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幻想剣客史譚  作者: りょん
21/23

第六巻 天の岐編 一章 大陸交差 後編

 王国の世論も帝国との開戦に向かって突き進んでいた。

「民からの基金は凄まじいもので、国庫はかつてないほど潤っております」

 王城の会議室にあって、財務大臣の男がいう。

 戦争をするには莫大な金が要る。アントワーヌはそれを商人からの基金で賄っていた。普通、国家の場合は国債を発効したりして国民への借金とするわけだが、借金をするまでもなく、寄付の形で国庫が破れるほどの金が集まってきている。そもそも王国政府としても金を集めているわけではない。にもかかわらず、国庫が破れるほど増えている。

 ウッドランドが帝国と同盟し、大陸の中立に立ったという情報は王国内ではそれほどの衝撃にはならなかった。元々他国家に期待することが薄かったことと、レオーラの盟主である国王と近衛師団が立てば帝国などは風の前の塵に等しく、平伏して許しを請うものだと思われているからだ。ただ、この同盟は王国民の正義の炎に油を注いで爆発的に燃え上がらせて、ヒステリーなまで騒がせた。それが王国への基金という形で沸騰している。

「これほど民の反帝国思想が熱いとは……」

 一部の大臣たちは愕然とする思いであった。帝国が秘匿していた集合晶術の威力を、アントワーヌを通して知り始めている。北方の兵の精強さも彼らを通して知っている。できることなら開戦を避けたいのが本音だろうが、それを豪語して国家を二分したのが、アドリアナの兄のクラインだった。知識人層は和平を望んでいる。しかし、戦場を見たことのない大衆は、帝国の威力と集合晶術の恐怖をまったく知らず、開戦は待ったなしという状況であった。

「百年も前はそうだったかもしれない」

 と世の知識層はいう。レオーラの盟主である国王と近衛師団が戦場に立つだけで勝てる、などという幻想の話だ。もはや、帝国の経済力と軍事力は王国を凌駕しつつある。ただ、この時代、旅をすることも至難で、情報の伝達も早馬が最速。となれば、知識の更新など望めない。

「やはり、開戦は避けられません」

 アドリアナは強くまぶたを閉じ、

「王国を守るために王国を犠牲にするようなものか」

 国土と思想を守るために戦う。しかし、その実態は、ありもしない夢想のための戦いになるのではないか、と思う。帝国に使節を送り、交渉をもって戦いを回避するのが常道であるが、いまの空気では使節を送ることさえ憚られる。

「いま国家を二分しては、確実に帝国には対抗できません」

 大臣の一人が青い顔の唇を震わせていう。進むも戦、戻るも戦、といったところだ。

「陛下……」

 アドリアナへ、臣下たちの視線が集中する。

「わかっています。帝国とは開戦せざるを得ません」

「よろしいのですか?」

「開戦の準備はします。ですが、ぎりぎりまで手段は模索します」

 この年、春から夏へ、季節が移り変わるとともに、時代も急速に変化していった。王国最強といわれる近衛師団、四万人の人数は主戦場となる王国―ファブル国境のゴルドバ平原、そこにあるゴルドバ大城塞と支城に集結し、増援としてコルト領始め、十三ある王国内各領地から人数が北上しつつあった。その数、およそ七万。


 ユウはこの時期、コントゥーズ近郊、アントワーヌ領にいた。

「今年も豊作だ」

 項垂れる麦の穂を片手に乗せて、もう片手は額からこぼれる汗を拭っている。視線を上げると、稲穂の波の向こうでセオドアが木棒を振り回して小鳥の群を追っていた。

「兄者、これではキリがありません」

「自然の摂理だな。鳥が簡単な餌を求めるのは仕方がないさ」

「無限に押し寄せてきて、帝国軍よりも質が悪い」

「あれはあれで害虫を食ってくれる時もあるんだろう」

 ユウは土団子と一緒にした稲粒を鬱蒼とした麦畑の中に放り投げている。リリア曰く、短草の幾種かも混ぜられていて、稲と同時に目を出すそうだ。それでも稲の発育阻害にはならず、むしろ、大気中の栄養素を捉えて吸収し、余分なぶんを根から分泌して土を肥し、おそらく土中微生物も肥やして土と稲を育ててくれるだろうという。もしならなければ滞水させて腐らせればいいともいう。稲は滞水に極めて強いため、根が水に没しても生き残る。というか、日本の稲作は水耕栽培だから、水耕の方が通常と思える。実際は稲の耐水性が強いというだけで、水耕でなければならない理由は右のことに類似の理由らしい。

 ともかく、緑肥実験をするには、稲が茂っている時期に蒔いた方がいいのではないかとリリアがいうので、ユウとその一行がこの日、施行していた。

 ユウのあとを追うようにして、コルトから借りた農民が乾燥させた鶏糞を撒いている。鶏糞は稲麦には非常にいい肥料とリリアはいい、スレイエスを占領して以降、大量の鶏を公邸で飼い慣らし、その身と卵を食すとともに糞を乾燥させて肥料に用いている。

 通常、土壌は放っておくと、雨水などで空気中の酸性成分を吸収して酸性化する。植物が生えると、その植物は大概酸性成分を分泌して、土壌の酸性化に拍車をかける。多少酸性の方が、他の植物を駆逐できるとでも思っているのだろう。そのために農業者は土壌改良剤の石灰などを撒いて、中和することがままある。鶏糞は高い塩基性、水溶液でいうところのアルカリ性を示し、酸性土壌を中和してくれる。さらにいうと、鶏糞はリン含有量が多く、リンは実肥えと呼ばれて、麦稲の可食部である種子部分を良く膨らませてくれる。それ以外の栄養素は収穫した麦稲の藁を蒔き直すことで得る。藁の構成物質は藁で賄えるのだから、多少構成元素の流出を考慮したとしても、およそ藁の成長が担保されているはずだ。あとは、種々の短草を植えて、空気中の炭素、窒素を適当に回収し、発達させた土中微生物の力も用いて、麦稲の生長の手がかりにすればいい。

 リリアは医務の傍ら、原理を知らないまでも、過去、ディクルベルクで行った実験の考察からこういう理論を組み上げて、現アントワーヌ領を実験場にしている。

 この歴史の激動期、ユウが農業に精を出し始めたのを、セオドアは文句をいわず、疑問すら差し挟まずに付き従っている。こういうあたり、奇人的であり、単純明快な性格を突き詰め過ぎたスレイエス型の純粋結晶かもしれなかった。ユウもその奇行ともいっていい行いに好感を持ち始めて、彼が傍にいるのを邪険にもしなくなってきている。なにより、農業は人手が一人でも多いに越したことはない。

 昼は水車の上げる水飛沫と、河原で遊ぶ子供たちの歓声を音楽にしながらサンドイッチ状のものを頬張っている。

 青い空を小さな綿雲が幾つか、流れているとも思えない速度で流れてゆく。日差しは熱い。風は涼しく、水と土の匂いを孕んで肌を冷やし、ユウの髪をなびかせた。

「いい季節ですな」

 セオドアは手を枕にして堤防に寝そべっていた。別にユウが応えることもない。ただ風を浴び、世界の色彩を眺めている。そよそよと草木が鳴って、その音を風がまたどこかに運んでゆく。

「のどかなものだな」

 と、意外に近くから声をかけられたときには、さすがにぎょっとした。声の主が何事もなかったかのようにユウの隣に腰を下したのだ。

「ジャックさん?」

 驚いたユウを一瞥もせず、彼の視線は河原とその向こうの街道に、興味もなさそうに注がれていた。

「なぜここにいるんです?」

「ちょっとした旅行だよ。ウッドランド人が王国に旅行に来てはいけないという法はないだろう?」

 ジャックが薄く笑うのを、ユウは十倍も大きな笑みで返した。

「ありません。歓迎いたします」

 しかし、ともいう。

「いま、王国とウッドランドはかつてないほど険悪な状態にあります。ウッドランド人と知られれば斬れらるともしれませんよ」

「おれを斬れるやつがいるんなら頼もしいものだよ」

「そうかもしれませんが」

 またユウは笑った。

「しかし、よくもまあ、鮮やかにウッドランドの方向を切り返したもんですねえ。驚きましたよ、急に同盟の話が来たもんだから」

「あれはおれじゃない。おれの補佐がやったことだ」

「ああ、ケイティさん」

 彼女とユウは面識というと、暗闇のサンマルクで細い背中を追いかけたくらいのものだった。

 ちら、とジャックが顎をしゃくた方を見ると、堤防の下、厩舎の陰に隠れる人の姿があった。こちらをちらちら、訝しむ目で窺っているが、ユウと視線を合わせて、あわあわと建物の陰に重なっていった。しばらくして、小さな茶髪の頭を覗かせたが、ユウにまだ見据えられているのに気づき、また隠れる。

「噂ではもっと朗らかで、あけすけな方だと聞いていましたが」

「ウッドランドで襲撃されて性格が変わったかもしれん」

 ユウは乾いた笑声を形だけ上げて、あとはぼんやりと川面を眺めていた。

「これからどうするんです?」

「一隊、百人余りをウッドランドから連れてきた。エルサドルとコントゥーズ、王都のあたりに分宿させているが、いずれアントワーヌと合流したい」

「それは、思わぬ戦力です。が、よろしいんですか?」

「悪かったら最初からいわない」ジャックは傍に飛んできた蝶々状の虫を片手で追い払い、「おまえはまだここにいるのか?」

 ここには兵もおらず、商業もわずかしかなく、次の戦争に繋がるものといえば兵糧くらいしかない。その土地にいつまでいるのかと、ジャックは問うている。いいえ、とユウは首を振った。

「いずれ、リリアが王都に呼ばれるでしょう。王国はアントワーヌにも出馬を願うはずです。そのときにおれも一緒に王都へ向かうため、ここに留まっています」

「呼ばれなければ?」

「そのときは仕方がない。ここで稲麦の収穫をしています」

 ははは、とユウは笑ったが、ジャックはくすりともしない。

 そのころ、ようやくケイティが木陰から出てきて、

「すみません」と唐突に謝られた。ユウも立ち上がってそれに応じた。

「きっとこの人がご迷惑をおかけしたでしょう?」

「いえ、別に迷惑ということはありませんよ」

「この人、故郷でも根暗で有名な人で、言葉も足りずに人の心も察せずに、非常な無神経の朴念仁で、冷血鬼にも似た人なんです。変なことをいわれたり訊かれたりしても、お気になさらないでくださいね」

 ずいぶんないわれようだが、ジャックはこれも気にしたふうもない。

「ちょっとジャックくん」と彼の肩を叩き、「急に船を降りたと思ったら、農家の人の邪魔しちゃダメでしょう」

 ふい、とジャックは他所を向く。

「一向に構いませんよ。おれたちも休憩をしていたところですし」

「まあ、そうですの。やっぱり、アントワーヌの方というのは気さくで、穏やかな方が多いのですね」

 はあ、と呟いたユウは、なぜアントワーヌの方と呼ばれたのか、顔がバレているのかと疑った。が、違った。

「ここ、あの有名なアントワーヌさまの御領地でしょう? そこで畑を耕しているというと、やっぱりアントワーヌの方なのかと」

「いえ、いまアントワーヌの方々はスレイエスの復興に尽力していますので、ここを耕しているのは、いまはほとんどコルト領の方々です」

「まあ、そうなの」と口に手をやって大げさに驚き、「あなたも? 現地の方?」

「おれはここの者でもありません。強いていうなら放浪の身で、少しここで世話になっているだけの旅人です」

「旅人の方」と繰り返したケイティはユウの手を握り、ぎゅっと力を込めた。「わたしたちも旅の途中ですの。しばらくコントゥーズにいる予定ですから、気が向いたら訪ねてきてくださって結構よ」

「おい、ケイティ」

「いいじゃない。旅は道連れとよくいうし。旅の方から世のことを伺うのはちゃんとした社会勉強よ」

 ほほう、とユウは感心する。学問を心がけているというより、先天的に知的好奇心の豊富な質の女性らしい。そして、非常なほど手が柔らかくて温かい。心までわしづかみにしそうな威力がある。笑顔の威力に匹敵する。ちょっと八重歯が見えて可愛らしい笑顔の。

 宿の名前を聞けば、ユウも知っているところだった。

「じゃあ、またお会いしましょう」

 と無邪気に大手を振って、街道を歩いていくのも好感が持てる。

「ずいぶん不用心な旅人ですな」といつの間にか起き上がっていたセオドアは笑う。「放っておいてよろしいので?」

「彼らも向こうで大変だったんだろう。しばらくここで休んでいてもらおう」

「おれも兄者の策略はわかっているつもりですが、信用できるものですか?」

「おまえも修行が足りないな」ユウは片手を握ったり閉じたり。「一度信用した相手に裏切られれば潔く死ぬまでだ」

「我が意を得たり」とセオドアは喝采し、「それでこそ兄者だ」

「休憩は終わりだ。仕事に戻るぞ」

「おお、麦倉を一杯にしてやろうぜ」

 木棒を振り回しながらついてくるのは、さすがに辟易する。


     ○


 農業、といっても、一日中作物の世話をしているわけではない。むしろ、種さえ撒いてしまえばやるべきことなどない。土力がなんとかしてくれる。強いていうなら小鳥を追い払うことくらいだろうか。それで、ユウは意外に多い暇の間、船を出して川向こうのコントゥーズに渡り、ウッドランド勢、特にケイティとの交流を深めていた。ジャックは一緒にいても口を開くことが滅多にない。

 この日もコントゥーズにある喫茶店のテラス席で額を寄せ合っていた。

「なるほど、なるほど」とケイティは、ユウからいまの王国内情勢を聞き知って、頻りに頷いている。「帝国との戦争は回避できそうにないわねえ」

「もはや国家一丸となって帝国戦争に突き進んでいる状態ですから」

「ユートくんは」とケイティが尋ねる。ユウは本名を名乗っていない。なぜか、と訊かれても、彼のお茶目としかいいようがない。ジャックもなにもいわない。「これからどうするの? 王国にいると戦争に巻き込まれちゃうでしょう? 旅に出て、ここを離れた方がいいんじゃない?」

「そうですねえ、もう少し様子を見るのも良いでしょう。これほど大きな戦争に巡り合う機会も少ないですから」

「ははあ、歴史の傍観者ってところかしらねえ」

 旅人、と名乗っている都合、その旅行記のことを盛んに尋ねられたりもするが、幸い、ユウは帝国からスレイエス、教会領やコスヨテリ、南のアナビア大陸なども航海の途上立ち寄っている。話題に事欠くことがない。

「いつか西の海の向こう、オルドネラ大陸にでも行こうかと考えております」などとうそぶいたりすると、ケイティも興味深そうに尊敬に近い眼差しを送ってくれて気分も良くなる。オルドネラは未開の大地、原始の大陸、と呼ばれ、国交どころか、その文化・歴史の一切が謎に包まれている。かろうじて、人がいること、石器時代に近い生活をしているらしいことだけがわかっている。

「旅人というのも大変ね。どうやって旅費を稼いでいるの?」

「ええ?」旅費などハルとクラインを強請って得ているのだが、それはいえない。「それは、まあ、いまみたいに農業や、家業を手伝ったり、少々武芸をかじっているので、それを見せたり、教えたり」

「それでジャックくんと気が合ったのかしら。この人も剣を使うから」

「そうかもしれません」

 ひゃひゃひゃ、と笑い合う。ジャックだけがしかめっ面で茶を喫していた。

 そんな日々が数日続いたある日、ユウの寝所、というか、掘立小屋を叩く者がいた。帝国以来の付き合いになる、あの三人の一人、ドライである。ずいぶん前からディクルベルク以来の諜報員を与えて、密偵の仕事をしてもらっていた。その影響で彼らが鎧をまとうこともこのごろ少なく、当然のように平服だった。

「王国が動いたか」

「はい、アドリアナ陛下から使いがあり、アントワーヌ閣下はいま、上都の途にあります」

「では行こう」その前に、とユウは人差し指を立てた。「数人、連れて行きたい方々がいる。先に彼らに会いに行こう」

 畑に出ていたセオドアを呼び寄せる一方、コントゥーズに向かい、ジャックの宿の戸を叩いた。

「王都に行くのは良いだろう」とジャックはいささか渋るようだった。「その前に、おまえの算段を聞いておきたい。帝国はファブルと連合を組むだろう。その数はおそらく十万を下らない。王国も同数程度準備できるとして、正面から挑むつもりか? それで勝算があるとは、おれには思えない」

「確かに、おっしゃる通りです」ユウは思い出したようにいい、「実に良いことをいってくださった。おれは帝国と正面からぶつかるつもりはありません」

 ジャックは沈黙をもって、ユウの発言を促している。

「おれの想定している攻め口は二つ、ひとつはゴルドバ平原西方のマルティエス湖」

 ここは非常に広大な湖で、小国ならそのまま呑み込むほどの規模がある。ここから流れる水が南に下り、王国に入ってアタカ川と合流し、さらに下ってプロキオン湖があり、王都があり、コルト領都コントゥーズ、エルサドル、と海に近づく。

「まずはこの湖を押さえなければ、王国は陸と湖の両面から襲われます。逆に、ここを王国が押さえればファブルの西方を制圧することができ、迂回して、帝国軍後方、兵糧線を脅かすこともできます。まずこれがひとつ」

 もうひとつ、とユウはいう。

「騎馬隊をもってノルン山脈東端を越え、ファブルに侵入し、帝国軍後方を掻き乱します」

 ノルン山脈はスレイエスの北にあって東西にのび、東端で南に下り、マルティエス湖西端をさらに南下、アタカ川が作る王国とスレイエス国境にぶつかって消失している。スレイエスの国境線はノルン山脈そのものといっていい。

「北に帝国があって、ここに進軍することも可能かもしれませんが、進出したところで援護がありませんし、占領して維持する力が望めるかどうかわからないので、東のファブルに進路を取って、王国と連携しつつ、ゴルドバ平原への脱出、またはマルティエス湖からの離脱を考えているわけです」

「ノルン山脈」とジャックも吐息を漏らし、椅子の上で組んでいた足を組み直す。「聞いたことがある。その山間は種々の危険生物がいて踏破が難しいはずだ」

「そうです。特に北方は地獄です」

 アントワーヌはノルン山脈を南北に越えようとしてジークベックという巨竜に襲われたことがある。いまだかつて、あれほどの危機にあったことがない。

「東方はまだわかりません。ですから、いま調査させています。そこで、ジャックさんが実にいいことをいってくださったと思ったのは、山岳知識の豊富なジャックさんの兵に、ノルン山脈東部の調査を手伝っていただきたいのです」

「なるほどな」

 ウッドランド遊撃部隊は山岳訓練を過度なほど施されている。ラピオラナ山脈が国境線となっているためだが、ジャックはアンガスの城塞を救済するため、というより、そこを襲う帝国を強襲するために、山岳訓練は過剰なほど部下に施していた。その策は見事成功し、帝国に政略を切り替えさせている。その実力がほしい、とユウはいう。

「我々は海軍には自信があります。マルティエス湖はなんとしても掌握します。あとはノルン山脈を渡って騎馬を入れられれば、帝国に与える損害と混乱は二倍にも、三倍にも膨れ上がりましょう。そのためにはウッドランドの、ジャックさんの兵の力が必要のようです」

「おれたちは帝国と戦って、勝つためにここへ来た」ジャックは立ち上がり、「いいだろう。部下にはそういう指示を出す。アントワーヌと連携させよう」

「非常に助かります」ユウは諸手も歓声も上げ、「これはもう勝ちの目が見えた」

 と、豪語した。その後、ノルン山脈の調査をしている人員に書状をかき、連絡兵に持たせてすぐさま北に走らせた。ジャックもそれなりの手配りを済ませたらしい。

「面白くなってきたな」とジャックから口を開くのも、彼が薄いといえど笑みを漏らすのも珍しい。「エドワードのほえ面が目に浮かぶ」

「面識がおありで?」

「少しだけな」

 その後、ケイティも連れて、一行はゆるゆると王都に向かっていった。

「なんなのよ、急に」

 ケイティは不服そうにいう。なんの前触れもなく急遽出立することになり、それもまったく面識のない男が一人増えている。

「どういうことなの?」

「どう、と聞かれると、少し困りますが、古くからの友人が王都に行くというので、それでおれたちもそれに合流しようかと。それをジャックさんにお伝えしたらまた一緒に行くことになりまして」

「おい」とジャックが低い声を出す。自分に振るな、ということだろう。

「ともかくそういう感じです」

「感じねえ」

 ケイティの疑惑はまったく晴れない。しかし、王都観光に向かうのは反対ではないらしい。

 馬蹄をゆるゆる転がして、五日あまりの旅程になったが、きらめく川面、風に揺れる稲穂、街路樹から下がる白い花を眺めたり、風車の羽根を回す風を浴び、道行く馬車や人の群れとすれ違い、追い越され、その背中を目で追ったり。行程の全日程が晴れたのも旅行を容易に、そして清々しくした要因だろう。

「王国の春は素敵ねえ。ウッドランドは湿っぽくっていけない」

 王国の春は晴れがすこぶる多い。強力な偏西風に全土が包まれるために容易に雲が散り、寒気は北に去って、南の海峡から昇ってくる水蒸気も雲になりにくい。王国はその名物である花と果物の謳歌する季節に入っているのだ。

「コントゥーズは果実の都、王都プロキオンは花の都、というものね」

 プロキオンは文化的にも、植物的にも花の都で通っている。大陸を一貫した感性だろう。

 名物のファンダ大丘陵を登り切り、その頂から王都のきらびやかな街並みを見下ろし、一通りの感嘆をしていたところ、雑踏が騒がしくなった。

「ちょっと」とケイティが震えた声でジャックの背中を叩いていた。ユウもそれに振り返る。「あれ、王家の馬車よ。それに、白狼の旗、アントワーヌの記章よ」

 確かに、はるか西方から来るのは王家の紋章を施した屋根付き馬車であり、それを左右で護衛するのはアントワーヌの兵だ。馬車のそばにはジェシカの姿もある。

 街道の旅人は脇に逸れて、それを見送っていた。別に義務ではないが、自然とそうなった。ユウたちも下馬して道を譲り、ケイティなどは憧れの眼差しを揺らしながら馬車を見送ろうとしていた。その眼差しに気づいたジェシカは隣にいるユウを見つけて目を剥くとともに、唾を吐きかけそうな顔になりつつも、かろうじて感情を殺し、何事もなかったかのように行進を続けようとしたところで蹄を止めた。急遽、馬車内が騒がしくなり、その車輪が止まったのだ。扉がぶち壊されるように蹴り開かれて、止めるアンジュを振り払い、リリアが飛び出してきた。

「ちょっと、ユウさん、こんなところでなにやってんです」と怒声を上げる。

「なにって、王都に向かうところでしょう」

「わたしはご一緒するつもりだったのに、勝手に行って」

「そんな話は聞いてないけど……」ドライの方を見ても、慌てた顔を振っている。

「いってないかもしれないけど、察してください」

 地団太を踏みながら無茶をいう。

「リリアちゃん、公道の真ん中で声を荒げるなんて、はしたないですよ」

「わたしはただ声を荒げているわけではありません。不忠の士に思いやりとはなにかを説いているのです」

「心外だなあ」

「とにかく、わたしは王城にいますから、ちゃんと来てくださいね。前みたいに勝手に町に泊まられては困ります」

 おそらくクライン戴冠式の前後のことをいっているのだろう。ずいぶん古い話をする。

「リリア、勝手は困ります」とジェシカに戒められて、足早に馬車に戻っていった。扉が閉まるのを見届けて、

「ユウ、陛下はアントワーヌに協力を仰ぐつもりだぞ。色々考えているんだろうな?」

「おれは常に無限の可能性を考えているさ」

「胡散臭い奴」

 ほどなく列が動き出し、それが捨て台詞のようになってしまった。

「アントワーヌ閣下にもあんな一面があるんですか」とセオドアは吐息を漏らしていたが、その音には感心した響きがあった。「聡明な方かと思っておりましたが、熱いところもおありなのですね」

「ヒステリーだよ」

 ユウはセキトにまたがって手綱を引いたところで、一身に向けられている視線に気が付いた。ケイティが唖然として見つめている。

「あの、天ノ岐ユウ、さまで?」

「実はそうなのです」

 一笑したユウは、

「ジャックさん、おれは急ぎ城に向かいます。また城下の宿を訪ねることもあるでしょう。ご連絡ください」

 では、と残して、馬腹を蹴った。


     ○


 その翌日、王城で開かれた会議には十三人の諸侯とその代理の他、政務官ロッテンハイムを始めとした大臣級、そこにリリアも招かれていた。その上座で、アドリアナがいう。

「帝国の膨張は昨今留まるところを知らず、いまはファブルに兵を入れている様子。彼らの企図はさらなる南下にあるのは明白であり、これを阻止するため、貴公らが兵力を整えてくれていること、嬉しく思います」

 予定戦場である王国北東国境にあるゴルドバ平原近郊、ゴルドバ城塞には続々と人数が供給され続けて、その施設も拡充されているという。

「ですがひとつ」とアドリアナは指を立て、「ここに揃っている方々の中で、アントワーヌだけは王国の臣下というわけではありません。このたびの戦い、どう振舞おうとわたしどもの口を挟むところではございませんが」

 次いだ沈黙は答えを求めて、無数の視線を一人の少女に向けさせた。リリアはその期待と不安と敵意の入り混じった視線をものともせずに楚々と立ち上がり、

「陛下。我々、アントワーヌは陛下とコルト侯爵閣下をはじめ、王国に属する方々のご恩に報いたく存じます。お許しを頂けるのなら、王国の方々と兵馬を並べとうございます」

「そうか」とアドリアナが頷き、一同が安堵の息を漏らした。

 万一、アントワーヌが王国につかなければ、王国は六万ともいわれたスレイエス兵にまた後方を苛まれながら帝国十何万と別方向で対峙しなければならなくなっていた。このころ、スレイエス軍はアントワーヌ軍と名称を変えて、総数は希望退職募って一万程度しか残っていない。

「では」とロッテンハイム卿が冷徹な口を開き、「アントワーヌ卿には急ぎ兵を挙げてもらい、各軍同様、ゴルドバ城塞に入っていただきたい。指揮系統はおって連絡させよう」

「それにつきまして、ひとつ、申し上げたき議がございます」

 ロッテンハイム卿はわずかに眉間を揺らしたが、アドリアナの承諾の方が早い。

「聴こう」

 リリアはスカートの裾をつまんで軽く頭を下げ、

「アントワーヌは王国の指揮下を離れ、完全独立遊撃部隊としての行動をお許し願いたいのでございます」

 議会は不穏なざわつきを呈し始めた。


「アドリアナとコルト候はともかく、アントワーヌは他の諸侯方とは関係も信頼も薄いから、完全な独立行動権を許されるかどうか」

「わたしたちを目の届くところに置いておきたいってか? 裏切るとでも思われてるってのか?」

「アントワーヌが帝国に抱く恨みは、アントワーヌの人間じゃないとわかるまい」

 ユウにしてみれば、エドワードの志を理解しているために、恨みというほどのことももはやないが、帝国以来のアントワーヌ兵は今度の帝国の動きに過敏なほどいきり立っている。果たして、リリアはどうか。両親を奪われてその怨念は並ぶべくもないはずだ。

「しかし、王国だって背後に一万の敵勢因子を背負って戦うのは嫌だろうさ」

「わたしたちは裏切らない。なんなら先頭に立てばいいんだろう?」

「完全独立した指揮権を与える、ということは、それを拒否する可能性もあるよ、といっている」

「だが……」とジェシカはむきになっていい募ろうとするが、これ以上は感情の話になる。

「思想と感情の議論は無駄だ」とユウはいう。

 リリアには、昨夜、アントワーヌの取り得る作戦のすべてを伝授している。大筋は帝国の後方を取る、という戦略だが、手段は無数にあって、その時々の状況によってアントワーヌの挙動は変幻自在でなければならず、王国本隊へ報告できない状況もあろうし、一々指示を仰いでもいられない。

「おれは決戦の前に王国軍と合流するつもりでいるが、実際は帝国の後方にいるかもしれないし、決戦には間に合わず、別のところで別の戦いを強いられる可能性もある」

 王国側が、どれほど帝国の兵糧攻撃に実効性と有効性を見出すか、それが問題になってくる。もしかしたら、王国継承戦争時に近い運用になるかもしれないから、その経験が王国側の理解を多少助けるかもしれないが、

「まあ、あとはリリアの手腕に任せるしかない」

 ユウはジェシカと王城の周りを歩いている。

 二人は軍務省を目指していた。十三諸侯が発した各軍の大将と、五つの近衛師団長の顔合わせと決起集会があるらしく、ほとんど参戦の決まっているアントワーヌ指揮官も招待されているわけだ。しかし、なかなか到着しない。

 町と水壕で隔てられた城壁の中だ。王城といっても、その面積はとてつもなく広い。二重、三重、と水壕が築かれ、そのたびに白漆喰の城壁が張り巡らされ、要所を守るように軍事施設が点在し、兵舎も数万人を収容できる規模である。さらに王国を支える官公庁がひしめき合って綾を成し、来る者に容易に道を覚えさせず、道幅は過剰なほど広いと思えば突如として狭くなったり、不要な迂回を強いる不親切さは立派な防衛思考を臭わせていた。

 城門の内側に商店は官営のものしかなく、品物も限られ、正直、住むにはまったく不適当な、苦痛さえ感じるといっていい場所であった。が、王都の貴族や官史などはほとんどこの内側でのみ生活をしている。ちなみに、城下に諸侯の下屋敷のようなものもあって、不肖な地方貴族やその子弟、下仕官などはそちらに駐留している者が多い。もっと粗野になると、かつてのユウのように公営宿舎に宿営したりする。

 話が逸れた。

「これかな、噂の軍務省というのは?」

「違うだろ、看板読めよ、間抜け」

「読めねえし。もっと簡単な字書けよ、この世界は」

 などといい合いながら、また歩く。道を訊こうにもほとんど人が歩いていない。

「ここまで攻められたらほとんど終わりなんだから、これほどに複雑にする必要があるのか」とユウは滑らかな石畳を踏みつつ、「おれならもっと単純明快な城を造ってた」

「造ればいいよ、どうなるか見物だよ」

「ところがどっこい、金がない。あってもたぶん造らない」

 城中の散歩話はこれくらいにして、二人はこの日のうちに無事軍務省に到着した。

 案内されて通された先の扉からは、喧々諤々の議論が白熱しているのが聞こえる。

「アントワーヌの天ノ岐さまとクレイクス卿でございます」

 案内役がノックをして扉を開くと、無数の視線とともに白けた空気が襲い掛かってきた。二人は多少道に迷っても遅れたわけではない。なにか悪いことしたか、とややムキになりつつ、ユウは朗らかに議場に入った。長卓に二十余人が寄り集まっているだけの瀟洒な部屋だった。向かいの真っ白なテラスに面した大窓から差し込む日差しが苛つくくらいに眩しい。

「どうも、どうも、遅れてしまいまして、それほど遅れてもいないかな」

 などと頭を掻いて笑ってみたが、一部からは睨むような視線すらある。

「ようこそ」と諸手を挙げて歓待してくれたのは上座の方にいた一人だけだった。丸い顔で、体型も丸く、好々爺然としていて、あまり武働きをするという雰囲気ではない。強いて言うなら、浅黒い顔と深い皺が、外仕事を重ねてきた男の経歴を物語っている。戦士というより、土建屋の親爺というのが似合う男だった。白髪を撫でつけた彼はユウの手を両手で取り、白い小さな髭を生やした上唇を柔らかくした。「ようこそ、おいでくださいました。勇名はかねがね伺っております。わたくし、近衛師団総長を任されているユグノーと申す者です」

 ユウは驚いて瞬きを繰り返しながらこの好々爺然とした男を眺めた。近衛師団総長というから相当腕の立つ男なのだろうと想像していたが、この人が、と驚いた。このすぐあと、ユウを納得させたのは、総長に必要なのは武勇などではないということだった。なににつけて折の合わない文官と武官に対する折衝の能力が第一なのだという。そういう俗な話を訊き、このユグノーさんの大変さを思ったりした。絵に描いたような中間管理職である。

 ユウとジェシカが導かれて席に収まったあとは短い紹介を重ねた。ユウが、おや、と思ったのは、近衛師団の中に一人見知った顔があったためだ。あとで話してみようかと思っているうちに、彼らは席を立ってしまった。ユウもあとを追おうとした。だが、十三諸侯から送られてきた貴族連中は不満気に組んだ腕の中に顔を埋めるようにして立ち上がらない。ユグノーに視線を送ると、目尻を垂らしながら頷いてくれたので、ユウはそのまま席を立った。ジェシカも一緒についてくる。

 ちぢれた髪をなびかせる大きな背中に追いつき、

「お久しぶりです、トマスさん。覚えておいでですか?」

 ユウの方をちらと見降ろし、無精ひげの口元をほころばせた。

「お久しぶりです。お会いしたのはウラカ台地以来ですか」

「近衛第三師団にはスレイエスでもお力を貸していただいて。皆さんに南軍を抑えていただけなければアントワーヌだけではとてもレイスを陥落させられませんでした」

 ぐ、と握手を交わす。次いで、ジェシカも彼と手を握り、

「ところで、彼らはまだ部屋に残ってなにをしているんですか?」

「細かい戦術面の話をしているのです」と辟易したようにいうのを、ユウは耳を疑った。

「戦術面の話を? ここでですか?」

「天ノ岐殿がいらっしゃる前からです」三人は廊下を歩きつつ、「ゴルドバ平原南方の地図を壁に張り、帝国軍がこう来れば王国軍はこう動き、こう包囲する、とか、こう来ればここを突き崩せばいい、などと、延々と話していて」

「それでこうも足早に席を立ったわけですか」

 戦略面のことならともかく、戦術面のことを戦地から遠く離れた敵軍も見えない土地の一室で熱烈に議論しているなどと、頭が沸いているとしか思えない。ユウでも付き合っていられない議論だが、実地の戦地を駆け回っている近衛師団長級にはお笑い種にもならないだろう。

「コルト候は長くスレイエス南軍と接してきていますから、いいでしょう。他、一、二の諸侯も見どころのある者はいます。ですが、大多数は……」

 自嘲気味に笑い、首を振った。王国南方は敵国と国境線を重ねることもなく、二百五十年間、緩慢に老いている。それに突如戦えと号令しても無理な話だった。

「それでどれくらいの数になります?」

 ちら、とまたユウの方を見、

「まあ、七万程度、といったところでしょうか」

「七万程度か」とユウも腕を組む。繰り返し触れるが、アントワーヌはスレイエス兵も含めて、希望退職を募った都合、総勢一万と少しでしかない。海軍に割く人間を百数十人としても、奇襲部隊に二千余り、残り六、七千はゴルドバ平原に先行させたり、後方支援に当てたり、陸軍同士が合流できて一万に及ばない。

 勝てるか?

 ということが、怪しくなってきた。おそらく、帝国は十万を越え、十五万に届くだろうという予測もあり、ヘリオスフィアの保有量などは王国の十倍から二十倍と凄まじい格差がある。王国にも集合晶術はある。クラインの代理政権時代、王立研究所に膨大な国庫を注ぎ込み、多くの人を割いて完成させている。それをクラインは王国王位継承戦争時に使おうとしたが、アントワーヌの計略のために阻止された過去がある。その成果は残っている。しかし、王国には実戦経験もなく、前述したようにヘリオスフィア保有量において、不安がある。

 あと一年あれば、とユウは思う。ヘリオスフィアの保有量で追いつき、主な戦術が晶術に移って、兵数の過多など問題にしていなかっただろう。

「兵数も集合晶術も、彼らが戦術面の議論を交わしていることも、大した問題ではないのです」と、トマスはいう。

「これら以外にも問題があるんですか?」

 それよりも尚面倒な問題だという。

「今回はアドリアナ陛下の親征ということで、王都そのものが動くといっても過言ではありません。数百もの文官がゴルドバ城塞に入るのはもちろん、彼らが作戦に口を出す機会が大幅に増え、そればかりか、彼らの不安に我々が左右される危険すらあるのです。その辺りはユグノー閣下が押さえてくれると期待していますが、果たして、どこまでできるか。かつてなかったことだけにまだ予想ができません」

 ユウも、文官が口を挟んでうまくいった、という戦史の記憶がない。近世、明治維新にそれに近いことが円滑に進んだかもしれないが、大概は、噛み合わずに瓦解するか、乱世ののちに文官と武官が骨肉の争いを展開するか、どちらせよ、普通うまくいかない。

「本来なら、王都などにはおらず、部下とともに前線で敵と対しているのが普通なのですが」

 異例に部下八千のみを先行させ、自分たちはつまらない政治をさせられているという。

「しかし、天ノ岐殿にお会いできたのは良いことでした。次の戦い、期待していますよ」

 に、と笑われると、ユウも笑って返すしかない。

「ご期待に添えるようにしたいですが、アントワーヌがどう扱われるか。俺自身は全力を尽くしますよ」


 アドリアナが、卓上を指先でトントンと叩くと、潮が引くようにざわめきが静まっていった。

「わたしの所見として、アントワーヌは王国の臣下ではない、ということをもう一度申し上げておきます。ゆえに、彼らが戦場でどう振舞おうと、わたしたちに指図する権利はなく、ただその道徳に委ねるしかない、ということです」

「ですが、陛下」隣のロッテンハイム卿が席を立ち、「わたしは彼らの武を信じ、恃むがゆえに前線に立っていただきたいと思うのです。元帝国貴族の彼らが先陣を切って帝国軍と当たれば、敵の心理に動揺が見られるかもしれず、その動揺を突けば敵を一撃の下に瓦解させることも可能でしょう。できるともしれない手練手管を使わずとも、彼らを前衛に据えた方が、現実的で効果的な成果が得られると、わたしは確信しています」

「ロッテンハイム卿、繰り返し述べるようですが、彼らは王国に善意で協力してくださっている団体に過ぎません。わたしたちも彼らに善意を施しました。ですが、決して、その見返りを求めるようなものではなかったはずです。アントワーヌはこの地を耕し、交易を重ね、国を豊かにした以上に、海賊と友好を結んで内海の平和を築き、スレイエス公家を失脚させて王国の後方の安全の確保にも尽力してくださいました。その彼らに、戦争の前線に立て、と命令することがどうしてできましょう?」

「しかし」と別の貴族が後方で立ち上がり、「現実的に、元帝国民の彼らと軍馬を並べるのは……」

「信頼できないとおっしゃいますか?」

 沈黙は肯定の証だろう。左右と顔を見合わせている者もいる。アドリアナが知る限り、戦場に立たないような保守層ばかりが疑いを抱いている。果たして、彼らが王国を守るのに、どれほどの助けになるか。

 そこにコルト候が一石を投じた。

「アントワーヌが信じられぬ、というのも滑稽な話ですが、それなら、彼らを彼らのいうようにファブルの荒野に押しやって、単独の戦いを繰り広げていただいた方が、あなた方には都合がいいはずです。ロッテンハイム卿のおっしゃるようにはいきませんが、王国は王国兵のみで陣を布けばいい。アントワーヌの一切を無視すれば、それで成立する話ではありませんか?」

 一理ある。保守層はまた顔を見合わせる。その表情に安堵の色があるのがまた気に入らなかった。しかし、丸く収まりそうではある。ロッテンハイム卿のみが唇をかたく引き結んでいたが、それでも黙って席に収まった。

「リリア・アントワーヌ」とアドリアナは立ちっぱなしだった少女の小豆色の目を見つめる。彼女も姿勢を再び正した。

「聞いての通りです。見苦しいところを見せてしまいましたが、あなた方の行う作戦のすべてはあなた方にお任せします」

「はい」

「できるだけの戦力をファブルへ送れるよう、我々も手をお貸ししましょう」

「はい」と再び、スカートの裾をつまみ、頭を下げた。「陛下の御心遣いに感謝いたします」

 これで一難は去ったが、また別の不安がアドリアナの胸に去来する。

 アントワーヌの作戦は無謀に聞こえる。リリアはこの戦争を無事に乗り切ることができるのだろうか?

 胸の中で指を組み合わせ、見えぬ誰かに祈りを捧げた。


     ○


 机を蹴った勢いで引いた椅子から飛び上がるようにして立ち上がったベイツ・ダンダロフはひざまずく部下に唾を飛ばすようにして問い返した。

「アントワーヌがノルン山脈を越えてファブルに奇襲をかける。本当だろうな?」

 報告者は顔も上げずに、頷いた。

「はい、若。これを帝国側に密告すれば」

「アントワーヌもおしまいだな」

 ベイツは哄笑し、のけ反った勢い、椅子に戻った。傍らにあったグラスを乱暴に取って、満たされたアルコールを呑み干し、

「いいだろう。見つかるなよ、アントワーヌにも、王国人にも」

「はい。お任せを」

 部下が出ていくのを見送りもせず、ベイツはまたグラスに琥珀色の酒を注いだ。強烈な酒精が部屋に満ちてゆく。

 リリアの身と引き換えにした融資を断られたのはいつのことだったか。以来、アントワーヌの瓦解を虎視眈々と狙っていたが、手を差し挟む余地がないまま日月が過ぎ去り、解雇したマロード一家を奴らに雇い直され、あれよあれよという間にレオーラの交易を牛耳る巨魁に成長し、完全な独立勢力としてこの内海経済の中に立ち上がっていた。

 その速度たるや目を剥くほどで、商人の目からは帝国以上の脅威であった。奴らの成功がベイツの憎しみを激しく奮い立たせてゆく。奴ら、アントワーヌには土木の技術もあり、北のフォーラントでは港湾の設備を進めてもいるらしく、いずれ王国内の土木業、ダンダロフの領域に食い込んで来るかもしれない。そういう意味でも破壊したくてたまらない。

 ベイツのようやく打った手が、アントワーヌがウラカ台地で行っていたヘリオスフィア工場建設の妨害だった。が、これは容易く打ち破られて、次の手を模索していた。それで見つかったのが、王都の協力者から流れてきた情報である。今度の件は決定的に思える。

 アントワーヌは荒野の中で帝国に待ち構えられ、粉々に粉砕される。その余波で王国が滅ぼうが、知ったことではない。利さえ上がれば、商人に国などどうでもよい。国と商家などというのは、所詮、両者利用し合っているに過ぎない。

 アントワーヌも、それを後援する商人どもも、この王国という古びた国家も、すべて滅んでしまえ。

 ベイツは暗い部屋で、一人狂ったように酒を干し、笑っている。


     ○


 アントワーヌが独立行動権を手に入れた、という朗報を聞いたあと、ユウは陸路、急ぎ足にフォーラントへ向かった。

 リリアとジェシカは王都に残り、諸々の折衝を行っている。道案内にはセオドアを立て、旅路にはジャックとケイティが同道していて、ノルン山脈東部に接続する町、アンダルムを経由してゆく。

「天ノ岐さまったら、お人が悪い」とケイティは猫撫で声を出して、指を組み合わせた手の甲に頬を乗せていた。「もっとお早くいってくだされば、あんなぞんざいな言葉の使い方しませんでしたのに」

「ケイティさん、いままで通り、ユウくん、で結構ですよ。アントワーヌの兵には指揮官として接していますが、礼儀などは苦手なのです。ですから、双方気を使わない方がよろしいのですけど」

「そお? なら、いままで通りユウくんで行こうかしら。わたしのことも適当に呼んでくれていいからねえ」

 甘ったるい声でいう。

「アントワーヌの天ノ岐ユウくんとお友達なんて、わたしの格も上がっちゃうわね」

 ジャックの方を見、

「ねえ、ジャックくん、ウッドランドに帰ったらどうしようね? わたしたちも有名人かもよ?」

「もう有名人だから帰れないんだ」

「わたしのせいじゃないからね」

 数日ののちに四人はアンダルムの地を踏んでいる。そこにいるアインスに、あらかじめ手紙を出していたから、落ち合うのは容易だった。

「彼が登攀路調査隊の指揮をしています。アインス、彼らは国外から旅行にいらっしゃっているジャックさんとケイティさんだ。ノルン山脈と、その向こうにあるファブルの観光をしてみたいとおっしゃる。協力してあげてくれ」

 ウッドランドは中立という建前が、このころから出来上がっている。だから、アントワーヌや王国に軍事的な協力はできない。彼らがアントワーヌに協力していると知れれば、また彼らの立場を悪くさせるだろう。大っぴらに、ウッドランド人だよ、とはいいにくい。彼らが何者か、アインスを始めとするアントワーヌ諜報部とは情報を共有しているが、建前は大事、という話だ。

「ジャックさん、あとはお任せしてよろしいですか?」

「いい。子供じゃあるまいし」

 ハエでも追い払うようにして手を振るジャックに苦笑したユウは、一路南西、ケルン大平原の緑薫る草葉を蹴散らし、疾風のように駆ける。青い空に浮かぶ綿雲を数々追い越してゆく。

「時間を食ったな。まだ駆けられるか?」

 ユウはセキトの脈を見、肌を滑る汗に触れ、頷いた。まだ余裕がある。馬腹を蹴って、前にのめる。

「ですが、兄者、どう急いだところで馬には限界があります。これほどの速度では遠駆けはできますまい」

「それはわかるが、一日でも惜しい」

 それほど急いでいる理由は、エルサドルから来た手紙にあった。ノルン山脈東部の調査をさせていたはずのタモンがいつの間にかエルサドルにいて、

「ヘリオスフィア工場反対派を煽動していた首謀者が判明した」

 というのだ。しかも、それがダンダロフであり、ダンダロフは王都にも協力者を持ち、おそらく王国議会、軍会議の情報も得ているだろうという話だった。ダンダロフの手の者がエルサドルに寄港している交易船に乗り、帝国に向かいつつある。それは数グループに分かれていて、止めるのは至難である。一応、フォーラント経由に分乗した一派を追跡し、経由地にて捕縛するという。

「どうなさるのです? おれたちの策が帝国側に筒抜けになっていたら」

「まあ、仕方があるまい。フォーラントに行ってから考える」

 俊足を飛ばして到着したのは、フォーラントの港湾区にある倉庫のひとつ。物々しい警備がアントワーヌ勢にされていて、町の者が近づくこともない。警備者たちの目は血走り、肩は怒り、近づけば殴り殺されそうな雰囲気がある。そういう連中ですら、ユウを見ると道を開けて、頭を垂れた。彼の威勢はそこまで来ている。

 人の垣根の間を通り、倉庫裏にある通用扉の前で下馬して、セキトの肌を手拭で撫でてやった。馬には敬意を払わなければ、彼らもこちらに敬意を払ってくれない。いくら急いでいても、ある程度の世話は自分でするように、ユウは心がけている。

 鉄製の重い通用扉がある。これを抜けると、中は真っ暗。隅に小さな明かりがひとつあるっきりで、幻想的ですらあった。ただ、人の気配は多く、それもアドレナリンの臭いが漂っていた。

 荷の多い倉庫の中、わざわざ開けたらしい中央の広場には、鉄格子の檻がひとつ。薄い明かりの中でぼんやりと浮かび上がっていた。人が直立できるかどうかという四方しかない鉄格子の中に、無造作に転がっている体が三つ。手足を拘束され、さるぐつわを嵌められて、健康状態も良いとはいえない。頬がこけているのは、ここ数日、まともな食事を与えられていないせいに思える。

「ユウさま」と明かりの縁にあったハルの能面のような顔が口を開いた。「こいつら、どうなさいますの? 小さく刻んで海に捨てる?」

「その前に情報を聞き出さなければ」とセオドアが背後で呟いた。「拷問にかけてどれほどの情報が漏れたのか、確かめましょう」

「指を折るとか、爪を剥ぐとか?」

 話を聞いている牢内の三人の顔色がただでも青いのに、白みを増してゆく。

「旦那」と闇の中からタモンの声もする。幻聴ではあるまい。ハルの顔も、その声の方を向いた。「そのような怪我の痛みは慣れやすいものです。効果的なのは、痛みのない不快感を長時間与え続けるという手段ですが、これだと時間がかかり過ぎますな」

 ひひ、と悪魔のように笑い、

「ひとつ、良い方法があります。ヤスリで少しずつ、身体中のあちこちを削り、傷口に海水を擦り込ませるのです。卒倒するかどうか瀬戸際の痛みを手頃に与え続けることができます」

「悪趣味なジジイね」

 ハルもさすがに顔をしかめ、

「どうなさいますの、ユウさま」

「鉄格子から出してやれ」

 闇の中に鉄格子の入口があったらしく、突如、明かりの中にもう一人が出てきたのは劇を見ているようでもある。襟首を握られ、荷物のように引き出された三人がユウの前に投げ出された。彼らの頭上に、晶機ランタンが持ち出され、ぱ、と明かりが灯る。

「さるぐつわも外してやれ」

 いわれた通り、手早く三人のさるぐつわが外される。彼らの生唾を呑む音を聞き、ユウは自分の唇に人差し指を当てた。

「こちらの質問以外のことは喋らない方がいい。彼女がいった通り、小さく刻まれて魚の餌になってしまうかもしれないよ」

 三人が黙ったまま居住まいを正し、ユウの方へ探るような恐怖色の視線を向けている。ユウは頷き、

「誰か、食べ物と飲み物を彼らに」

 なにをいわれたのか、周囲は理解しかねていた。

「食べ物?」とようやくハルがささやく。「なにか、食べ物と飲み物を」

 警備者たちの食料がある。それを与えると、三人はむさぼるように食べ始めた。

「食べながらでいい」とユウはしゃがみ、彼らと目線を合わせ、「君たちはどれくらいの情報を帝国に運ぶつもりだったんだ?」

 一人がユウと視線を合わせて、顎を止めた。左右の二人の息遣いを窺い、二人も二人の様子を窺っている。なにもいわない。

「まあ、いい。大体わかる」

 ユウは立ち上がり、

「ハル」

「はい」

「いまいくらくらい持ってる」

「いくらって、金のこと?」

「金のこと」

「銀貨十枚くらいかな。王国銀貨が」彼女は懐を探り、晶機の明かりにきらめく銀貨を数え、「銅貨もあるけど」

「銀貨九枚、貸してくれ」

 手渡しされた銀貨を、ユウは三人の前に置いた。

「君たち、どれくらいもらってる?」

 誰もが意図を察したらしい。三人は意外な状況に驚いている。

「ちょっと、ユウさま」

「いい。少し静かに」ユウはハルの前に手をかざし、「君たちがどういう情報を持っているか知らない。けれど、王国民である君たちが王国に協力しようとしているアントワーヌを陥れようとするのは、愛国心に悖るのではないかな? いま、ここに銀貨が九枚、ある。君たちが、いまからおれのいう任務を無事にこなし、王国が帝国との戦いに勝ち、アントワーヌが無事であったなら、王国金貨を一枚ずつ与えることを約束しよう」

「ユウさま」とハルががなり立てる。これにも手のひらを向けるだけにして、

「君たちの任務、というのは簡単だ。おそらく、ダンダロフ家から、帝国にアントワーヌの情報を流せ、といわれているんだろう。その情報の中に、アントワーヌは北に進路を取っているというのを混ぜてほしい」

 周囲が息を呑み、静寂の帳が落ちる。ユウの次の言葉を探ろうとし、答えも聞こうとする空気が張り裂けるそうなほど満ちている。

「アントワーヌは帝国と王国がゴルドバ平原で争っているうちに、スレイエスからノルン山脈を北に越え、帝国領に侵入し、ディクルベルクを目指す。ここを拠点に帝国軍に打撃を与えようとしている、と情報を流せ」

 誰もなにもいわない。その中で、ユウだけが再び口を開いた。

「おれたちは君たちの母国、王国の大地と民の自由のために戦っているわけではない。アントワーヌの威厳を守るため、帝国に対する借りを返すため、アントワーヌの未来を切り拓くために、帝国と戦おうとしている。その過程で王国を守りたい。君たちの母国の自由を守る」

 ユウは九枚の銀貨をつかみ、右の一人の前に三枚、左の一人の前に三枚、真ん中の一人の前に三枚、それぞれ並べ、白剣を引き抜いた。闇の中で、白い燐光が散った。その輝きが彼らの背に回されている腕のそばを撫でて、荒綱を千切った。その間、ユウの足は、三人の周りを回っている。

「果たして、ダンダロフはどうだ? 個人の怨念のために王国すら貶めようとする。おれはこれを公表する。王国が生き残れば、ダンダロフが生き残ることはできないだろう。帝国が勝つしか道は残されていない。が、帝国が天下を取った世間で、君たちはなんの良心の呵責もなく、正義のための行いをしたと胸を張って生きていけるかどうか。君たちの人生のためにも、判断を誤ってほしくはない」

 ユウはさらに彼らの周りを一回りし、足を拘束する綱も斬った。

「王国とアントワーヌは必ず勝つ。ダンダロフは滅ぼす。ダンダロフの人材はアントワーヌが吸収するだろう。アントワーヌには君たちのかつての上司だっただろうマロード氏と、帝国出身の林業者、スレイエス独自の土木技術がすでに集積されている。そうなれば、君たちを専門分野で雇い直すこともできる。それもいいのではないかな?」

 ポタ、ポタ、と液滴の弾ける音がするのは、三人の誰かの顎から雫が落ちているらしい。汗なのか、慌てて飲んで口からこぼれた水なのか、それとも目尻を濡らす涙なのか。彼らの額には珠のような汗が浮かんでいるのは事実だった。もはや季節は夏といっていいが、大陸北部のフォーラントはまだまだ涼しい。

「通用口を開けろ」とユウは遠くにいい、三人に向き直る。「どこへなりと行け。心に従って生きろ」

 三人は視線を交わすと、銀貨をかっさらって、闇の中を駆け出した。順に日差しの中へ逃げ出してゆく。

「よろしかったの?」とハルが呟いた。「あいつらが協力するとは……」

「いい。奴らの持ってるくらいの情報は帝国の諜報がすでに得ているだろう。それにノルン山脈は広い。東部に抜ける、と知られていても、その全域を覆うのはほぼ不可能だ。それに、ファブル側を見て、警備が厳しいようなら作戦を変える。マルティエス湖を制圧して北上しよう」

「ユウさまったら……」ハルの呆れた声で、闇の中でも彼女が肩を竦めたのが察せられた。「ホント、わたしの稼いだ金をなんだと思ってるのかしら?」

「兄者」とセオドアは絶叫している。「お、おれは、おれは心の底から感動している」

 おお、と慟哭し、

「おれのなんと未熟なことか」

「喧しい奴」ユウは舌打ちしつつ、「タモン、おまえは山に戻れ。もっと徹底的に帝国側の動きを洗わないといけない」

「かしこまりました」

 不敵な笑い声を発し、

「旦那も奇特な方ですな。わかってはおりましたが」

「文句があるなら好きにしろ。おれはおまえを雇ったわけでもない」

「文句など。あっしはその奇特性に惚れたのを、改めて思い出しました」

「おれは船の話をしないといけない。ハルも来い」

「はいはい」とおざなりにいうハルを連れて、ユウはしばらくぶりに思える外の空気を吸った。


     ○


 ユウはこれから船の幾艘かをマルティエス湖まで運ばなければならない。一見、海路からそのまま行けそうに見えるが、実際は不可能だ。堅牢な石橋をいくつか潜らなければならない。小型船なら可能だが、その規模の船では戦闘に耐えられない。中型船規模でなくてはならないが、それでは橋を通過できない。

「ユニット工法で行こう」

 船のあらかたの部品をフォーラントで造って、大きなブロックごとに海上輸送し、エルサドルで小舟に乗り換え、王都を経由して北上し、かつて王国継承戦争でアントワーヌが引きこもったあのマルティエス砦付近まで運ぶ。後半は河を遡上することになるが、

「おそらく大丈夫でしょう」とヘンダーソン卿があやふやな太鼓判を押す。彼には船舶を預け、マルティエス湖の戦いを任せるつもりでいる。その人がいう。「アントワーヌの船の自走能力なら船の部品を積んだままでもアタカ川を遡上することができるでしょう」

「わたしはここに残って船の部品を生産しましょう」

 そういうマロードはダンダロフを追い出されたばかりのときと代わって、生気がみなぎっている。

「二十年も若返った気分です。やはりいいものですな、現場で体を動かすというのは。若者にモノを教える、という楽しみもありますし」

「しかし、無理はなさらないでください。まだマロードさんに倒れられては困ります」

「もうわたしがいなくなったとしても、ロックス殿がいれば平気でしょう。マルティエス砦には彼とその部下を送って組み立てるのがよろしいでしょう」

 それを聞いたロックスは飛び上がるように喜んでいた。

「いいのか、オヤジ」といつの間にか、マロードのことをずいぶん軽率な呼称にしている。マロードは好々爺然と頷き、

「わたし以外に任せられるのはロックス殿の他にありません」

「そこまでいってくれるとはなあ」

 ロックスはマロードの背を叩いていたが、その手が優しい。ユウを叩くときは容赦なく背を赤くさせるというのに。

「大将、船の組立はおれに任せな」

「中央列島からも人を呼びましょう。造船技師は多くいます」

「これで人手も足りるかな」ユウは安堵の声を出し、「ハルは変わらず交易を続けてていいかな」

「続けても続けても、お金は右から左だけれどね」

 ハルは歯を剥いて威嚇していたが、まあ、仕方がない。

「戦争というのは金のかかるものさ」

「わりに金にならないしね」

 愚痴を背中に浴びながら、ユウはセキトにまたがった。一路南、公都レイスへ走った。そろそろリリアも戻っているころで、諸々の打ち合わせをしなければならない。このころの天ノ岐ユウは東奔西走、いまだかつてない大車輪の忙しさであった。

 レイスの公邸に入ると、リリアの一行がすでにいて、主は奥の一室で不安そうな顔をしていた。隣のジェシカなどは眉間にしわを寄せ、いまにも暴発しそうな気配があった。

 不穏。

 一言でいうと、そういう空気が満ち満ちている。

「ユウさん」とリリアが発した声も心もとない。

「どうしたんだ?」

「先ほど、これが……」

 リリアのもとには日ごろ無数の封書が届けられている。感謝や激励の手紙、誹謗中傷から変態性の高いものもあるため、そのほとんどを下の者が確認したうえで、必要なものだけを彼女に届けることになっているのだが、いまリリアが手にしているのはなんの変哲もない一枚の紙片だった。遠目にはそう見えた。

 多少の文字が読めるようになっているユウはその一枚を受け取って、その異常性に気が付いた。交差した剣とその下に盾が、薄い紅色に染め抜かれているのは帝国皇家の勲章だった。皇帝の勅書に添えられているもので、手紙の下部にある名前もユウの拙い知識の中でも、エドワード、と読める。

「エドワードからの書状か?」

「わたしが見た限り、本物です」

「内容は?」とユウが問うと、

 およその内容は以下の通りである。

「貴公らを討ったことには様々な事情があった。非礼を詫びる。許していただけることとは思わないが、無益な戦争は避けたい。我々の目的はシリエス王権の廃止であり、アントワーヌにはない。どうか、ディクルベルクへ帰郷し、施政を取っていただきたい」

「ふうむ」とユウは顎をつまんで長々と鼻息を吐き出した。

「ふざけるな」と怒号を発したのはジェシカだった。両手でそばの卓が壊れそうなほど叩き、「あいつらがやったことを、そう易々と流せるものか。いまさら戦争を避けたいなどと、都合のいいことを。それも、王国を裏切れと……」

 ジェシカは顔を真っ赤にしてこめかみの血管が浮かび上がるほどだった。ユウはリリアに視線を戻し、

「リリアはどうするつもりなんだ?」

「信じられません」とリリアは一蹴する。「父を騙し討ちし、あらぬ罪で投獄し、ディクルベルクを夜襲して滅ぼした帝国が、いまさら非礼を詫びたところでなにになりましょう」

「うん」と静かに頷くユウに対して、ジェシカは喝采を叫び、

「奴らを根絶やしにしてやる」

 勢い込んで公邸を飛び出していった。兵の調練に戻ったのだろう。

「変な噂が広まらないだろうな?」

「ジェシカも、この手紙をわたしに持って来てくださった方も、代々のアントワーヌ家臣の方ですから、大丈夫だと思いますけど」

 リリアは北の窓から空を眺めていた。その胸中、複雑なところがあるだろうが、ユウは励ます言葉もかけずに部屋を出た。ユウにも思うところはある。

 もし、あの書状が本物なら、時勢はユウの理想に近づきつつある。帝国はアントワーヌの権勢に脅威を感じている。停戦を求めているのなら、ユウは受けたい。その流れの中で、王国との橋渡しをし、大陸を覆う戦雲を払いたい。

 時が来るかもしれない。だが、一握の砂のごとく、指の間からこぼれてゆくかもしれない。ユウは淡々と待つしかない。帝国の側が歩み寄ってくるのを。その間、したたかに戦争の準備を進めている。

 それから二日後のこと、ユウは公共食堂にいた。元々は、スレイエス戦時に、公都に集結した反公家、親王国派のために行っていた炊き出しだったが、あれから一年近い月日が経ったいまも公都に募った地方民が霧散する気配もないために、続いている。ただ、いまは無給に近い状態で働いているアントワーヌの兵のため、という意識の方が強い。余ったものを市民に分け与えている。ユウはその市民の側に混ざって食事をすることが多かった。公邸のだだっ広い舞踏室に丸太から切り出した長テーブルを並べて、適当数の座椅子を置いただけの設備だ。セオドアと向かい合って、パスタを口に運んでいると、

「失礼」と声をかけられた。「隣、よろしいですか?」

「ああ、どうぞどうぞ」と身をずらしたユウは相手の顔を見て、椅子を蹴って立ち上がった。「おまえ……」

 ただの開襟シャツみたいな上着に、ジーパンのような下働きの作業員に近いラフな格好をしているが、その顔立ちを忘れるはずがなかった。

「エドワード……」

「覚えていたか、天ノ岐ユウくん」

 皇帝は唇の薄い口元をほころばせていた。


     〇


「お知り合いですか、兄者?」

 セオドアは頓狂な顔をして、二人の様子を見比べている。

 この時代、情報媒体が絵画と書簡しかないため、高貴な人間の顔など、知っている人間の方が圧倒的に少ない。だから、エドワードも大胆にアントワーヌ領内ともいえる公都を歩き回っているのだ。例え、ユウがエドワードと呼んでも、ありふれた名前で皇帝とは別のエドワードだと思うだろう。

 斬るか?

 と浮んだのが、ユウの初めての思考だった。

 この男を斬れば、大陸の闘争は鎮まる。帝国東部の砦で初めて顔を合わせたとき、敵中であったためにそうできなかった。だが、いまは違う。アントワーヌが差配する領地の只中である。

 容易に斬れる。

 だが、とユウは思う。ユウは思想的には王国よりエドワードの民政を推したい。この男をここで斬るには惜しい。レオーラの思想の変転を止めることになるかもしれない。それに、この男がここに姿を現したこと、無策とは思えない。

 ユウの驚きを無視して、エドワードは席について食事を進めている。

「スレイエスの飯は美味いものだな。それとも、アントワーヌの調理人の腕がいいのかな?」

 ユウも腰を下し、エドワードの顔色を窺った。なんの変哲もない。平気で咀嚼する余裕がある。

「なんで来た?」

「船だよ。内海の交易は止まったわけじゃない」

「そういう意味じゃないのは分かってるだろう」

「手紙に書いたはずだ。おれはアントワーヌやおまえと戦いたくない」

「それはムシがよすぎる。おれたちはもう王国に味方することを約束している。帝国が王国に仕掛ける以上、おれたちは王国の味方をしなければならない」

「リリア・アントワーヌに会いたいものだな。彼女なら話をわかってくれるかもしれない」

「あいつはおまえが思ってるより強情だよ」

「おれも阿呆のようにいっているわけじゃない。おれがここにいるように、他の誰かも他の誰かに会っているかもしれないってことさ」

「なに?」

 リリアの暗殺を暗に示しているのは容易に察せられたが、彼女には少なくない護衛がついている。診療所は公邸の奥の奥に位置し、面会には武器を携帯できず、いくつもの検問を抜けなければならない。市民であれば素通りに近いが、暗殺者体の人間がそれを突破できるかどうか……。

 と考えたユウの頭に、黒い鎧が浮かび上がる。

「くそ」と呻いたユウは立ち上がり、出ていこうとして、エドワードの方を振り向いた。「おまえもついてこい。リリアに会わせてやる」

 立ち上がったエドワードに、隣の一人も追随した。

「彼も連れて行っていいだろう?」

 ボサボサの髪に指を入れて掻き乱し、顔にはしまりのない笑みを浮かべている。細身で、武器を携行している様子もない。おそらく胸中に短刀すら隠していないだろう。二人ともほとんど丸腰なことは、立ち姿を見てわかる。

 ユウは答えることもなく歩き出そうとして、

「セオドアは残れ」

「しかし、兄者……」

 ユウの視線にただならぬものを感じたらしい。セオドアは戸惑ったものの、大人しく腰を下した。三人だけが足早に廊下を行く。

「ヴォルグリッドも来ているのか?」

「それをいう義務はおれにない」

 ち、と舌打ちをしたユウはいくつもの検問を顔だけで通り抜け、リリアの控えの間を叩いた。

「あら、ユウさん」と呟いたリリアは立ち上がってユウを迎えようとしたが、うしろに続く男の顔を見て、硬直してしまった。口元を抑えた顔が如実に青ざめてゆく。

「どうしました、リリアさま?」とお茶の支度をしていたアンジュが相変わらずの呑気な声を出していた。

「アンジュ、部屋を出ていろ」

「ええ、ユウさんたら、お茶の時間ですよ?」

「アンジュ」とリリアも冷たい声で促す。「誰も部屋に入れてはいけません」

「は? はあ」と気の抜けた声を出し、アンジュは部屋を出ていった。

「皇帝陛下、とお見受けします」

 リリアは静かにいい、スカートの裾を持ち上げた。

「こうしてお会いするのは初めてのことと存じます」

「よい。そうかしこまるな」

 エドワードは無造作に四つのティーセットをテーブルに並べ、お茶を注いでいった。

「よかったかな?」

「はい。ありがとうございます」

 エドワードの連れは壁に背中を預けたまま突っ立って、腕を組んだ顔は俯いていて表情も窺えない。

 リリアも腰を下し、お茶を一口、口に含んでゆっくりと飲み下していた。

「お話のことは、先日の書簡について、でございますね」

「そうだ」と呟いたエドワードは一歩下がり、恭しく頭を下げた。

「すまないことをした」

 というのを聞いたリリアは彼の緋色の髪を眺めて、瞬きを繰り返していた。

「アントワーヌのことを侮っていた。現在のことではない。ディクルベルクでのことだ。君たちは農地の改革を行っていただろう?」

「はい」とリリアは頷く。

「所詮貴族の道楽のように思っていた。だが、実際は違った。君は民のためを専一に考えて、大地を豊かにしようとしていた。わたしはそれを踏みにじり、君からすべてを奪った。わたしの不徳のするところで、わたしが生まれてから、これほど後悔したこともない。許していただけるとは思えないが、わたしには謝ることしかできない」

「いまさら」と吐き出したリリアの声に憤りがこもり、瞳の中に炎が揺れている。彼女はその衝動を肺腑に呑み込み、冷徹な声を出した。「いまさら、謝罪をされても困ります」

「わかっている。だが、すべては民のためだ。どうか、矛を収めて、ディクルベルクに入っていただきたい」

「だったらっ!」

 怒声を発したリリアの顔が深い憎しみに歪む。エドワードを睨み、睨んだだけで檄した感情を恥じ入るように俯いた。

「だったら、なぜ父と母を殺したのです? ディクルベルクを焼いたのです? 民のためを謳っておきながら、なぜ、あなたはあれだけの内戦を引き起こし、大陸を蹂躙するのです?」

「自由のためだ」

 初夏の日差しが差し込む部屋に、短い沈黙が満ちる。よほど遠くから、小鳥のさえずりが聞こえるだけだ。

「貴族による支配を打ち破り、民の民による政権を打ち立て、人類全体を同一の生物であると認識させるためだ。民は支配されることを当然と信じ、貴族どもも支配することを当然と思っている。だが、それは違う。わたしも、ここにいる君たちも、この町の誰一人として違わないはずだ。支配し、支配されるものが生まれながらの当然である限り、人は自由を得ることはできない。すべての人類に、自ら考え、自らの足で歩み、自らの道を進むことを教えるためには、古い支配者層を一度根絶し、新しい世を彼らに作らせなければならない。そのための賽をわたしが投げた」

 息を詰めたリリアが言葉を失い、大きくした目で、エドワードを捉えたまま離れない。

「そのために安穏と生きる貴族どもを根絶してきた。その過程でアントワーヌにぶつかった。わたしはわたしの戦いで多くの犠牲を覚悟してきたが、アントワーヌを失った代償はわたしが覚悟していた以上に大きいものだった。自らの不逞を恥じた」

 もう一度問う、とエドワードは続ける。

「リリア・アントワーヌ卿、ディクルベルクに入り、当地の政務を担っていただきたい。君と、君を取り巻く者たちの器量であれば、民の目覚めを促すこともできるだろう。わたしの望みはそれだけだ」

 返答を求められ、リリアはわずかに唇を震わせたが、小さく意味のない声を呟くだけで言葉を発せられなかった。ちら、とユウを見る。

「だから」と、このときまで沈黙を守っていたユウは身を乗り出した。「あなたは大陸中の貴族を抹殺しようとしているわけだ。その思想を大陸中に広げるために」

「そうだ」

「なぜ放っておけない? 王国は王国の形で安定している。帝国だけが変容すればいい。それが成功したのなら、他もまた追随するはずだ。帝国はあくまで自国の成長に邁進していればいい」

「わかっていないな、この世界のことを」エドワードは両手を広げ、「帝国は変わらない。わたしが武をもって破壊したから変わったように見えるだけだ。しかし、代が代わればまたかつての形に戻るだろう。支配する者、される者、彼らは王国建国より二百五十年、大陸に蔓延っている習性に必ず戻る。ウッドランドを見ればわかる。あの国は民政のように見えて、一部の民に権力が集中し、彼らはあたかも貴族のように振舞っている。例え、代が代わっても、子々孫々、権力を固持するはずだ。これのどこが貴族主義と異なるのか。わたしにはわからない」

「論点が違う。帝国がどうなるのか、おれも知らん。だが、それも含めて、放っておけといっている。血を流さなくても世界は変わる。社会というのは、生物の進化と同じように、最適な形でなくとも良いように変転してゆくものだ。帝国の中央集権も時とともに変わってゆくだろう。王国の封建制も変わってゆくはずだ。それぞれの道で、それぞれの適当な形に変転してゆく。王国はすでに変化の兆しを見せている。例えば、近いうちに商業が貴族を呑み込むよ。そうなれば王国はいまの形ではやっていけない。それを待ってもいいはずだ」

 ユウは部屋の中を歩き回り、

「世界は必ず変わる。必要なのは新しい時代を造ろうとする個々の成長、道徳と知識の成長であって、他者への強制ではない。もっと自分の進歩に力を使え」

「そうあれればいいだろう」とエドワードは乾いた声で笑う。「ヘリオス教も近いことを説いている。なぜ説かなければならないか、といえば、現実はそうではないからだ。民衆は考えることを嫌い、考えることを必要とする変化を嫌う。変化は与えなければならない、強大な衝撃をもってな」

「あなたはあなたの独善を他人に押し付けているだけだぞ」

 ユウは頭を掻きむしり、

「ディクルベルクが焼かれたのは、あなたが統治する時代に、あなたの国にあった不幸と呑み込んでもいいが」

「であれば、王国やコルトが滅ぶのも、わたしと同じ時代、同じ世界に生まれた不幸と思っていただきたい」

 強すぎる眼差しで寸分の身震いもさせずにいう。

「傲慢な男」ユウはテーブルを叩いて、その拳を震わせた。「おれたちは王国のために戦わなければならないと決まっている。おまえが王国と戦おうというのなら、おれたちは戦わなければならない。帝国の方から引いてもらわなければ、アントワーヌも王国も人心を失う。王国を放っておくことはできないのか? アドリアナを殺さなくとも、王権をはく奪し、政権は民衆が取ればいい」

「いったはずだ。大陸には大衝撃による変化が必要なのだと。でなければ、民衆は本当の意味で政権は取らない」

「永久に続くぞ、同じ話が」

「では、話を変えよう」エドワードはお茶を一息に呑み下し、「リリア嬢、あなたの父はまだ生きていることをご存知か?」

 リリアの体が小さく跳ねて、瞬きの量が増えた。

「やはり、まだ処刑は行われていないのですね?」

「皇城に軟禁されている。わたしなりに不自由はさせていないはずだが、それなりの待遇で扱っているよ」

 それと、とまだ続ける。

「貴公の母君も生きている」

「母が?」これにはリリアも立ち上がった。「母も生きているのですか?」

「重傷は負ったが、一命をとりとめ、かつて帝国第十六旅団長だった者の手によって保護されている」

 どうだろう、とエドワードは、リリアを見つめ、

「彼らの身の安全を保障する。ディクルベルクに帰すと約束しよう。君も共に故郷に帰らないか?」

 その言葉にリリアの総毛が立つのがユウでもわかった。同時に、ユウの頭から血の気が引いた。

 この男はバカだ。この大陸に蔓延っているとのたまっていた貴族の、その良質な面を、この男はまったく理解していない。こういう卑劣な手段を取る人間と、リリアは絶対に手を組まない。彼女の小豆色の瞳が激しい炎に輝いたのも見えた。

 いまの一言で、状況は一気に戦争へ傾いた。

 もはや止める術はないかもしれない。どうしたらいい? どうしたら戦争を回避させられるか。ユウが頭を回転させている横で、エドワードの連れが初めて動いた。エドワードの肩を叩き、振り返った彼の頬を殴り抜いたのだ。

 エドワードは盛大に倒れて、卓の上のティーセットをひっくり返した。リリアも飛び上がって、二歩下がる。

「品のない真似をして、本当に申し訳ありませんでした、閣下」

 ボサボサ頭の彼はリリアにその整っていない毛髪を下げ、

「エドワードは少し強情なところがあって、時折配慮の欠ける行いをして気づかないこともままあるのです。これも皇帝として何不自由なく育てられた悪害かもしれません」

 エドワードは頬を擦りながら憮然としていた。すでに主導権は名も知らぬ彼の方に移っていて、その柔らかな言葉使いのためか、リリアの雰囲気からも刺が抜けていた。

「アントワーヌ閣下の研究資料、拝見させていただきました。実に興味深い内容の連続です。わたしになりにもアントワーヌ邸の庭園を調査して閣下の論調の正しさを肌身に感じております。それに従い、ディクルベルクの土壌改革も行い、多くの成功を収めてもいます。実に実りの多い研究でございました」

「あの研究を、ディクルベルクでは続けているのですか?」

 リリアの声に高音が混じって、その好意のほどが窺える。

「ということは、あなたは帝国第十六旅団の方?」

「いまは帝国第二師団と名を改めておりますが」彼は腰を追って、「第二師団副団長を任されているアルフレッドと申します。以後、お見知りおきくださいませ」

「そうですか。第二師団」リリアはため息をつくようにして椅子に深々と腰かけ、「ですが、それとこれとは話が別です。あなた方が王国を襲うとおっしゃるのなら、わたしは王国のために戦わなければ……」

「そのために、何万という敵味方の犠牲を払っても、ですか?」

 リリアはいい淀み、

「それはあなたたちの勝手です。先ほどユウさんもおっしゃいましたが、あなた方が攻撃してこなければ、我々も王国も戦いません。兵を退き、話し合いの席につきましょう」

「閣下はこの大陸の未来をどうお考えですか?」

 リリアは眉を顰めただけで、この問いの真意を探っている。彼はいう。

「封建主義、王制、貴族主義、などというものは、民が無能であることを前提に構成されているものです。支配は支配者層にのみでき、被支配者層にはできないと錯覚させなければ、その形は維持できない。そのためには下々から学問を取り上げ、無能者のままであり続けさえなければならない。民は無能者であり、学問させないことが、支配者の条件なのです。果たして、これが民の幸福につながるのか、未来に繋がるのか、わたしにははなはだ疑問で仕方がない」

「それを、衝撃をもって打破しようとおっしゃるのですね?」

 彼は頷き、

「そこまで理解してくださっているのなら、我々の口からお伝えできることはもはや何もございません。どうか、よくお考えください」

「わたしにまだ返答しろとおっしゃる?」

「いいえ。あなたが応えにくいのも承知してございます。ただ、我々は王国を粉砕したいだけであり、あなた方とは戦いたくない。次の戦地で、その思いを慮ってくだされば」

 そう来たか、とユウも思う。アントワーヌは戦場に出ればそのメンツが潰れることもない。帝国の圧倒的な力量の前に敗れるのも自然の道理にも見える。そうしろ、という。

 目を見開いたリリアがかたくまぶたを閉じた。その奥歯が低く鳴るのを、ユウは聞いた。

「話はこれまでだな」ユウは扉に手を添えて、「おれが送って行こう」

「わたしも参ります」

 リリアは跳ねるように椅子から立ち、ユウの開いた扉をくぐってゆく。エドワードとアルフレッドもそれに続いた。

 四人は公邸の廊下を歩いてゆく。

 アーチ窓から差し込む細長い日差しと壁面の影が織りなす縞模様の向こう、そこにいた巨体を見つけたのと、白剣が震えて音を立てたのは同時だったかもしれない。ふと持ち上がったフードの下から、覗いた顔はもはや懐かしい。心に灯った憎しみの炎も、また懐かしい。その熱がユウに白剣の柄を握らせた。相手も黒剣の柄に手をかけた。

「やるのか?」と問うたのはエドワードだった。鋭くした視線をユウに添えている。

「いや」とユウは首を振って、腕を下した。「今日は疲れた」

「そうだな」

 エドワードは力なく笑い、廊下を、さらに奥へ歩いていった。アルフレッドは丁寧な一礼をしてから、エドワードを追う。ヴォルグリッドもユウを一瞥しただけで、二人に続こうとした。

「見つかったか?」とユウはその大きな背中に声をかけた。「鎧兜と、恩恵の庭園は」

 ヴォルグリッドは横顔だけを向けて、

「おれが見つける必要もない」

 廊下の影の中に消えてゆく。

 見つける必要もない?

 探しているのではなかったのか? まさか、すでに見つけたのか?

「ヴォルグリッドッ!」

 思い至って、駆け出したときには、彼らの背中は公邸の前庭を埋め尽くす人波の向こうだった。いまさら追いかける気にもなれず、ユウは天を仰いだ。ひどく青い空が満天に広がっている。


     〇


 水気の濃い空気が肌身にまとわりつく。

 スレイエスの夏は清々しい暑さ、と聞いていたが、帝都のそれに比べれば滴るような水分と焼けるような日差しだった。

 馬に身を預け、蒸気の多い空気に霞む草原と、そこに敷かれた黄土の道を見渡した。背中から差す西日にのばされた影が長い。

 帝国まではまだまだ遠い。その旅路に満ちている草と土の匂いは帝国民にとって、むせかえるほど濃い。迸る命の力を感じる。これを吸うためだけに、この地を踏む価値が帝国民にはある。忘れかけていた命の匂いを思い出すために。

「やはり素晴らしい人でした」とアルフレッドは満足げにいう。「リリア・アントワーヌの下に賢才が集まるはずです。彼女なら大陸を一変させられるかもしれない」

「アルフレッド、嫌味に聞こえるぞ」

「そういうつもりじゃありませんよ。エドワードもよくやっています。今日は少しやり過ぎましたけれどね」

「ああ」と嘆息とも諦念ともつかないため息を吐いて、頭を抱えた。「確かに、言葉が過ぎたよ、今日は」

「なにを悩むことがある」

 と、珍しくヴォルグリッドがいった。

「戦争は既定路線だ。戦うことは覚悟の上だったはずだ。いまさら敵のひとつやふたつが増えたくらいでなにするものでもあるまい」

「は」とエドワードは鼻で笑い、「そうかもしれないな」

 帝国は自他ともに滅びるまで戦う。あらゆる既存の階級を滅ぼし尽くす。その血溜まりの中から新政権が生まれて来ればそれでいい。荒治療であるが、そうでもしない限り、民衆は立ち上がらない。

「そう、おれたちは茨の道を進むと決めていたな」

 エドワードの目の奥が真赤な西日より強烈に光った。その熱烈さに、アルフレッドは狼狽えた。この男が敵でなくてよかった、と。それほどの情念が滲み出している。

「おれはやるぞ、アルフレッド、ヴォルグリッド」

 沈めた馬体が前足を跳ね上げて、いなないた。

「この腐った世界を変えてやるんだ」

 風を巻いて、疾駆した。その背はすぐに豆粒のようになってしまった。ヴォルグリッドは間髪を入れずに加速して、地平線の向こうへ消えていった。

「まったくもう」

 アルフレッドは頭を掻きつつ、二人の背を追っていった。


     〇


「部屋に戻ります」とだけ、ユウに告げ、以降、壁の前にひざまずいている。

 時刻はすでに夜。足元は正面の窓から差し込む月の明かりがキラキラと泉のように揺れていた。ポロポロと目尻からこぼれる涙が白い床を点々と濡らしてゆく。

「お父さま、お母さま」

 生きていてほしいと願っていた。その最後の希望を、自らの決断で断ち切ってしまったかもしれない。

 戦うのか、戦わないのか。

 まだ間に合うのか? 戦わなければ……。

 自分の中の悪魔がささやく。あまりに卑劣な手段を。

 わたしは違うはずだ。例え、父と母を犠牲にしてでも……。

 本当に……?

 アドリアナを、自分を慕う民たちをいまさら置いていくことはできない。嘘を吐くこともできない。

「わたしは、アントワーヌの当主だから……」

 喉がひりつき、嗚咽が漏れ、こぼれる涙は途切れることがなくなる。

「お父さま、お母さま」

 自らの身を抱き、悲しみ押し潰された体が縮こまってゆく。膝の中に顔を埋めて暗闇の中、呟いている。

「会いたいよ……」

 できない。すでに決めたことだ。すべてを失ってでも、進むしかない。この夜の先に。


     〇


 王都の周辺の木々は赤みを帯び、日差しにも肌を刺す力が失われていた。すで秋、アドリアナは一隊を引き連れ、ゴルドバ城塞に入った。

 ゴルドバ城塞と周囲の支城ははち切れるほどの兵を抱え、彼らはいまにも発火しそうなほど息巻いていた。広大な盆地の向こう、丘陵の上にはファブル兵が密集しているのも望遠鏡越しに見えた。

 ユグノーを司令とした近衛師団はすぐにでも進発し、ファブルに攻め入りたいと何度もアドリアナ率いる本陣に応答を求めてきた。このとき、ユグノーには近衛師団の指揮権だけがあって、十三諸侯を含めた全軍の統括はあくまでアドリアナと彼女の幕下にいる重臣たちにあった。

「戦場とは、先手を打ち、切先を制すのが常勝の道です」

 とユグノーは説く。しかし、アドリアナ周辺の文官たちがこれを激しく拒絶した。

「ここ、ゴルドバ城塞を前線の盾として、迫りくるファブル軍を蹴散らした方がよかろう。本当の敵は帝国軍率いる皇帝であり、奴らとぶつかる前に兵力を失うのはどうだろう。野戦は兵を失いすぎる。ファブルとは当たるべきではない」

 さらに文官たちは「我々は侵略者ではない」という。「ファブルに攻め込めば帝国と同じことをすることになる。それは世論に対してどうか」

 ですが、という者もいる。

「アントワーヌはもうファブルに攻め込んでいるかもしれません。彼らがファブルに入って乱戦をしている以上、王国がここで立ち止まっている理由は薄い」

「彼らは王国軍ではないし、王国国民でもない。我々とは独立した一個の組織だ」

 だから彼らがなにをしようと王国は侵略者ではない、と一方がいう。

「国際的には王国はアントワーヌの保護者と見られていましょう」

「王国は彼らに投資をしただけだ。彼らの暴走を止める権利も義務もあるまい」

 水掛け論のような答弁が続いている。続けながらも、議会は近衛師団を制止させた。アドリアナには愚かな光景に見えたが、彼女自身が戦場に対して無知なために沈黙を守っていた。国王はその発言力の強さのために、言葉を発することは独裁か、国の分裂を呼ぶ。できることなら彼らに処理させたい。しかし、数日待つ間に、敵陣地の様子が変わってきた。木柵を植え、空堀を掘り、櫓を立てて、長城が地上から沸き立つように建築されていたのだ。

ファブルは攻めてこない。

 これに気づいた文官たちは顔を青くしていた。

「いますぐこれを破壊し、この草原地からファブル軍を追い出すのだ」

「できません」とユグノーは断言した。「もはや機を失いました。ファブルの長城はすでに強力な防御力を持ち、我々の兵をもってしても、貫くには多大な被害が予想されます」

「それが王国騎士のいうことか」

「お前たちは故国のためにいるのではないのか」

「国家のために戦えぬ騎士など言語道断、恥を知れ」

 わざわざユグノーを前線から呼び戻して数々の罵声を浴びせた。浴びせられても、ユグノーは言論を翻さなかった。

「わたしは一軍の将として、戦場で勝つ義務もあります。ですが、部下を守る義務もあるのです」

 無駄な戦いはできません、とアドリアナの前で片膝ついたまま微動としない。

「貴様」と文官の一人が今朝まで青かった顔を真っ赤にして立ち上がったところで、アドリアナが指先を振った。とんとん、と卓を叩く。先の言葉を飲み込んだ一同の視線が集まっていた。

「もう決しましたね。戦場の先を見る目はユグノー将軍の方が我々より数段優れているようです」

「陛下のお言葉、光栄の至りにございます」

「将軍、以後、わたしたちはあなたに命を預けましょう。思うようにしてください」

「陛下」左右が立ち上がり、「軍部に指揮権を譲渡しては暴走を招きます」

「将軍」とアドリアナは片膝をついたユグノーに声をかけた。「あなたに王国軍すべての人材を託します。ですが、王都以南に住まう民を傷つけることはなりません。つまり、我々はここを引き下がるわけに参りません」

「はい」

「あなたは力の限り戦いなさい。あなたが限界と感じれば、わたしが兵を率いて帝国と戦いましょう」

「陛下」

「わたしがここで散れば、帝国も無理はしないでしょう。あとのことはロッテンハイム卿に頼みます」

「かしこまりました」

 ロッテンハイムは殊勝に頭を下げていた。

「他の者たちは王都や領地に避難して構いません。ですが、各地の領兵は残していってくださいますよう願います。王国を守る力です」

 よろしいですか、と問うと、誰もが頭を下げ、一言も発さなかった。

 こののち、ユグノーは近衛師団の出し入れを機敏に行い、ファブルの前線を脅かしているようだ。

 盛んに馬蹄の音と土煙の臭い、時折血の臭いもこの城塞まで流れてきていた。と、同時に、様々の人も流れて来ている。

「アントワーヌからの使者でございます」と通されてきたのは、リリアの従者、ジェシカであった。

「陛下、お目にかかれて光栄でございます」

「ご苦労。よくおいでくださいました。アントワーヌはファブルに入ったと思っていましたが」

「西のマルティネス砦に七千の兵を。それと、マルティネス湖に七隻の軍船を並べ、そこにも総勢四百の兵を入れております」

「そうですか」アドリアナは深々とため息をつき、「申し訳ありません。戦場のことに口を挟まないようにしていたばかりに、兵の配置も理解していませんでした」

 王国軍の総数は五つの近衛師団四万と、十三の領地から引き出された兵、七万余り、計十一万程度。それがいくつかの指揮系統の下で烏合している。彼らは統一された純粋な護国勢力ではない、ということだ。極端な話、例えばコルト領の兵はコルト候に仕えるのであって、シリエス王家に仕えているわけではない。これは純粋な国兵とは呼びにくいし、領内の平穏を保つことだけを專一にしていたため、外敵と戦うというような戦闘力は低いとされている。純粋な王国軍は近衛師団と王都領兵だろう、といわれている。

 アドリアナはそういうことも深くは理解していない。むしろ、知ってしまえば不安に押し潰されそうになる。ああすればいいのではないか、こうすればいいのではないか、などという小知恵が湧いて指揮系統を乱すのではないかという別の不安に苛まれる。知らなくていい、すでにユグノーに指揮権を託していて、何事かあれば、あとは自ら死ぬだけでいい、というのがアドリアナ独自の統帥論だった。

「総大将というのは、そういうものだと、わたくしも聞き知っております」

 とジェシカが頭を垂れる。

「そういってくださるとありがたいです」ところで、とアドリアナは話を継いだ。「リリアもマルティネス砦に入っているのですか?」

「閣下は別の作戦のために、アントワーヌ領にいらっしゃいます」

「そうですか」

 アドリアナは背もたれに体重を乗せ、ぽってりとした唇を撫でた。

 彼女にはその方が良いのかもしれない。

「リリアにはなにとぞ良いように伝えておいてください」

「はい」

「それで、ジェシカさまがここへいらっしゃった理由は?」

「陛下、わたしのような者にそのような敬称など……」

「良いのです。あなたはリリアの配下であって、わたしの配下ではないのですから」

 アドリアナは微笑み、

「要件を伺いましょう」

「我々はこれよりマルティエス砦に入りますが、アントワーヌの晶術部隊を陛下にお預けするようにと、我が主からの申付にございます」

「それはありがたいことです。百戦錬磨のアントワーヌの晶術士たちが力を貸してくださるのは。わたしたち、王国の晶術部隊には実戦経験が皆無ですから」

 こればかりは野戦第一のユグノーの指揮下に置くわけにはいかず、学術都市リライトからその筋の研究者を連れてきている。

「それと、もうひとつ」というジェシカの声が唐突に、いままでの自信を失くした。尻すぼみになってゆく。彼女は慣れないことをしている、とアドリアナには容易に察せた。人を欺こうとしている。

「アントワーヌの晶術部隊は本来アントワーヌ卿の指揮にあるものですが、今回は不在のため、代わりの指揮官を用意して参りました。その指揮官が顔に大きな怪我を負っていまして、従軍の最中、終始覆面を着用することをお許し願いたいのです」

 アドリアナは小首を傾げた。その程度の事か?

「ええ、許しましょう」

 普通顔の知れない人間を軍列、それもこのたびの戦争の要ともに思われる晶術部隊に並べるのは許されないが、そこはアドリアナのリリアに対する信頼だった。このジェシカが嘘をついているとしても、悪いことではないのだろう、と大目に見た。しかし、気になる。アントワーヌがなぜわたしを欺こうとしているのか。

「いま連れてきているのです。こちらに呼んでも構いませんでしょうか?」

「構いません。お通しください」

「では、失礼いたします」

 一度退室したジェシカの背後についてくる覆面の男、背格好から男だろうというのはわかる。黒い頭巾を深々とかぶり、口元には一枚布を垂らし、全身も黒の外套で覆われて、手足にも黒い手袋と底の厚い靴。一見影が動いているような、その人物の一挙手一投足を見、アドリアナは思わず立ち上がってしまった。あ、と呟いたものの、震えた舌が次の言葉を紡がない。

「陛下」とジェシカの方が先にいう。「彼はネッドという者で、ゴルドバ城塞に駐屯するアントワーヌ兵の指揮も行います。何事かございましたら、気兼ねなくおっしゃってください」

「あ、ああ」とようやく声を取り戻したアドリアナはかろうじていい、震える足を折って、座に戻った。

「よしなに。頼りにしております」

「ありがたきお言葉」といったのもジェシカだっだ。頭巾の方はついに一度も口を開かないまま、二人は退室してしまった。

 あれは、兄、ではなかっただろうか?

 だとしたら、アントワーヌも兄も、思い切ったことをするものだ。離島にて軟禁の処分が出た国事犯を引き出してくるなど、王国法を破っているにも等しい。周囲に知れれば、アントワーヌは王国の不快を買うだろうし、兄はその場で斬り殺されかねない。だが、アドリアナにしてみれば、これほど心強い人事はなかった。

 兄さま、と心の中で唱えてみる。どうか、ご無事で。

 こんこん、と再び扉を叩く音がする。

「陛下」と私設秘書がかかとを揃えて改まりつつ、「ウッドランドからの使者でございます」

「ウッドランド?」

 激動の時代、とはいえ、今日はさすがに激動がすぎる。


     〇


 同様の使者が帝国側にも訪れていた。

 砂と礫が地平線まで続く荒野の一角に白い天幕を張り、その周囲を帝国兵が行き来して砂埃を立てている。床几に腰を下したエドワードはその景色を見つつ、伝令兵にいくつかの指示を出し、壮年のウッドランド人に向き直った。

「停戦しろ、ということか?」

 しばらく前に使者がいった言葉を短くまとめるとそういうことになる。使者の方もわずかに頭を下げ、

「陛下の目的が王国の富であれなんであれ、戦争は両国の疲弊を招きます。それは陛下の目的にも適わなくなるのではありませんか?」

「ウッドランドとは不可侵の協定は結んだ。それ以上に干渉される謂れはないと思われるが?」

「我らは帝国、王国、両者の同盟国として、大陸の未来を想い、仲介しようというのです。陛下におかれましては、なにとぞ、王国との会談の御検討を」

 ウッドランドの目的はこれか、といまさらながらにエドワードは勘付いた。大陸の大戦争の仲介者として立ち、戦後の主導権を握ろうというのだ。

小賢しい連中。やはり滅ぼしておけばよかったと思いつつ、

「時間稼ぎだ。いま戦えば我らは王国に勝てる。一年、二年と引き延ばせば我らは補給線の維持すらままならなくなる」

「陛下がご会談の席につかれるのなら、兵糧は王国の側から出させることをお約束いたします」

 どうか、と頭を下げる。しかし、エドワードは興味も示さず、

「わたしはこの戦いの勝利がシリエス王家の滅亡だと捉えている」

 ちら、と起き上がった使者の目には驚愕の色があった。青い顔を再び下に向け、エドワードの声に耳を傾けている。

「王家が滅び、帝国に従属するというのなら、わたしも矛を収めるのもやぶさかではない。貴君、それを王国に要求して、頷くとお思いか?」

「それは」と声を詰まらせている。

「遠路ご苦労だった。帰路も長かろうが、貴君の無事を祈る」

「陛下」と使者はなおも頭を下げたまま、「王国はレオーラ文明発祥の地であり、長い歴史の中で培った貴重な遺産が多くあります。これはを灰燼に帰すのはいかにも惜しい。この美しい地を戦場にしたくない、という想いはおありでございますか?」

「惜しかろうが、わたしは勝利をつかむまで戦う。戦場がどこであろうと問題ではない」

「そのお言葉、王国側にお伝えしましょう」

 もし、と使者はいう。

「王国側がゴルドバ平原で不退転の決意を示せば、陛下も同様、ゴルドバ平原から退いたとき、敗北を認めてくださいますか?」

 エドワードは眉をひそめた。

「つまり、ゴルドバの一戦のみで勝敗をつけろ、と?」

「それが大陸の未来と思えば」

 その一戦で決着をつけるのはエドワードも望むところであった。王国が南に、南に、撤退してゆけば、帝国の補給線は伸びに伸び、維持することは困難を極めるだろう。いずれ泥沼と化す。そうなれば帝国が勝つ見込みは薄くなる。

「わかった」とエドワードは頷いた。「ゴルドバ平原でアドリアナ・ヴィルヌーヴを討つことができれば、または王国軍の撤退に際してアドリアナの引き渡しが約束されれば、王国内、いや、王都以南での闘争はしないと約束しよう」

「帝国が撤退した際、再度の王国侵攻がないことも約束していただきたいのです」

 なかなか業腹な要求にエドワードは笑ってしまった。当然の要求ではあるが、よくも堂々といえたものだ。

「いいだろう。わたしが率いる紫鉄騎士団がファブルのアタラクタ城塞から後方へ下がったら我々の敗北と見てよろしい。わたし自身の身柄を王国に預けよう。生きていれば、の話だが」

 使者はぎょっとしたのも束の間、額を地面にこすりつけた。

「お言葉、ありがたく拝聴させていただきました」ちら、と顔を上げ、「できれば書状にしていただき、それを拙者が王国側にお届けいたしましょう」

「わたしは言質を翻したことはないがな」

エドワードは床几に従者を呼び、紙とペンを用意させて一筆したためた。ウッドランドの使者は満願を果たしたように喜々として南方へ馬を走らせていった。彼はこの戦争を仲裁したとして、ウッドランドへ帰れば小英雄になれるのだろう。

 しかし、シリエス王家がゴルドバ平原で不退転の決意を固めてくれるのは、エドワードにとって望外の幸運だった。

何者かの思惑が絡んで見えるが、そのすべてを吹き飛ばす。

父の代から磨き上げられたこの国家には、それほどの力があると確信している。


     〇


 切り立った断崖の端に、花崗岩の岩塊があった。ちょうど椅子にするは手ごろなでっぱりがあり、男が一人、気だるげに腰かけていた。目線の高さにある綿雲の下、赤茶けた荒野と蒼天の交わる辺りを眺めているようだった。

「いかがですか?」とユウは彼の隣に勢いよく腰かけて、それでも岩塊は微動としない。爪先は地につかず、ぶらぶらと宙に揺れていた。「ファブル側はやはり警備を厳しくしているみたいですね」

「哀れなものだな」

 ジャックはふいと顔をそらして、

「エドワードはたった数千の軍のために何万かの人を割かなきゃいけなくなっている」

「それだけでもこちらに迂回してきた意味があったかもしれませんな」

「それは知らない」

 心底興味なさそうにいい、

「おれたちはおまえたちをファブル側に降ろす。それから先のことは」と言葉を千切り、ユウを睨むようにして眺めた。

「できるんだろうな?」

「やれるだけのことは」

 ユウは笑い、花崗岩の岩塊から飛び降りた。

「さて」と腰に手を当て、「大陸の未来を決しに行きましょう」

 風が彼の外套をはためかせている。


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