傷跡
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
事件から3日後に従業員全員に古寺さんの退職が伝えられた。公には私用でということになり、その本当の理由を知っているのは工場長など上の人と僕たち2人だけだ。
白崎さんが調べてくれた以外にも色々としていたらしい古寺さんに対する不快感は、積もる一方だった。もっとちゃんと謝って欲しかったのに、まともに会話をすることもなく古寺さんは去ってしまった。母親に連れられて実家へと帰たらしい。
平宮さんのお人好し加減も呆れたもので、両親の離婚など色々と不安定な部分もある古寺さんの経歴を聞いて心配していた。自分のことより他人のことに目を向けるその優しさは彼の魅力だが、もう少し自分のことを見て欲しいと思ってしまう。僕の言えたことではないかもしれないけれど。
そんな平宮さんに対して積もってしまった小さな怒りが胸の中にくすぶったまま日々は過ぎていく。
すれ違うだけの1週間が過ぎ、土日を訪れた。もう古寺さんが僕らの昼食を邪魔すること、会話に入ってくることはない。それなのに少しギクシャクしてしまう自分が情けない。
いつものように挨拶をして作業服に着替える。まだ暑さの残る季節にも関わらず長袖を着ている平宮さんだが、さすがに仕事中は脱がないといけない。
薄手の長袖Tシャツの下から僅かに見える包帯に、罪悪感が募る。事件の翌日、律儀に学校へ向かったらしい平宮さんのことを園崎さんが教えてくれた。
あの日僕が平宮さんに何をしたか、平宮さんは全くもって教えてくれなかった。想像するしか出来ず怪我をさせていまいかと不安だったが、その心配は的を射ていた。
僕の悪癖は自分がよく分かっている。
僕は小さい頃からラットになったとき、物を噛む癖があった。項を噛まないための、理性を欠いた僕なりの自分の守り方だったそれは、時に歯形がつくほどの強さで、そんな癖が直ったとは思っていなかったけれどそんな事はしないと勝手に思い込んでいた。平宮さんはそういう人なのに、なんで気づけなかったのだろう。平宮さんがそれを隠すのは考えてみれば当然のことなのに。
そう思うと平宮さんを傷つけてしまった罪悪感と、それを教えてくれなかった平宮さんへの怒りとで頭の中が混乱して上手く平宮さんと話せなかった。
それなのに、
それなのに、平宮さんはいつも通り。無理しているとかそういう風でもなくいつも通りだ。
園崎さんから聞く平宮さんの近況は、時に僕でも頭が痛くなる脳天気な行動ばかりでそんな悩みも薄れてしまう。
古寺さんは高校の頃、平宮さんの『番』を名乗り家の中に這入ったこともあった。それなのにそんな場所からの引っ越しを彼を渋っているらしい。大学に進学するときにも2人は引っ越しを提案したらしいが、頑として受け入れなかったらしい。人を信じていないようで信じ切っている彼が彼らしくていつの間にか怒りも消えて、残ったのは風船のように気の抜けた脱力感だった。
平宮さんは気付かぬうちに僕の傷を、不安を癒やしてしまっていた。それほどに、彼はお人好しで優しいのだ。




