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幻想剣客史譚  作者: りょん
22/23

第六巻 天の岐編 二章 砂塵

     二章 砂塵


 ユウはノルン山脈を東方へ渡ろうとしている。

 かつてノルン山脈の一隅にあったスレイエスーファブル間の交易路は山間にあってなお荷台がすれ違って余りある太い街道を備えていたが、それがアントワーヌの集合晶術で粉砕されていた。いまはこの二国を繋ぐ道は馬一頭、人一人が這うようにして越える険路しか残されていない。スレイエス側は広葉樹と針葉樹が密生し、高所になっても灌木の茂る豊かな大地だが、ファブル側に出るとその姿は一変、乾燥した礫と砂塵舞う、粘土質の硬質な大地にとって変わる。

「しかし、氷河地形の美しい」

 二千メートルを越えると、ナイフのように切り立った稜線が南北に長くのびる辺りに出る。西部は針葉の灌木が赤い実をぶら下げながら下方の雲海までを覆い、東方は断崖絶壁、小石が転がれば数百メートル下まで止まることなく下ってゆくことだろう。もちろん、人が転がっても同じ運命をたどる。

「カールという地形ですね。氷河がここにあって、その重みが山肌を抉ったんです」

 下方にモレーンと呼ばれる氷河の堆積物でできた丘陵地も確認できる。ここが氷河地形であることはまず間違いないだろう。

 ここが氷河地形、ということは、この山は古い山だ、ということだ。いまから一千年前にあった大きな時空震で山脈そのものが召喚されたのがノルン山脈といわれ、その時空震によってジョゼがこの世界に降臨したともいう。アステリアの氷河期はそのころが直近になるから、このカールはそれよりも古く、時空震の影響も受けなかった、ということになる。ならば、大時空震で形成されたノルン山脈というのは、もっと北方にあり、ジョゼが大時空震とともにアステリアに来たとするなら、彼の出現地ももっと北方ということになり、もしかすると、地質学的に見ていけば、かなり細かいところまでジョゼ降臨地が判明するかもしれない。とすれば……。

「もういいか?」

 ジャックにいわれて、ユウは太古に旅立たせていた意識を引き戻した。

「ここから東はファブル自治領。砂と礫の大地だ。ここにおまえたちアントワーヌの人馬二千を東から引き込み、縦横無尽に走らせて帝国軍の後方を錯乱させる」

「できますか?」

「おれたちを誰だと思っている?」

 ジャックは口元だけで薄く笑い、

「おまえはせいぜい馬の尻でも洗って待ってな」

 帝国軍はこのころ、またほとんどの部隊が北の帝国国境付近にあって、ファブル西部まで配備されていない。ノルン山脈の警備に当たっていたのはファブル自治領軍五個旅団総勢一万程度の人数だった。それが三百キロに及ぶ国境線を日夜警備している。彼らが登攀可能と思う箇所、または交通の要衝に大部隊が偏って編成されているために、所々、スカスカといっていい。空白地帯だ。しかし、人的余裕のないファブル側にしてみれば仕方がない。果たして、アントワーヌはどこに現れるのか、それを押さえるのに充分な人数を集められるのか、ファブル指揮官には様々な憂慮があったが、その一切を払拭してくれる出来事もあった。

 ノルン山脈の一峰の中腹に、小さな牧が出来上がったのだ。

 それを建設したのがアントワーヌらしい。スレイエス以降の兵はともかく、王国亡命来のアントワーヌ兵は土木に慣れ親しみすぎていて、全兵工兵といってよく、こういう仕事はお手の物だった。

 せっせと木材を運び、加工して、柵を植え、建屋を築き、幕舎も立てて、馬を入れ、秣を準備し、炊飯の煙も上げ始めた。その仕草は可憐なほどで、毎日毎日、牧の世話をしているばかりで、どうもファブルを攻めてきているというふうはなく、純朴な牧畜民が新しい牧場を開いたとしか思えない様子だった。

 しかし、ファブル側も放っておくことはできない。攻撃しようとしたものの、人一人通るのが精一杯の道は進軍路として役に立たず、仕方なく、その道に乱食いと逆茂木を設置し、アントワーヌの進軍を押さえつつ、ふもとに数千という人数を集めて封鎖した。

 アントワーヌは高地の牧から脱出不可能のように思われていた。

 しかし、ある日の夜、ファブルの後方に黒い影のような兵団が現れたことで状況は一変してしまった。

 後方の警戒をまったく怠っていたファブル軍はどよめくように激震し、かつ混乱した。影の軍団は凄まじい勢いでファブル兵を切り倒し、逆落としをかけて牧の下にわだかまっていたファブル軍の中団をこの山からすっかり追い落としてしまった。彼らはさらに下段へ押し進んでゆく。一方で、山地に配備されたファブル軍上団は孤軍と化していた。その数も、数百程度が間延びして配置されているだけで、戦力としてはまったくの薄弱であり、混乱もしていた。そこに、

「進めー」

 と、アントワーヌ軍が雪崩かかってきたのだ。ひとたまりもない。ファブル上団は転がるように逃げ散ってしまった。

「あまりに呆気なさすぎる」

 ユウはアントワーヌ軍の中にいて、ファブル軍が置いていった松明の一本を高く掲げた。

「柵の類は可能な限り潰しておけ。偵察も怠るなよ。夜明けにはここを駆け下って、先行部隊の救援に行く」

 おお、と賭け声がひとつになる。

 以降、アントワーヌはせっせと下山路の整備をしつつ、再集結しかけていたファブル部隊を追い散らし、夜明けが来るのを待ち続けていた。そして、ついに東の地平に日が昇る。薄霞のかかった白色の大地が朝焼けに燃え、金色の砂塵がさらさらと流れるのを見た。

「行くぞ」

 ユウの気合ひとつ、山腹を駆け下ったアントワーヌが見たのは茶色い鎧の、ファブル兵の遺体が数多転がる無辺の荒野だった。湿気のない空がやけに白っぽく、幻想のように見えた。一戦も交えず、この荒野に立っているのも嘘っぽく思えた。

「よお」と大きな岩の上に、一人だけ腰かけたジャックが片手を上げていた。「ちゃんと降ろすっていったろう?」

「あなた方は少し強すぎます」

 ウッドランドの兵数は三百といなかったはずだし、敵の数は五千を下らなかったはずだ。その数、二十倍。ちょっと信じられない戦い方をする。

「さっさと行けよ。でないと敵が来るぞ」

「それでは、お言葉に甘えて」

 ユウは額に当てた二本指を振って、セキトの馬腹を蹴った。それに、アントワーヌ騎馬隊の二千が続いてゆく。

 ジャックは頬杖をついたまま、彼らの巻き上げる砂塵の行方を見守っていた。


     〇


 青の生地に雑然と白を刷いたような空だった。それと地上の間に、黄土の砂塵が流れている。

 エドワードは一振りの大剣を抜いて、その切っ先で緩やかに大気を裂いた。ほんのりと白い蒸気を帯び、とめどなく溢れさせて地に流している。

 十字型の柄を持ち上げて丁寧に頭上を通し、中段に構えた。呼吸を整え、眼前にいる赤毛の男を見つめた。相手の、わずかに揺れた切っ先が黒い尾を引いて、エドワードの大剣を軽く叩いた。それに応じて斬り上げた大剣が黒剣を激しく弾いた。敵の口元がにわかに歪む。愉悦の色を帯びていた。

 一歩下がる敵に追いすがったエドワードが大剣を振り下ろした。受けた黒剣が火花を上げる。さらに一撃、二撃、叩き込んで、相手を押し込んでゆく。

 大剣を二の腕に担い、薙ぐ。大振りの一太刀を受けた黒剣を弾き、敵を大きく仰け反らせた。さらに一撃、見舞おうとしたとき、頭上から黒剣が襲いかかってきた。のけ反った間合いを利用して打ち込みをしてきたらしい。

 がつ、と音を立てて、大剣が黒剣を受け止めた。金属片が砂塵に混じって飛んでいる。

 エドワードの足が一歩踏み出した。黒剣と合わせた刃がカチカチと鳴り、鍔が擦れ合っている。粘った爪先が地をえぐり、二の腕の筋肉は鎧の下で弾けるほど膨らんでいる。だが、相手の巨体はびくともせず、口元で笑っている。

 怪物。

 あまりの強者を前に、エドワードの口元も微笑んだ。戦士としての血が騒いでいる。

 エドワードの上体が膨れる。全身でもってさらに押し込もうとする。が、突如、眼前の抵抗がなくなった。たたらを踏んだ身体が横合いから押され、ぐらりとふらつく。相手は中段から上段へ、さ、と振り下ろす。大剣を叩かれた。次いで斬り上げ、エドワードの足もとをすくった。返す刃が落ちてくる。辛うじて大剣を盾にしたが、その刃に黒剣が抉りこんだ。串刺しにされたような状態の大剣はそのまま引き上げられ、腕力のなくなっていた手からその柄が離れてゆく。

 遠くに転がり、かたい音を立てた。

「さすがの実力だな」エドワードは笑うしかない。「しかし、ああも思い切り打ち込んでくるとは、ゾッとしたぞ」

「生半な打ち込みでは参考になるまい」

 ヴォルグリッドが二歩、三歩、と下がった。皇帝付きの従者が一人駆け寄ってきて、大剣を鞘ごと、エドワードに恭しく掲げた。それを受け取って、再び鞘を抜く。

 天ノ岐ユウの白剣はヴォルグリッドの黒剣と同等の切断能力があるという。通常の剣では勝てない。そのために研究を重ね作り出したのが、この剣、ヘリオスフィアの粉末を塗布して晶術による強化を施せる晶機剣とも呼べる魔剣だった。まだ試作品が十本余り送られてきているだけで、その性能試験もエドワード自身がこうして行っている。

 しかし、この剣の性能は間違いがない。黒剣と数回刃を交えて刃がこぼれず、渾身に近い一撃をもらって原型を保っている。

 この剣なら白剣と、天ノ岐ユウと戦える。そして、勝てる。

 もう一度、大剣を振ろうとしたとき、

「陛下」と傍らで膝をついた男がいた。伝令兵である。「ファブニール近郊に敵騎馬隊が突如出現したとの報告あり、我が軍の兵糧の一部を焼いたと……」

 エドワードは、ほお、と深いため息をつき、怒りを冷たい空気で抑え込んだ。

「アントワーヌか?」

「それが」と話す伝令の声は震えていた。「それらしくは見えたという話はありますが、確証がございません。彼らは旗章を持たず、烈風のごとく現れて過ぎ去ったといいます」

 ファブル国内に敵性勢力がある、とエドワードは聞いていない。アントワーヌが東の山を渡ってきたのだ。

「ノルン山脈の防御線はどうした? ファブルに守られていたはずだが、抑え込めなかったか」

 そう。ノルン山脈にアントワーヌの牧が出現したという報告は受けていた。あれはどうなったのか。

「ファブルのノルン山脈防衛部隊は、側背の山岳から強襲を受け、一時撤退しましたが、すぐさま戦線を回復させたとのことであります」

「山岳部隊?」

 顎を撫でたエドワードの頭にはジャックの立ち姿がちらと浮かんだが頭を振った。奴はいまウッドランドにいるはずだが……。しかし、いまはそれはいい。

「牧への再攻は仕掛けたのか?」

「それは、なんとも……」

「バカが」

 エドワードは思わず悪態をついて、伝令兵をすくみ上がらせた。別にこの兵が無能なわけではない。自らの忍耐の無さにエドワードは頭を掻き、

「おまえにいったわけではない。ファブルには牧の調査をさせろ。それと、その奇襲部隊については第二師団に対処させろ」

 第二師団はアントワーヌとの因縁があるし、アルフレッドがアントワーヌに対して多少の情熱を燃やしていた。それと……。

 ヴォルグリッドは黒剣を鞘に収めていた。

「行くのか?」

「あの小僧も出てきているはずだ」

 ヴォルグリッドは背を向けて厩舎の方へ向かっていった。

 これでは剣の試験もできないな、と、エドワードは剣を鞘に封じた。


     〇


「もっと北上して帝国軍の後方を脅かすべきです」

 ど、とエイムズが床几を叩くのを、ユウは黙って聞いていた。

 ほとんど吹きっ晒しの冬の荒野で、全身を布団のような毛皮に包まれながらヘリオスフィアの放つ熱気を囲んでいる。温かいスープを作っても、飲み終わるころには体温より冷たくなっている。そういう荒野だ。植生は短草と灌木がちらほらあるきりで、樹木など乾燥のため生えず、遮蔽物のない無辺の荒野。巨大なマルティエス湖がなければもう少し乾燥して沙漠と呼ばれていたかもしれない。そんな荒野で、無装備に近い野営は寒気にめっぽう強い帝国人とスレイエスでも選りすぐりの猛者の混成部隊だからこそ耐えられる過酷な事業だった。おそらく、南方の暖気に慣れた王国軍には不可能だっだろう。

 なにが寒いといって、冬の剥き出しの地面ほど冷たいものはない。気体、液体よりも固体の方が圧倒的に熱を伝えるため、地べたに直接座っていると、体温は無限に広い荒野に無限に吸われてゆく。それを避けるために、冬の野営は体の下に敷くなにかが絶対にいる。アントワーヌ奇襲部隊も背中を覆える大きさの、段ボールのような折畳式座椅子を携行していて、その上で休み、また睡眠を取って、有事には盾にもしている。素材は木製だから頑丈にできている。

 まあ、それはいい。

 エイムズの言論である。

「我々の攻撃は成功しています。このまま強撃を続け、帝国軍の兵糧を少しでも削れれば、どれほど奴らの気勢を削ぐことができるか」

「お言葉ですが」とセオドアが努めて感情を殺しつついう。「我々が成功し続けているのは敵の弱いところを突いているからに過ぎません。帝国には初撃こそ打撃を与えられましたが、我々がここにいるのを察せられた以上、それなりの防御が布かれていることでしょう。我々の任務は敵後方の撹乱にあって、西方の防御に人を割かせている以上、それはすでに成功しているといって過言ではありません」

「それでは我々の効果を最大限にまで発揮できていません。我々の目的が敵の後方撹乱にあるのなら、最大限の努力をするべきであり、最大効果を狙うべきです」

「いいえ。我々は無補給でこの地にいます。帝国を攻撃して成功したとして、兵の疲弊を癒す手段がありません。ファブル領民は親帝国派も多く、民衆の助けを借りることも望めない。北上して帝国の補給線を狙うよりも、ファブルの西側にある各拠点を制圧、破壊し、これらから兵站を奪うことが、間接的に帝国への打撃になり、ファブルへの圧迫にも繋がるのです」

「それでは弱すぎる」

「戦とは緩急をするもので、できないことはしないべきです」

「帝国の後方攻撃はできないことではありません」

「必ず多大な犠牲を強いることになります。兵の損耗は士気と戦闘力の喪失に繋がり、早晩瓦解することになるでしょう。小規模かつ脆弱なファブルの小砦を狙うべきです」

 しばらく前からずっとこの調子だった。珍しくエイムズが感情的な言論を吐いている。その気持ちはユウにもわからないではない。彼らが帝国を蹴り出されてからの生活を目の当たりにしている。セオドアもエイムズらを追い込んだ一人に違いないが、あれは戦士として戦ったまでのことで、調略を図ってエイムズらを追い落とした帝国とは比べるべきもない。皇帝の肉を幾度裂いても飽き足らないだろう。その本懐を果たす機会が目の前にある。

 ユウは白剣を抱えたまま、胡座をかいてまぶたを閉じていた。

「天ノ岐殿」とエイムズに尋ねられて、ようやく「わかります」とだけ呟いた。

「エイムズさんのいわんとすることはわかります」

 ぐ、とエイムズは言い淀んだ。彼にもユウのいわんとすることがわかっているはずだ。スレイエス越境から何度となく生死を共にし、ユウが命を預けるなら誰かと訊かれれば、迷わずエイムズを挙げるほどに信頼している。それをエイムズはわかっている。

「敵は強大です。今後、帝国は防御を厚くするだけでなく、攻撃もしてくるでしょう。騎馬隊を探すための騎馬隊を放つはずです。おれが思うに、ヴォルグリッドを含んだ軍勢が向けられてくることでしょう。これにぶつかれば、この奇襲部隊が耐えられるかどうか。できることなら、ヴォルグリッドは数を恃んで激戦の中で倒したい。百や千の優越で奴を倒せないのはエイムズさんは理解していらっしゃることと思います」

 エイムズが押し黙ったのは、放浪中に遭遇したヴォルグリッドのどうしようもない強さを思い出してのことだろう。

「我々が戦うべきは、ここではないのです。つまり、おれたちの道は撤退の他ない。敵をギリギリまで引きつけて、ここを脱出し、本隊との合流を考えます」

「天ノ岐殿」

「エイムズさん、帝国には王国がぶつかってこそ打撃を与えられるのです。機会はそのあとに訪れます。いまはまったくその時ではありません」

 エイムズは手のひら大の石ころを握り締めると、地面に叩きつけ、

「天ノ岐殿のご指示には従います」

 立ち上がって足音も荒く退ってゆく。その背中が思い出したように振り向いて辞儀をしていた。顔は暗闇の中で捉えることはできなかったが、もしかすると、それを考慮して、彼は闇の中まで引き下がって礼をしたのかもしれなかった。

「兄者」セオドアが眉をひそめている。が、続きの言葉が出てこない。

「エイムズさんは大丈夫だ。おれは戦場において、あの人を誰より信頼してる」

「兄者がそうおっしゃるのなら」

 どちらもなにもいわない。ヘリオスフィアが小さな箱の中で燃えている。小さな梃子をスライドさせると、上部の蓋が閉じて、みるみると暗くなる。風の冷たさと星の光が鋭いほどに五感を刺激した。


     〇


 ファブル側は早々に撤退したために、それほどの被害を被らず、総勢一万に近い人数を一点、自治領都ファブニールとスレイエスを繋ぐ街道の中間地にある、ダイダムス城塞に集結させた。ユウはこれを無視して疾風のようにファブル高地を駆け、帝国兵糧庫を見つけ、襲撃、そこにあった馬の餌をかき集めて火を放ち、効果も見ず瞬く間に遁走してしまった。比較的敵兵の少ないファブル領西方に逃れ、ほんの小さな拠点を粉砕したのが昨日のことだった。その間、ファブル側はノルン山脈の防御線を復元させたらしい。もしかしたら、山脈上に造った牧に攻撃を仕掛けたりしているのかもしれない。いまは完全に空っぽになっているが。

 この日、アントワーヌは、ファブニール街道の攻略をしている。

 ファブニール街道は自治領都ファブニールとスレイエスを結ぶ街道であるが、ファブルがスレイエス方向に防御線を布いていた都合、アントワーヌはこれを背後から攻めることになった。その上、防御線といっても、柵壁があるばかりで、砦という状態ではない。強いていうなら、関所、というレベルの防御能力しかない。

「行け、全軍突撃」

 エイムズの一命で一隊勇奮し、次々と敵陣を侵食してゆく。防御施設がないために、ファブル側は押せば散って、アントワーヌはその施設の一々を破壊してゆく。ユウは五百余りを率い、その景色を望遠していた。

「ここも余裕があるな」

 高台の上に陣を布いたまま、傾きかけた日差しを眺めていた。気温は低いが、日向は暖かい。西方を眺めていると、エイムズ隊は砂塵を巻き上げ、さらに西進するつもりらしい。このままスレイエス国境の崩落壁まで到達してしまいそうだ。

「旦那」とタモンが背後に現れたのは吉兆ではないだろう。「ダイダムス城塞に動きがあります」

「やはり来たか」ユウは立ち上がり、「出陣の準備をさせろ。例え、一万が出てきても一撃を食らわせるぞ」

 ユウが望見した限り、敵の数は騎兵ばかりで三千余りもいただろう。それが一心不乱にエイムズ隊の後方を狙って西進している。

 その手前を天ノ岐ユウ率いる五百騎が横切った。ファブル騎兵三千は歩調を緩め、天ノ岐隊の牽制を始めた。天ノ岐隊はこれを引き離すように離れてゆく。ファブル隊が、天ノ岐隊相手にどう動くか、逡巡を見せたそのときだった。後方にもうひとつの砂塵が上がり、勢いのまま、ファブル隊に突っ込んだのだ。昨日廃墟にした砦に潜伏していたセオドアの五百騎である。そこで、城塞から出てくるかもしれないファブル隊をやり過ごし、その後方を襲ったのだ。

 間髪入れず、ユウの部隊も敵陣に雪崩れ込み、車輪のように回転しながらファブル隊の人数をかすめ取ってゆく。

 ユウの白刃が馬首を討ち、突き出された刀槍が敵騎兵を打ち落としてゆく。

「足を止めるな! 一心に叩け!」

 騎馬というのは突撃力がそのまま攻撃力となるために、足を止めてしまうとその攻撃力は激減してしまう。ファブル側は完全停止している。広い荒野で足を使っているアントワーヌ側の攻撃力は極めて高い。そのまま攻守を現わしているといっていい。ファブルはいま前後を凄まじい勢いでアントワーヌに挟撃され、その騎馬能力を生かすこともできずに防戦を強いられている。さらに前線から引き揚げてきたエイムズ隊一千が突撃したことで、ファブル側は瓦解、辛うじて敗走するこれを、アントワーヌは駆けに駆けて損害を拡大させた。

「どれほど損害を与えた?」

「おそらくは一千から二千あたりかと」タモンは手ひさしをして左右を見、「追い打ちをかけますか?」

「もう充分だろう。それより、敵拠点にあった兵糧だ」

 アントワーヌ奇襲部隊がここ、ファブル西方にいる期間、ユウはノルン山脈防御線やダイダムス城塞から送られてくる敵兵を時に煙にまき、時に撃破しつつ、なによりも兵糧調達に心機を割いた。敵を攻撃するとか、後方撹乱とかいうより、自兵をいかに養うかの方がユウには重荷だった。敵の損耗は自兵の維持を続けることで得られる特典程度でしかない。

 ちなみに、王国以北は騎馬民族ばかりで、ファブルもそれに含まれ、馬も騎乗者も優秀なものが多いが、いまのアントワーヌには及ばなかった。彼らも帝国出身であり、スレイエスの精強といわれた南軍の出身であり、その中でも減給によって間引き、さらに苛烈なほどの訓練を耐え抜いてきた人馬だった。これを捉えるのは、だだっ広い荒野では難しい。捕まえるとなると、ほぼ不可能といえる。

 その作業を繰り返すこと数日、

「もういいだろう」とユウは頷いた。「南に向かう」

 アントワーヌ奇襲部隊はファブルの一万と帝国兵のいくらかを引きつけて、兵糧にも少なくない打撃を与えた。そのぶん南の王国軍は余裕があったはずだ、とユウは信じたが、南の戦場では文官と近衛師団の詮無い争いがあって、王国有利に進んだとはいいがたい。

 ユウは左右の伝令兵に言付けをして、砂塵に霞む西の空を見上げた。


     〇


「ついに来たぞ」とカレンは喝采を叫んだ。「我々、帝国第二師団にアントワーヌ奇襲部隊の撃破指令が下された」

 増援に来たヴォルグリッドは幕舎の隅で腕を組んだまま身動ぎもせず、アルフレッドは頭を掻き、カレンだけがテキパキと、実に嬉しそうに卓に地図を広げて四隅にささやかな重石を乗せて固定していた。

「いいか? ファブル西方といってもとてつもなく広い。その全土が荒野で、道などあってないようなものだ。全土が道といっていい」

「つまり、この広い大地からどうやって彼らを見つけ出すか、ということですね?」

「闇雲に動き回っても疲弊するだけだ。そこでわたしは考えた。奴らの退路を断てばいい。奴らは無補給で荒野を駆け回っているのだから、すぐに飢えてものの数ではなくなる」

「団長が前回のことから学んでくださって、ありがたい限りです」

「わたしは学んだわけではない、というと語弊があるけど。元々賢いのだ」カレンはいい、ここ、と地図の一点、マルティエス湖畔東端を指した。「ここがファブルから王国へ向かう最短路だ。ここより東はファブル本陣に近づきすぎる。ここを押さえれば奴らは逼塞する。どうだ?」

「ぼくなら西に向かいます」

「西?」

「彼らは山を越えてきたのです。だったら、また山を越えて逃げた方がいい」

「バカだな、アルフレッドも。スレイエスに帰ってしまっては戦線から離れすぎる。主戦場はファブル中南部、ゴルドバ平原だ。スレイエスからはノルン山脈とマルティエス湖、アタカ川と遮られていてちょっと遠い」

「彼らには優秀な船があります。ノルン山脈南部はマルティエス湖に面していて、これはスレイエス領であり、ファブルからでは近づけません。が、船着場を作るのは難しくありませんから、彼らは王国側から船を出せばいいだけです。奇襲部隊とは別の隊がアタカ川を遡上し、山脈の船着場を経由して奇襲部隊を回収し、マルティエス砦に入る。簡単に王国方面からゴルドバ平原まで戻ってこられます。ファブニール街道を制圧したのも、山に向かう道を切り開いたように見えます」

 カレンの顔から表情が消え、顎を撫でたまま硬直してしまった。

「無理だな」と呟く。そして、拳を地図に叩きつけた。「ノルン山脈を塞ぐのは不可能だ。南北何百キオあると思ってるんだ」

 くうう、と奥歯を鳴らし、

「あいつめええ」

 なにがそれほどカレンを感情的にしているのか、アルフレッドは知らないが、ともかく、地図上の一点を指差した。

「我々が彼らを押さえられる可能性があるとすれば、ここです」

 マルティエス湖北端にある小さな港町だった。町の名前はナライ。国の一個が入るといわれる流域を持つマルティエス湖、その周辺交易の拠点のひとつであり、自治領都ファブニールに繋がる陸湖交通の要衝だった。

「ぼくなら西に向かいますが、敵が天ノ岐ユウなら、もしかすると、この町、ナライから船に乗るかもしれません」

 カレンはアルフレッドに頭を疑う目を向けて、

「なぜ?」

「彼は優秀な策謀家ですが、冒険家的な性質が強すぎます。一見安全で、特殊な戦法を取りたがる癖があります。ただ逃げるだけでなく、敵に一撃を与えて離脱する、という雰囲気が彼の好みです。とすると、ファブルの拠点のひとつを襲ってからの脱出、団長がおっしゃるように、国境線を攻撃するのもいいが、あまりにも単調すぎるし、ここはファブルの壁が厚いために危険も多い。そこで、ファブルの重要拠点のひとつ、湖畔の一角を制圧し、ファブルの戦力を削ぎつつ、今後のゴルドバ決戦でも後方を窺える雰囲気を醸す。そういう戦い方をする男です」

 カレンは黙ってしまった。俯いて熟考している。

「この位置なら、万一国境線突破策を取られても、友軍の援護に追いつけるかもしれません。山に逃げられたんなら、それは手の打ちようがなかったと諦めるのがよろしいでしょう」

「なぜこの町なんだ?」とカレンは少し怒気を孕ませていう。「他にも町はある。マルティエス湖は広い」

「東西に浜辺が多いので、湖からの上陸が容易で、つまり、湖からの制圧も容易です。他の町かもしれませんが、これより東方は少し国境線に近すぎて、ファブルの増援を受ける可能性があります。それと、この町は要衝、ゴルドバ平原とファブニールに道が通っていて次に帝国後方を狙うには適地といっていい。あとは、マルティエス湖東西のちょうど中心点というところですかね。西でも、東でも、異常があれば駆けつけられるわけです。まだ……」

「もういい」とカレンは片手を挙げて、「なんでそんなこと思いつくんだよ」と独り言のように呟く。

「地図をじいっと見てるとわかってくるものですよ」

「わかるか」

 卓上の重石を叩くようにどかし、手早く地図を畳んだ。

「ヴォルグリッド殿もよろしいですか?」

 小さく頷いた黒い鎧は早くも立ち上がって幕舎を出ていこうとする。

「アルフレッド、全隊に通達、我々帝国第二師団は即刻南下し、ナライの町を拠点としてアントワーヌ奇襲部隊の動向を探る。騎馬隊は先行し、防御線を張らせておけ」

「了解いたしました」

 アルフレッドは敬礼ひとつ、幕舎を駆け出ていった。


     〇


「放て」

 一令とともに舷側に縛られていた丸太が水面下に落ち、泡立ちながら湖底を走っていった。轟音を立てた前方の船舶が舳先を空に向けたそのままの姿勢で沈んでゆく。

 すでに二十隻と沈めただろう。マルティエス湖を走る船舶は内海のそれよりよほど小さく、的として難しいものだったが、魚雷も小型化し、数を増やすことで対応した。舳先を敵船舶に向けて、二、三発と放つ。横陣に並んだ僚船も同時に放てば数隻に大概当たった。潮の弱いこの湖中で、敵船舶は櫂を用いて人力で推進力を得ているらしいが、アントワーヌの晶術船に比べれば大人と子供ほどの機動力差がある。

 アントワーヌ船は二本帆船とはいえ、急ごしらえとは思えない質の攻撃艇だった。

「次撃、準備」

 ヘンダーソンが一令すると、伝令兵が配管に向かって復唱する。配管は船のあちこちに繋がっていて、出口付近に立つ船員の耳に伝わり、帆柱の上では手旗信号となって、第二船、第三船と順次伝わり、数秒のあとには攻撃準備が出来上がる。

「右四点回頭」

 総計四隻が一糸乱れず回頭したのを見、

「放て」

 湖面に没した魚雷がまた敵船を藻屑に変えた。

「船長、敵影の全滅を確認」

「監視を怠るな。霧の発生にも注意させろ」

「は」と敬礼ひとつ、伝令管に指示を飛ばす。昼間はともかく、朝晩の霧は数メータを見通すことも難しく、僚船との交信はヘリオスフィアの点灯に頼るしかなかった。今日もあと、数アウルとなく日が暮れて、深い霧が出る。航行はともかく、戦闘など不可能になる。

「針路を北へ。僚船は我に続け」

 ヘンダーソンが座乗する第一艇を先頭に、その船尾に閃くヘリオスフィアを頼って二番艇、三番艇と続いてゆく。

 アタカ川へ繋がる流域は王国船が並んでいる。ヘンダーソンが指揮するアントワーヌ船七隻は時折深い霧のかかるマルティエス湖を独走し、十日が経っていた。未確認だった敵船団をようやく発見して霧が晴れたのを見計らい決戦、半日のうちに壊滅させたのがついさっきだ。

 ヘンダーソンは今朝から控えていたパイプにようやく火を入れることができた。後甲板にいて、革張りの座椅子にゆっくりともたれる。空に向かって吐き出した煙が薄靄に紛れながら、後方に流れていった。

「第七番艇から連絡。見事な腕前、敬意を表す、とのことです」

「返信。貴公の設計した船あってのこと、感謝する」

 七番艇には技師のロックスが同船している。非常時の修理と、技術的な問題に対する保険だった。そのため、七番艇は前衛に出ず、五番艇と六番艇は七番艇の護衛に回って、戦闘自体は四隻で行った。それでも充分五倍の敵戦力を撃破できた。お世辞ではなく、アントワーヌの船舶技術が内海三大陸の中で群を抜いて優秀なお陰としかいえない。ヘンダーソン率いる商船団の操船技術など二の次でしかない。

「実にいい船だ。これなら内海でも充分通用する」

 船の規模の都合、それほどの積荷は負えないが、移動するだけならこれで充分だった。組立と保守整備の容易さを考えれば、どこかに需要がある気がする。

 北に向かって浜が見えてくると、そこに配置された帝国兵の姿も窺えた。薄霧の中を動く影の掲げる旗がそれだった。

 想定より帝国軍の配置が早く、それも的確だった。ほとんどの兵数を南部の対王国戦線に投入すると予想されていたが、こんな西方の辺境にまで人影があるというのはアントワーヌに対して相当数の兵を向かわせたのか、それとも偶然この辺りを徘徊しているだけなのか、もしかすると意図的に狙われたのか。

 定かではないが、一定数の敵がいることをユウに知らせる手段もない。合流地点であるナライの町の沖合に待機しつつ、天に祈る他なかった。

 本当にここからユウたちを回収するのなら、厳しい戦いになるだろう。

「船を岸から離しておけよ。夜襲にも目を光らせろ」

 敵もこちらの接近に気づいているかもしれず、潜水部隊などの奇襲があるかもしれない。

 アントワーヌ船隊は七番艇から順に後退を始め、するすると沖合に下がっていった。


     〇


 ユウは頻りに首を傾げていた。

「なぜこうも帝国兵が跋扈しているのか」

 理解しかねる。

 ほとんど東西南北で、帝国の騎馬隊と歩兵が走り回り、いつの間にやら囲まれているといっていい。いまはかろうじて見つかっていない。この遮蔽物が丘陵しかない短草の点々と生えただけの黄土砂の中で、奇跡的に見つかっていない。それも時間の問題だろうが。

 アントワーヌは、というより、ユウは足を止めて善後策を思案した。このままナライの町に駆け込んで、陸海から攻撃して脱出するか。それとも陸路を辿って王国領を目指すか。船隊への撤退合図は、町に人を潜入させて、ヘリオスフィアを打ち上げれば伝わるはずだ。

「敵は第二師団です」と偵察に出ていたタモンが報告に来た。「ディクルベルク以来の因縁でございましょう。帝国の第二師団が配置されているとするなら、周辺の兵は八千あまりというところでございましょう。ファブル兵を含めれば一万五千を超え、二万に近いかもしれません」

「第二師団?」

 ディクルベルクを占拠した第十六旅団が周辺の旅団を取り込んで、第二師団と改称したのはユウも知っていた。そして、第十六旅団の長の名前と顔も知っている。カレン・アンダーソン。彼女がここへ来て、いま、ユウを取り囲んでいる。果たして、カレンが指揮をしているのかどうか、ユウは無意識の中で、彼女の凛としながらも甘い面影を思い出し、中空に描いているのも気がついて、頭を振った。

「旦那、いかがしました?」と、怪しく笑っているのがいけ好かない。

「なんでもない」と努めて冷徹にいい、「しかし、一万五千というのは、大部隊だなあ」

 本来の戦場はもっと南東にある。それを捨て置いて、帝国の精鋭九千とファブル数千の兵を西走させたというのは、帝国にとって少なくない戦力の分割である。ファブルの混乱といい、敵兵糧の喪失といい、後方攪乱は一応の成功といっていい。が、ここを脱出できなければ、アントワーヌも戦力を失うことになり、痛み分けという以上に、アントワーヌは傷を負うことになる。

 しかし、帝国兵はもれなく強い。ユウもアントワーヌと同数ならともかく、三倍や四倍の兵数をどうこうできるとは思えない。現在、ユウ麾下のアントワーヌ兵は二千。話にならない。

 もともと、ナライの町を占領し、要塞化してマルティエス砦まで人員と物資を行き来させつつ、帝国後方を恒常的に脅かすつもりだったが、もはや難しそうである。

 さて、どうしたものか。

 兵を密集させただけの荒野の真ん中で地図を見て、頭を悩ませたとき、白剣がわずかに震えた。

 地図を丸めるように懐にねじ込み、

「全隊に伝令。予定の通り、ナライの町を襲撃する。神速で駆けてこれを一蹴する」

 すでにユウはセキトに飛び乗り、駆け出していた。白昼である。軍営の中を疾駆する指揮官を見、周囲は何事かわからないまでも装備を整えて、彼に追随した。

 白剣の振動が微弱になっている。ヴォルグリッドは南にはいないのだろう。しかし、静まることもない。追跡されている。追いつかれるまで時間がない。もはや逡巡の時間も与えられていないらしい。

 万一のときは自ら単騎突出してヴォルグリッドを叩く以外に手段がない。奴には二千程度の人数では囲み込んでも倒せない。ユウ一人にのみわずかな撃破の可能性があるといっていい。そうなると、自分の命を捨てねばならぬが、仕方がない。アントワーヌ二千を逃がし、ヴォルグリッドとは刺し違えて、ずいぶん古くなってしまった本懐を果たす。その後死ぬのは仕方がない。

 ユウは前傾になってセキトの足を速めさせた。それに十、百、千騎と連なって、一筋の流星のように荒野を流れてゆく。

 マルティエス湖畔の町というのは、大湖の水で大いに潤い、場所によっては灌漑設備も敷かれていて、土壌は富に厚い。ここ一帯をファブルの穀物庫と呼ぶ者もいる。とはいえ、スレイエスや王国に比して七から五割程度の収穫量しか見込めず、植物種も少ないが。

 果たして、緩やかな丘陵の上から見えたナライの町も、右の例に漏れず豊かな土壌に囲まれた、石造りの建屋の並ぶ町だった。くすんだ石壁と煉瓦の屋根。いま、この町の外縁は溝が掘られ、掘り出した土を後方に積み、さらに後方に木柵が張り巡らされ、たなびくファブルの旗とわずかな守兵の姿が確認できた。それらの防御線は畑の中にも通されており、種を蒔いた農家の心情はいかほどのものか。

 戦争など、やはりするものではないが、諸所の事情からこの町を戦場にするのは、もはや避けられない。

「進め」

 いうが早いか、無数の馬群がユウを追い越した。ナライの町を見た瞬間に、彼らは任務を察し、ユウが一令するのも聞かずに追い越していったのだ。ナライの町の防御線に殺到してゆく。

「天ノ岐殿」とエイムズも遅れて来て、「あれですか」

 と土煙にかすみ始めた町を望遠し、

「我々が道を開きます。天ノ岐殿は後方に」

「すでに時間がありません」いいながら、ユウは丘陵を駆け下っている。「笛を吹け」

 角笛の音が蒼天にこだまする。その音色はアントワーヌの象徴であり、この時期、百戦錬磨のその音の反響だけでも敵兵を震え上がらせほどの能力があった。この音は万里を越えて、帝国兵にもアントワーヌの存在を知らせるかもしれないが、それ以上に敵に与える圧力の方がこの場合、ユウには重要に思えた。

 ファブル側は狼狽えている。矢を射掛けるにしても散発的で威力は弱い。アントワーヌ隊はこれを盾で防ぎつつ、柵に投げ縄をして引き下がり、一本、二本と続けざまに引き倒した。ファブルの混乱はいや増して逃亡する者の影もある。開いた柵の隙間に騎馬隊が乱入すると、すでに戦闘という体ではない。ユウがナライの町に入ったのはそういうときだった。

 エイムズも並んで来て、セオドアとタモン、さらに数百騎が押し寄せ、防御線を無力化してしまった。先行していたアントワーヌ兵は四方の敵兵を追って、町の奥へ駆け込んでいる。

「兄者」

「船着場を占領するぞ」

 手綱を繰って、セキトを駆けさせた。蹄が石畳を高々と叩く。路地から突き出された槍の穂先を飛び越えて、先を急ぐ。セオドアが後続して槍を振り回し、左右の道から敵が来るのを許さない。建屋の窓枠や屋上から矢が飛んでくる。ユウはこれらを切り払い、駆けつつ、向かってきた敵騎馬兵の脇を駆け抜け、駆け抜けざまに胴を抜き、その上半身を吹き飛ばした。隣で加速したエイムズが槍を回して石突を突き出し、一人を倒し、回した柄で後続を叩き、勢いのまま先行してゆく。時折、後方から飛んでくる矢はタモンの短弓だった。家屋の窓から顔を出すファブル兵が喉を射止められて、落ちてくる。頭を石畳に打ち付けて首が折れただろう遺体も飛び越え、さらに先へ。

「湖だ」

 石でかためて高くした湖畔に出、輪乗りしたユウは遠くに桟橋が並ぶのを見て、手綱を繰った。狼狽える敵歩兵を馬体で押し退け、白剣を振り、左右の槍とともに波止場を駆けてゆく。いくらもしないうちに視界に入る兵はアントワーヌばかりになった。

「旦那、沖合にヘンダーソン卿の船が認められます」

 タモンは手庇をしただけで白霞む水平線の向こうを望めるらしいが、ユウにそういう能力はない。が、奴がいうのなら事実なのだろう。

「よし、沖合に信号を送れ」

 タモンが懐からヘリオスフィアを取り出し、長い獣革に巻き付けた。これを振り回して、十数メータの高さまで石を投げ上げる。それが高空で明滅して、信号になるはずだ。一方で、アントワーヌ兵は桟橋にまで進出して、船の来着を待っていた。

 そのときのことである。

 突如として、桟橋から水柱が上がったのだ。

 どどど、と身体を圧するような爆発音が連続している。その迫力に顔を覆ったユウが空から降り注いでくる水飛沫を受けている間に、桟橋は水面に沈んでいた。無数にあった桟橋のすべてが吹き飛んでいる。

「兵の救助を」エイムズは早くも走り出していて、四方に指示を飛ばしている。

「なにがあった?」ユウが問うが、セオドアは首を傾げている。

「おそらくは」とタモンがいう。「桟橋の足にヘリオスフィアを仕掛けて、近場から爆発させたのでしょう。もしやすると、桟橋の下に敵兵が潜んでいたのかも」

「ヘリオスフィアはそれくらいのことができるか」

 敵潜水部隊がいたのかもしれない。それとも、桟橋に一目では窺えないように配線を張り巡らせて、晶機のようなもので起爆させたか。

 ともかく、桟橋が使えなくなったという事実だけは間違いない。この辺りは遠浅のために、桟橋があったのだ。それがなければ、大型船は近づけない。座礁してしまう。

「帝国第二師団です!」とどこからか、声が上がった。「町が包囲されます!」

「嵌められましたな」

「敵に天才がいる」

 ユウは薄く笑った。肌身が粟立つほどの奇才がいて、ユウの先手を尽く打っている。

「兄者、どうします?」

「タモンは信号を送れ」

 タモンが獣革をくるくると回し、高空へ放り投げた。

「ヘンダーソン卿もこの状況を察しているはずだ。あとは彼に賭ける」

「天ノ岐殿」とエイムズが兵の救出を終えて戻ってきた。「防戦に徹します。公民館に寄りましょう」

 この世界で役所のことは領主館といった。領主が視察などの旅程の中で宿泊するのが主な目的の施設で、一村町で収穫された農作物を保管したり、裁判所や牢があったりするのだが、王国ではまだ同様の名称で同様の施設が運営されている。帝国とファブルでは貴族に当たる領主というものが消失してしまっているので、そういう施設を公民館と呼ぶ。基本的に、町で一番大きく、頑健で、地盤もよく、町の起点に設けられている。

 ナライの町の公民館は港町だけに湖に抉りこむようにしてあって、湖側からの信号があればすぐさま反応ができるし、背面を水に守られていて、三方の迎撃をするだけでいい。といっても、遠浅だから決して湖中を歩兵で攻撃できないというわけでもないが、鎧兜を身につけて、砂地の中を膝まで波に打たれながらくるのは骨だろう。

 アントワーヌはこれに拠って籠城を始めた。

「兵糧庫は空です。すでに持ち出されたのでしょう」

「ここは襲われることのわかっていた拠点だ。そりゃ持ち出されてるだろう」

 というよりも、とユウはいいながら、次の言葉を黙った。日暮れまでに助けが来なければ全滅は免れないかもしれない、と思った。しかし、口にすれば、士気に関わる。敵にはヴォルグリッドがいて、指揮官にはカレンがいる。いるはずだ。過去のことを思えば、彼らの攻撃は苛烈を極めるだろうし、それを守り切れるかどうか。

 帝国第二師団の旗は陸側三方にあって、そのどれもが目前にまで迫っている。


「ここまで上手くかかるとは」

 カレンはユウを嵌めた快感よりも、アルフレッドの才覚に身を震わせていた。

「包囲部隊はそのまま攻撃に移らせろ。湖畔の警備部隊は防御態勢のまま待機。連絡は密にしろよ」

 警戒すべきは敵の突撃と湖からの救援である。間断ない攻撃で敵に反撃の隙を与えず、浜辺を押さえることで、敵船団の短艇の上陸も防いでいる。あとは公民館後方の湖面だが、波の意外な激しさと砂地の緩さ、湖底の微妙な深さが進軍の難易度を極めて高めている。どうにもできない。

「ナライにある漁船を借り出して綱で繋ぎ、これを公民館後方に並べましょう」

 アルフレッドの献策をそのまま採用し、幾ばくもなく湖面にも続々と帝国旗が進出できた。

「これで完全包囲といっていいだろう」

「しかし、敵はアントワーヌの天ノ岐ユウと帝国脱出以来の精鋭、あとはスレイエスの強兵と見ていいでしょう。油断は禁物です」

「わたしは未だかつて油断などしたことがない。無縁の言葉だ」

「なら、よろしいのですが」

 刀槍の弾ける音、鬨の声に雄叫びが重なり、どろどろと地は常に鳴って揺れている。天地を一体にしてかき混ぜるような喧騒は石畳を砕いて、その粒子を巻き上げながら五感のすべてを煙らせてゆく。

「ところで、アルフレッド、ヴォルグリッド殿と連絡は取れているのか?」

「いえ、ずいぶん前から行方不明です。きっと近くにいますよ。戦場の臭いをかぎつけるのは得意ですから、彼」

「大丈夫だろうか?」

 不敗の剣客とはいえ、戦場ではなにが起こるかわからない。皇帝の客将である。万一のことがあれば皇帝陛下になんといえばいいのか。

「大丈夫だとは思いますが」アルフレッドはボサボサの頭を掻き、「探させます?」

「うーん、場所くらいははっきりさせておいた方がいいか」

 遠い世界のことのように話していた。


 大きく踏み出し、黒剣を一振り、敵がかかげた大剣のしのぎを激しく打って、断ち切った。返す刃で逆袈裟に斬り上げ、鋼の鎧もろとも肉を裂いた。ど、と敵の膝が折れる。

 身を翻し、横合いからきた槍穂をかわし、勢いのまま黒剣を振るう。と、敵の首が飛び、血の雨が降った。さらに頭上に振り上げ、大上段からの一撃、呆然とする敵兵を脳天から叩き斬った。

 溢れる出血が石畳の溝を伝い、一帯をどす黒い赤に染め上げてゆく。

「こんなものか」

 黒剣を振って血を払い、飛んでくる矢をわずかにのけ反ってかわし、二射目、三射目を手甲を振るって弾き飛ばす。

 敵のこもった公民館は縦横三百メータを下らず、後方は海、残り三方は背の高い鉄柵に囲われ、正面は広い通りに面して帝国兵の隠れる場所はなく、左右は樹木のある小さな通りだったが、その樹木も切り倒されて、ここも近づくのが容易ではない。ただ、ヴォルグリッド一人だけが突出して鉄柵を斬り倒し、館内の前庭に侵入していた。ヴォルグリッドの開いた穴に帝国兵が殺到し、それを抑えようとするアントワーヌ兵がまた殺到して激しくぶつかっている。ヴォルグリッドは単騎、さらに歩を進めていて、鉄柵の付近とは別の戦線を前庭中心辺りで築いている。

 周囲には敵ばかり、刀槍を並べながらもヴォルグリッドには刃をつけられず、狼狽える連中ばかりがたむろしている。公民館上から来る矢をまた払い飛ばし、一歩踏み込んで、敵の刀槍の五、六本を叩き斬った。敵は慄きながら、うしろにたたらを踏み、尻もちをつく者もおり、四つん這いになって逃げる者もいる。さらに一歩、踏み出す。

「おまえたちは下がれ」

 人垣の奥から声がして、人の壁が割れた。先に見知った小僧がいた。

 知らず口元がほころぶ。

 黒剣を中段に構えて、やや右に傾けた。が、小僧は公民館入口に繋がる短い階段の上にいて、外套の下に両手を仕舞ったまま、悠然とこちらを見下ろしている。

「この状況では、おれが敵陣に斬り込んでおまえを仕留めることになるかと思ったが、まさか、おまえの方から来てくれるとはな。ありがたい限りだよ」

「抜かんのか、小僧」

「そうだな、抜かなきゃおまえを斬れないか」四方に視線を送り、軽く片手を挙げ、「この男はおれがやる。みんなは周辺の防御に回れ」

 人垣は互いを窺うようにして後ずさり、散開していった。

 するりと、白剣が抜かれ、空中にきれいな曲線を描いて中段にぴったりと収まった。

 やるようになった。

 その構えを見るだけで、奴の平静が窺える。以前、刃を交えたときは小僧らしく浮ついていたが、落ち着きを覚えたらしい。それとも、それは仇討ちに震えていたためで、これがこの小僧の本領なのか。

 ヴォルグリッドは強く地面を蹴って、一息に階段を駆けた。黒剣を大上段に据える。小僧は背後に退いて、公民館の中の土間へヴォルグリッドを招いた。階段の段差を利用した方が絶対的に有利だったはずだが、それを捨てて、この男は平場の決戦に持ち込んでいる。

 面白い、愉悦に口元が歪むのを抑えられない。

 十数メータ四方の広い土間。

 黒剣を下段にやって、間合いを詰める。奴の足は左右に跳ねながら、体軸をずらしつつこちらの挙動を窺っている。

 軽く斬り上げた黒剣で白剣を叩く。奴が下がる。間合いを詰めて黒剣を中段に。白剣のしのぎを叩き、小僧は中段のまま、さらに下がる。背中は壁だ。

 なにを考えているのか。剣闘に小細工など無用。接近して叩き斬るのみ。

 小僧のかかとが壁に当たった。それも黒剣の間合いの中だ。刃をわずかに左へ傾けて、細い首にある頸動脈を狙う。

 終わりだ。

 黒剣を突き出そうとした腕が、ピクリと震えた。剣を引き戻し、中段に戻す。瞬間、白い閃光が弾けた。黒剣のしのぎが甲高い悲鳴を上げて、激しい火花を散らした。いつの間にか小僧が肉薄している。

 両刀の刃が震えてカチカチと小刻みに音を立てる。

「やってくれる」

「命拾いだったな、このデカブツ」

 小僧の声が震えている。しかし、瞳の奥に冷徹なほどの光がある。


     〇


 ユウも、エイムズも、セオドアも前線に出てしまって、全体指揮をする人間がいなくなってしまった。仕方なく、タモンが公民館の奥にいて、総指揮を取っている。とはいえ、予備兵がないため、攻め込まれても手当をする術がなく、することといえば寄せられる情報を取りまとめるくらいのことしかない。

「タモンさま」と、敬称されるのは、常にといっていいほどユウの隣にいるからだろう。でなければ、盗賊上がりのジジイにスレイエス兵級が敬意を払うはずがない。ちなみに、アントワーヌ中でも、タモンの立ち位置はあやふやで、ジェシカやハル、アンジュのような役職があるわけではない。一般兵からすれば正体不明かもしれなかった。

「正面から襲撃してきたヴォルグリッドを天ノ岐さまが単身抑えておりますが」

「いかんともしがたい。ヴォルグリッドは天ノ岐殿に任せ、皆には帝国兵の抑えをさせよ」

「西方も兵が少なく、じきに鉄柵が突破されます」

「東方にも人はいないのだ。なんとか堪えさせよ」

 などと、当たり前のことをのたまうしかない。

 あとは旦那の運がどれほどのものか。

 天命を待つしかない。あのとき、ディクルベルクの調練場で見かけ、その全身から沸き立つような不可思議な気を珍しく思い、臣従してきたが、これまでだろうか。それとも、己の眼識が本物だったか。ある意味面白い状況ではある。

「はてさて、どうしたものか」

 禿頭を撫でていると、

「タモンさま、タモンさま」

 駆け込んで来る兵があった。そばには裸体の男が一人、全身から水を滴らせて、片膝をついていた。

「アントワーヌの船から潜水士が来ました」

「ほう」とタモンは好奇の表情を浮かべて、濡れそぼった潜水士に向き合った。「ヘンダーソン卿は我々の状況に気づいてくださったか」

「はい」と潜水士は頭を下げ、「救助の手立てを講じたため、公民館の海面付近の壁から人を遠ざけるように、と」

「海面付近の壁?」

 公民館の地下階海側は倉庫になっていて、外壁には波が打ち付けている。帝国兵はそこに船を並べているが、地下は窓がないため、上階からの侵入を試みている。アントワーヌも敵に対して二階、三階に人を置いている。地下階は侵入される心配がないからそもそも人を配置していない。

 しかし、タモンは「わかった」と爽やかに頷き、

「そのように手配しよう。ご苦労であった」

「は」と潜水士は頭を下げ、退いていった。

 まだ天ノ岐ユウの天運は尽きていないのかもしれない。タモンの眼識も正しかったことになる。


     〇


 体躯の差はどうにも埋めがたいハンデだった。

 鍔迫り合いでは分が悪く、体軸を小刻みにずらして、ヴォルグリッドの脇を抜けた。そのまま胴を狙おうとしても、黒剣の追撃に叩かれて、追撃も受け、これを防ぐのに手一杯になる。それでも間合いができたのは幸いだった。

 ユウは公民館の廊下の中を下がってゆく。

 口元を愉悦に歪めたヴォルグリッドの全身から闘気というものだろうか、得体の知れない気のようなものが激しく立ち昇るのがユウにもわかった。眼光が増し、全身の筋肉が隆々と膨らんでゆく。その図体が三、四倍も大きくなったように見えた。目の錯覚なのか、威圧されているのか、実際デカくなったのか、瞬きして確認している暇もない。

「ぬん」

 ヴォルグリッドの巨体が猪突してきた。ユウは右手に走ってかわした。背後の石壁がヴォルグリッドの巨体の大きさでパッと弾けて穴を開けた。

 人間のできることか?

 屈んだユウの頭上、石壁の中から黒剣が飛び出してきた。

「ぬうん」

 細切れになった石壁が降り注いでくる。走ってその石雨の範囲から脱したユウは振り返り、突進してくるヴォルグリッドへ白剣を向けた。中段に据えて、気を鎮める。

 黒剣は下段から大上段に移り、

「ふん」

 振り下ろされるより早く、白剣が発した。白と黒が交錯し、火花を上げる。その烈火の向こう、白剣の先はヴォルグリッドの兜をかすめ、ユウの目は愉悦に歪む相手の唇と琥珀の瞳を捉えていた。

 あと少し、届かない。

 事故にあったような衝撃を受けたユウの身体は一瞬粘っただけで吹き飛ばされ、背中を石壁にぶつけるしかなかった。すぐさま転がって、ヴォルグリッドの突撃をかわす。背後の石壁が吹き飛んでいった。あとしばらく戦えば、この建物自体崩れるのを請け負っていい。

 建物が激しく揺れている。激戦のためか、とも思ったが、地面も揺れて、むしろ、地面の方が先に揺れた気もする。角笛が短く三回鳴らされるのも聴いて、なにかあったらしいと察した。撤退の手はずが整ったのかもしれない。だが、整ったとして、この男を野放しにしていけば、その手はずも瓦解するに違いない。

 石壁に黒い線が錯綜し、次の瞬間には崩れ果てていた。右足の裏を向けたヴォルグリッドが向こうにいる。

「揺れたな」

「おまえみたいなデリカシーのなさそうな野郎でも気づくんだな」

 デリカシーという言葉が通じたかどうか、ヴォルグリッドは薄く笑い、黒剣を大上段に構えた。ユウは対して、白剣を中段に置く。この世界に来て、いや、来る以前から数えて、何度となく見た立ち合い。寸分違わず向かい合う。まだ決着はつかない。

「撤退、撤退」と後方の方が騒がしい。

 タモンのやつ、撤退の準備を整えたらしい。

 思う間に、ヴォルグリッドが駆けてきた。ユウは後手に回ってしまった。力比べでは圧倒的に不利なために、かわさなければならない。それに気づいた緊張感に肌が粟立つ。

「ヴォルグリッド!」

 第三者の雄叫びとともに、一本の槍が横合いから飛来し、ヴォルグリッドに向かう。激しく身を振ったヴォルグリッドの黒剣が円弧を描き、槍の柄を断った。穂先は漆黒の鎧の表面を撫でて回転しながらユウの頭をかすめて、木製の柱に刺さった。

「ちい」とヴォルグリッドがあからさまな舌打ちをする。続けざまに片手剣を引っ提げたエイムズが突撃してゆくのが見えた。

「エイムズさん!」

 普通なら黒剣の一振りで死ぬ。

 エイムズが片手剣を突き出した。黒剣が振られる。片手剣がすり潰されるように折れて、続く円弧にエイムズの腕が断たれた。血飛沫が弾ける。

 走りかけたユウの足が止まり、全身が総毛立つ。

 死んだ。エイムズが殺された。

 しかし、エイムズの膝は折れない。奥歯を食いしばり、

「うおおおっ!」

 エイムズの後背にヴォルグリッドと同等の闘気が湧いた。残った左腕が唸りを上げる。

 ヴォルグリッドの頬を殴り抜いたのだ。完全に頭を揺らした。ヴォルグリッドの膝が折れる。次いで、エイムズも崩れ落ちた。

 白剣を投げ捨てたユウはエイムズの脇の下に手を入れて引きずっていった。

「ダメです、死んではいけません」

「天ノ岐殿」とエイムズが歯を噛むような声で唸る。「どうか、お逃げください」

「ダメです、置いて行けません」

 なぜか涙が溢れて止まらない。

 歯を食いしばって、エイムズの体を持ち上げ、残った左腕を肩にかけて、一歩、二歩。足に力を込め、走り出した。自らよりも二回りも大きな男の、鎧兜で武装した体を引きずって走っている。

 人の流れは公民館の奥に向かっている。

 一人がユウとエイムズを見つけて驚き、一緒になってエイムズを抱えて走る。

「行け、走れ」

 ユウは四方に覇気を入れて、後退する兵を駆けさせる。

 公民館海側の壁には大きな穴が開き、黒ずんだ湖水に無数の小舟が、霧に霞んでいる水平線の向こうまで連なっているのが見渡せた。激しい喧騒が外から聞こえるのは、湖の中でも戦闘が繰り広げられているらしい。

「おや、エイムズ殿がやられましたか」

 タモンが陽気な声でいう。このジジイ。

「なんとかできるか?」

「ここでは難しいですの。船が来ています。小舟ですが、お急ぎください」

「おれはまだ行けん。エイムズさんを頼む」

「かしこまりやした」

 ユウに代わってタモンがエイムズを担ぎ、さらに二人の兵が加わって、エイムズを抱えた。

「兄者」と陸の方からセオドアが来て、「忘れ物ですぞ」

 白剣を投げ渡してくる。

「おお、助かった」

 受け取った白剣がきれいな円弧を描く。

 いまから拾いに行こうかと思っていたものが存外早く手に入ってしまった。

「セオドア、殿をするぞ」

「それもよろしいでしょう」

 セオドアは槍を振り回し、狭い扉から乱入して来ようとする帝国兵を突き戻した。別の扉から来た一団の先頭を、ユウの白剣が頭上から斬り下げて容易く屠った。二人目の太腿を裂き、膝を折ったところの首を断ち、三人目の剣を白剣で断ちつつ、返す刃で逆袈裟を打ち込む。

 その間にアントワーヌの白銀の鎧が続々と小舟に乗り込み、随時、浅瀬を猛烈なスピードで離れてゆく。

 ユウは単騎、二十人余りも殺しただろうか。返り血を浴びて、全身を赤くさせ、新たにかかってくる敵もいない。

「今日のおれは恐ろしいぜ!」

 恫喝すると、帝国兵を身を震わせて引き下がる。

「兄者、もうよかろう」

 セオドアは一人、二人、と突き伏せて、壁穴に向かって駆け出した。ユウも続いて穴から飛び降りると、下に丸太が浮いている。というか、地下階の壁に刺さって、完全に固定されている。周辺には木材と帝国兵の遺体が浮かんで、海を真赤に染めていた。点々とアントワーヌ兵の遺体もある。

 膝丈まである海の中で大きな斧を振り回し、帝国兵の一人を引き飛ばした男が振り向いた。

「遅せえぞ、大将。死んじまったかと思ったぜ」

「ロックス、よく来てくれた」

 毛皮の肩を叩き、飛んでくる矢を白剣の一振りで叩き落とす。次いで来た敵兵の剣も切断した。セオドアの石突がその帝国兵の顔面を殴り、水面に倒した。

「撤収、撤収」

 ロックスは大声で四方に送りながら、角笛を吹いた。低音が霞み始めた空にこだましながら広がってゆく。アントワーヌの増援部隊、海兵はそれぞれ海に飛び込むと、水中に隠れていた綱を握り、その綱に引っ張られるようにして海面を駆け抜けていった。まるでジェットスキーだ。

 残っているのはユウを含めてほんの数人と数隻の船。周囲は頭上も左右も帝国兵だ。

「あばよ」

 と、ロックスが宣言して、拳大の球を放った。その球が、しゅう、と音を立てて、煙を押し広げてゆく。

 帝国兵の姿は完全に見えなくなった。


     〇


「もうご存知かと思いますが、施設の後方に魚雷を撃ち込み、敵短艇を撃破しつつ、船着場を造ったのです。このことで帝国側に魚雷と自走船の秘密が知れてしまうと思いますが」

「一向に構いません。ヘンダーソン卿は実にいい判断をしてくださいました。自走船の技術など遅かれ早かれ彼らも閃くことです。この戦いにおいては、もう関係ありませんし」

 ユウはヘンダーソン卿の部屋にいて、譲られた安楽椅子を揺らしていた。相手は卓のそばに立ったままで、グラスに琥珀色の酒を注いでいた。なみなみ注いで、瓶を引き上げ、薄手の布で瓶の口を拭っている。

「どちらにせよ、マルティエス湖は我々の勢力下に入り、湖畔の町はいつでも攻撃できます。後方撹乱はいかがでした?」

「結果、敵を引きつけ、兵糧にも打撃を与えたとは思いますが、どれほどの影響があるか。果たして、おれたちが払った犠牲ほどの効果があったか」

 二千の兵のうちの二百を失い、指揮官であるエイムズも再起不能となってしまった。傷口はタモンが熱した剣先で焼いて塞ぎ、一命は取り留めたものの、いまだ昏睡状態にある。それと、二千の駿馬を失ったことも痛い。元はナライの町を占領して、ゆっくり移送するつもりでいたが、あの状況ではどうしようもなかった。まだ、スレイエスには多くの良馬がいるとはいえ、長年連れ添ったセキトを失ったのは身が切られるほど辛かった。あいつはいまごろどうしているか。馬が生活に密着して、敬愛すること並々ではない帝国人が殺すとは思えないが。

 はあ、とユウはため息をついた。

「ずいぶんと弱気になっていらっしゃる」と、ヘンダーソンは笑う。「ご自分の策で兵を失い、気が滅入っていらっしゃいますね。戦いというのはこういうものです。アントワーヌも敵に被害を出したのでしょう?」

「ええ。ファブルと、帝国第二師団にもそれなりの損害を与えたはずです」

 改めて戦争などろくでもないな、と思わせる。なんのために人を殺して、なにを守ろうというのか。国家の意地と意地のためにどれくらいの人が命を落とすのか、国家という人の集合体が作り上げた不定形の怪物のため、人は死ななければならないのか。

 しかし、始まってしまったものは仕方がない。世の中の潮流が戦争を求め、一人の人間ではその強大な流れに逆らい難い。

 いまは、リリアのために、彼女を生かすということのために戦っていると思おう。アントワーヌ生え抜きの兵はディクルベルク脱出以来もれなくそう割り切っているのだろう。二十一世紀の日本から来た青年と、生まれながらに実戦の臭いを嗅いできた人間たちの違いが濃厚に出ているのかもしれない。

 余談だが、ユウはこの船に乗って、新しい道具が発明されていることを初めて知った。ロックスが自慢げに話していた。

「船の端材を板にして、これをヘリオスフィア粉末で塗装したんだ。紐と繋げて、晶術を使えば、水の上を走っていけるってわけだ」

 あのジェットスキーに似た機動を見せたのは、その道具の効果らしい。

「人一人が短い距離を移動するなら便利なもんだぜ、慣れはいるけどな、水流が厳しすぎて」

「へー」と呟いて、ユウは紐の繋がった板を弄っていた。ただの縦長の木板に白い綱が結ばれて、その先端が輪っかになっているだけの単純な道具だ。この木板をスクリュー代わりにして水面を滑っていくらしい。ユウは晶術が使えないために、これを使えないが。

 丸窓から外を眺めると、厚い雲の下に白いものがちらついていた。にもかかわらず、船内は廊下すら温かい。ヘリオスフィアの技術には驚かされることばかりだ。

「あとはお任せします」

「ええ。マルティエス砦へ、確実にお連れいたします。ごゆるりとしていらしてください」

 ヘンダーソンの部屋を出たユウは治療室に向かってゆく。船の全長は六十メートル程度。それを七隻集めたところで二千の人員を輸送しようとすると難しい。本来の積載能力を上回って、廊下の中から甲板まで人があふれていた。横になることはできるが、それぞれに部屋やベッドを割り当てるなど、無理な話だった。

 そもそも、一度の輸送で二千人は厳しいだろうといわれていた。そのため、一拠点制圧し、ピストン輸送しようとした。しかし、その必要もなくなってしまった。帝国第二師団の猛攻を受けたためだ。ユウは意外にゆとりのある船内の景色を見て、唇を噛んでいる。

 崩れるようして寝ている兵士たちの合間を縫っていき、向こう側でセオドアを見つけた。彼が背中を預けているのが治療室である。ユウに気づき、壁から離れ、

「どうも、意識が回復するとは思えません。回復したとしても軍隊の指揮ができるかどうか」

「そうだな」とユウは腕を組み、「今後はおまえがスレイエス兵の指揮を取れ」

「おれがですか?」

 セオドアは眉をひそめ、

「この状況ですから、兄者がおっしゃるなら従います。ですが、おれではスレイエス出身者はともかく、アントワーヌの兵がついてきません」

「アントワーヌ兵はおれが率いる。スレイエス兵のことは任すぞ」

「はい」

 敬礼するセオドアに背を向けて、ユウは甲板に出た。寒風の吹くそこにも兵があふれていた。手すりから湖を眺めたり、談笑したり、丸まって眠っていたり。人いきれの過剰な船底より、ここを気に入る人の方が多いのかもしれない。この時代、船に乗る、というのはよほど限られた人しかおらず、船上の景色は彼らには珍しかったかもしれない。

 ユウは後甲板の登って、霧にかすむ月影を一望し、白い息を吐き出した。

 この作戦は机上に書いた愚策だったかもしれない。敵地にあって兵站路はなく、撤退も覚束なく、敵に包囲されて恐ろしいまでの損害を出した。生き残っているのは奇跡だ。しかし、いまの王国軍の状況では博打を打たなければ帝国には勝てない。この戦いは博打の連続であり、博打に勝てるかどうかの不安を表にしないのもまた指揮官の務めだった。

 ほう、とまた息を吐く。

 ユウは手すりに寄りかかって丸くなり、外套の裾をかきあわせてまぶた閉じた。


     〇


 月の光が輝いている。

 宙を踊る雪の粒がそれを跳ね返して、黒天の下でも手のひらのしわをなぞれた。落ちてくる雪の感触がかたい。指先で擦りながら吐息を吹きかけ、肌を湿らす。冷たい外気に晒された吐息に濡れたのか、硬質の雪片が溶けたのか。

 カレンは懐から布地の一枚を引き出して、丁寧に手のひらを拭い、後方にある幕舎に戻っていった。この分厚い布の建屋の利は風を遮る役目しかなく、暖房も落として、外光も断ち、明かりに関してはむしろ暗くさせている。小さなヘリオスフィアが中央に置いた卓の上で弱々しく光っているだけだ。そばに立つアルフレッドの顔が薄く浮かび上がっているくらいしか、幕内の景色はない。

「ヴォルグリッド殿の様態はどうなのだ?」

「ああ、まったく問題ないと思いますよ。医者がいうには、軽い脳震盪を起こしただけで、ヴォルグリッドもそれをわかって、大事を取るつもりで撤退しただけだそうです。いまは話もできるし、足取りも問題ありませんし。頭が揺れている状態で命のやり取りはできませんからね。やはり彼の判断は正しかったのでしょう」

「それにしても、ヴォルグリッド殿に膝を折らせる人間がこの大陸にいるとはな」

「ぼくも驚きです。今回の作戦は彼に頼っていたわけではありませんけど、支柱のひとつが折れたのは事実ですね。まさかこんなことになるとは」

「どういう奴だったのか見てみたい」

 カレンもアルフレッドと一緒に卓を囲み、近郊の地図を覗き込んだ。いまはナライの町の隣といっていい距離にある丘陵とその後背に陣をしき、遠く湖面を監視しつつ、今後の作戦を企てている。

「これからどうする?」

 アントワーヌに一定の損害を与えたとはいえ、参謀のあの男、天ノ岐ユウを取り逃がしたのは失態だった。ほぼ完全包囲に近かったものの、敵があのような兵器を準備していて、これほど手早く脱出されるとは想像外だった。

「陛下に報告していますから、おって指示が来るでしょう。正直、勝てた戦いでしたが、我々の情報不足でしたね。さすがに海洋とそこで運用されている兵器の情報は我々の諜報でもつかみきれていませんでした」

 野営地点が湖から遠いのも正体不明の攻撃を恐れてのことだ。

「仕方がない。陛下からのご指示を待つ。あとはおまえに任すぞ」

「はい、かしこまりました」

 薄ら笑いを浮かべながらボサボサの頭を掻いている。

 カレンは幕舎から出ようとして、外に人のいる気配を感じた。

「団長」と、気配がいう。「周辺に散らばっていた馬の回収が終了しました」

 アントワーヌの馬が四方に散らばっていたから、その捕獲を命じていたのだ。

「ああ、そうか。遅くまで苦労をかけた」

 幕舎を出ると、若い女がいた。といっても、カレンとそう変わらないかもしれない。こういうときに、ときどき考える。なぜ自分がこの若さで彼女たちの指揮官になっているのか。アルフレッドを含め、年嵩の男女は配下に大勢いる。命じられている以上、職責は全うするが、第十六旅団の団長に任命されて以降、カレンの胸の中で絶えず蠢いている疑問だった。

 報告者の女は愛らしくはにかんで、

「いえ、これくらいのことは」と、赤くなった頬を撫でていた。「彼らはどうなさいますか?」

「うん。馬には罪はない。それもアントワーヌの馬だろう。良馬が揃っているはずだ」

 カレンは毛並みのいい駿馬たちの姿を思い浮かべ、思い至ったことがある。

「一度見てこよう。どこにいる?」

「ご案内いたします」

 近くに繋いでいた馬に乗り、彼女のあとについてゆく。野営地の北に、綱を張り巡らせた牧が出来上がっていた。白銀の地平線の向こうまで馬体に満ちて、どれも身を寄せ合って暖を取っているようだった。二千に近い数がいるはずだから目的の一頭が見つかるかどうか、ほとんど妄想に近い発案であったが、運よくそれらしい一頭をすぐに見つけた。瞳の色とそこに秘められた光が違う。

 カレンが下馬して、その一頭に近づく。やはり間違いない。

「おまえはセキトだな」

 彼がそう呼んでいた。セキトは荒い息を吐く鼻をカレンに近づけ、しきりに匂いを嗅いでいた。記憶にある匂いだったのか、気を落ち着けて、鼻先をこすりつけてくる。カレンは応じるように、鼻筋からたてがみまで撫でていた。

「おまえのような子を置いていくなんて、ひどい主人だな」

 下顎を撫でてやると、セキトはつぶらな目を細めていた。

 ブルブル、と唸っている。

「主人に会いたいか?」

 セキトは話しかけられたのを察して、こちらをじっと見つめていた。

「主人の場所がわかるのか?」

 問いかけると、セキトはまぶたを閉じて、鼻先をカレンの手のひらにこすりつけてくる。

 カレンは近くの杭まで行って、そこに縛られた綱をほどいた。

「団長?」

「こいつを解放する」

 セキト一頭だけを牧から連れ出し、

「水と食事はやったな?」

「はい。秣は常に多めに持ち込んでいますから」

「よし」

 カレンはセキトの背を撫で、いますぐ走り出しそうな身体を押し留めた。

「これをやる。おまえの主人に渡せるか?」

 髪留めを解くと、長く乱れた金髪が風になびく。首を振って、手を添えて、滑らかな手触りを確かめながら髪を整えた。髪留めはセキトのたてがみに。

「行け。好きに駆けろ」

 カレンが背を叩くと、セキトは走り出し、足を止め、一度振り返ってからまた走り出し、銀光の彼方に消えていった。

 牧の方を見ると、案内者の彼女が、馬群が拡がらないように抑えつつ、杭に綱を繋ぎ直していた。

「迷惑をかけたな」

「いいえ。なんてことありませんから」彼女はまた愛らしくはにかみ、「どうしてあの一頭だけを行かせたんです?」

「そうだなあ」カレンはセキトの走り去った方を見遣り、「当てつけってところかな」

 あとはセキトの運に任せよう。

 カレンは風にあおられ波打つ髪を片手で押さえて、月光の中でも輝く星の光に目を細めた。


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