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幻想剣客史譚  作者: りょん
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第一巻 回天編 三章 烈火

      三章 烈火


 ディクルベルクの夜空にはちらちらと綿雪を降らせる薄い雲が流れており、その一方で、地上には星と見紛うばかりの篝火が焚かれているばかりで、家屋の灯は尽く消えていた。

「これが堀だというのか」

 まだ大人になりきれていない、女性の声が凛々と夜空に響いた。

「ただの用水路ではないのか?」

「いやあ」と応じたのは呑気な男の声であった。ぼさぼさの頭を片手で掻いて、愛嬌のある笑みを浮かべながらいう。「ものは使い様、ということですかね」

「使い様といっても、馬で飛び越えられる幅しかないし、岸の向こうは同じ高さだ。なにより敷かれているのが町の西側だぞ。東方におわす皇帝陛下の脅威になるとは思えない」

「では帝都にはそのように報告しましょうか」

「いや、待て」と女の方が眉をひそめる。「命令には従う。それが軍人というものだ」

 帝国領最西端の港湾都市ヴェンセントに駐屯する第十六旅団に勅書があった。つまり、皇帝陛下からの指令である。アントワーヌに大規模な土木工事があり、それがアントワーヌ邸の防御を助長している可能性がある、帝国の脅威となり得る、とのことであったが……。

「わたしにはそうは見ない」

「団長殿」と穏やかにたしなめられる。

「ん、わかっている。口が過ぎた」

 彼女にどう見えているかは問題ではない。エドワード帝が叩けというのであれば、直属の中央軍に選択肢はない。今回の指令はアントワーヌ一族の身柄確保と屋敷の掌握。その手段は問わず。しろといわれれば例え相手が無実であれなんであれ、関係ない。アントワーヌが勅書を無視したから二千の軍勢をもって包囲させているし、それに反発した市民が公民館や製材所など、大きな施設に拠って抵抗を試みているから制圧作戦も実行させている。多くの血が流れているだろう。いまさら戯言を並べてなどいられない。

「アルフレッド副長」と男の方へ向き直る。「町の様子はどうなっている?」

「街中の反乱分子はほぼ制圧が完了しております。公民館、教会、製材所、攻略は時間の問題でしょう。夜明けまでには陥落させます」

「よし。反乱拠点を一掃したのち、再度降伏勧告を送って一日待つ。兵は休息させておけ。攻撃を仕掛けるのはその後だ。それまでは屋敷の包囲部隊を早まらせるな」

「かしこまりました」

 アルフレッドは辞儀を一つ、数騎の騎馬を引き連れていった。

 彼女は堀沿いに馬を歩かせた。ヘリオスフィアを取り出して白く発光させると宙に転がした。石は人差し指の先で滞空し、わずかに辺りを照らし出す。

 黒い胸甲の上に乳色の毛皮を羽織り、同色のフードをかぶった顔の肌は毛皮よりもなお白い。わずかに紅潮した頬をかたくして、彼女は馬から綺麗に降りた。川端にしゃがみ、その小造の顔を水面に近づけ、つり目がちの青い瞳を凝らしていた。

「川底まで見える、美しい川だ。領民のために引いたものだろう」

 残った三騎はなにもいわない。皇帝にも、直属の上司にも配慮しているのだろう。

 この美しい女性は、フードを脱いで、篝火に浮かぶアントワーヌ邸を見遣った。雪を含んだ風が金色の前髪をなぶって過ぎてゆく。後ろ髪は丸くまとめているから、そういうこともないが。

「陛下はいったいなにを考えておられるのか……」

 後ろ毛を気にしてみたが、やはり乱れている様子もない。


      〇


 邸内は闇が支配し、滓が凝るような静寂に満ちている。

「奥様」

 ジェシカが片膝を突き、

「敵の数はおよそ二千。対するこちらは正規兵、志願兵含め二百五十五名。包囲側からの返信は投降せよの一点のみ、こちらは一兵に及ぶまで降伏の意志はなく、衝突は必至です」

 トワイライトは憂いを帯びた瞳を伏せ、ジェシカの声を背中で聞いている。

「お気を確かに。冬が過ぎれば帝都へ出た閣下の一個旅団が駆けつけてくださいます。周囲の諸侯にも書状を送りましたから、追って返事が参りましょう。むしろ、兵站も増援も見込めないのはあちらの方です」

 一向反応を見せないトワイライトの背を見、ジェシカは続けた。

「投降しても死あるのみ。同じ死であれば奥様の令の下、戦場で賜ることを望みます」

「邸内の者たちは皆同様なのですね」

「はい、奥様」

 しばらくの沈黙ののち、トワイライトは頷いて、

「わかりました。町に被害が出るのは忍びないですが、徹底的に抗戦しましょう」

「ありがとうございます」とジェシカは頭を垂れ、「皆、喜びましょう」

 ところで、と夫人はジェシカの方を振り返った。

「リリアはどうしています?」

「部屋にこもったままで。ここ三日間はろくに食事も摂らず。よほどこたえているのでしょう」

「まあ、当然でしょうね。あの子が良かれと思ってやったことが原因とされては」

「しかし、あの用水はリリアが民のため、国家のためを思って造ったもので、実際民は潤っております。設計も軍事的威力はなく、奴らの言い分には一理もありません。アントワーヌは正義です」

「そうね。わたしもそう思うけれど」

「やはり逃がしておくべきだったのでは……」

「良いのです。従者の子息より先に逃がすことなどできません。なにもせずにここを出て、例え逃げ延びたとしても、卑怯者の汚名がいずれあの子を殺すでしょう。あの子も、わたしたちも、帝国も、誰もが不幸になる一手です」

「しかし……」

「もしものとき、あの子のすべてはわたしが引き受けます」

「奥様」

「このことは問答無用に。よろしいですね?」

「は、かしこまりました」

 ぽ、ぽ、と涙の零れる音がする。あの子のすべて、の意味をジェシカは察しているはずだ。進退のこと、生死のこと。捕縛されて辱めを受けるよりも、母の手で決着をつける。それもまた貴族の宿命とトワイライトは割り切っている。

 篝火の焚かれた町並み、遠くには喚声が鳴り、その喚声とともに燃えているのは製材所の方であろう。盛大な火の手を夜の空にのばし、ゆらゆらと揺れている。

 こんこんこん、と部屋の扉を叩く音がした。

「失礼いたします」と入室してきたのは、諜報局長のジャフリー卿であった。

「奥様、急ぎお伝えしなければならないことが」

 夫人の前に片膝をついた彼の顔が、ちらりとジェシカの方を向いた。

「ジェシカ。あなたは配置に戻りなさい」

 は、と目尻を拭いながら出て行くジェシカを見送ってから、ジャフリーは口を開いた。

「奥様、天ノ岐殿はこうなることを従前予測されておりました」

「ユウさんが?」

 なにをいっているのかわからなかった。どうやって、この世界に来て日の浅い彼が、この日のことを予測したのか、夫人にはわからない。

「それで、なんとおっしゃっていたのです?」

「天ノ岐殿は、遠征に際して閣下の身に危険が及ぶことも予想されていました。そのため、彼自らも遠征軍に同行し、閣下を助け、中央荒野を渡り、我々と合流する手筈になっております」

「では、本当にもうじき帰っていらっしゃるのですか?」

「なんとも申し上げられません。冬の中央荒野は尋常の地ではありませんので。しかし、天ノ岐殿はアントワーヌの劣勢を見込んで、諜報局の資産を用い、地下道を作っておられました。もしもの時はそれを使ってお逃げください」

「あの子は……」

 ふと、夫人は息を止めて口元を覆う。

「夫は、あの子のことをジョゼの再来ではないかといっていました。そういう器を備えていると」

「まさに、その通りかと存じます。あの方はアントワーヌに残された希望の光となるかもしれません」

「しかし、不幸を背負わせることになります」

 夫人は指を組み合わせ、胸元に抱えた。秘めた思いが天へ届くように。

「あの子たちに、ジョゼの祝福があらんことを」


      〇


 カーテンを閉め切ってなお、地獄の業火のごとき光が窓の縁を四角く切り取って滲んでいた。

 リリアの心を焼き焦がしている。

 第十六旅団がフローデン領内に侵攻を開始してから七日間、事実と信じられない間は戸惑い、彼らが城下に入ってからは涙に暮れる日々を過ごしていた。

 その涙もすでに枯れている。

 リリアは寝室の隅にうずくまって、ただ身動ぎをするだけだった。

 なぜこうなってしまったのか。

 単なる灌漑設備以外のなにものでもなかった。手続きも順当に済ませたはずだった。なぜ帝都は理解してくれなかったのか。

 どこで行き違いがあったのか。どこで誤ってしまったのか。わたしのしたことは間違いだったのか。生きようとしたことが、この過酷な土地で生きようとしたことが間違いだったのか……。

 立てた膝頭に顔を埋め、静寂の中に身を浸す。

 このまま消えてしまいたい。

 そばには開封用の短刀が転がっている。ここ数日、この一振りで、何度命を断とうとしたことか。

 死ねてしまえば楽なのだろう。

 短刀を拾い上げ、立ち上がったリリアはその切っ先を白い喉元に据えた。

 震えている。

 地獄の業火に照らされた刀身の閃きが震えている。

「う、く……」

 まぶたを閉じたそのとき。

 扉が激しい音を立ててぶち破られた。

「リリア嬢」

 リリア嬢、リリア嬢、と声を上げながら、男たちが雪崩れ込んできた。十数人にもなろう、泥だらけの彼らが瞬く間に部屋を圧した。

「ロ、ロックスさん?」

「リリア嬢、あんたは一個も間違えちゃいねえ」

 熱く、吠えるようなその声に、リリアの体温がほのかに上がる。

「あんたの造った用水路は絶対におれたちのためだった。おれたちと、この国を生かすための事業だったんだ。それをわけのわからねえいちゃもんつけてきやがって、悩むことはねえぜ。悪党は向こうの方だ。おれたちは命を賭けるぜ」

 数十人の男たちは総身に覇気を滾らせて頷いた。

「いっただろう、あんたがおれたちのところに用水路建設の仕事を持ちこんだあの日。あんたに命を賭けるって。帝国でもねえ、アントワーヌでもねえ。リリア嬢、おれたちはあんたに命を賭けたんだ。あんたの行く道を共にして、その道を造るために、おれたちは命を賭ける」

 ロックスの頬を伝って流れる涙が赤光にきらめく。声が震え、その震えを吹き飛ばすように、だから、と叫んでいた。

「だから生きてくれ。あんたが死ねばおれたちも死ぬ。おれたちのために生きてくれ」

 その熱が感染している。リリアの中に。身の内に熱が灯り、炎のように燃え上がる。全身を震わせて、目頭からは涙をこぼし、顔まで歪んでしまう。リリアは総毛立つのを感じて、顔を覆った。枯れたと思った涙が溢れてくる。

 わたしは間違っていない。

 短刀を振りかぶり、ど、と音を立てて壁に突き立てた。

「行きましょう」

 進むリリアの道を造るように、男たちは左右に別れてゆく。廊下には町民、兵士入り混じって、さらに数十人の人数がおり、彼らも道を拓いてゆく。リリアのあとを、従うように続いてくる。階段を上り、屋上へ。そこの守備に立つ兵らもリリアに道を譲り、ディクルベルクの景色を一望させた。

 三角屋根の連なる、葉脈のように広がる街は変わらずここにある。揺らめく白雪と炎の中に映えて天地のなによりも美しいと思えるこの街が。

 生きようとしたわたしの意志は、間違っていない。

 総身を開いて大きく吸い込んだ冷たい空気に、頭の中のもやは消し飛んだ。魂の炎が胸の内で燃え上がっている。

「篝火をこちらへ」

 我先にと掲げられた数十本の篝火が、アントワーヌ邸の屋上の一点に密集し、夜空を焼くとともにリリアの姿を浮かび上がらせた。

 はるか下、豆粒より小さく見える人々がざわめき始めた。リリアはそれを受けたように前に進み出て、

「わたしの名はリリア・アントワーヌ。ジョゼの名に誓い、我々は恥じ入るような真似はしていません」

 と高らかにいった。

「この極北の大地で生きようとしない者は生きることができない。そのことは皆さん、帝国の民であれば、身に染みてご存知のことと思います。冬を越える糧を得る。領民たちに少しでも食べ物を与えたい、豊かに暮らしてほしい。この水路は遠く未来まで、わたしたちの子らを栄えさせる糧だと、わたしは疑いません。もし、皇帝陛下がこの水路を潰せとおっしゃるのなら、わたしは断じて拒否します。わたしには民を生かす義務、彼らの未来を保証する義務があり、最善を尽くす責任があります。例えこの命が尽きようと、わたしはこの土地に生きる人々のために身を燃やす責務があるのです」

 おお、と歓声とともに鳴った拍手が、リリアのかざした片手の前に鎮まってゆく。

「わたしが守りたいのはあなた方、中央軍の人々も同じです。同じ、帝国の民を守りたい。人の血が流れることを望みません。どうか、武装を解除し、話し合いを」

 大気の凍り弾ける音と、薪の爆ぜる音が細かく響く。息の詰まる寒気の中で、女性の声が響き渡った。

「帝国中央軍第十六旅団長、カレンと申します」と、凛としたよく通る声がいう。「良い演説でございました。しかし、我々にも我々の責務がある。皇帝陛下はフローデン領の各砦と領主邸を接収せよとの仰せであられる。わたしも部下と民を傷つけるのは本意ではありません。貴公らから屋敷を出、我々の指示に従っていただきたい」

「この国が、生きている命の国だと信じています」

 とリリアはいう。

「生きるための努力、世を善くしようとする努力の否定は民の自由の否定です。わたしは皇帝陛下のお声を聴いたことがありません。直筆の手紙も、あなた方から頂いたものしか拝見したことがありません。陛下がアントワーヌを訪れたという話も聞いたことがありません。自らの目で見、聞き、話すこともなかった人の書いた紙一枚を絶対のものと信じ、民を粛清するならば、その国に自由はなく、人の意志もなく、すべての命は物質としてなければなりません。わたしは帝国がそんな国家であるとは思いたくありません」

「わたしは軍人です。軍人である以上、政治は語りません。貴公がおっしゃることが正しいのかどうか、わたしは判断する立場にありません。政治は帝都で語っていただきたい」

 眉をひそめたリリアは身を引き、一同を振り返った。

「投降します」

 ざわめきが屋上からこぼれるほど広がってゆく。

「リリア嬢、早まっちゃいけねえよ」

「このままでは戦いになります。みなさんを犠牲にするわけにはいきません。彼女のいうとおり、政治のことは政治の場で決着をつけるべきです」

「しかし」といったものの、ロックスは続けられなかった。頭を掻き、周囲を見やっているが、誰も一言も抗弁しない。

「それではみなさんもそのように。わたしは下に降りて、もう一度彼女と話してきます」

「いやいや、やっぱり信用ならねえって」とロックスは激しく頭を掻いた。「なんていうのかな、あいつらのやり方よくねえだろ。力にものをいわせるっていうかよ、大将じゃねえから、うまく言葉は出てこねえけど」

「大将?」とリリアは眉を上げた。「ユウさんですか?」

「そうそう、そうだった」と膝を打った。「大将の奴、そろそろ戻ってくる予定なんだ」

「ユウさんが」と叫んだ声は、ディクルベルク中に響いたことであろう。大陸中、いや、世界中に響き渡ったかもしれない。リリアの感覚ではそうだった。だから耳たぶまで真っ赤にして、口元を覆っている。

 ふ、と誰かが噴き出して、笑い声が屋上を圧した。ディクルベルクを揺らすように広がってゆく。

「な、なにもそんなに笑うことないじゃないですか」

「いやあ、悪い悪い。あまりにアレだったもんで」

「ア、アレってなんですか」

「聞きたい? 本当に?」

「いえ、いいです、聞きたくありません」とそっぽを向いて、「ホントに、ユウさんが戻っていらっしゃるんですか?」

「来るぜ。おれはあいつを信じてる」

 リリアは指を組み合わせ、祈るように額にこすりつけた。

 ユウさんが帰ってくる。

 それだけで胸が湧き立つ。

「おい」と肩を叩かれるまで意識が飛んでいた。「大丈夫かよ、リリア嬢」

「だ、大丈夫です、わたしは取り乱したりなんてしていません」

「どこからどう見ても取り乱してたけどな」

「ロックスさんたら、ご冗談を」髪先を指に絡めて遊んでみせる。「わたしはいついかなる時も淑女です」

「それで、その淑女さまは投降するのかよ?」

 どうよ、と窺ってくるロックスの様子を目の端に留めるだけにして、リリアは一考した。したフリをした。

「わかりました。ユウさんが戻ってくるまで、時間を稼ぎましょう」


 空を震わせるような笑声が響いているのは、アントワーヌ邸の屋上らしい。

「何事だ?」とアルフレッドに問うてみた。が、彼も合点の行かないような顔をしていた。

「わかりませんが、敵の士気が上がったようです」

「ゆうさんが、という声が聞こえたが」

「確かに、そのように叫んでいましたが、どういう意味かわかりません。ただ敵に投降の気配はなく、交戦は必死です。万全を期す必要がありましょう」

「そうだな。従前通りだ。各拠点を陥落させた部隊は合流させろ。包囲部隊には防御陣地の構築を。明日は兵を休ませながら、最後通告を行い、敵の様子を窺う。交戦は明後日、夜明けとともに仕掛ける。よいか?」

「は」と応じた副長は腹に片腕をやりながら、頭を下げていた。

 夜闇は刻一刻と深まってゆく。


      〇


 天空には月が灯り、荒野は銀光に染まっている。

 天地の間には寒風と騎馬の姿だけがある。

 蹄の音がやたらとうるさい夜。

 さ、と黒い軌跡が、墨を刷いたように鮮やかに走った。

 交錯した騎馬の一騎が騎乗者の腕を空に飛ばして、馬体ごと倒れ伏した。

 ヴォルグリッドの下へ、弓矢の二、三本が飛来する。黒剣は難なくその矢じりを叩き伏せ、西へ、あぶみを踏み込んだ。前方からさらに一騎、剣を抜き放って向かってくる騎馬がある。

「お覚悟っ!」

 鈍色の一閃が引かれるより早く、馬の首から血飛沫が発した。ぐら、と蹄の膝が崩れ、態勢を崩した騎乗者の喉元を黒剣が串刺しにする。刃を引き抜くと死体は荒野の上を転がって、猛烈な速さで後方に過ぎ去っていった。ただ、敵の剣だけはヴォルグリッドが奪っていた。

 後方に逸していたアントワーヌ弓兵、二人が馬を回して追随してくる。弓に矢をつがえ、きりきりと引き絞っていた。

 いまにも放たれようとしたその瞬間。

 ヴォルグリッドの馬首が突如反転し、片腕が轟音を立てて振り抜かれた。

 騎士剣の一本が回転しながら宙を飛び、馬首に突き当たる。倒れた一頭に主は下敷きになり、しかし、残った一騎は弓を放つ。

 矢羽根が空を切る音と蹄の和音。

 ヴォルグリッドは首を傾げただけで矢じりを躱し、黒剣を両手に、敵を唐竹割に馬ごと斬り倒して、自らの馬首は西へ。

 土煙を上げながら駆けている。


「天ノ岐殿」と後方から駆けてくる騎馬が三騎、ある。「ここでお別れをいわせていただきます」

「そうか」とだけで頷いたユウは西から目を逸らさない。離れてゆく三騎も目で追わず、その余韻も振り切って西へ駆けている。

 すでに九日を過ぎ、十日目、限界の速度で駆け通している。

 ある者は寒さで、ある者は疲労で、ある者は馬の故障で倒れ、自ら志願して後方の足止めに向かう者もいる。一人、二人と駆け去ってゆく。

「一本の、柱として生きる道を歩むことに……」

 耳元で聞こえた声は己の声か、幻聴なのか。ともかく駆けている。月明かりの荒野の中を。頬に張り付いた氷もかなぐり捨てて駆けている。

 マフラーを下げて、内奥に溜まった熱を吐き出した。白く凝って後方の彼方へ流れてゆく。


      〇


 アントワーヌは最後通告を蹴った。

 その翌日、きれいな朝焼けが東方を染めたころ、帝国中央軍第十六旅団の総攻撃が始まった。

 アントワーヌ邸は氷河地形の高まりの上にある。その傾斜はほとんど崖といってよく、登るには手を使っても険しいものであった。その上、上方からはアントワーヌ勢が弓矢を射かけ、石を投げ、なにより放水に手こずらされた。極北の厳冬期に濡れた身体で行動するのは命にかかわる。それも、こちらは冷え切った鉄製鎧だ。すぐさま凍りつく。

 第十六旅団は、即席であるが、ディクルベルクの豊富な木材を利用して雲梯を造り、衝車も組み、投石器も小さいながら備えた。投石器は東西からアントワーヌ邸を狙い、攻城櫓は北方から調練場と兵舎の広がる高まりに接近して、弓矢の掃射を仕掛けながら取り付こうと試みる。南は、というと、最大の要衝である。

 南面には唯一、屋敷まで整備された九十九折の道があった。馬車の一台がやっと通れるほどの狭い道だが東西よりよほど傾斜が緩やかで、進軍するのになんの問題もない。攻囲側はここを占領すれば勝てる、と確信した。

 帝国軍の半数はここに集中させている。当然、アントワーヌ方の守備部隊も殺到していて、血で血を洗う激戦が繰り広げられるものと思われていた。が、早暁、攻囲が始まって以来、剣戟も鬨の声もまったく聞こえない。ただ、ざわめきだけがあるのをカレンは訝しんだ。

「どうした、なぜ進まない?」

「いや、それが」と副長のアルフレッドはまったく手入れのしていない髪をがりがりと掻いた。「斜面が凍結しています」

「凍結?」

 報告を受けたカレンは指示所となっていた公民館を飛び出して、アントワーヌ邸南面下に立った。きれいな氷の膜が朝日にきらめている。

「大方、昨夜のうちにアントワーヌ方が散水したのでしょう」とアルフレッドが他人事のようにいう。「アントワーヌは農地改革に力を入れていたようで、スフィアが潤沢に貯蔵されているのだと思います。左右の陣地でも散水攻撃に押され、接近できません」

「なんとか登れないか?」

 取り付こうとした兵が足元を滑らせて、坂道に顔面をしたたかにぶつけていた。

「これを登るには杭と刺付の具足を用意しなければいけませんね」

 現代風にいうと、ピッケルとアイゼンだ。

「我々は山登りに来たわけではない」

 わざわざ杭を打ちながら登っていたら、上から射殺されるのは目に見えている。

「いつか溶けると思うか?」

「春まで待てば、あわよくば」

「冗談をいっている場合ではない」

 彼女には時間がなかった。皇帝が二週間のうちにディクルベルクを落とせと勅書にしたためているし、それだけの時間で落とさなければ、帝国不利と断じた反乱分子が西方で立ち上がらないとも限らない、と彼女自身承知している。そうなれば、援護のない第十六旅団はおしまいである。帝国の根幹自体が揺らぎかねない。

 カレンはすぐさま公民館まで引き返し、数人の仕官を呼び寄せた。

「南面の千人を移す。どこに据えればいいと思う?」

 東西南、いくつかの意見が出たのち、アルフレッドがいう。

「アントワーヌ邸はクロッサス山からのびる長大な台地の上に立地しております。いま、雲梯をもって攻めかけておりますが、芳しくありません。アントワーヌ邸に近すぎるためです。我々はもっと北へ進みましょう。敵方も台上の防備がどこまでも伸ばせるわけではないのです。適当なところで途切れているはずです。本隊はそこから登攀し、南下、アントワーヌ邸北面を突き、雲梯から友軍を引き入れ、アントワーヌ邸に取り付く、というのはいかがでしょう?」

「それで行こう」とカレンは即決してしまった。「攻撃の指揮はわたしが執る。第一から四大隊の指揮権はアルフレッド副長に預ける。好きなようにやってくれ」

「かしこまりました」

 五百人の特に精鋭と呼ばれる第五大隊を駆って、カレンはディクルベルクを北上していった。彼女が台地を登ったころにはすでに日が暮れていた。

「明日だ。明日にはアントワーヌ邸を落とすぞ」

 兵に檄を飛ばして、この日は終わってしまった。


      〇


 翌日、カレンの受け取った報告では南面はもちろん、他三方の戦況も芳しくなかった。

 当然、アントワーヌ側もカレンらが台上に立ったのを知っており、北面の防備を強化しているという。カレンが遠目に見ても、土嚢と木柵を並べた平地がずうっと南まで広がっていた。

「みんな、聞け」と整然とした隊列の先頭に立って、カレンはいう。「我々の受けてきた訓練は貴族軍などとは比較にならないはずだ。そうだろう?」

 おお、と刀槍が掲げられる。

「我々の力を大諸侯の一族に教えてやれ。一揉みのに揉み潰すぞ」

 行け、と号令一つで、五百の歩兵が台地の上を駆けてゆく。土嚢や木柵の影から殺到する防御側の矢じり。攻囲側は前衛に盾兵を敷き、後衛に弓兵を置いて射返し、隙あらば突撃して剣を交える。

 さんざんに撃ち散らすこと半日、中央軍はじりじりと前進していった。アントワーヌ側の防御陣地を奪取しては転用し、さらに撃ち散らしていたときであった。

 とある土嚢の内側で、白刃が閃いた。

「だあああああっ!」

 全身を粟立たせるような気合に、帝国兵の一人が叩き斬られて、その図体が、ど、と前のめりに倒れ伏したのが始まりであった。血に塗れた剣を払い、

「我ら、アントワーヌの戦士ぞ」

 わ、と防御陣地の向こうから数え切れないほどの敵兵が湧き上がってきた。

 彼らの振るう剣の凄まじさは第十六中央軍の生き残りたちによって後世語り継がれている。

 太刀筋に淀みはなく、一本線を引いたように帝国兵を討ち、突き出した切っ先は寸分の狂いもなく鎧の隙間に滑り込み、斬られた一人が倒れるより早く二人目が斬られている、身ごなしは空を舞う雪の如く、斬撃はクロッサス川の波濤の如く。

 彼らはユウの施した地獄の養成課程に耐えた戦士たちであった。ユウはこの決戦を見越して、アントワーヌ邸に残してきていたのだ。

 帝国側は十人、二十人と斬り倒され、さらに倍の数が台上から突き落とされた。

 しかし、帝国中央軍が凄まじかったのは逆襲に遭いながら一兵も逃げ出さなかったことである。一人でも逃げ出していれば、その恐怖は伝染し、総崩れとなっていたことであろう。カレンが精鋭のみを連れてきたこと、精鋭が真に精鋭であったことが帝国という国の歴史にまで幸いした。

「アントワーヌの兵がこれほどとは」とカレンも呟いたものの、自ら白刃を抜き、「我に続け」と先陣を切った。

 アントワーヌ北面の台地上は中央軍の血で真っ赤に染まり、遺体に埋め尽くされたともいう。

 結局、帝国軍第十六旅団はこの北面だけで百の死者と二百五十の負傷者を出すことになる。


      〇


 これより少し前の話。

 カレン率いる突撃隊が台地上に登って一泊している間のことである。翌日の激戦をアントワーヌ側も予測していた。

「弓兵で牽制しながら時間を稼ぎつつ邸内まで撤退しましょう」

 そうリリアは提案していた。しかし、ジャフリーが首を振った。

「お言葉ですが、屋敷に取り付かれれば、包囲されるのは時間の問題ですらありますまい。前後左右から攻められれば士気も上がらず、戦になりません」

「ではどうするのがよろしいと思います?」

「敵が南下してくるところに正面から総力を当てて叩きます。北からの敵は千に満たないといいます。撃退できる可能性はあります」

「そのようにしては犠牲を拡大するだけです」

「リリアさまにはこの隙に屋敷を脱出していただきます。ジェシカと、案内役にロックス殿と、精鋭数名をつけますので」

「いけません」とリリアは卓を叩いて立ち上がった。

「領主の一族が民を置いて逃げるなど……」

 なにか続けようとしたジャフリーの前に、一本の細腕が突き出された。いままで奥に控えて話に耳を澄ませていたトワイライトである。

「リリア、王国のコルト侯爵を訊ねなさい。あなたも存じ上げているでしょう。あの人なら、あなたを保護してくださいます」

「お、お母さま」

 リリアは目を白黒とさせ、

「なにをおっしゃっているんです? お母さまはどうするんです?」

「わたしはここに残ります」

「ウソ。いやです」髪を振り乱して頭を振るう。「わたしも残る。ユウさんが来る」

「恐れながら」とジャフリーがいう。「天ノ岐殿はディクルベルクを守り切れないことも考えていらっしゃいました。この抗戦はリリアさまをいかに生かすか、ということに重きが置かれています」

「なんですって?」リリアの目に鬼が宿る。

「帝国に背を向けて逃げたとあれば卑怯者の汚名を受けざるを得ますまい。しかし、正々堂々、兵を率いて一矢を報い、惜敗した上での逃走であれば帝国を欺いたとも受け取られましょう。まして、大陸は反帝国の機運が高まっており、その旗手として世界はリリアさまを欲します」

「ユウさん……」

「ユウくんを恨んではいけないわ」

 夫人の指先がリリアの白い頬に触れた。

「あの人はわたしたちに希望を残してくれた。あなたという希望を。わたしたちだけではできなかったことをしてくれたの」

「お母さま」リリアは母に向き直り、眉をひそめつつ言い募った。「わたし一人は嫌。お父さまとお母さまと一緒に行く」

「わたしたちはあなたを守りたい。あなたが無事なら、わたしたちは幸せだから」

 だからどうか、とひざまずいて、幼い手を取り、その甲へ口づけをした。

「あなたの産まれた日、小さなあなたが、わたしたち夫婦にどれほどの幸福を与えてくれたことか。きっとあなたにはわからないでしょう。ここを出て、愛する人を見つけて。その先にあなたの想像もできない幸せがあるから」

「でも、わたしは……」震える声しかでなくとも絞り出す。「お母さまが好き、お父さまも、みんなも。それ以上の幸福なんてない……」

「いいえ、あなたはきっと見つけられる。見つけてほしいの。でなければ、わたしたちの生きた意味がない」

 引き寄せられて抱きしめられる。甘い、どこかの花に似た香りは母の香り。

 ボロボロと涙が噴き出し、膝が折れ、嗚咽が漏れるのを堪えられない。

「これを」と一つの指輪がリリアの中指に収めた。

「あなたのお婆さまの、そのまたお婆さまから受け継がれてきたものです。きっとあなたを助けてくれるでしょう」

「お、おかあ……、おかあ……」

 言葉を続けられず、母の胸に頭を埋め、離れないように強く抱きしめて、それでも温もりが離れてゆく。突き放されるように離れてゆく。

「イヤ、わたし……」

「ジェシカ」

「は」とジェシカが部屋の隅から駆け寄り、「参りましょう」

「お母さま、わたし、わたし……」

「連れて行きなさい」

「イヤ、ヤダ。行きたくない」

「失礼します」とジェシカに身体ごと肩に担がれ、それでもリリアは母を求めて手を伸ばす。足を振って、近づこうとするが、離れていく。愛する人が、闇の中に埋もれてゆく。にっこりと微笑んだ、その顔が……。

「イヤーーーーッ!」


      〇


 リリアがアントワーヌ邸を脱した翌暁、カレンの率いる突撃隊は作戦を決行し、甚大な被害を出しながらアントワーヌ邸の敷地をついに踏んだ。時は宵闇、総勢は百数十人になっていたものの、屋敷北側に据えていた雲梯から増援を引き込み、数を増やしていた。長屋風の兵宿舎を制圧し、厩舎を打ち壊し、各敵櫓を叩きながら、敷地内への侵入路も拡大させていた。

 半分の月が無性に明るい。

 かたく閉ざされたアントワーヌ邸の正門に左右から斧が叩きつけられ、木材のそれを打ち砕いた。

「全軍突撃」と雪崩込んだものの、前衛は矢に射殺され、数人はすでに斬り殺されている。しかし、中央軍は数の上で敵を上回っている。一人を三人で囲み、一本の矢に十本の矢を射返し、敵兵を追い散らしてゆく。

「アントワーヌ夫人とご息女はどこだ?」

 カレンも左右の人を連れて邸内を駆けてゆく。

 廊下の曲がり角から飛び出した白刃を紙一重で交わしたカレンはすでに上段の構え、

「ち」と一声発して振り下ろした。

 襲撃者の頭が血を噴いて割れた。カレンはその屍を跨いで、邸内の奥を目指す。

 向こうの廊下、あちらの廊下からは配下の兵が出てくるが、まだ探索を続けていて、目標を見つけた素振りがない。

 だが、捜索の範囲は狭められている。

「おまえたちはあっち、おまえたちはあっちだ」

 合流した兵を散らしてさらに探索を重ねていった先、カレンの開いた扉の先から、豊潤な緑の匂いが漏れ出した。思わず口元を覆ってもむせるほどである。緑を知らない帝国人の宿命であろう。

「こ、これは……」

 巨大な庭園だった。ガラス張りの薄暗い一室には本来どれほどの色があることか、半月の銀光ではわからなかった。蔦が這い、花が咲き乱れ、枝木は隅々まで隙間のないほど広葉に満ちている。土を踏めば柔らかい。

 この空間自体が、帝国人のカレンには宝石のように思われた。「団長」と左右に促されるまで、ガラス張りの天井に映る半分の月を眺めていた。

「あ、ああ、ここを探そう」

 探すまでのこともない。奥の芝生の上に一人の女性が立っていた。

「トワイライト・アントワーヌさまでいらっしゃいますね?」

 カレンは腰を折って頭を下げた。

「どうか、抵抗をなさらず、我々にご同道ください」

 雲が流れ、月下に立つ二人の姿が明暗の狭間に浮き立たっている。

 その効果の中で振り返った夫人の顔を見、カレンは我知らず息を呑んだ。

 人がこれほど美しくなれるものなのか、と思った。

 女性の顔であり、母の顔であり、領主として、貴族として、高貴さも備えた顔は凛としていて、また優しく、その根底に深い覚悟も秘めている。ここまで、人は研ぎ澄まされるものなのか、と一種の感動を覚えた。

「わたくしたち」と、夫人は静かな声でいう。「アントワーヌの者は、その名において正義と忠義をなさなければなりません。帝国の過ちを正すためなら、この命を捨てるのも良いでしょう」

「抵抗なさるのなら、こちらも手段を講じなければなりません」

 くる、と円を描くように空を切った錫杖が一本、夫人の手に収まっていた。斜めにして、カレンたちの前に掲げられる。

「お相手します」

 トワイライトの一言を機に、カレンの左右の兵が駆けた。

 錫杖が円を描く。

 一兵の眼前に向けた錫杖の先が火球を放ったかと思えば、振り抜かれて疾風を巻き、もう一兵の腕を斬り落とした。

「うああああ」

 二人の悲鳴がこだまする中、それぞれの胴に水流をぶち当てて、向こうの壁まで吹き飛ばしてしまった。

 その様子を驚嘆して見送ったカレンの表情に険が走った。

「その錫杖、スフィアが仕込まれているのか」

「高い地位の方とお見受けします」

 くるくる、と錫杖が回り、構え直される。

「あなたを倒せば中央軍も瓦解するでしょう。お覚悟はよろしい?」

「面白い」

 カレンは剣に乗った脂を指先で拭い取り、変形も刃こぼれもないことを認めて、中段に構えた。

「お相手願います」

 両者ともに駆けた。

 錫杖と白刃が激突し、火花を散らした。一合、二合、得物を合わせ、カレンが強く押し込んだ。

 力押しなら勝てる。

 膂力の差に自信を得たカレンは、大きく後退した夫人に詰め寄ってゆく。夫人は手首を回し、錫杖を持ち替え、くるくると得物を回していた。その真円の残像が、夫人を守る盾となる。

 ぎょっと立ち竦んだカレンを、錫杖が襲う。

 掲げた剣が鈍い音を立て、錫杖の威力を支えた腕が痺れる。さらに左右から殺到する錫杖を受け、耐えたカレンは踏み込もうとする。と、眼前には真円の盾があり、容易に近づくことができない。

「ちい」

 と舌打ちをしたカレンは身を翻し、知らずかかとが下がってゆく。気がつけば、胸甲に裂け目が走っていた。錫杖の先に風の刃でもまとわせているのか。

「なかなか」強い。

 剣を掲げて、降りかかってくる錫杖を受け止めた。二つの獲物が二人の間で悲鳴を上げる。下がろうとする錫杖をカレンの剣が離さなかった。そのまま力押しに押してゆく。

 これを嫌った夫人が大きく飛び退いた。すかさずその間合いに飛び込んだカレンの眼前で火焔が爆ぜる。

 白刃が十字を切った。

 爆風に似た炎の膜に隙間を刻み、覗いた暗闇の奥に驚いた夫人の顔がある。

 小豆色の瞳。それ自体が輝くようにして色を発する瞳をカレンは見据えて、銀の切っ先を走らせた。

「く」

 と呻いたのを最後に、夫人の体はカレンにしなだれかかったまま動かない。その背から突き出した白銀が月光に閃いていた。

 カレンが剣を戻して鞘に収める。と、自然膝が折れた。

 頭が白くなり、全身から汗が噴き出してくる。これだけの激闘であったのだから疲弊するのは当然であろう。だが、夫人の顔はどうだ。多少の汗に湿っているだけで穏やかだった。みぞおちを貫かれた痛み、死への恐怖があっただろうに、いまなお泰然としていて美しい。

「これが、アントワーヌか」

 そのときである。

 ごろごろ、と大地が鳴った。草花が揺れている。空は塗るように暗雲が流れ、幾ばくもなく満天を覆い、星とヘリオスオーブの光を遮ったようだった。カレンは放心した体でその様子を見つめていた。

「団長」と数人の帝国兵が温室に飛び込んできた。

「どうした? リリア・アントワーヌが見つかったか?」

「いえ、ク、クロッサス山が……」


      〇


「ふ、噴火している……」

 雪のちらつく夜の空の向こう、真っ赤な光が踊るように沸き立ち、天を圧している。時折発する稲妻の叫声はディクルベルクの町にいたジェシカにも届いた。

「おいおい、世も末だな」とロックスは帽子に手をやりながら、隠れた目元を拭っている。「ま、奴ら、旅団連中にはちょうどいいだろ」

 アントワーヌ邸からの抜け道はディクルベルク内の民家の中にあり、さすがに帝国兵どもも製材所職員の家を一々監視するほどの人数はなく、街中でも外套を羽織って駆けていて誰何されることもない。火山が噴火しているのも、神の助けかもしれない。

 ここにいるのはジェシカとロックス、アントワーヌ兵の護衛が一人、リリアもいるが、ジェシカの背に負われたっきりピクリとも動かない。胸の鼓動を背中に感じるから、息絶えているわけではないのだろうが。

「時間が足りなくてな」とロックスがいう。「本当は森の方まで掘るつもりだったんだ。そこに兵糧庫と厩舎を作って、馬と食い物を溜めてある。それを持ってさっさと逃げるぞ」

「わかった」

 ジェシカはリリアを背負い直し、灰の降り始めた街路を駆け抜けていった。

 鬱蒼とした針葉樹林に到着すると、すでに多くの人数がいて、厩舎から馬を出し、物資を積んでいた。リリアの脱出の前後に同じ脱出路を抜けてきたアントワーヌ兵たちだ。

「いつでも行けます」と報告が上がってくる。「斥候の報告では、第十六旅団はクロッサス山の噴火によって混乱し、追撃の様子は窺えません。周囲に敵の気配も皆無とのこと」

「よし」と頷いたジェシカは、木に寄りかかっているリリアの方を振り返った。外套に包まれたまま動こうとしない。リリアが指示をしないなら、ジェシカの爵位が最も高くなるため、ジェシカが指揮をしなければならなくなるが、

「これからどうすればいい?」とロックスに訊いた。ユウと打ち合わせをしている人間がこの男しかいない。しかし、彼も小首を傾げ、

「いや、ここで合流する手筈になってたんだが……」

 滞在用の家もある。が、空っぽだった。

「あの野郎も浅はかだな」と鼻で笑い、「いつまでもじっとしているわけにはいかない。トワイライトさまのお言葉の通り、南のコルト領を目指す」

 一令が全軍に伝播され、馬上の人となった群れが動き出す。

「リリア、行きますよ」

 声をかけても反応はなく、仕方なく抱えていくが抵抗する素振りもない。ジェシカの馬の前に乗せ、馬腹を蹴ろうとしたそのとき、

「誰かいる」

 ロックスの小さな声に耳朶を叩かれた。全身を緊張させたジェシカは咄嗟に腰の剣へ手をやっていた。

 ざくざく、と雪を踏んで近づいてくる人の気配がある。

「お待ちを」と暗がりの中から聞こえた声に覚えがあった。

「アインスか?」

「ジェシカ殿」

 そのときの一同の興奮をどう伝えるべきか。帝国に発していたアントワーヌ本隊が帰還しているということなのである。厳冬期の中央荒野を、彼らは駆け切ったのだ。

 本隊の数は五千。それだけいれば、第十六旅団を一蹴するのも可能かもしれない。

 突如差し込んだ希望の光に全員が発狂するほどの歓声を上げたいのを堪え、ジェシカに会話の接ぎ穂を譲っていた。しかし、その前に動いた者がいる。外套を振り払うようにして、リリアが起き上がったのだ。

「ユウさんは? お父さまは?」

「か、閣下は……」

 アインスの逡巡は凶兆を思わせる。

「構いません。おっしゃってください」

「閣下は、皇帝陛下に忠義を尽くされ、皇城への召喚に応じられました」

「そう」とリリアは冷静な声を白い吐息にした。「ユウさんはどちらに?」

「天ノ岐殿は西に。ディクルベルクの様子を窺っておられます」

「では合流してディクルベルクに踏み込みましょう」

 誰しもがそう思っていた。お言葉ですが、とアインスはいう。

「我々の数は百あまり。中央荒野を渡ってきた疲弊もあり、とても中央軍と刃を交えるに及びません」

「百?」と呟いたのはジェシカだけではなかっただろう。

 帝都に渡った人数は五千だったはずだ。それが百……。

 いいようのない衝撃がこの場にいる者たちを漏れなく打ちのめしたことは容易にわかった。

「構いません」というリリアの声に温度はなく、眼差しも冷たい。身を翻すようにして下馬し、左右を見遣った。「誰か、わたしに馬を。ユウさんの部隊と合流し、ディクルベルクに強襲をかけて奪還します。意を同じくする者はわたしと来なさい」

「リリア」

 追いかけるようにして下馬したジェシカはリリアの細腕を引く。

「いけません。冷静になってください」

「わたしは冷静です」

「いまは生き残るが先決です。ディクルベルクに向かうのは危険です」

「危険は承知の上です」とリリアはジェシカの腕を振り払う。「敵は火山の噴火に混乱しているはずです。そこを強襲すれば勝ち目はあります」

「勝ち目があるとは思えません。北からの部隊のことをお忘れですか? 奴らは相当の損傷を負ったにもかかわらず指揮を失わずに屋敷を落としたのです。火山の噴火があったとて、指揮系統が損なわれているとも思えません。認めがたいことですが、中央軍は強い。数においても向こうの残存が千五百あるとして、こちらの七、八倍。勝ち目はありません」

「わかっています。ですが……」

 ジェシカの平手が乾いた音を立てた。赤くなった頬を押さえたリリアは、それでも相手を睨みつけて許さない。

「あなたが行けとお命じになるのなら、わたしたちは行きます。きっと、ロックスたちも付き合ってくれることでしょう。なぜだかわかりますか? 人が生きるには希望が必要です。生きる意味が必要なのです。仕事であり、家族であり、夢であり、人は希望のために生き、希望に生かされているのです。そのためなら命も惜しくはないと思いすらする。わかりますか? ここにいる全員の希望がなんであるか。フローデン候と、奥様の希望がなんであったか。異邦者であるユウが、なぜ一個の国を敵に回して我々に味方し、凍結した中央荒野を命を賭けて渡ってきたのか。すべてはたった一人の人のためです。それをご理解いただいた上で、ディクルベルクを強襲するというのなら、わたしたちは業を共にし、命果て尽きるまで戦いましょう」

 ジェシカはひざまずき、リリアを見据えた。彼女の怯える、小豆色の瞳をじっと睨め上げ、

「どうか、ご命令を」

 闇の中で爛々と光る相貌がリリアに据えられ離れない。ひとつやふたつではない。百、二百に迫る瞳の輝きが、主と定めた者の言葉を待っている。

「わたしは」と絞り出した声も、身体も震えている。「わたしは、わたしだけの命ではありませんか」

「はい」

「皆も、そう思いますか?」

 周囲を見遣り、無数の光が頷くのを認めたらしく、彼女自身、重く長いため息をついた。

「わたしは、お母さまのお言いつけを遺言と思って実行します。王国へ赴き、コルト侯爵家を頼ります。コルト候バーナードさまは古くからの父の知り合いで、わたしが幼少のころは療養にも訊ねた家です。わたしたちのことを粗略にはなさらないでしょう」

 みなさん、と暗闇に満ちた冷たい空気を吸い込んだ。

「わたくしに、ついてきてくださいますか?」

「おお」と百の声がひとつとなって、深い針葉樹林の中にこだました。


      〇


 北の空を覆う雲は茜に照らされ、その中に紫電がのたうち回っている。

「あれが噴火というものか」

 カレンはアントワーヌ邸二階の北面に張り付き、神の怒りとも思える景色を眺めていた。

「初めて見たよ、凄まじいものだなあ」

 安定陸塊が主な居住地になっているレオーラ人には火山の噴火というものの知識が基本的に少なく、どれほどの被害が出るものなのか、見当もつかない。ただ、四肢は震え、胸は高鳴る。生命の生理に直接訴えかけるような迫力があるのだ。

「団長」とアルフレッドがもじゃもじゃ頭を振り乱しながら駆けてきた。いつも飄々としている彼にしては珍しい。

「団長、すぐにここへ市民を集めなければなりません」

「それほどのものか?」

「どれほどのものになるか、まだ定かではありませんが、ディクルベルク近郊でここより安全なところが見当たりません」

「では任せる。わたしはリリア・アントワーヌの捜索をする」

「捜索、といわれても、屋敷の中はあらかた……」

「どこかに隠し通路があったのだろう。それを抜けたのだとしても、まだそれほど遠くには行っていないはずだ。東は中央荒野、北は火山、どちらもあり得ないから、西か南だろう」

 すでに出口に向かって歩き始めている。その横をアルフレッドは慌てふためきながら追いかけてきて、

「そ、外に出る、ということですか?」

「屋敷の中にいないのなら外にいると考える他あるまい」

「いや、そうではなくて、火山が噴火しているんですよ?」

「何キオも北の山だろう」

「いやいや、まったくわかっていませんね。火山の噴火というのは何キオも先にある町も簡単に火山灰に埋めてしまうこともあるものです」

「そういうものか?」と、カレンも歩みを止める。二人は玄関広間を見下ろせる回廊の上にいて、どやどやと邸内に押し入ってくる避難民と、誘導する兵の姿を足下に見た。

「ずいぶんと早いじゃないか」

「そうですねえ」

 とアルフレッドも意表をつかれたような顔をしている。一兵、階段を登ってきて、アルフレッドは彼を呼び止めた。

「それが」と彼はいう。「町に降りようとしたときにはすでに台地の下に人が集まっており、南面の斜面の凍結も一部解消されましたのでそこからと、雲梯からも登れる者は登ってきているはずです」

「すでに集まっていた?」とアルフレッドは首を傾げる。「フローデン候が周知させていたということか。ずいぶんと天災に見識のある方だったんだな」

「それが、どうも違うようで。アントワーヌ邸に居候していた異邦者の男が話していたとか」

「異邦者?」とまた首を傾げた。

「噴火、というのは予言できるものなのか?」とカレンは訊く。

「ぼくの知る限り、できるものではありません。火山であることに気づき、注意喚起をしたというのが妥当なところだと思いますが、はて、異界の知識があればできるのかもしれません」

 三千世界には恐ろしい人間がいるものだ、と一人ごちたアルフレッドは、

「とにかく一刻も惜しい。どんどん人を入れろ。入りきらなくても台地の上に人を上げるんだ。ただ、屋敷の裏には人を通すなよ」

 屋敷の裏には敵味方の兵の遺体が山と積まれているはずだ。ディクルベルクの民に見せるものではない。

「こういう状況です」とアルフレッドはいう。「市民の誘導と安全確保が最優先じゃありませんか? リリア・アントワーヌの捜索に割ける人員などいません」

「二、三十騎で構わん。残りはおまえに預ける」

「しかし、治安維持のためには……」

「いいか、アルフレッド」と詰め寄る。「わたしは軍人だ。軍人とは命令を遂行するものだ。わたしに下された命令は?」

「アントワーヌ一族と、屋敷の確保です……」

「そうだろう。わたしはそのための行動をする」

「仕方のない人ですねえ」とアルフレッドは肩を竦め、「ただ、二、三十騎では騎馬の突撃力が生かせません。百騎いれば、二百にも三百にも戦えますが」

「では百を連れて行くぞ」

「それと、西には向かわないように。一度、南に進路を取ったあとで西に進路を取ってください。その方が噴火の影響を受けにくいはずですから。それと、帰還するときも、南の道を。ディクルベルクの西方は進入禁止です」

「いちいち喧しい奴だなあ」

 いいながらも、一々カレンはアルフレッドの助言に従っている。百騎を連れてディクルベルクを飛び出し、一路、南へ。噴煙の雲の下を抜け、白銀の月明かりの下に出た。アルフレッドのいうことは一々正しい。

 遥か先の丘陵の稜線、転がる石の影、西にある針葉樹林の梢までが手に取るように見えた。他領の貴族の下へ向かうために配下を集結させるというのなら、うってつけの隠れ家かもしれない。しかし、まだ遠い。

「四方に目を光らせろ。怪しい影を見つけた者は声を上げろ」

 奴らがいつごろ抜け出したのか、定かではないが、ずいぶんと後れを取っているのは間違いない。

「噴火さえなければ」

 もう千の兵を連れてこられただろうに。

 一隊は肉体から湧き出す蒸気を斬り裂きながら荒野を駆っている。ほどなく針葉樹林から南下する街道との交差路にぶち当たった。

「団長」と一兵が声を上げた。「馬の足跡があります」

「でかした」

 一騎や二騎ではない。数十騎と蹄が並んでいる。

「針葉樹林の中から出てきたようです」

「やはりな。間違いない」

 樹林の中を、しかも夜中に馬で移動できるわけがない。夜のうちに距離を稼ごうと思えば街道に出る他なかったということだ。

「敵は近いぞ。急げ」

 カレンは馬を回し乗りし、南へ走った。

 うねる丘陵の峰々を越え、二つの高まりの合間を抜け、それでも中央軍第十六旅団の兵はいまだに速力を落とすことがない。馬も人も、一晩走り抜けて耐えられるよう訓練を施されている。

「駆けろ、急げよ」

 一団の先頭になって発破をかけながら疾風となる。そして、ひとつの丘陵の上に立ったときであった。

「いました」

 と一人が声を上げた。

 荒野の向こう、低地一個を挟んだ先の丘陵を登ろうとする騎馬の一団の土埃が、傾いた月明りに照らされて銀色の影を白っぽい大地の上に浮き立たせていた。

「追え。このまま叩くぞ」

 カレンは腰元から剣を引き抜き、馬腹を蹴った。一息に丘陵を駆け下ってゆく。


      〇


「リリア嬢、ジェシカ嬢」

 最後方に控えていたロックスが馬を急かせて追いついてきた。

「帝国兵だ」

「ついに追いつかれたか」

「数は?」と訊いたのはリリアだ。

「おれがいわなくたって、もう見えるぜ」

 帝国軍は北の丘陵の上に立って、アントワーヌ勢を見つけたらしい。手には刀槍をきらめかせて、脚は馬に檄を入れていた。一心にこちらへ向かってくる。

「急ぎましょう」

 丘陵の上を西へ西へと、尾根沿いに走ってゆく。

 しかし、背後から接近する馬蹄の音は徐々に大きさを増し、逃げ切ることは難しいだろう。

 民間から徴用された兵がこれほどとは。馬に触れたことのなかった者もいただろうに。彼らに施された訓練の凄まじさを感じさせる。決してリリアとその一団が遅いわけではない。

「追いつかれます」

「構いません、いまはユウさんを信じましょう」

 そうすると決めた以上、迷いはいらない。迷えば、己と己を慕う者たちが死ぬ。母のためにも、父のためにも、ここに募ってくれた者たちのためにも。

「いまはユウさんを信じます」

 複雑な思いはある。彼がもう少し早く帰ってきてくれていれば、父を守ってくれていれば。止めどなく溢れる涙が風に乗って散ってゆく。

 ただ、歯を食いしばって走るしかない。

 獲物を捕らえた獣のような、鬨の声が後方で大きく鳴った。

「ユウさん……!」

 ぶお、ぶおーーー

 角笛の音が夜空にこだます。


「なんの音だ?」

 カレンは走りながら左右に聞いた。アントワーヌ兵の最後尾の馬尻まで、あと十メータ。弓兵に斉射の号令をかけようとしたところであった。

「角笛の音です」

「それはわかっている。どこの軍だ?」

「アントワーヌのものでは?」

「後方から聞こえた……」と呟いた全身が粟立った。「後方、敵の警戒」

 カレンが発したときにはすでに遥か東の方で土埃が上がっていた。大地が鳴るような唸りとともに馬蹄の群れが来る。その雄大さに帝国軍は驚いた。南北、地平線を埋め尽くすようにして土煙が舞い、軍旗がはためいている。

「アントワーヌです」と後方から悲鳴に似た報告が上がってくる。「青地に白狼の軍旗です」

「帝都に派遣されていた本隊か」

「派遣兵の数は五千だったともいいます」

「五千?」信じられない面持ちで、カレンは呟いた。「それだけの数が冬の中央荒野を渡ってこられるものなのか」

「わたしにはなんとも。しかし、あの様子では千を上回るとしか……」

 カレンは唇を噛み、

「全軍、北へ向けて駆けろ。戦線を離脱する」

 他の一言もなく馬首を回したカレンに、帝国追撃隊の全頭が追随する。

「なんということだ……」

 噛みしめた桃色の唇の端から血の筋が流れている。


      〇


 アントワーヌの援軍部隊は台地の下を駆けて、歩速を緩めたリリアたちを追い越しゆく。その人馬の美しさ、懐かしさと心強さに、ディクルベルク脱出隊の中で涙を流さなかった者はいなかった。

「リリア」とジェシカが馬を並べ、「我々も南へ進路を取りましょう」

「ええ」

 涙を拭い、手綱を繰った。一丸となって南へ下ってゆく。すでに援軍部隊の影はない。彼らのあとを追ってゆくと、再び針葉樹林帯が姿を現した。並び立つ大木の前で、騎馬が群れていた。その群れがリリアに気付き、下馬しては左右に別れ、道を譲る。人の壁からは嗚咽が漏れ、目元を腕で覆う者も少なくなかった。

 奥にいた背を見つけ、リリアも下馬し、粛々と歩みを進めた。ツィバイらに指示を発していたらしい、その背中が振り返る。

「ユウさん」

「おお、リリア。無事だったか」

 と笑うその顔をひっぱたいた。全隊がどよめく。

「わたしはユウさんに恩もあります。でも、恨みもあります。それはわたしが期待しすぎていたからかもしれませんけれど」

 俯いたリリアの顔から零れる涙が月光を浴びて、銀色に輝きながら地に落ちた。

 リリアの肩に手が触れる。次の瞬間には引き寄せられて、リリアは温かな胸の中にいた。苦しいほどに抱きしめられている。

「ごめん、リリア」

 耳元で聞こえた囁きに、リリアはユウの肩口に埋めた顔を頷かせる。

「これがわたしのすべてですから」

 ユウの背中に小さな手を回す。

「お待ちしておりました」

「ただいま、リリア」

 アントワーヌ隊の流す涙が、枯れた大地を潤してゆく。


      〇


 カリブの脂をかためてできたロウソクに火を灯す。二人の男の影が幕舎に映えた。

「火牛の計というやつだ。牛の角に松明を巻いて兵の数を多く見せたのが由来らしい」

「実に妙案でしたなあ」

 タモンがしきりに感心していた。

「音楽用のヘリオスフィアを調達しろといわれたときは、酔狂なお方だと思いましたが、まさか道中、馬の蹄の音と、鬨の声を録音しておくとは。そして、ディクルベルクから出てきた追撃隊にリリアさまを追わせて背後を襲う。まさに名将の采配にございました」

「いや」とユウは首を振るう。「多くの人を死なせてしまった。なにか他に手段があったのではとも思うよ」

「旦那は潤沢な食事と燃料、水も用意して万全を尽くしたと存じますが。ただ、後方の追撃が想像以上に苛烈だったまでのこと」

「そうかもしれんが……」

「反省は将来に有意義でございましょうが、後悔はいかがなものでございましょう」

「ジジイ」ユウは口元だけで笑い、「おかしなことをいう奴」

 そう。重要なことは別にある。

 数アウル前、リリアの一決で、アントワーヌの用兵と政策は期間を限らず、ユウの下に一括されることとなった。フローデン候の口にした、アントワーヌの柱になる、ということが現実になった。一団の中に反対する者は一人としてなく、むしろ、力強く頷く者が多かった。

「おれは今後のことのためにおまえを呼んだんだ。世間話のためじゃない」

「でしょうな。して、具体的には?」

「王国の話を聞きたい。フローデン候とトワイライトさんがそうするようにとおっしゃった以上、おれたちは亡命する方向で動くが、果たして信用できるのかどうか。リリアをぞんざいに扱われても困る。であれば、西の貴族と合流したい」

 そうすれば、いずれ出来上がるであろう帝国西方貴族同盟の頂点にはリリアが立つことになるだろう。リリアは西側でも指折りの貴族の出で、その悲劇性は民衆の同情をそそって余りあるはずだ。

「その心配はありますまい」とタモンはにやにやしながらいう。「王国の精神は施しを最も貴びます。彼らは自らがレオーラ大陸の宗主国であると自負しており、他の者を一段下とし、礼を覚えない国外の民を軽蔑し、憐むこと並々ではありません。リリアさまが礼を示されれば、蔑視されることもありますまい。それに、王国は尊きお方を好む体質でもあります。貴族文化発祥の地であり、大陸文化は自国の貴族が熟成させたものと信じ、民衆の端々に至るまで高貴なる者に憧憬を強く抱く性質にございます。これだけの土壌がありますれば、リリアさまをぞんざいには致しますまい」

「そうか」とユウは視線を落として思案し、「なら王国へ向かうのが吉だな」

「西方貴族はいかがなさいます?」

「なるようにしかならん。たぶん一、二年で根絶やしにされるだろう。それにリリアを巻き込むのも忍びない」

「糾合しても勝てませんか?」

「勝てない。リリアの悲劇性と血をもって、人が集まるかもしれないけれど、おれはそんな不確定要素に賭けない。いまの帝国の富はエドワードとその一族が造ったものだから、エドワード側につく民衆だってたくさんいる。王国で一度態勢を立て直して、王国とウッドランド、そしてアンガスを巻き込みながら挽回するのがいいだろう。どちらにしても、この三カ国は反帝国同盟で結ばれている。その大戦争の方が勝ちの目があるし、準備する時間もある。帝国が他国に侵攻するのは西部を平定してからだ。諸々の準備を含めて三年近い時間があると思ってる」

「その間にアントワーヌの威信を増すのですな」

「孫氏曰く、勝てる軍で負ける軍に当たるから勝つのであって、それ以外勝つ手段はないという。上将は敵の策謀を挫き、同盟を断ち、干上がらせて、交渉に持ち込み、それでも折れないから戦わざるを得ず、そのような国と当たるのであれば必勝である、という」

「ほほ、策謀を挫き、同盟を断つ、でございますか」

「そう。まずは王国に亡命して、スレイエスとファブルをこちらになびかせる。将を討たんばまず馬から、ともいう」

「具体的には?」

「金だ」

「ほう」とタモンは感心した声を出す。「直截ですな」

「王国で富を築いて、それを四方に流し、味方を増やす。世の中の九割は金で味方になる」

「身も蓋もありませんな」

「しかし、本当に大切なのは金で味方にならない一割だ。もしものときに頼りになるのはそういうやつらだ。ジェシカもそうだし、ロックスもそうだし、ここにいる全員がそうで、彼らがいなければリリアも、おれもダメだった。そういう人間をこれからは敢えて探して引き入れる」

「富で味方になる九割を味方にし、富で味方にならない一割を味方に付ける、となれば十割が味方になりますな」

「そういう状態を作る。作らなければ戦争には勝てない、と思っている」

「ほほ、夢物語に思えますが、しかし、ちょうどおいしいお話があります」とタモンは手ごねして、「王国の目的地コルト領には、エルサドル、というレオーラ最大、内海最大の港湾都市があります。そこにある五つの家は大陸でも指折りの資産を蓄えた富商でございます。彼らの富は、あっしの目から見ても帝都をしのぎます。引き込めれば、金になびく世の九割を味方にすることも夢ではありますまい」

「港湾都市、か」ユウは背もたれを軋ませて、天を仰いだ。「ますます王国に行かなければならなくなったけれど、問題は、おれに金儲けの自信がないことだ」

「あれだけ、金、と豪語しておきながら」

「自分の欠点を理解するのも大事なことだ」しかし、とユウは腕を組んで、足も組み、小さく呟いた。「金がないとアントワーヌが立ち行かない。ないから作らないといけないんだけれど、その前に、だ」

 ユウの瞳に映る炎がゆらゆらと揺れている。

「なんとしても王国へ亡命する」


      〇


 カレンは苛ついている。

 当然、リリア・アントワーヌを逃がしたためだ。

 あと少し、もう少し早く追いついていれば敵増援が到着する前に確保できていたはずだった、と彼女は思っているが、勘違いである。彼女の追撃隊は出撃したその瞬間から天ノ岐ユウ率いる帝都脱出隊に監視されていて、帝国軍が後方を襲われたのは偶然ではない。カレンは追撃を始めた瞬間から負けていたのだ。

 帰り着いたディクルベルクは、厚い雲に覆われていた。

 北の山の火口の色も褪せ、家々の窓に火の色もなく、街角は松明の色しかなく、ちらつき始めた雪の色は白くない。灰色がかった曇天の色だ。

 時の停まったように静かであった。時折鳴る遠雷だけがある。空に吐く息は白い。

「皆はよくやってくれた。休息していてくれ」

 それだけ指示を出し、一人部隊から離れて旧アントワーヌ邸へ向かった。むろん、次の善後策を講じるためである。

「まだだ、まだ挽回の機会はある」

 カレンはリリア・アントワーヌが西方貴族の下に走るとは思っていない。必ず越境を試みる。むしろ、越境を試みない相手は脅威ではない。西方貴族に合流するなら、いずれ戦うことにもなるだろう。必要なのは国境に向かうアントワーヌをどう捉えるか、だ。

 直近の南側国境までは一千キオを下らない。アントワーヌがどう急いだところで二週間はかかる。それも千、二千に及ぶ人数がある、とカレンは思っている。力ずくで国境を破るにしても、密入国するにしても、その準備には相当の時間がかかるはずだ。

「まだ挽回の機会はいくらでもある」と自分にいい聞かせる。

 カレンが馬を止めたのは、アントワーヌ邸の南斜面前。高台下調練場の一角である。

 見知らぬ騎馬が一騎、いた。その馬上の人と話すアルフレッドの姿もあった。

 アルフレッドがカレンに気がついた。相変わらず愛想のいい顔をして、頭を掻いている。

「ああ、団長」と顔をほころばせ、「どうやらダメだったみたいですね」

「にやにやするな。作戦に失敗したんだぞ」

「まあまあ、そうカリカリせずに」

「カリカリなどしていない」

「奴らは南にいたか?」と騎馬の男に不躾に聞かれ、カレンは眉をひそめた。変わった意匠の鎧兜をまとっている、と見て、思い至った。

「まさか、ヴォルグリッドさまでいらっしゃいますか?」

 男がなにもいわないのは肯定だろうか。

「彼とは放浪時代に会ったことがあるんです」

 アルフレッドが照れたようにいう。どうやら、この鎧の男がヴォルグリッドであり、アルフレッドと親しいらしい。このボサボサ頭、変わった男だと思っていたが、交友関係まで変わっている。

 この鎧の男は帝都に身を寄せているはずで、なぜディクルベルクにいるのか、皆目見当がつかなかった。だが、エドワード帝の客将として帝国にいる以上、カレンは粗略に扱えない。

「リリア・アントワーヌとその部隊を発見したのですが、敵の増援に遭い、逃がしてしまいました」

「増援の中に白い剣を持った男がいたか?」

「白い剣?」

「その男を探しているそうですよ」

「申し訳ありません。一度も当たらなかったもので、敵の軍容は確認しておりません」

「そうか」と低く呟いただけで、ヴォルグリッドは馬首を回した。

「ちょっとちょっと」とアルフレッドが慌てて止める。「いまから追うつもりですか?」

「追う」

「向こうは百もいるんです。一人では無理ですよ。協力し合いましょうよ」

「百?」とカレンは嘲笑した。「帝都から来たらしい増援と合流したために数は千から二千には膨れ上がっているはずだ。ここの戦力を総動員した上で南の兵も取り込まなければとても勝つ見込みがない」

「いや、帝都から発した兵はいまごろ二、三百もない。奴らの多くは中央荒野で野垂れ死んだ。残りは多く見積もっても百余人といったところだろう」

「そんなバカな」とカレンは眉をひそめて、見てきたことを語った。アルフレッドは腹を抱えて笑っている。

「それは、団長、騙されていますよ。帝都からの増援部隊はスフィアによって土煙と音を出して数を偽装したんでしょう。簡単にできます」

「偽装?」と奥歯を噛んだ。込み上げてくる悔しさに全身が沸騰する。「そ、そんなバカな……」

 火山さえ噴火していなかったら、千の人数を動員できていたし、アルフレッドも前線に連れ出していたろう。そんな小賢しい罠に騙されることもなかったはずだ。様々のことで、一歩、アントワーヌは第十六旅団の先に立っている。それが彼らの実力なのか、天の采配によるものなのか。カレンには知る由もなかった。

「実際敵の頭数を見てきていない団長の情報より、帝都からアントワーヌを追ってきたヴォルグリッドの情報の方が信頼性が高いですね。団長が確認したリリア・アントワーヌの部隊、ディクルベルクの混乱に乗じて脱走した人間、併せて、二百から三百、多くて四百足らずといったところでしょう。それを元に作戦を立てましょう」

「おれに作戦などいらん」

「それでは困るんですって。ぼくらも戦力は少しでもほしいんですから。明日早朝には一個大隊程度を出せるようにしておきます。それに、もはや急ぐ必要もないでしょう。彼らの向かっている場所はわかっていますから」

「王国に向かっているのは明らかだ」とカレンはいう。「問題はスレイエス国境を越えるか、ファブル国境を越えるか」

 スレイエスへは帝国西端部から渡り、ファブルへは中央部から渡ることができる。そのどちらかの国をさらに南に渡った先が王国だ。

 ファブルは中央荒野の延長にあって、越境は容易。この寒気に震える季節でなければ、だが。中央荒野の南端、植生北限に帝国の町サンダレオがあって、長々と城壁を荒野の中に横たえている。とはいえ、荒野の方が広大だから密入国も難しくはない。ここを越えればファブル自治領になる。

 もう片方、スレイエス国境は大山脈に遮られ、渓谷が一本、その両端に両国の砦があり、国境を封鎖している。帝国側にある国境の町はフォローツク。

「距離的にはサンダレオの方が近いが……」

「どちらでもないでしょう」とアルフレッドが話の腰を折る。「フォローツクは道が細く、警備も厳重で越境は現実的にできません。一方、サンダレオを超えてファブルに入れたとしても、ファブルは乾燥地です。食料物価も高く、身を隠すところもなく、なによりファブルは建国以来の親帝国国家です。帝国の指名手配者がここを秘密裏に、それも集団で抜けるのは至難でしょう」

 フォローツクで国境を接するスレイエスという国は現政権的が親帝国なだけで、文化的、大衆的には親王国に属す。スレイエスの建国に由来するのだが、長くなるため割愛する。スレイエスでアントワーヌに有利なことはもう一つあって、それが兵糧の調達だ。この国は海に面しているため、比較的温暖で気温が安定し、穀物の収量はディクルベルク失きいま、大陸随一ともいわれる。

「彼の地は物資の補給が容易で、旧帝国貴族に協力的な人間も多いでしょう。親王国は要するに反帝国で、帝国に無惨にされたアントワーヌに同情する国民は多いはず。渡るなら、やはりスレイエスです」

「だが、国境の警備は厳しい。おまえもそれを認めたはずだ」

「この季節、密入国者がよく通る道があるのです」

「なんだ、それは?」とカレンは首を傾げた。彼女にとっては初耳である。「よく通るってなんだ? 度々密入国があってたまるか」

「それがあるんですよ。旅人には割と有名な話で、スレイエスの商人が密入国して帝国の毛皮を買っていくんです。代わりに、作物、刀剣なんかを売ってね。フォローツク国境では莫大な関税がかかりますから」

「盗人じゃないか」とこのことにもカレンは憤怒した。「帝国の法を脅かす者は尽く始末する」

「我々の管轄外ですよ。場所はフォローツク西の村、ウィンデル周辺です」

「ノルン峠の越境路か」

 ここまで黙っていたヴォルグリッドが低い声でいう。この男も知っているらしい。

「正規の国境は別の部隊に任せて構わないでしょう。ぼくらは南国境のノルン山脈、その最高峰たるノルン山をかすめてスレイエスに渡る道を警戒しましょう。あの山を二百余りの人が越えるのは一朝一夕には無理です。明日早暁に発っても充分に追いつけます。ですから、ヴォルグリッド、どうかここに一泊して我々と協力しましょう。あなたについてきた人たちは凍傷と疲弊で、もう使い物になりませんよ」

 ね、と追い打ちをかけられて、ヴォルグリッドは小さく舌打ちをして馬首を戻した。


      〇


 空には月がなく、ただ肌の凍てつく寒風だけがある。

「火」とマフラー越しに呟いたユウの背中に回ったタモンは、高々と松明を掲げた。

 針葉樹林の奥、灌木の間から、枝葉の擦れる音がする。ちらちらと光る獣の瞳。

 ユウは腰を落とし、剣の柄に手をかけた。

 一呼吸、二呼吸。

 指の関節の具合、剣の柄に巻いた帯の感触を指の先で柔らかく確かめる。

 ざ、と闇が鳴り、熱い呼気が降りかかってきた。

 獣臭い。

 ユウは一歩踏み込み、抜刀。白い円弧が宙を走り、血飛沫が舞った。背後に抜けた獣の一匹が、どうと音を立てて荒野に転がってゆく。続けざまに二匹目、飛び掛かってきた白毛の頭を割った。丸い、獣の頭である。返り血を浴びたユウは姿勢を正して剣は中段、針葉樹林へ刃を向けた。

「まだいるか?」

「もう気配はありません」

 ユウは、ほうと胸を撫で下ろし、刀身の血を払って鞘に収めた。

 すでにタモンは獲物に取り付いて短刀を抜いていた。代わって、ユウが松明を受け取り、タモンの手元を照らす。

「なんだ、これは?」

 猫のようだが、わずかに鼻先が尖っていて、キツネか、狸のような、白毛の四足獣であった。ただ、鼻先から尻尾まで、三メートルというデカさだ。

「ハーンロウという、毛皮の中では最高級の獲物ですぞ。スレイエスで売れば、これ一枚で冬を越えられます。ほほ、肝臓も腎臓も無傷。高く売れますぞ」

「これでしばらくは生き永らえられる」

 いまのユウたちに金はない。ほとんどを別動隊に分け与えたためだ。

 一行はおよそ一千キオ余り、雪すらろくに降らない凍土の荒野を走破し、ノルン峠にぶつかろうとしている。この難行をするにあたって、ユウは帝国兵の追撃以上に、兵糧の調達に心を砕いた。

 当然ともいえるが、まず、二百弱の一団で行動することを避けた。四、五人で一組の、計四十組を組織させ、方々に散らした。彼らがそれぞれ飢えないようにしなければならない。アントワーヌ邸から持ち出した金銀の硬貨と紙幣、食料のすべてを均等に配布し、非常事態に陥ったときのため、毛皮の類もすべて分け与えた。唯一、費用を削ったのはユウを含むリリアの班だけだ。他の班が三十日生活できるとすれば、リリアの班には二十日ぶんも割かなかった。

「彼らは好意でおれたちに味方してくれている。それを損なうと今後やっていけない。おれたちがおれたちのことをするのは好意でないから、飢えて構わん」

 そのために飢えようとしている。旅路の途中、こうして狩りを行い、時には村を襲う賊徒を叩いて謝礼をもらい、かろうじて旅費を捻出してきた。

「これだけあれば、スレイエスまで持つかもしれません。金銭的には」

「問題は食料が買えるかどうかだ」

 四方の隊とは時折接触しながら南下している。別部隊は大きな町を経由していて多くの情報を得ている。彼らによると、主要都市にはリリアの手配書が出回っており、近づくことはできないだろう、という。

「まあ、この手配書では捕まらないとは思いますが……」

 人相書きである。それなりにリリアに似ている。似ているものの、リリアの容姿に特記する特徴がないために、どこの娘を描いてもこういう絵になるのではないかと思われるほど凡庸であった。特記事項も、赤髪、小柄、肌の色が白、としか書かれていなかった。ちなみに、帝国では赤髪は一般的である。北方人種というのは短い日照時間で日光の恩恵を受けなければならず、髪も肌も瞳も、色素が薄い。

 そういうわけで、リリアの特徴はゼロ、と帝国側はいっている。

「きええええい」とリリアは奇声を上げて、その手配書を引き千切っていた。

 一行は小さな村に入り、解体した獲物の臓器各種を売り捌いた。

 本当に小さな村だ。木造の高床の家が両手の指で足りるほどの数あるきりで、田畑の表土はほとんど粘土質、収穫があるとは思えない。

「畑は諦めたよ」と雑貨屋のオヤジは自嘲気味に話していた。「耕しても耕しても実りはなくなるばっかりで、実ったとしても徴税されて、耕す意味がない」

 彼らの収益のほとんどが林業だという。帝国西部の中央部はほとんど鬱蒼とした針葉樹林地帯といっていい。ディクルベルクにもあり、この寒村にもある。それを切り出す。しかし、持ち出す手段が馬車しかなく、遠くまで運ぶのは至難であった。だが、やらなければ飢える。だから運ぶ。過酷な労働を重ね、ファブル方向まで運ぶそうだ。夏季はそれなりの価格で売れる。しかし、冬季にはその事業が不可能になるため、収入はほぼない。

「若者は帝都かフォローツクに行っちまって、ここには老人しか残っていないよ」

「領主の方々はなにをなさっているのです?」とリリアが訊くと、店主は不思議そうな顔をして、

「あいつらがなにかをするものなのか?」

 貴族というのは日夜豪奢な屋敷の中に引きこもり、外に出るのは遊行の狩猟くらい、税を取り立て、夜半まで邸内に明かりを灯し、享楽にふけっているのだという。

「領主というのは民を助けるためにいるはずです」

「民を助けてる領主というのは皇帝陛下くらいのものだろう。帝都はすごいって聞くぜ」

 店主はグラスに酒を満たし、一息に干した。そのグラスも感情に任せてカウンターに置き、

「この辺りも陛下の領地になっちまえば、少しは楽になるのかね」

 ディクルベルク以南の町はリリアやユウの想像以上に貴族に対して絶望していた。過酷な土地で人がなにもせずに生きていけるはずがない。リリアがディクルベルクでしたように農地改革を行ったり、エドワードのように工業化してもいい。なにかしらの手段を用いて、自然の脅威に立ち向かわなかれば死ぬ。にもかかわらず、統治者である貴族階級はなにもしない。ただ税のみをむしり取ってゆく。もはや殺人者であり、寄生虫と揶揄されることもある。

 民衆が武器を取って戦わないのは、貴族という深く彼らの魂に根を張った文化を蹴破るほどの思想に行きつく学問がないからだ。むしろ、貴族階級は民衆から学問を取り上げているふうがある。民が賢くなれば、いまの政治体制に疑問を抱く。支配者階級があり、被支配者階級がある、と思い込ませるほど簡単な支配はない。帝国西方貴族はそのことばかりに腐心している様子だった。もしかしたら、この大陸全体がそうなのかもしれない。

 リリアの絶望は一入であった。

「陛下は、正しかったのかもしれません……」と拳を握りながら呟いた。「この辺りの貴族はクズです。わたしが同じ立場であれば……」

 皇帝と同じ道を辿っていたかもしれない。そうはいわなかったが、リリアの涙が語っていた気がする。

「この様子では、西方貴族を取りまとめたとして勝ち目はないな」

 ジェシカが断言して、ユウも頷いた。

「いっそ勝たない方がいいのかもしれない」

 一度、この大陸を掃除したいとエドワードが思ったのも不思議ではない。

 しかし、

「おれにはリリアを生かす、という目的がある」

 このたった一点だけのために、エドワードとは一線を画す。


      〇


 ノルン山脈、という山体は、東西一千キオを越える長大な花崗岩の岩体だった。節理、つまり溶岩由来の岩石である火成岩の特有の割れ目を持ち、山中にある大岩は長石、雲母、石英、それらの構成物質が大粒に含まれていて、割ればきらきらときらめいて見えた。

「ということは」とユウはいう。「ここに大きなマグマが貫入した過去があるということだ」

 普通、マグマを作るには大量の水、海のような水源を必要とする。大陸や海洋の乗ったいわゆるプレートというのは別のプレートにぶつかって地下に潜るケースがある。地下に潜ったプレートが大量の水を含んでいると、その水が地中で滲み出し、周囲の岩石の融点を下げるという。融点が下がらなければ岩石は溶けない。マグマにはならない。花崗岩になり得るマグマは普通、こうして作られる。これ由来でないマグマは地中はるか深くから直接上昇してくるもので、プルームと呼ばれて、ほとんど玄武岩を形成する。だから、沈み込むプレート近辺でないと花崗岩は形成されにくい。海の真ん中にある島はプレートの沈み込みがないから、プルームで出来ていると考えておよそ間違いなく、黒っぽい玄武岩質になっている。砂浜は黒、山の上も黒。ハワイなどの砂浜が白いのは珊瑚由来の石灰岩が打ち寄せているせいだろう。シンガポールはわざわざ白い砂を買い付けて砂浜を作っているというから、そういう場合もあるだろう。ともかく、地球を形成する三大岩石のうちの二つ、花崗岩と玄武岩はこうして作られる。もうひとつの三大岩石はカンラン岩だが、地下に多く、地表に出てくるのはレアケースだ。海の上の孤島に大きな花崗岩群があったら驚きだが、日本沖合の西ノ島がそれらしい。

 話が逸れたが、いまのユウの神経からしても、話が逸れやすくなっている。

 いま、ノルン山脈の険路を登っているのだ。

 凍りかけた岩体をつかみ、指先が凍傷になる前に次の岩体をつかみ、体を持ち上げて、這うようにして急傾斜を登っている。これを何度繰り返したことか、ユウの現在標高は十メートルにも満たないかもしれないが、今朝からの累積標高差は一千メートル級の山も越えているかもしれない。

 疲れた頭が適当なことをいわせる。

「山頂には付加帯があるはずだ、たぶん、きっと」

「ちょっと黙っててくれねえか、大将」

 ロックスもだいぶ苛ついている。

「こんな過酷な山ならついていくなんていわなきゃよかった」

「お二人とも」とずいぶん前方に立ったタモンが手を振っている。「急がなければ今日中に帝国領へ戻れませんぞ」

 三人はノルン峠の下見のためにここにいる。

 ディクルベルク近郊からノルン峠に到着するまで、四十日ほどもかかっていた。一千キオの行程といわれていたが、嵐のため動けない日もあったし、リリアの体調によって距離を伸ばせない日もあった。それでも、この世界での二ヶ月に足らないほどの期間で無事踏破できたのだからいい方だろう。

 ユウは当然のように、峠越えを見越した帝国軍がここを警戒しているものと思った。だから偵察の必要があって、ユウ自身それを買って出た。山中、人影のひとつでもあったときは撤退して別ルートでの越境を考えなければならない。その判断のためにはユウが行かざる得ない。別のルート、とは、前人未到の地を行くということである。できればそれは回避したい。旅慣れないリリアに、道なき道を開拓して進むような難行を強いたくなかった。命に関わる。ノルン峠がすでに開拓済みのルートであり、安易に使える道であるのなら使えてほしいと祈るような思いで来てみたのだ。が、実際のところ、ここも未開拓のルートであった。

「マジでうるせえジジイ」

 悪態を吐きながら、この四十度もありそうな傾斜を踏破した。膝に手を突きながら息を整え、遅れているロックスを眼下に見た。

 右で書いたように花崗岩の岩壁だった。火成岩の中では脆い方で、四角い節理をよく作っていて、本来なら崩れるかもしれない。だが、冬季になると、その割れ目に水が染み込んで凍り、強度を増していた。春になると、この水が溶けて膨張し、節理を拡張したり、岩壁を崩したり、するかもしれない。

「これを馬が登れるものかな?」

「彼らは人が乗っていなければ意外な傾斜を登るものです。積荷も軽くすればこの程度は楽なものでしょう」

 牛のなめし革に似た手袋を脱ぎ、タモンの灯したスフィアにかざす。温かくて、指をこねると血行が戻ってくるのを如実に感じる。手袋は保温性は少ないものの、防水性は高く、意外に指が滑りにくい。別に保温用に毛皮の手袋も腰に結び付けてある。

 一通り指先を生き返して、背中を反って全身の筋肉もほぐしてゆく。頭上には青い空がある。はるか彼方の雲の中に見え隠れする一峰もあった。切り立った三角錘の黒い斜面というか、壁面というが、周囲に雪の筋を帯びながら曇天に突き立っている。

「あれがノルン山脈最高峰ノルン山です。ここはその入口に当たります」

「あんな山、登ってられるか」

 言い捨てて、ロックスが追いついたのを認めて、先を急ぐ。

「ちょっと待てよ、休憩、休憩」とロックスが嘆く。

「急がないと今日中に帰れないらしいぞ」

「来るんじゃなかった」といいながらついてくる。

 壁に張り付きながら、身体を横にして歩いていた。道幅は人一人分も怪しく、遥か下方で河川がどうどうと音を立てて流れている。さらに進んで道が太くなり、また狭まり、両側が切り立った岩壁となり、下りの斜面をまた五メートルばかり、這うようにして降りてゆく。

 ユウは降り終わって、ロックスが降りてくるのを待っていた。厚い布の上に置いたスフィアの熱を焚火の代わりにして両手を温めている。

 手をこすり合わせたユウの足元に、コロコロと石が転がったのはロックスの蹴り落とした石だとばかり思った。が、頭上に影がかかったために、視界を空に転じた。

 黒い影が飛び降りてくる。その影がえらく細い。

「旦那」とそばにいたタモンの一喝に、ユウは身を屈めて、白剣を抜いた。

「なんだ?」

「きしゃあああ」と叫んで襲ってきた影がデカい。しかし、爬虫類らしい。エリマキトカゲのようなシルエットを持ち、狭い谷間の壁を蹴って跳躍し、ユウの頭上から降りかかってきた。

 立ち上がったユウは身を引き、白剣を頭上に、襲い掛かってきたトカゲの身を跳ね返すとともに一太刀浴びせた。

 大きい。

 身長が一メートル近くあるエリマキトカゲだ。倒れたトカゲが起き上がろうとするところへ詰め寄り、その頭を一撃で叩き割った。

 左右に一匹ずつ、中央にもう一匹、と降りてくる。

「こ、こいつら……!」

 一匹の腹をタモンが短刀で貫いたのを見、ユウは気を取り直した。

 殺す。

 一匹。薙いだ白剣が敵の頭を裂いた。さらに一匹。襲い来るところを、青眼に構え直したユウの太刀が真っ向から斬り伏せる。

「あ、危なかった……」

 素早い上に三方を囲う傾斜を自在に跳ね回り、襲い掛かってきたのだ。紙一重の勝利といっていい。無傷で勝ったのは偶然であり、時の運。瞬く間に、四匹の獣を叩き斬ってしまった。次、襲われて同じことができるとは限らない。

「なんだい、この珍妙な生き物は?」

「コヘルリザードですな。竜盤類の仲間です」

「りゅう?」

「ノルン山脈は竜の繁殖地として有名なのです。小型から大型、翼竜までおり、特に、ジークベックというのが狂暴で、身の丈は五メータ、突き出した口先から尻尾までは十メータ、走る速さは馬をもしのぎ、跳べば城壁を乗り越えるといいます。肌は容易に刀槍を通さず、急所は灰色の羽毛に覆われている、付近一帯最強の怪物でございます。爪牙も鋭く、肉食の獣ですから、山中で会えば十中九割九分九厘命を落としますな。平地で会っても生き残れるとは思えませんが」

「縦が五メータ?」とユウは驚愕した。建物二階ぶんはあることになる。「本当に? そんな生き物がいるのか?」

「ひょひょ」とタモンは奇妙な笑い声を立てる。「ジークベックのために、ノルン峠の南北には砦がないのでございます。ジークベックに襲われれば石の砦も鎧袖一触、兵も生きてはおりますまい。数年前、スレイエスの方に、二匹のジークベックが降りてきて、そのころまだ健在だった砦を襲撃し、砦は倒壊、七の兵が食われ、八の兵の死体が転がり、三十の兵が負傷したとのことでございますよ」

「えらいところに連れてきてくれたな、おい」

 空を見上げて、大きなトカゲが落ちてこないのを確かめた。いまのところは安全だ。

「大丈夫なのかしら? そんなところを通って」

「いまの時期は冬眠期間中でございます。大丈夫でしょう、たぶん」

「たぶんて、おまえ……」

「おいおいおいおい、なんだよ、いまの。死ぬとこだったぜ、おれはよお」

 ロックスが興奮を隠すこともできずに降りてくる。

「降りてる途中襲われたら絶望的だぜ、まったく」

「いい経験になったな」

「別に経験したくもねえっての」

「しかし、他に道はありますまい」とタモンがにやにやと下卑な笑みを浮かべる。

「正しい」とユウは頷く。「おれたちは進むしかない」

「密入国も楽じゃないぜ」

 ロックスは一人嘆いている。


      〇


 帝国中央軍第十六旅団も、ノルン峠を要衝と認めている。では、なぜ人を配置しなかったのか。ここに巣くう獣たちの脅威という以外に、理由があった。作戦会議で、悶着があったのである。

「ノルン峠に全軍を配置して封鎖するのが最良です」

 とアルフレッドは提案した。

「春になれば帝都から増援が来ます。それまでリリア・アントワーヌを国内に留まらせるのが肝要で、留まらせるには国境を封鎖する以外にありません。春まではジークベックも冬眠していて山の獣たちも騒がないでしょう。屯留の障害にはなりません」

「それでは困る」といったのはヴォルグリッドである。「国境線を封鎖すれば、奴らは姿を現さない。おれはあの小僧を追っている。冬の間にアントワーヌとあの男に姿を消されては困る」

「果たして、アントワーヌの兵を率いて厳冬期の中央荒野を渡ってきた男が、このときにアントワーヌを離れるか。わたしは否だと思います。国境を封鎖すれば国外に逃げるのは至難の業。気長に待てばいずれ捕まえられます」

「ならばやはり一人で行かせてもらう」

「一人で二百、三百の敵と戦うつもりですか?」

「暗殺など容易い」

「あまり現実味がないなあ」

 と、意見が真っ二つに割れていたのだ。

「団長に決めてもらいましょう」とアルフレッドは指示を仰いだ。

「わたしは」とカレンは細い顎をつまんでいう。「ヴォルグリッド殿に賛成だ」

「まったく、団長まで……」

「ノルン峠を開けておけばアントワーヌが姿を現す確率は高い。それを背後からついて壊滅させる。これでどうだ?」

「その場合、アントワーヌはうしろにノルン峠を背負っています。ここにこもられたらこちらの多数の利が死にます。曰く、大軍は野戦を心がけ、寡兵は狭隘地を友とせよ。リリア・アントワーヌは必ずスレイエスに脱出してしまいます」

「そ、そうかな」と狼狽えたカレンに、助け船を出したのがヴォルグリッドだった。

「奴らの指揮を取っているのは、おそらくあの小僧だ。奴を殺せばアントワーヌなど取るに足りぬ。スレイエスに逃げられたとて問題ではなかろう。スレイエスで野垂れ死ぬ。奴が指揮官なら、必ず殿を務める。殿が崩れればおしまいだからだ。冬季の中央荒野突破をした男だ。それくらいの肝は据わっているだろう。そこを叩く」

「そうだ。指揮官が我先に撤退しまい」

「いいえ。奇策は所詮奇策。必ず穴があります。常道には及びません。常道は速やかに要衝を征することです。要衝はノルン峠。いかに速やかに、大軍をノルン峠に配備するか、これだけが勝負です」

 アルフレッドとは数年の付き合いになるが、大概彼の意見が正しい。フローデン領侵攻のときもそうだった。フローデン領に散らばる各砦をどう攻略するか頭を悩ませていたカレンに、戦う必要などない、といったのも彼だ。頭を押さえれば軍隊は機能しなくなる、だからアントワーヌ邸と一族を押さえるだけでいい、我々は皇帝の名において彼らに出頭要請を伝えるだけであって戦う意志などない、そういい張れば小砦は攻撃してこないでしょう、もし攻撃して来ればそれこそ反乱です、といい切った。ディクルベルクまでは徹底して無戦で進み、事実そうなってしまった。

 あのときは他に意見が皆無だった。しかし、今次の作戦にはカレンの言い分もある。

「わたしは帝都の軍が来る前にアントワーヌとは決着をつけたいし、そうするように皇帝陛下からの勅書が来ている。だから、そうしなければならない」

「最大の失敗はリリア・アントワーヌの越境を許すことですよ、団長。人の失敗は失敗を取り返そうとする焦りから生まれます。戦争に焦りは禁物です。我々の仕事はディクルベルクの制圧で五割は成功しています。リリア・アントワーヌの越境を防げれば四割は取り戻せます。しかし、リリア・アントワーヌの越境によって生まれる禍根は大きく、ディクルベルクの制圧を差し引いて余りある失策になるでしょう」

「失敗はおれが肩代わりしよう」とヴォルグリッドがいう。「カレン殿の作戦で行く」

 ぱ、とカレンの顔が弛緩した。が、すぐに引き締めた。

「それはいけません。わたしの決断で失敗するのならわたしの責任です。責任を取るのも、決断するのも、組織の長の仕事です」

「では決断してもらいたい。我々には時間がない」

 アルフレッドも黙ってカレンを見据えている。すでに彼女の心の内を見透かしたような諦観が顔に現れているのが寂しい。

「我々、帝国中央軍第十六旅団はヴォルグリッド殿とともにノルン峠の監視を行う。アントワーヌが現れたところで強襲する」

「これで決まりだ」

「やれやれですね」

 無表情なヴォルグリッドと肩を竦めるアルフレッド。その仕草に、カレンは少したじろぎ、

「や、やはり、ノルン峠に人を割いた方がいいだろうか?」

「作戦は中途半端が一番よくありません。誘い出す、と決めた以上、徹底して誘い出すべきです」

「う、ううむ」

 カレンは唸って、腕を組む。自分の指揮官としての適性を疑ってしまう。


      〇


 ノルン峠入口付近に、アントワーヌ隊が集結している。帝国第十六旅団も、偵察兵からの連絡があって、彼の地の北方に集まりつつあった。

「やはり来たか」

 ユウはアントワーヌ隊の中盤にいて、高台になっているそこから帝国軍の影を見据えている。

 ノルン峠の入り口は扇状地の扇の要の部分、扇頂部に当たり、帝国軍は扇央部の辺りにある。さらに下方には扇端があって、ここには湧き水があり、集落がある。扇頂から扇央までは水はけのいい比較的乾燥した土地が広がるが、それらに染み込んだ水の湧くのが扇端地。ここに集落ができやすい。が、いまは関係ないからあまり触れない。

 この辺りは砂が多い。花崗岩が削れてこぼれた砂、いわゆる真砂が北風に煽られて厚く溜まっている。扇頂に近づくほど厚みは増して、アントワーヌの布陣地の砂地を踏めばくるぶしまで埋まる。真っ白な砂の山だ。下方、四キロ余りも離れた帝国陣地は礫の山だ。

 ともかく、斜度二から六パーセント程度の扇状地の上下で、両者は対峙していた。

「大将、やるのか?」

「ああ」と頷いたユウは輪乗りして、白剣を抜いた。

「ここで帝国軍に一矢を報い、天下にアントワーヌの武勇を知らしめて行こう」

 剣先を曇天に掲げる。と、無数の刃がそれに呼応した。

「おおう」

「おおう」

 地を揺らすような鬨の声が鳴っている。


「向こうはやる気のようだな」とカレンは旅団の後方にあって、台上のアントワーヌ隊を眺めていた。「向こうはおよそ二百、こちらは千五百。防御陣地の構築もない。向こうに高地の利があるとはいえ、こちらが有利だ」

 アルフレッドはなにもいわず、神妙な面持ちで仮想戦場を見つめていた。

「どうした? アルフレッド?」

「これは、様子を見るのがよろしいかと存じます」

 はあ、とカレンは片眉下げて、。

「こちらの方が圧倒的に数も多く、兵の練度だって負けていない。なにより、放っておけば逃げられる。なにをためらう理由がある?」

「敵はおよそノルン峠の外に寄り集まって布陣しています。なぜ、峠に入らないのか。なにかしら策があると思って然るべきでしょう。敵の士気が高すぎます」

「なにかしら、とはなんだ?」

「それはわかりませんけれど、このまま正面から攻め込めば我々もタダでは済まなくなりそうです」

「アントワーヌ邸の二の舞、ということか」

「なにをしている?」とヴォルグリッドが騎馬のまま前線から駆けてきて、二人の前で馬首を回した。「おまえたちが行かないのなら、おれが一人で行くぞ」

「待ってください。わたしも行きます。アルフレッド、どう攻める?」

「部隊を三つに分け、両翼と中央から進めるのがよろしいかと」

「ではヴォルグリッド殿は右翼の五百、わたしが左翼の五百を。アルフレッドは残りの五百を中央から上げつつ、予備兵にして使え」

「かしこまりました」

「では、五百、預かってゆくぞ」

 すでにヴォルグリッドは右翼側へ駆け始めている。


      〇


 ユウは猛烈な勢いで攻め上がってくる敵右翼を単眼鏡で眺めている。その先陣を切るヴォルグリッドの黒い鎧の姿も手に取るように見えていた。

「一丸になって登ってきてはくれないか」ユウは単眼鏡を縮めて懐に入れ、「リリア、敵右翼を頼む」

「はい」とリリアは一隊とともに後方へ下がってゆく。

「弓槍隊は敵右翼の迎撃、あとはジェシカに従って後方を守れ。騎馬隊はおれと来い」

「行こうぜ、大将」馬上のロックスが覇気を入れ、全隊が応じる。

「よし、敵を一掃する」

 アントワーヌには、弓、槍、騎馬、共に五十余りの数しかない。そのたった五十の騎馬隊を率いて、ユウは敵左翼、カレンの率いる部隊に突貫してゆく。


「奴は正気か?」

 カレンは敵指揮官の、天ノ岐ユウという男の神経を疑った。逆落としにしても敵の数が少なすぎる。およそこちらの十分の一程度しかいないように見える。だが、カレンにとっては絶好の好機。

「一揉みに揉み潰して……」

 接触した瞬間に終わらせてやるつもりであった。

 が、そうはできなかった。

 曇天に細い赤色の光線が走ったのを見、カレンは息を呑んだ。


「晶術光線?」アルフレッドは自らの目を疑っている。

「集合晶術ですっ!」と前衛が叫ぶのが、やたらとうるさい。

「見ればわかるって。いや、しかし……」

 アルフレッドは無精髭を撫でる。こうしている間にも光線は束になって赤色の円錐を形成し、その先端はヴォルグリッド率いる騎馬隊を狙っている。彼らの頭上に赤い光球が現れ、丸々と肥えてゆく。

「フローデン候が、帝国軍に間者を放っていたということか」

 だとしたら、ただの貴族ではない。相当したたかな男だ。

 あのヴォルグリッドの生死も危うくなってきた。


「お父さま」

 父の残した数枚の紙片、そこにしたためられていた秘術のことは一部の隙もなく理解できた。すべては幼い日からヘリオスフィアを学んできたからできたことである。

 身体が弱かったから晶術のことを学ぼうと思い、ひたすらに励んだ。父と、母と、国のため、民のため、自分にできることは学問しかないと思った。

「民のため、わたしを慕ってくれた人たちのため」

 リリアは家祖代々続く指輪に口づけた。その台座に据えられた紅色のヘリオスフィアに。

 自らが学術に身命を賭けたのはこの日、この時のためだったのではないか。

「わたしたちはあなたたちを退け、新しい地へ旅立ちます」

 指輪から赤色の光線が放たれ、天を差した。


 すでに敵左翼の騎馬隊は上空を眺めたまま静止している。

「突っ込めっ!」

 その声に反応したのか、帝国軍騎馬隊の先頭を走っていた兜の向こう、青い瞳とユウの目がかち合った。

 白剣が真っ白な尾を引く。

 セキトを敵の人馬にぶつけて蹴散らし、白剣が一人、二人と斬り裂いて血飛沫を上げた。

「帝国兵がなんぼのもんじゃっ!」

 ロックス率いる木こり部隊の攻勢が凄まじい。重量のある戦斧は鎧も人馬も構いなしに押しひしげ、吹き飛ばしてゆく。

 攻勢に技術はいらない。殺人と絶命の覚悟さえあればいい。兵としての素質を問われるのは撤退と防御である。アントワーヌの素人部隊では、攻勢をかけるしかなく、跳ね返されればそのまま壊滅するとユウは覚悟していた。押して押して、押しまくるしかない。

 死ぬか、勝つか、その二択の狭間にいる。

「このまま押し潰せ」

「怯むな、敵の数などたかが知れているぞ」

 女の声がする。

「陛下直下の我々こそが帝国正規兵だ。その力を見せよ」

 帝国兵は盾を掲げ、刀槍を防戦に用い、するすると後退してゆく。接敵しつつもしているなりに一塊に集約してしまった。ユウらは深追いができずに、距離を取られている。

「これが帝国正規兵の練度か」

「くそ、敵が硬てえぜ、大将」

「まだ機会がある。それを逃さずにもう一度突撃する」

 ちら、と西の空を眺めると、赤い光球は火炎をまとって、下界を睥睨していた。円錐の光線束が、ぷつ、と途切れた。

 火球がゆるゆると落ちてゆく。


 どっ、と凄まじい衝撃波が天地を穿った。

 暴風に煽られたカレンは馬上で屈むことしかできず、馬もじりじりと下がって首を振り、怯えを露わにしている。空気の暴力とともに飛来した土の驟雨に遮られて、状況も窺えない。どれほどの敵味方が生存していて、作戦行動を取っているのか。しかし、最大の危惧だけはわかっている。

 敵が来る。

 カレンは手綱を繰って、馬に覇気を入れた。

「槍兵前。穂先は坂の上へ向けろ」

 敵の初撃で受けた動揺からは立ち直った。しかし、前代未聞の衝撃と、砂塵に包まれて前後左右を失ったことに、部下はまた浮き足立っている。いまごろ自分たちの頭上に火球が輝いているかもしれない、などと思っているかもしれない。攻撃に出られれば良いが、坂の下に位置しているため、突撃するのも難しく、右の命令をする他なかった。防御力がほとんど皆無の騎馬という兵種で防御に当たるなど、愚策中の愚策であるが。

 おお、おお

 低い声音が土の粒を揺らし、カレンの肌を粟立たせた。左右の士官が震えているのがわかる。焦げ茶色が広がるばかりの眼前に、黒い人馬の影が一つ、二つ、三つ、次々と浮かび上がる。

「うおおおおっ!」

 アントワーヌの軍勢が凄まじい勢いで攻め寄せてくる。怯えた槍穂を打ち据え、こちらの陣に浸透し、戦斧を振り回して、第十六旅団が次々と撃ち散らされてゆく。

「小さくかたまれ。束になって敵を迎えろ。敵が坂の上といえど接敵してしまえば物の数では……」

 ぬ、とそばに黒い影が現れ、白い帯が走った。

 護衛の一人が馬ごと胴を裂かれてくず折れる。

「なんだと?」

 近づかれている。

 白い帯が砂塵を弾いて上段に移るのを見、カレンは剣を掲げた。その刃が弾ける。しのぎの中ほどまで断たれていた。

「なんということだ」

 左右にもアントワーヌ隊が突貫を仕掛けてきていて、喧騒がおびただしい。

 すでに乱戦の様相を呈している。隊をまとめなければならない。しかし、カレンにも指示を発する余裕がなかった。

 眼前、翻る馬首が土煙に霞んで見えた。

 白い軌跡が宙に円弧を刻む。

「こいつが噂の……」

 敵刃を受けようとした剣が折れた。血飛沫が発したのは馬の首元を断たれたのだ。騎馬の足元がよろめく。

「ちい」と舌を打った。落馬したのはどうしようもない。

「敵将をやったぞ」

 と若い男の声がした。

「撤退」

「撤退」

 と連呼して敵が引いてゆく。カレンを失ったと思った旅団に動揺が走っているのがわかる。

 追撃を仕掛けるか? いや、一度敵を下がらせて、戦列を整え直し、然る後に追撃をする。カレンは馬の遺体の影に隠れて、敵が去るのを待った。


 ぱ、と血飛沫が飛んだのを見、

「敵将をやったぞ」とユウは叫んだ。

「撤退」

「撤退」

 と指示が伝播してゆく。ユウも馬首を返し、本陣へ駆け戻っていた。

 ヴォルグリッドは生きている。集合晶術の餌食になっていればそれでいいが、十中八九生きている。リリアに襲いかかろうとしている。

「おれが殺す」

 人馬一体となって砂埃の中、砂の斜面を駆け登ってゆく。


「槍兵、槍穂を並べろ。戦列は崩すな。弓兵は順次射撃。敵を近づけるな」

 ぱらぱらと荒い砂がいまだに落ちてくる。リリアの集合晶術にどれほどの威力があったのか、まだ定かではないが、敵の混乱は相当なものだろう。こちらの兵数は五十程度と、壁にするには余りに少ない。しかし、落下の直前に隊列から離れる者もあり、確実に火球の下に入った者もおり、果たしてあの頭上に輝く恐怖と衝撃波、砂埃のどこにアントワーヌの槍穂が隠れているのか、定かではないまま、何人突撃を続けていられるものか。ジェシカにもわからない。わからないが、少なくとも一騎、そういう猛者がいることを確信していた。

 先頭を駆っていた黒騎士ヴォルグリッド。

「衝撃に備えろ」

 どお、と音を立てて槍隊が崩れた。騎馬兵が一騎、二騎、血飛沫と共に駆け抜けてゆき、さらに数騎がジェシカの陣中で留まりながら剣を振るう。

「これ以上先には行かせるな。囲い込んで馬を狙え。絶対に逃がすな」

 指示を飛ばしながら、ジェシカは舌打ちを止めることができなかった。

 数騎、簡単に突破されている。仕方がなかったこととはいえ、リリアの身を危険にさらしているのだ。しかし、ジェシカにも任務がある。

「一気に押し出せ、これ以上の敵を通すな」とジェシカは指示を出し、自らの馬を坂下に薦めた。「あとは任すぞ、ユウ」


「けほけほ」

 口元を覆っていても小さな咳が出る。

「こ、これほどの威力があるとは。みんな大丈夫かしら?」

「大丈夫なのでございましょう。戦線は堪えております」タモンはリリアの爪先にひざまずき、「リリアさま、どうぞこちらへ」

「ええ」

 晶術部隊はすでに後退を始めている。最も防御力の低い晶術部隊から後退しなくては、前線の部隊も後退することができない。

 坂の上方へ駆けようとした腕を引かれ、尻もちをついてしまった。ごう、と音を立てて、黒い風のようなものが行き過ぎてゆく。

「リリアさま、ご無事で?」

「な、なんです?」

「リリア・アントワーヌ、だな」

 タモンの声ではない。ざざ、と砂を踏む音を鳴らして、蹄が近づいてくる。黒い駿馬にまたがった漆黒の鎧の姿が、眼前にあった。

「く、黒騎士……」

「その命、もらい受けるぞ」

 いなないた馬の蹄鉄が高々と浮き上がり、リリアを踏みしだこうとした。リリアはまぶたを閉じて、身をかたくすることしかできなかった。死と痛みを覚悟したものの、そのときは来ず、想像外の熱波に顔面を煽られた。

 巨大な火の手が上がって、面前の人馬を包み込んでいる。タモンが腹に据えた晶銃から噴き出す火焔である。

 その火焔の中で人馬は踊り狂っている。

「リリアさま、お早く」

 とタモンに手を引かれ、引かれつつ立ち上がったリリアは走り出す。

「ちい」

 すぐに立ち直ったヴォルグリッドの追撃に、タモンは銃口を向けた。たすき掛けにして背に負った二本の銃。一本を肩越しに投げるようにして背に戻し、もう一本の銃口を脇の下から回すようにして前面に持ってきて、銃床を腰だめに据えたのだ。朝露が落ちるように引き金が引かれ、銃口から一発の弾が飛び出し、黒馬の目を抜いた。馬は首を四方に回し、絶叫して倒れ伏す。

「す、すごい……」

「リリアさま、お早く。このような小細工、次は通じませんぞ」

 すでにタモンは二射目の弾を込め、銃床を据え直している。

 馬を捨てたヴォルグリッドは一歩一歩を踏み締めるように寄ってくる。

 リリアはわき目も振らず、走り出している。


 タモンは駆け寄ってくる鎧に照準を合わせ、引き金を引いた。弾丸は埃の雨の中、正確にヴォルグリッドの兜の下、口元の辺りに直行してゆく。

 が、その射線に現れた黒剣のしのぎに弾かれた。

「ほう」とタモンが感嘆したときには、黒い切っ先が頭上に掲げられていた。短刀を引き抜き、盾にしたものの、一撃で刃が砕かれる。

「なんと」

 いいながら後ろにたたらを踏み、たすきを脱いで晶銃の一本を掲げる。この銃身も鮮やかに断たれ、タモンは大きく飛び退いた。

 もう一本、残っている火晶銃を腰だめ構える。スフィアの力を使い果たしてただの筒に成り下がったものだが、ヴォルグリッドを牽制する力にはなった。ほんの数秒、ヴォルグリッドは黒剣を上段に構えただけで立ち止まった。次いで、タモンを無視し、扇状地を駆け登ってゆく。

「リリアさま、そちらに行きましたぞ」

 タモンも追いかけるが、すでにリリアも、ヴォルグリッドも、ボロボロと降り始めた大粒の土雨に紛れて影も見えない。


「リリアさま、そちらに行きましたぞ」

 うしろから声が聞こえて振り返ったものの、誰もおらず、気のせいだったのかと思った。戦場の喚声と剣戟の音が喧しく左右がわからない。

 とにかく坂を登れば扇頂に着くはずで、リリアはそこに向かって傾斜を登ろうとした。その翻った視界の端に黒い影が映った。

 咄嗟に詠唱を始めた。指輪が緑色に輝く。

 黒剣が上段から振られようとしたその瞬間、足元から暴風が巻き起こり、足元に積もっていた砂を巻き上げた。

 リリアは転がるようにして頭を下げる。跳ね上がった毛先にかたい感触を覚えただけで、まだ生きている。耳元を風きり音がひとつ過ぎ去っていった。

 リリアが這うようにして起き上がろうとしたころ、ようやく雲の厚い空が見えてきた。四方に十数人にも及ぶアントワーヌ兵がおり、その刀槍をヴォルグリッドに向けている。

「ヴォルグリッド、覚悟」

 誰かが叫ぶと同時に、黒鎧の後方の一人が飛び出した。その胴が真っ二つに裂かれ、上半身だけが飛んでゆく。さらに、一人が詰め寄ったものの、真っ向から斬り落とされ、もう一人も胴薙にされる。それを見ただけで、残りの十人余りは槍先を敵に向けるだけで動けなくなってしまった。

「リ、リリアさま、お逃げください」と敵を牽制しながらいう。

「でも……」

 兵を置いて逃げられるものか。

 逡巡の間にも、ヴォルグリッドはリリアに襲い掛かってくる。リリアは指輪を撫でで赤色にきらめかせた。

 やるしかない。

 と覚悟したそのとき、唐突にヴォルグリッドが振り返った。黒剣を一薙、凄まじい鋼鉄の悲鳴を鳴らした。空を切って、一本の斧が遠くに飛んでゆく。

 何事かと思ったリリアの体が突如として宙に浮いた。

「大丈夫か、リリア?」

「ユ、ユウさん」

 彼の胸の中に抱かれながら、騎馬に揺られている。


「無事か、リリア嬢」

 と、ロックスが並走してくる。武器を失い、両手で馬を御している。

「セキトはやる。リリアはこのままノルン峠に入れ。ロックスに任せる」

「ユウさんは?」

「ここでヴォルグリッドを仕留める」

 いうが早いか、ひらりと下馬したユウは坂下に向き直った。獣の意匠を施した黒い鎧がそこにいる。

「やっと会えたな、ヴォルグリッドとやら」

「生きていてくれてよかったよ、小僧」

 ヴォルグリッドが黒剣を振るう。

「おまえが海に落ちていれば白剣を失うところであった」

「そうかもしれない。しかし……」

 ユウは白剣を閃かせ、中段に据えた。

「貴様は、白剣を失わなかったが、命を失うことになる」

 坂を駆け下った白剣と黒剣が交錯する。凄まじい剣戟と共に、烈火の如き火の粉が散った。


「団長、ご無事でしたか」

「当たり前だ」とカレンは助けに来た士官に冷然という。「これくらいでやられて堪るか。すぐに戦列を立て直せ。敵を追撃するぞ」

 おお、と鬨の声を上げた兵の士気は高い。そこら中に転がっている遺体は帝国兵のものばかり、数十体とあるが、まだ戦える。

 坂下の方を見遣れば、アルフレッドの部隊ものそのそと進軍を始めている。あまりキレがないのは、まだ集合晶術を警戒しているのだろう。

「あの男らしい」

 カレンは主を失った空馬を捕まえて、馬上の人になっている。


「ユウさん、ユウさん」リリアは暴れ始めたセキトの手綱を捨てて飛び降りた。

「おいおい、リリア嬢よ」

「ユウさんを助けに行きます」

「助けに行くっていっても……」

「リリア、ご無事で」

 駆けてきたジェシカと、そのうしろにはタモンもいて、槍隊、弓隊の者たちは続々とノルン峠に入ってゆく。リリアだけがその流れに逆行している。

「リリア、どこに行こうというんです?」

「ユウさんを助けに」

「リリアを助けるために我々も、あいつも戦ってるんですよ」

「ここでヴォルグリッドを倒して後顧の憂いを断つのが我々の勝利です。わたしについてくる者はいますか?」

 一帯にいた槍隊、弓隊、晶術隊が歩みを止めて、歓声を上げた。

「すでにノルン峠に入った方々には道の確保をさせてください。わたしたちが必ずヴォルグリッドを倒します」

 リリアは白黒の軌跡閃く戦場へ駆け下っていった。

「やれやれ」とタモンは禿げ頭を擦りながら笑っている。「お転婆なお姫さまですな」

「笑いごとじゃあないぜ」

 ロックスは近場の兵から斧の一本を奪い取り、駆け下ってゆく。


 一合、二合、と激しく打ち合い、身を入れ替えたユウは頭を下げる。その頭上を黒剣の軌跡が過ぎ、間髪入れず、突き出した白剣の先が黒剣の柄を削る。さらに二人は身を移し、同じ高さに。白剣は上段に移って、盾にされた黒剣を打ち据えた。一度、二度、三度、と繰り返し打つ。

「多少やるようになったか」

「偉そうに」

 鍔をせり合わせ、ひとつ強く押し込んだヴォルグリッドから、ユウは大きく飛び退いて距離を取る。引き際に振り抜かれた黒剣に、白剣の刃が鋭く擦れる。

 前のめりに間合いへ踏み込んでくるヴォルグリッド。ユウは中段に構え、坂の上へわずかに動く。ヴォルグリッドの伸び上がった上段は高低差を補って余りある高さから来る。

 早い。がら空きに見えた胴を狙う間もない。

 白剣を頭上にして、わずかに傾け、黒剣の軌道を逸らし、ヴォルグリッドの小手を叩こうとした剣が黒剣に叩かれる。その力強さにユウはうしろへたたらを踏んだ。砂地と傾斜に躓きそうになる。さらに来る上段からの黒剣を防いだものの、ほとんど吹き飛ばされて、尻もちをついて転がった。

「くそ」と砂を噛む。

「やはり、父上の方がよい戦士であったぞ」

 兜の下の口元が愉悦に歪む。

 その安易な挑発にユウの全身が総毛立つほど熱を孕んだ。

「そうだろう」と頷く。「親父はいい戦士だった、おまえよりも」

「ほう」とヴォルグリッドは身を開いた。「来い、異界の剣士」

 二人の位置はおよそ水平にある。

 ユウは中段に構え、ヴォルグリッドは上段に構え、激しい戦場にあって奇跡的なほどの静寂の中にいた。

 高空を旋回する鳥の群れが、ああ、ああ、と寂しげに鳴いている。

 ユウの爪先が砂地を蹴った。

 ぱ、と真砂が舞う。

 ヴォルグリッドも一歩、大きく踏み込み、上段をさらに高い位置に据えた。ユウは腰を落とし、切先を眼前に、鍔を腰元に。

 突き殺す。

 全身をバネにして突き出そうとした刃の前を小さな火球が過ぎてゆく。

 瞬く間に火焔の弾幕となって、さらに暴風が吹き荒び、砂上にいたユウはヴォルグリッドの遥か手前で転がっていた。ごろごろと下へ、下へ、転げ落ちてゆく。

 黒剣は翻り、坂上からしのつく矢を叩き斬っていた。

「リリア・アントワーヌか」

「槍兵、突撃してください」

 うおおおお、と鬨の声を上げて突貫してゆく。ヴォルグリッドは剣を構えるものの、降りかかってくる火球の群れに文字通り手を焼いている。

「畜生」とユウは砂地を叩いていた。

 ヴォルグリッドは強い。わかっていたことだ。しかし……。

「おれがやる」

 父のこと。剣士としての意地のこと。アントワーヌの者たちが束になって果たして奴に勝つことができるのか、ということ。自惚れといわれようが、おれがやる、という強い意志が胸の内奥で熱く滾っている。

 坂道を駆け上がってゆく。

 一度鞘に封じた白剣が、カタカタと音を立てて震えていた。


 四方を槍穂に囲まれたヴォルグリッドはその壁を振り払うように黒剣を振るっているが、有益な空間を作れないでいる。

「勝てます」とリリアは指輪に光を宿した。「晶術部隊、前へ」

 無数の火球が放たれた。炎の渦にヴォルグリッドが怯んだ隙に一刺し加えられれば。周囲もそのつもりで槍穂を構えている。

 勝ちを確信したリリアの目に、黒い兜の下の笑みが映った。

 どど、と音を立てて火球の群れが標的に食らいつく。着弾のたびに立つ土煙の中に、赤熱の輝きが浮かび上がった。

 なにか来る。

 ど、と強い衝撃と共に、高い砂煙が上がった。

 宙に飛んでいる肉片はアントワーヌ兵のものだろう。手足も胴も、引き千切れて曇天を転がっている。さらに、一度、二度、と爆撃ともつかない斬撃が連続し、そのたびにアントワーヌ兵の遺体が増えてゆく。

「な、なんてこと……」

 リリアは口元を覆って土煙の中を窺っている。


「血の、宿命だ」

 ヴォルグリッドはいう。

「我ら、ジョゼの一族に与えられた定めだよ、この力は」

 赤熱色を失った黒剣が空を切り、血の蒸気を立ち昇らせる切先が足元に垂れている。

 ユウは白剣を抜いて、再び宿敵と向かい合った。

 血煙と、死臭が濃い。

「この力のために、おまえは白剣を狙っているのか」

 黒い剣は晶術で生まれた火球を断ち、その力を刀身に蓄え、斬撃に乗せて放った。ユウにはそう見えた。刀身に晶術を集め、放つ、一種の集合晶術なのか。

「ジョゼの聖剣は、元は一本の太刀であったという。星の太刀であったと」

 ヴォルグリッドは足を前後に開き、黒色を取り戻した剣を中段にひたと据えた。

「見てみたくはないか? その力を」

「ない。おれはこの一振りで勝つ」

 白剣を握り直す。中段、やや右に傾けて構えた。

 人の一掃された荒野の上、二人の間に、風が抜けてゆく。さらさら、と、足元の砂が形を変えて流れてゆく。

 黒い尾が空へ伸びた。

 ヴォルグリッドの巨体が、瞬く間にユウとの距離を詰め、黒剣は上段、その刀身を振り下ろす。体軸をずらしたユウは白剣を引き絞る。全身をバネにして切っ先を突き出した。

 音を立てて火花が発す。

 しのぎが削れ合い、モノクロの狭間に真っ赤な星を散らした。

 暴れた黒剣に押しのけられた白は刃を立てて堪え、鍔を合わせるほどに密着してさらに押し退けられ、それでも上段に上がった白剣が黒剣を連打する。押して、押して、押し込んでゆく。

「ヴォルグリッドッ!」

「小僧がっ!」

 ついに、うしろへたたらを踏んだヴォルグリッドの全身に力が漲り、一塊の唐竹割となって繰り出された。

 ユウも一歩、踏み出して、一閃。

 勝つ。勝つんだ。

 男たちの情念を集約した剣戟。引かれたのは漆黒の円弧。

 吹き飛ばされるのに終始したユウは、全身を包む敗色に項垂れ、見上げた空に琥珀色の瞳と兜の隙間から覗く嘲笑に歪んだ唇を見た。

「良き戦士であった」

 黒剣が振り下ろされようとした瞬間、

「ユウさんっ!」

 ヴォルグリッドの腕に生まれた瞬間の戸惑いが、ほんのわずかな時間を生んだ。そしてユウの体を動かした。

 ユウは咄嗟に転がっていて、転がりながら立ち上がり、ヴォルグリッドの横合いを駆け抜けてゆく。リリアは坂道を駆け下り、ユウは登って、ヴォルグリッドは二人の円弧を描くような軌道の中心にあって、左右に視線を走らせている。

「おまえたちは」

「わたしたちは負けません」

 リリアの手元がきらびやかな赤光を放った。

「あなたを倒します」

「無駄なことを」

 ヴォルグリッドはユウを振り向き、しかし、立てた黒剣と意識はリリアに向けた。

 二人はそれぞれの得物を構えたまま、黒騎士の周囲を駆けてゆく。

「そうだ」ユウは呟く。「おれたちは勝つ」

 ちら、とヴォルグリッドがユウを見据えたその瞬間、

「行きます」とリリアの指先から火球が放たれた。

「下らん」

 火球は身を翻したヴォルグリッドの鎧を擦過して背後へ。ヴォルグリッドは翻った勢いのままユウの方を向き直る。その目が兜の下で大きく見開かれた。

 火球を受け取った白剣が赤熱光を発している。

「斬る」

 瞬間、振り抜かれたユウの一撃は烈光を上げ、その閃きが黒騎士を包んだ。

 巻き上がった噴煙と熱波に、ユウはあとずさってしばらくの成り行きを見守っていた。リリアが傍らに寄り添い、

「ユウさん」

「まだわからん」

 風が吹いて、薄い煙を除いてゆく。と、うずくまる黒い鎧があった。黒剣で身を支え、立ち上がり、煤けた鎧の肌を大儀そうに払っていた。

「なかなか」とねばついた声でいう。「なかなかやってくれるものだな」

 ユウは白剣を構え直し、リリアも身構え、アントワーヌ兵も戻ってくる。

「貴様ら」黒剣の柄を握りしめる、低い音がいやに響いた。「死に飢えたか」

 再度、決戦の火蓋が切って落とされようとしたそのとき、

 どどど、と蹄の音が空に響いた。

 下方から騎馬の群れが駆け登ってくる。帝国第十六旅団はすでに右翼の一隊を失い、左翼の一隊も重傷を負ってなお向かってくるのだ。

「リリアは下がれ」

「ユウさん……」

「大将」とロックスが隣に並んだ。「おれたちも付き合うぜ」

 タモンもいて、ジェシカもいる。

「ジェシカ、リリアを任すぞ」

「生き残れよ」とジェシカはリリアの手を引いてすでに下がろうとしている。

「ユウさん」と呟いたリリアの悲壮な声に、地鳴りが重なった。


      〇


 重い、ノルン峠そのものが揺れるような地鳴りだった。どこから発しているのかわからない。何事か、とヴォルグリッドですら空を眺めていた。そう、空で鳴っている。ユウも曇天を見上げた。

 次の瞬間、

 どお、と音を立てて、巨大な影が降ってきた。

「グルああああああっ!」

 凄まじい咆哮とともに散った唾液がユウたちを濡らした。

 鋭い牙と細長い舌、底の見えない真っ暗な口腔。長い頭を持ち上げた図体の体高はゆうに五メートルを超え、肌は灰色の体毛に覆われ、関節やこめかみなど急所に生やした羽毛も灰色、出張った四角い口元からは涎がこぼれ、地面に大きな染みを作っていた。

「こっ……」と呟いたユウは、黄色い瞳に見据えられて、自らの口を覆った。怪物の瞳は瞬きを繰り返しながら、しきりに小首を傾げている。

 これがジークベック。

 ちるちる、とこまめに細い舌を突き出して空を舐めている。三本指の両手足には鋭利な爪が備えられていて、振られれば一たまりもないだろう。

 冬眠しているという噂だったが、ふもとの喧騒に呼ばれたのかもしれない。理由はともかく、これが、二匹、ユウとヴォルグリッドの間に直立して、鱗に包まれた長い尻尾を宙にたゆたわせていた。

 怪物の威容を前に、アントワーヌも帝国もなくかたまっている。

 ちょっとでも音を立てれば死ぬ。そういう雰囲気が満々に漂っている。

 唾を呑み下すこともできずにただ立ち尽くすしかない。ヴォルグリッドも黒剣を構えるだけで動かない。その後方、一頭の馬が激しくいなないて主を振り落としたのが、すべての始まりであった。

 ジークベックの足が砂地を踏んだ。一、二歩、跳ねるように歩いて、逃げ出した馬を一口に呑み込んだのだ。

 それからは狂騒である。

「うわああああ」

 帝国兵、アントワーヌ兵関わらず、脱兎のごとく逃げてゆく。

「これはヤバい」とユウも二匹のジークベックから目を離さずにじりじりと後退している。「ダンタイケイの比じゃない」

「大将、いってる場合じゃあないぜ」

「如何ともしがたいですな」とこの男はこの喧騒の中でも頭を撫でながらにやにやとしていた。「年貢の納め時ですかの」

「バカ野郎」とユウは怒鳴る。「てめえだけ餌になってろ」

 さらにユウは後方へ、

「弓隊はあるだけ撃て。武器を掲げて、手でも口でも、来るところを迎撃しろ。警戒しながら後退するんだ」

 といっても、統率が取れるわけがなく、一矢を報いることもできずに怪物の餌食となってゆく。すでにジークベックの餌場だ。人馬は爪に裂かれ、足裏に踏みひしげられ、怪物の口元は血を滴らせて、琥珀の瞳は次の獲物を探している。

 ごお、と風を巻いて、石を伸ばしたような尻尾が頭上を行き過ぎていった。

「どうするんだい、大将」とロックスも転がりながら辛うじて生きるのが精一杯という感じだ。

「どうもこうも……」

 ユウは四方を見渡して、手元の白剣を見、その刃を中段に構えた。

 斬る、しかない。白剣の斬れ味は鋼鉄をも裂く。いかに剛毛といえど断てるはずだ。断ってみせる。

 ユウが覚悟を決めて、一歩踏み出そうとしたそのとき、

「ユウさん」

 と声が飛んできた。上方、ノルン峠口に、ジェシカに腕を引かれるのも構わず立ったリリアの、左手の指輪が赤色に閃いている。

「なるほど」

 とユウは白剣を振って、駆け出した。ジークベックへ向かってゆく。その殺意に気づいた怪物の視線とユウの視線がかち合った。

「グルああああああっ!」

 巨大な口腔がユウの眼前を覆ったそのとき、火球が飛来した。ユウの白剣と交錯し、その刃が赤熱色に染まってゆく。

「南無三」

 激しい爆炎が上がって、竜の口腔を天空へ跳ね上げた。さらにもう一発、飛んできた火球を刀身に受け取り、竜の腹部から右足の付け根、その足元へ。

 一息に振り下ろした。

 ど、と盛大な土煙が上がり、真っ赤な噴水が土煙のさらに上まで昇ってゆく。

 ぐらりと倒れる竜の身体を目にした周囲から歓声が上がった。

「さっさと逃げるぞ」

 ユウは手を振って全隊を集め、ノルン峠の方へ駆けてゆく。扇頂まで登り、飛びついてきたリリアを胸に抱えた。

「ユウさんっ!」

「ああ、行こう」手を取り合い、下方を振り返り、「リリア」

 ジークベックと向かい合い、遥か下方のヴォルグリッドを指さした。頷いたリリアは指輪に赤い光を灯す。

「ヴォルグリッドッ!」叫んだユウの方を、黒い兜が向く。「また戦場で会おう」

 リリアの指先から火球が放たれたのを潮に、ユウは彼女の小さな手を引いてノルン峠の奥地へ潜っていった。

「晶術隊集合」と号令をかける。「火の集合晶術」

 ユウは天空を指さした。

「どうするんです?」とリリアは首を傾げている。

「帝国の追跡を断つ。ここの地質は脆いから盛大に崩れるぞ。火球は遠くに落とせよ。崩壊に巻き込まれないようにしろ」

 巨大な火球が白い山を穿つ。


      〇


「なんということだ……」

 また多くの犠牲を払ってしまった。その犠牲の中に、二匹のジークベックの遺体が転がっている。これも信じられなかった。カレンも竜盤類、鳥盤類の噂は聞いていたが、見るのも初めてだったし、その脅威を目にして人の殺せるものだとは到底信じられなかった。それが一匹ではなく、二匹。

 竜の遺体の上に立って、崩れゆくノルン峠を眺める黒鎧。カレンはその姿を見つめた。次いで、曇天に視線をやり、

「アントワーヌを逃がしてしまった」

 まぶたを閉じた彼女の、ため息が深い。


      四章 駆ける


 ユウは今日も、花崗岩の端をつかんでいる。

 体を引き上げ、少しずつ登ってゆく。

「ユ、ユウさん、ごめんなさい」

 背中のリリアがいう。

「いい。こうなるのは覚悟の上だった」

「でも、あれだけ戦ったあとなのに、わたしを背負ってなんて……」

 過酷すぎる。自分でもよく動けるものだな、と思っている。疲労のその先に肉体がある。

「今日のうちにここを越える。ノルン峠内で一泊はできない」

 険しい道を行く隊列に力はない。すでに疲労が限界に達している。端の一人に至るまで顔色は青白く、眼には生気もなく、足取りは雲を踏むようである。部隊の多くを失ったことも士気に影響しているのだろう。

 帝国兵のことは問題なかった。予定の通り戦った。しかし、ヴォルグリッドとジークベック。戦場では想像外のことが起きるとつくづく知った。集合晶術という勝算があったとしても、スレイエスに渡る前に帝国西方部隊に一撃を与えて名声を得る、と考えたユウの判断は間違っていたのかもしれない。尋常でない打撃をこうむってしまった。

 中央荒野縦断に続き、二度目の失策である。

「おれは……」

 さらに一歩、崖を登る。

「もう少しだ。気合入れろ、おまえら」

 最前線を行くロックスが覇気を入れようとするが、どれほどの効果があるか。とにかく、一歩一歩、歩みを進める。進めるしかない。止まったら死ぬだけだ。

 石壁を登り切り、人が二人並べばいっぱいの細い渓谷の前まで辿り着いた。ユウはしゃがんでリリアを下ろす。

「ここからは平坦地だ。一人で行けるだろう?」

「ありがとうございます」

 ユウとリリアは並んで渓谷の隙間を行く。

 石壁は湿り、雫を落とし、所々が苔むして、濃い緑の臭いを漂わせていた。薄暗くなってきた明かりの下で、あちこちがぬらぬらと光っている。

 二人の行く先には、石壁に挟まれて光の柱と見紛うようになった出口があった。一人、二人、とアントワーヌ兵が吸い込まれてゆく。

 二人の足も、その先へ踏み入れる。

「うあ……」と思わず、声を上げてしまった。

 爽やかな風が吹いている。

 緑の芝、その香り、柔らかな土壌、突き抜けるほど高い桃色の空、はるか彼方の地平に輝く夕日の色の美しさ。

「これが、スレイエス……」

 呟いたリリアは口元を覆い、小豆色の瞳が穏やかに揺れて濡れる。

 ぞろぞろとノルン峠の狭間から湧き出してくるアントワーヌ兵も尽く、天然自然の色彩を目にし、鼻で嗅ぎ、指先に触れる空気の温かさにまで、全身と魂を震わせていた。言葉を失って、ただ、ただ、魅入っていた。

「越えたぞ、帝国国境を」

 ユウが夕焼けの空を指さした。

「うおおおおおおっ!」

 凄まじいまでの歓声が鳴り、刀槍弓、なにもかもを投げ出して左右の人と抱き合った。涙を流して、喉がはち切れるほどの歓声を上げている。

 ユウの隣に、一足先に越境していたセキトが駆け寄ってきた。ユウは馬上の人となって、馬腹を蹴った。見る限り、地平の果てまで広がる平坦な草原を一心に駆ける。

 駆け抜けてゆく。

 どこまでも駆け抜けてゆく。

                                   了


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