも実家に集っているのは、オメガにとってはそこが1番居心地のよい場所だからだ。そんなあの集団が、今更僕に何の用で。
そんなことを考えている間に、車は見慣れた小道を走り始める。数えるほどしか通らなかった学校への小道、何度も通った図書館へ続く大通り。懐かしいモノも、思い出したくないモノも、様々なモノを窓に映しながら車は屋敷に向かう。
「到着。いつもの場所で社長が待ってるからよろしくね。」
僕たちが降りたことを確認して車が走り去る。
「デカいな。」
平宮さんが絞り出すようにそう呟く。緊張でこわばる体を動かして門を潜る平宮さんを眺め、歩き始める。かなり昔に建てられた日本屋敷。その正面にある門を潜り、廊下を歩く。
子どもたちのはしゃぐ声が遠くで聞こえる。
「お待ちしておりました慶人様。」
『いつもの場所』の入り口で僕は中に案内される。平宮さんは別の場所に移動だ。
「どうぞ、お入りください。」
障子が開けられ、全員の視線がこちらに向く。
下を向きそうになり、気持ちを奮い起こす。見知った顔ばかり並んでいる。叔父、伯母、祖父、従兄弟、再従兄弟。その目はどれも不快そうにこちらを向いている。なぜお前が、という視線がいたい。
「遅かったな。慶人。」
上座に座っている祖母が立ち上がる。その後に続いて母親と父が立ち上がり僕の方に、正確には入り口に向かって歩いてくる。席にいる他の人に声をかけ、僕と4人は退室した。
「・・・」
移動場所も分からず祖母について歩く。祖母は母親と楽しそうに喋っている。その後ろに父もいるが、こちらはずっと黙っている。
屋敷を出て隣に立っている建物に入る。こちらは仕事用の建物だ。1番入り口に近い部屋で、入って直ぐに話は始まる。
「慶人。あなた、ここに呼ばれた理由が分かる。」
話すのは母親親だ。
「・・・」
分かるわけもなく黙っていると、不快そうに続ける。
「返事くらいしなさいよ。慶人、私あなたの後にもう1人子どもができたの。」
妹よ、良かったわね。と、どうだっていいという口調で続ける。早く終わらせて席に戻りたい、という気持ちを隠しもしない。
「その子がアルファだから、あなた連れて帰って、よろしくね。」
ひどく残酷なその事実を、大したことのない事実として扱う母親は今も変わっていない。この人にとってはそうなのだろう。オメガでなければ意味がない。
「書類とか色々は帰りに渡されるだろうから。それじゃ。」
それでお終いとばかりに母親は立ち上がる。祖母と父親は始めから立ったままだ。
彼らにとってもこの用事はどの程度の内容なのだろう。座って話すほど長い説明がいらない、直ぐに終わる用事。実際、この部屋に入ってから1分も経っていない。
そんな彼女たちと入れ違いに、平宮さんが入ってくる。平宮さんと小さな女の子、そして案内役が1人。
「・・・大丈夫か。」
しばらくして平宮さんが口を開く。女の子は空気を読んでか静かだ。
「はい。」
そう答えるのがやっとだ。
悔しい。
期待していたわけではない。期待なんてしたことない。けれど、なにか変わっているのではと思った。なのに、現実はもっと酷い。
案内役と手を繋ぎ、キョロキョロと周りをみ渡している小さな女の子に目を向ける。
まだ幼い。あの時の、ひとりぐらしを始めたばかりの僕と同じ年頃だ。
忙しなく動く目は、好奇心で満ちている。聞きたいことがたくさんあって今にも動き出しそうな口を、必死に押さえている。
「こんにちは。」
話が正しければ、僕の妹らしい。妹。僕に懲りずにあの母親親が作った失敗作。
僕がここにまだ居た頃に生まれたはずの、存在を知らされることすらなかった妹は嬉しそうに挨拶をする。この家で最初に教えられるのが挨拶だ。初めて会った人でも、どんな人でも、とにかく目が合ったら挨拶をする。僕もそうして育った。
「こんにちは。」
そう答えて心が痛む。
「ねぇ、ねぇ、名前はなに?」
返事が貰えて嬉しそうに笑う。喋って大丈夫な人、そう判断したようで好奇心旺盛に口は動き始める。
「僕は、その。」
どこまで答えるべきなのか。思わず視線が向くのは案内役の方だ。
助けを求めても表情は変わらない。この家に、もうこの子の場所はないのだ。
「僕は、向野慶人。君のお兄ちゃんで、今までは独り暮ししてたから会えなかったんだ。初めまして。」
昔、小さい従兄弟と話すときどうしていただろうか。自分とそれほど年も離れていないのに、少し自分がお兄ちゃんで嬉しかった。僕が教えてあげるんだと、いつも張り切っていた。
「けいとお兄ちゃん。はじめまして。わたし、咲。よろしくね。」
咲、この家の誰かにつけてもらったその名前を大切そうに口にする。
元気に話し始めるこの子と僕を平宮さんがずっと、心配そうに見ている。
「それで、あのね。」
話を遮り、こちらに注意を引く。素直にこちらを見て、僕の話を待っている。
「君には、これから僕の家で暮らして欲しいんだ。」
できるだけ軽い口調で、女の子に、というより平宮さんに向けて伝える。
「大丈夫?」
素直に言うことを聞いてほしいと願い待つ。帰ってきたのは無邪気な笑顔だった。理由も話していないのに、元気に頷いている。
一安心、してよいのだろうか。
「慶人。」
心配そうにこちらを見る平宮さんに目だけで謝る。さすがに、話さないと、いけない。
話がまとまったことを確認して案内役は動き始める。少し遠回りして荷物を取り、来たときと同じ門に着く。小春さんが待っていた。
平宮さんは女の子のために扉を開ける。
「慶人様。」
反対の扉に向かおうとする僕に、声が掛かる。
平宮さんが心配そうに振り返り、車に乗り込む。
扉が閉まり、外にいるのは僕と彼だけになった。
「お久しぶりです。」
どう、言葉をかければ良いか分からない。彼は最後に会った日から大きく変わった。あんなに大好きだった笑顔は無表情な仮面で塗り固められている。あんなに大好きだった、優しかった声に、今は感情がこもっていない。
会ったら、話したいことは色々あったのに。伝えたいこと、教えたいこと、色々あるはずなのに言葉が出ない。なんのために呼び止めたのかも、分からない。
「あの。」
それから後の言葉が続かない。彼も何も話さない。
「引き留めてしまい申し訳ございません。」
長い、長い沈黙の後、彼は諦めたようにそう口にする。結局一言も交わさぬままだ。
「体にはお気をつけください。」
事務的にそう口にして深くお辞儀をする。もう、帰らないといけない。
「はい。」
車に乗らないと、と分かっていても体が動かない。そんな僕に彼は顔を上げる。
「い、いつきさん。」
やっと、そう捻り出す。それ以上何も言えない。小春さんに呼ばれて慌てて車に乗り込む。もう彼は屋敷に戻ってしまっていた。
だんだんと屋敷が遠くなり、来た道を通って僕の家へと戻ってゆく。
小春さんと女の子は賑やかにお喋りしているが、僕はそんな気持ちにはなれない。
さっきのことが頭から離れない。一瞬、顔を上げた瞬間に見えた彼の表情は、泣きそうな、不安そうな、困ったような表情だった。すぐに無感情になったけれど、その一瞬が永遠に僕の胸に残っている。




