あのね、トーマス
作中の内容は特定のジャンル、作品を批判するものではありません
「あのね、トーマス。ちょっと聞いてくれる?」
「もちろんいいよ、エイファ」
僕の可愛い婚約者のエイファは愛くるしく小首を傾げながら僕に言った。幼い頃からの僕たちの慣れ親しんだやり取りだった。
「私ね、最近学園で流行っている小説を紹介してもらっていくつか読んだの――」
――その小説ではね、婚約関係を結んだ男女が出てくるの。二人は幼い頃からの関係で大人になったら結婚するのよ。まるで私たちみたいじゃない?
だから私はこの二人がどんな風に幸せになるのかを楽しみに読んでいたの。だけどね、読み進めているうちにどんどん旗色が悪くなっていったわ。
彼らも私たちみたいに貴族学院に通っているのだけど、ある日突然可愛らしい令嬢が転入してきて嵐のように二人の関係が壊れちゃうの!
私は自分の目を疑ったわ、そんなまさかって。
彼は破天荒で天真爛漫な転入生に恋をしてどんどん盲目になっていったわ。長年の婚約者である彼女の言葉も耳に入らないくらいに。
そんな彼女の忠告はだんだん彼にとっては耳障りな雑音へと変わってしまうの。
婚約者を邪魔に思い始めた彼は、生徒が集まる卒業パーティで彼女に婚約破棄を言いつけるのよ。それも大勢の人がいるパーティ会場のど真ん中で。あまりにも婚約者に対して礼儀を失っているとは思わない?
如何に恋に溺れて盲目になってしまったからって無闇に人を傷つけていいわけが無いわ。しかも自分が悪いのに彼女に責があるかのように振舞ってるのよ。
百歩譲って別れることになるとしてもそれはお互いの両親を交えた第三者のいない場所でひっそりと行われなければならなかったはずなのにそんな当たり前のことすらされなかった。彼女はそれ以上の醜聞を恐れてろくに言い返せもしないまま、婚約継続は不可能だと両親に告げてひとり領地へ帰るのよ。
時を重ねて築いた婚約者との関係は傍若無人な『初恋』に壊されてしまうの。可哀想に、彼女だって彼が初恋だったのにね。
最終的に彼女の方は領地で出会った新しい人と上手くいくんだけど、転入生を好きになっちゃった彼の方は婚約者に理不尽な事を言いつけて無理やり婚約破棄したせいで凋落しちゃうのよ……。
まあ、当然よね、貴族としても、ひとりの男性としてもまったく誠意のない対応をしたのだもの。よりにもよって一番親密で信頼関係のあるはずの婚約者に対してそんなことをしたのだから、そんな人は今後一切信用なんてできないし、周りが同じように思うのも当然のことよ。
私はただあのカップルが幸せになるところを見たかったのにそれは幼少期にしか存在しなかった。
確かに長い付き合いがあると関係は変わってしまうこともあると思う。でもあんな終わりになるなんて……、すごくショックだった。
ああ、人間関係の終わりはどんなものだって切なくなるわ。
それでしんみりしちゃった私は次に『番もの』って言うの読んだの。番、ってトーマスは聞いたことがあるかしら。
知らない? じゃあ簡単に説明するとね『運命によって定められた恋人』のことを『番』って言うのだって。
私もね、その時初めて知ったわ。ふふ。運命によって定められた恋人なんてロマンチックじゃなくて?
私の運命の恋人は、きっとあなたよトーマス。……、へへ、なんちゃって。
こほん、ええっと、話を戻すと、そのお話はある日偶然『運命の恋人』に出会ってしまったカップルが主人公なのだけど……。
ふつう、そうしたら運命の片割れがヒロインだと思うじゃない? ええ、そうよトーマス。流石私の運命の恋人ね、違うのよ。そうじゃなかったの。
主人公は自分の番に出会ってしまった男の恋人だったの。
もうそんなの詐欺じゃない?! 主人公は絶対に彼とは結ばれないのよ! だってお話のテーマが『番』なのだもの!
横恋慕しているのは本当だったら番とかいう相手の方なのにどうして彼女がそんな目に遭わなくてはいけないの? 彼女が何をしたって言うのよ。
……ふぅ、ごめんなさい、お茶を飲んだら少し落ち着いたわ。ええ、いつもありがとうトーマス。
それでね、その彼女は結局絶対的な強制権を持った番っていう概念のせいもあって彼と別れることになるんだけど、彼と一緒に暮らしてた家を無一文で追い出されて、仕事も番の女の子に取られて、苦労して苦労してやっと得られた安寧の地でひとり、生活を始めるの。
そうしたらそこに彼女を手酷く捨てた張本人が現れるのよ!
『やっぱり番は君だった!』なんて言ってね! ありえないわ。
運命の恋人は本能的に分かるのだそうだけれど、彼はその本能を性欲と読み違えたのだって。
つまりね、彼は主人公の彼女への思いは性欲で、一目惚れして番だと思った子を本命だと思っていたのだけど、本来その番本能っていうのは子孫繁栄のためで性欲の方が正しい感覚だから性欲を感じた主人公の方が本命で、番だと思った相手は勘違いだったと言うのよ。
なんて破廉恥で恥知らずな世界なのかしらって読んでいて思ったわ。
大体一目惚れを勘違いだなんてありえるのかしら!?
どう考えても浮気した男のつまらない言い訳にしか聞こえなかったわ。
……え、トーマスもあの本を読むの? ああ、大人に渡すのね、確かにちょっと過激な描写もあったわ。
私も生物学の勉強をしていなかったら顔が真っ赤になっていたところよ。これは人と動物の違いを学ぶためと言い聞かせながら読んだから気分は学術書よ。中身は低俗なゴシップ誌のようだったけれどね。
でも私が一番がっかりしたのはそこじゃないの。彼女はその最低な元恋人をキッパリと跳ね除けて別れるのだけど、彼女の待つ家には彼女の『番』を名乗る男がいて、ハッピーエンドで終わるの。
ええ、“ハッピーエンド”って言ったの。
彼女は作中でずっと番というシステムに傷つけられて尊厳をも奪われたのに、結局彼女も番システムの中で幸せになるのよ。
意味がわからなかったわ。彼女は何のために抗ったのかしら。新しい番が前の恋人よりも身分の高い金持ちの色男だったから受け入れたのかしら。
そもそも元恋人が番なら、主人公にとっても元恋人が番のはずなのにどうして別の男がいるのやら……、作中では力の強いオスは番を塗り替えることができるとあったけど、じゃあ運命の恋人ってなんなのかしらね。って考えてしまって私、少し落ち込んだの。
ねえ、トーマス。あなただったらどうする?
あなたが元恋人の立場だったら、どうしてた?
……うん、私が相手なら、例え私とは別に『運命の恋人』が現れたとしても興味が無い……。もし、本能に負けそうになったとしても私と協力して乗り越えていく……。
そうよね、トーマス。これはあなただけの問題じゃないものね。私もあなたと精一杯力を合わせて頑張るわ。だって私たちは互いを思いやることを前提とした関係なんだもの。
次? そうね、次に読んだのは、そう、もう結婚したカップルの話よ。だって二人はもうある種物語の結末を迎えているのだもの。きっと幸せな話に違いないと、ワクワクしながらページを開いたわ。
そしたらね、冒頭こう始まるの。
『君を愛することは無い』ってね。
私、半泣きになったわ。
どうしてよ! だっていくら政略結婚だったとしてももう夫婦になったのよ。いわば運命共同体。恋人同士のように甘く淡い関係とは違う円熟した時の重みを感じるような関係がこれから始まるはずなのに、どうして初手から伴侶に対して落とし穴へ背中から蹴落とすようなことが出来るの!?
理解できなくて、私はその本を二、三日読み進めることが出来なかったわ。でもそんなことを言われた女性が気になって、胸を押さえながらページをめくったの。
……正直、めくらなければよかったと思わないこともないわ。
そうよ、彼女は結婚して幸せの絶頂にいるような花嫁じゃなかったの。元々理不尽な迫害を受けていた令嬢がお金目的の両親によって身売り同然で結婚させられるのよ。相手は裕福な伯爵家で、その若き当主と結婚するの。
ここだけ聞くとまるで御伽噺のようなあらすじに見えるでしょう? でも現実は違った。伯爵にとって彼女は面倒事の矢面に立たせるためのお飾りの妻だったの。
伯爵には長いこと市井に平民の恋人がいてね、彼女とは身分の差で結婚できないから、代わりに別の女と結婚して、その人を身代わりにする算段だったの。
彼女は元々到底幸せになれる見込みのない結婚をしたのよ。新婚早々、物置小屋に押し込められて、夫に大事にされないと使用人に嘲笑われ、無理やり行かされた社交界ではドレスも仕立てさせて貰えずに質素なワンピースで衆目の元に晒されて、帰ってくれば『恥さらし!』と夫に背中を蹴り立てられる。
悲惨すぎて目も当てられなかった……。でもどうにか彼女に幸せになって貰いたくて読み進めると突然夫の本家筋の公爵が現れるのよ。そうして彼女は真実御伽噺のような幸せを手に入れるの。
夫とは離縁して、彼女は自分を愛してくれる新しい夫と結ばれる。元夫になった男は没落して行方知らずになったと後からわかるわ。それは新しく夫になった男の仕業だと彼女は知らないまま真綿に包まれるように幸福に浸るのよ。
……私、そんなに浮かない顔をしている?
そうね、そうかもしれない。結局彼女は自分の幸せを自分で手に入れることは出来なかった。家族に振り向いてもらうことも、夫をやり込めることもないまま、浮草のように現れた男に攫われるようにして結婚した。
それって本当に幸せなのかしら。
彼女がまだ実家にいる頃、ひもじい思いをしていた彼女はこっそり庭に自分用の畑を作っていたのだけど、その時に採れた野菜を見て幸せそうに笑う描写があるのよ。
そのことから彼女は不幸の中でもささやかな幸せを自分で見つけることができる人だってわかったわ。
でも彼女は自分の見つけたささやかな幸せではなく、他人が彼女にとって幸せだと思うものを与えられて、それを幸せだと思う生活を迎えることになった。
果たしてそれは本当に彼女は幸せなのかしら。
……そんなことを思ってしまったのよ。彼女にとっては余計なお世話、だろうけれどね。
え、私? もちろん幸せよ。貴方がいればどんな不幸の時だってきっと幸せだわ。
いつかもし、貴方が先にいなくなったとしても貴方と築いた時間が私を守り幸せにしてくれるのよ。その時はきっとものすごく寂しいと感じるでしょうけどね。
――はぁ、どうして私が読んだお話の彼女たちは理不尽な目にあっても、結果的には幸せになったはずなのに、心がモヤモヤするのかしら。
「……ありがとう、トーマス。私の取り留めのない話を聞いてくれて。言葉にしたら少しスッキリしたわ」
「当然じゃないか。君の話は何を置いても一番に聞いてあげるよ。それが僕に与えられた素晴らしい権利だからね。ところで君に本を紹介した人を教えてくれるかい?」
僕はエイファの話を聞いてるうちに気になったことを彼女に聞いた。
「ええ、構わないわ。けど、どうして?」
「ちょっと、尋ねたいことが出来たのさ」
「そうなの? わかったわ」
やけに内容が偏った作品を紹介した人間に悪意があったのか、なかったのか、問題はそこにある。
僕たちは対外的にも事実としても円満な仲のいい婚約者同士である。そこを妬み、理不尽に恨みを持つものもいないとは言えない。
勤勉で読書家、そして素直な性質の彼女をわざと悲しませるようなことがあれば僕はその悪意から彼女を守らなければならない。
「あのね、トーマス」
エイファにはいつもそう言って僕の隣で笑っていて欲しいから。
普段なろう読んでいてあまりに可哀想な立ち位置のヒロインが多いなと思いついこんな話を書いてしまいました。
作中の作品はすべて架空のものです。類似した作品があったとしても全く関係ありません。
ご不快に思われた方がいたら申し訳ありません。
なんも考えず読んだら幸せな気持ちになれるような作品を読みたい。書くとは言ってない。
お読みくださりありがとうございました!