第六話 精霊達はふたりをそっと見守る
分かりにくいタイトルかもしれませんが、"ふたり"を見守る精霊達です。
「ファブリツィオ・アグリアディ、国王陛下にご挨拶申し上げます」
昨日も同じ光景を見たと思いながらファブリツィオは国王謁見の間にいる。いや、昨日と違うこともある。王太子がいないことと、宰相の隣に宰相補佐官がいることだ。対応が早いことで何よりだ。
「アグリアディ公爵子息殿、宰相補佐官のアンジェロ・プランクという。昨日の手紙の件について詳しく伺いたい。本来ならば宰相室を通して国王へ報告を上げるところだが、外交が関わることと、ハーシュトレイ王国の王族の方々も来ていただいたということもあり、国王陛下のもとで話を進めたい」
確か、彼はニコーラの学園時代の友人だと聞いた。優秀で柔軟な思考を持ち、助言や提案を受け入れるタイプだと聞いている。王宮に来ていきなりの国王陛下謁見となった理由も説明してくれる辺りからも、人間性が垣間見える。
「説明に感謝申し上げる。私が知り得た内容は手紙の内容が全てであるため、レーナ騎士爵を始めとするハーシュトレイ王国の面々に伺うことが手っ取り早いかと」
「承知した。それでは、次々に質問させていただくが、こちらは精霊についての知識が大きく欠けていること、元々の文化の違いもあることは念頭に置いてくれるとありがたい」
宰相はきっとこの補佐官によって支えられてきたのだろう。補佐官はてきぱきと、質問をしていく。兄妹を代表してか、アレックスが答えていく。
「そもそも、精霊王とはどのような存在であるのか。エヴァーニ王国では、精霊を統べる精霊王という存在があるということですら、あまり浸透していない。植物の実りを支えているのは精霊であるという程度の認識が多い」
「精霊王は精霊を統べる存在。具体的には、精霊王がいる所を中心に精霊達がいる。エヴァーニ王国に精霊王がいることで精霊が増え、精霊の力により緑豊かになる。具体的には作物の質や収穫量が上がることが予想される」
「精霊王が付いている者に対しては国としてどのように対応すべきか、これまでハーシュトレイ王国はどのような対応をしてきたのか」
「精霊王は未来予知とまではいかない様だが、世の流れを読んでいる。今回は、レーナに守護を求めたため、エリサを守るためにレーナの侍女という役割を与え、共に生活するようにさせた」
「レーナ騎士爵の近くにいれば安全と精霊王が判断したということか」
「そうだ。精霊王に付いている者が老衰や病気以外、他殺や精神的苦痛による自害、誰かに悪意を向けられての死を迎えたとき、精霊王を中心とした精霊達が存在する場所全ての緑が灰となる」
「国として、エリサ嬢を囲うべきなのか」
「精霊王はそれを望まない。あくまで、その者は自由に生きるべきで、その者が害されないようにするため、必要があれば精霊王から守護を求められる。数十年、精霊王が誰に付いているのか分からない状態が続いたことも多い」
「それでは現在のところ、我が国としては特別なことはせず、また重要性を考えると精霊王の存在は秘匿にし、エリサ嬢やレーナ騎士爵を通じて精霊王からの要望があれば、それに従うべきということか」
「その通りだ。ハーシュトレイもそうしてきた。精霊が多ければ、災害に見舞われた場合の土地の回復も早い。限られた者が知っておけばいい」
なるほど、と補佐官は呟いた。国として重要度の高いことではあるものの、国を揺るがす自体や緊急性の高い問題ではないことにほっとした様子だ。
「レーナ騎士爵、エリサ嬢、現在のところ、精霊王からの要望等は無いだろうか」
「昨日アレックス兄様から聞いたと思うが、魔獣の大量発生について、精霊王は私が防衛に参加するべきで、そうしなければ防衛が成功しないと言った。騎士の派遣には私を入れておいて欲しい」
レーナの言葉に、アレックスとエミディオ、ニコーラは眉間にしわを寄せる。
「精霊王がそう言ったのであれば、従わざるを得ないのだろう。しかし、元王女のレーナ騎士爵を前線に出すことは些か外聞が悪い。アレックス次期辺境伯からの要請等、言い訳は用意しなくてはならない」
「精霊王の要望だ。そのくらいであれば私の名前を使ってもらっても構わない。ただ、レーナの夫となるニコーラ・ピンツィについても、共に派遣してくれないだろうか。」
「ピンツィ家はアグリアディ公爵家の側近であるため、公爵家の許可無しに要請は出来ない」
補佐官はファブリツィオとニコーラの方を見る。
「アグリアディ公爵家としては、側近を他国へ派遣する訳にはいかない」
アレックスはそうか、と言って補佐官の方を見る。
「仕方ない。ニコーラ・ピンツィの派遣は諦めよう。レーナはリータ国に一度訪問したことがあるだけだから、見知った者が近くにいてくれれば心強いと思っただけだ。派遣理由も私の名前を使っていい。ただ、レーナが寂しくないように派遣の者を選んで欲しい。それだけお願いしたい」
「理解に感謝する。レーナ騎士爵不在時のエリサ嬢の護衛についても調整の必要があるだろう。派遣する騎士の選定と合わせて、アグリアディ公爵家と相談させていただく」
補佐官は話の落とし所を見つけ、ひと息ついた。精霊王の話から魔獣の大量発生についてまで、よく一人で対応したなとファブリツィオは感心する。
「国王陛下、宰相殿、他に何かございますか」
補佐官が上司に向けるには少し冷ややかな目で問う。これまでの話に付いていけなかったのか、どうにか脳内の整理をしているのか、二人ともビクッと反応する。
「精霊王について、またリータ国辺境への対応、しかと受け止めた。そして宰相補佐官、全ての対応をするには荷が重かろう。本来ならば王太子と共に対応をすべきであるが、王太子も不在であるため、王弟の子、ルイスに話を通すように」
宰相が再びビクッと反応し、国王の方を向いて口をパクパクしているが、何も言葉にならない。
「かしこまりました。今後はルイス殿下と調整を図り、国王陛下へご報告させていただきます」
補佐官の言葉で、謁見は終了した。
ファブリツィオ達はアグリアディ公爵邸へ戻った。アレックスはすぐに辺境へ戻ると言う。
「ファブリツィオ君、ニコーラの件は気にしないでくれ。婚約者が一緒にいた方が心強いのではと思っただけだから。ただ、レーナの知った者がいてくれた方が兄としては安心だということも心の隅にでも留めておいて欲しい」
ファブリツィオも、アレックスのように、婚約者同士を引き離すのはどうかとも考えていた。しかし、ニコーラが担っている仕事を考えると、不在というのは難しい。ファブリツィオとしても苦渋の決断だったことはアレックスにも伝わっているようだ。
「エミディオ、お前も新婚旅行は良いが、あまり公爵領を放置するなよ。シルヴァーナ嬢、結婚式を楽しみにしている。きっと、防衛を成功させていっそう盛り上がるだろう」
ファブリツィオは、エミディオ達が新婚旅行で来ていることを初めて聞いた。そのことについてエミディオに言う。
「公爵がこんなに領を離れるなんて出来ないだろう。それに、シルヴァーナはずっとここの雪景色が見たかったし、わが祖国の衣装も自分の目で見て買いたかったし、新婚旅行でと言ったら検問も緩い。エヴァーニの南側、ハーシュトレイの王宮跡を見て、ハーシュトレイ元国王達がいる村に寄って、オルガ国へ帰る予定だ」
エミディオの話を聞いてレーナがはっとする。
「そうか。結婚する前に両親へ挨拶に行かなくてはならないのか。ニコーラ、いつ行く?」
「そうですね。結婚式の予定もまだ決まっておりませんので、エミディオ様達の後になることは確実かと。となると、エミディオ様達が訪問されるより後が良いでしょう」
ニコーラが予定を組み立てていく。
「じゃあリータの国で防衛をした後か」
レーナが言うと、ニコーラはそうしましょうと言って頷く。
「レーナ、大量発生は飛竜が現れることもあるから、備えて来るように。身体に気を付けてね」
アレックスはファブリツィオに世話になったと挨拶をし、帰っていった。
翌日にはエミディオ達も、ハーシュトレイの王宮跡へ向かい、ファブリツィオ達も北の砦へ戻った。
「嵐のようだったな」
この一週間、長いようで短かったが非常に濃い日々であった。国王の謁見を二日連続で行うなど、心臓に悪いことこの上なかったが、宰相補佐官の優秀さもあり、精霊王の話も受け入れられ、公爵家の抱えた問題は取れた。
しかし、ファブリツィオには一つ、解決していない悩みがあった。
「ニコ、レーナ嬢とはその、上手くいっているのか?」
「それはもちろん。可愛らしい方ですよ」
ファブリツィオはそうなのかと言う。
「どうしたのですか。ファブリツィオ様こそ、マリアンジェラ嬢とはいかがですか」
「なんというかこう、マリアはしっかりしていてきっと良い公爵夫人になれると思うんだが。その、今は刺繍職人として働いているから楽しそうだし、活き活きと働く様子も見ているからどうなんだろうかと」
ファブリツィオはマリアンジェラが自分の意志で働いていることや、やり甲斐を感じていることも分かっている。その世界から切り離すのはどうなのかと思ってしまうのだ。
「私はレーナ様に辺境に行ってもらいたくはありません。リータ国や、精霊王がどうなろうと、行かなくて良いという選択があるのなら、行かせませんし、行かせないように全力を尽くします」
突然のニコーラの独白ともいえる言葉に、ファブリツィオは驚く。
「それでも、彼女は聞かないのです。それも、精霊王ではなくて、私を守るために行くのだと言うのです。あなたを守るために行くから待っていてくれ、帰ってきたら飛び付いてやるから受け止めてくれと言わわれたら、そうするしかないでしょう」
ファブリツィオは目を見開く。ニコーラがこんなにも感情を出すことがあっただろうか。幼い頃から主と側近になることが決まっていた二人は、一緒に育った。年齢差によって、北の砦では一年しか一緒に過ごしていないが、同じ釜の飯を食い、苦楽も共にしてきた。公爵領の運営でも、二人三脚のようにしてきた。
悔しい時は悔しいと言い、楽しい時や嬉しい時は笑い合う、そんな感情はたくさん見てきたが、レーナのことを想って愛しそうに、しかし無念そうにする様子は初めて見た。彼にもこんな感情があったのかと思う。
「そうか。本人の望みを聞かなければな」
ファブリツィオの言葉にニコーラはそうしてあげて下さい、とだけ答えた。
それから数日が経ち、ファブリツィオは刺繍職人として働くマリアンジェラの帰りに合わせて北の砦から街へ下りた。二人は食事をした後、街の広場のベンチに座った。
「マリア、仕事は楽しいかい?」
「ええ、もちろん。ずっとしたかった仕事ですもの」
ファブリツィオはマリアンジェラの目を見る。
「マリア、私とこれからも一緒にいて欲しい。だけど、君はどう思っているんだろうか」
ファブリツィオの真剣な様子に、マリアンジェラは背筋を伸ばす。
「私も、テオと一緒にいたいわ」
「マリアは、今の仕事にやり甲斐を感じているだろうし、働くあなたが僕は素敵だと思う。無理矢理それを取り上げることはしたくない。だけど、一緒にいたいとも思うから」
ファブリツィオは、それが苦しいんだと呟く。マリアンジェラの目を見ることが出来ない。とても自分勝手なことを言っていることは分かっている。言われてどうしろというんだと叩かれても仕方ないだろう。それでも、思いを言葉にすることにしたのだ。
「テオ。こっちを見て?」
マリアンジェラは優しくファブリツィオの頬を撫でる。ファブリツィオは泣いていた。
「ねえ、いつもみたいに、私の目を見てはくれないの?」
ファブリツィオは涙が止まらないまま、マリアンジェラを見る。彼女も涙を流していた。ファブリツィオもマリアンジェラの頬を撫で、指で涙を拭うが、マリアンジェラの涙も止まらない。
「すまない、マリア」
「いいえ?私、嬉しいのよ」
ファブリツィオはえ、と言って、手が止まる。
「私も同じ事を考えていたの。あなたと一緒になったら、大好きな刺繍を辞めないといけないのかしらって。でも、あなたは私が刺繍にやり甲斐を感じていることも知ってくれていたのね」
マリアンジェラは、ファブリツィオの頬から手を離し、そのまま自分の頬にあるファブリツィオの手に手を重ねる。
「それで、私の心は十分満たされたわ。刺繍は淑女の嗜みの一つだもの。時間が空いたときに少しずつでもしていきたいわ。家族のハンカチは必ず私が刺繍を入れるようにするのも良いわね。許してくれるかしら」
もちろん、と言って、ファブリツィオは大きく頷いた。ひとしきり泣いた二人は、お互いひどい顔になったが、どちらからともなく笑い合う。
日は落ちきっていて、月が明るい夜。ベンチに並んだ二人の影がそっと重なった。
ニコーラとレーナ、ファブリツィオとマリアンジェラを見守る精霊達です。