竜皇女と婚約者 4
「……これは」
いつもと同じように執務室で、書類に眼を通していると、何か引っかかる物を感じた。
魔法術・魔技術がらみの事件は、政治・社会問題化する可能性が高い為、宰相まで報告書が上がってくる。
管轄は紅竜軍特務部。
大陸全土に展開する魔法術・魔技術専門の警察機構である第一特務部。遺跡や学舎のある場所に駐留し、遺跡の管理や学舎の監視にあたる第二特務部。そして皇女直属の親衛隊も兼ねる人外生物の巣窟、第三特務部は、特一特二で手に負えない事件や、秘密理に処理しなければならない件を主に扱う。
私が目を通しているのは、特三からの報告書。
『魔薬』の摘発に関する物だ。
魔薬とは、魔法術的効果を持つ、魔法生物すら虜にする程の強力な麻薬。
人間に使えば一度だけでも深刻な後遺症を残し、片手で足りる回数で間違いなく廃人になる。
手を止め、記憶を探る。
引っかかるのは、禁止薬物か、魔法生物か。
……いや、両方だ。
席を立つと、カルナー様に近づく。
「どうした」
「この件ですが」
手に持った報告書を示す。
「気に掛かる事があるので、特務部の資料室へ確認しに行きたいのですが」
「裏が取れた後は」
「特三へ」
僅かに、カルナー様が眉を顰めた。
「お前は」
「必要ならあちらに協力します」
「今のお前の立場は」
「……宰相閣下の首席秘書官、です」
確かに、今の私は官僚だ。軍人ではないし、以前のように自由の利く一介の魔技術師でもない。
だが。
「恐らく、以前関わった……いえ、捕り逃がした相手が、裏にいます」
沈黙。
表情が険しい物になっている。
「確信は」
「八割以上」
例え相手が違ったとしても、早急に対処が必要な事に変わりはない。
「……わかった」
険しい表情の中に滲む、微かな苦渋。
「それならば、仕方がない。確認が取れ次第報告を。後は……」
言葉を切って僅かに逡巡し、そして、力強く言った。
「クラウス・リセルスト・ジュロン。お前に任せる」
「はい」
その一言に込められた意味を噛み締めながら一礼し、執務室を出て、特務部の資料室へ向かう。
最近の事件数件と、数年前の事件とを照合し、疑念は確信へと変わる。
資料の持ち出し許可を取り、カルナー様に伝令を頼むと、特三へと足を向けた。
第三特務部の詰め所は、皇女の親衛隊も兼ねる為、後宮の近くにある。
傍目には分からないが、鍛錬所を兼ねる中庭を含めた領域は、幾重にも結界が張り巡らされている。
特三の構成員が魔法生物、眷属ばかりであることは、城内には於いて周知の事ではあるのだが、国家的には機密事項であり、この結界は機密を守る為の物。
現実としては、特三の馬鹿騒ぎから城内を守る為の物だが。
個人的には、城内でも屈指の近寄りたくない場所なのだが、今は仕方がない。
扉を叩くと、結界に触れたことで感知できたのだろう、こちらが名乗る前に声を掛けられた。
「ク、クラウス様ですね。ど、どうぞ」
扉を開けると、中には数名の会議ができる程度のテーブルと椅子、部屋の隅に置かれた机には、分厚い眼鏡を掛けた男が落ち着き無く座っている。
特三の報告書作成や予算処理など『文』の面を主に担当しているメノウ、通称フクロウ博士。本性は通称そのままだ。
「あ、あの、何か、書類に不備でも?」
私の手元の書類を見て、おどおどと問いかけてきた。
「書類ではなく、事件の処理そのものに問題がある」
魔薬の事件の資料を見せる。
「これの担当者は?」
書類の作成者は概ねメノウかコハクである為、書類の署名だけでは実際に誰が担当したのかわからない。
メノウは、資料に顔をずいと近づける。梟は本来眼が良いはずだが、そうしなければ見えないらしい。
「こ、この件なら、ターコイズですね」
「どこにいる?」
「に、庭で手合わせをしていますが、く、クラウス様が、お、お見えになったのは伝わっておりますので、で、皆、す、すぐに集まります」
「で、俺がやった事件がどうしたって?」
数分後。会議用のテーブルには私とアルス、それに特三の中でも特に能力の高い城詰の隊第一小隊所属の者が五名。
隊長は皇女であることを隠せていないアルス。現副隊長のコハク、前副隊長のヒスイ。専属文官のメノウ。黒い髪を短く刈り上げた大柄な壮年の男はコクヨウと言い、アルスが幼い頃から仕えていると聞く。コハクが来る前は、特三の最後の良心であった男だ。
その中で、不愉快そうに口を開いたのは、褐色の肌に青銀の髪という、非常識な色素分布の男。ターコイズという名を与えられている。
軍服は着崩されているというよりも、素肌に上着を引っかけているだけ。
本性が『狼』なだけに野生味があり、精悍そうな雰囲気は、城の女性陣の一部に非常に好まれている。が、行動も『狼』である為、何かと問題が多い。
「『魔薬』がらみの事件が、製造元の摘発だけで終わる訳がないだろう」
「犯人の取り調べは、特一がやってるだろ?」
空色の三白眼で睨んでくる。
「とりあえずこれを。恐らくこの件と絡んでいる」
資料室から持って来た報告書を三通、アルスに渡しかけ、手を止める。
コハクは席を外させた方がいいだろうか。
「どうしたの?」
手を止めた私に首を傾げながら、アルスは書類を手に取る。
隣に座ったヒスイが書類を覗き、「ああ」と納得したらしく頷く。
アルスの斜め後ろに控える様に立ったままのコハクも、書面を見て私の思う所を察したらしい。
「私でしたらお気遣い無く。外見はこの通りですが、クラウス様よりも長く生きております」
……今、できれば聞かなかった事にしておきたいような事を聞いてしまった気がするのは、気のせいだろうか。
「管理指定植物の密採集と、魔法生物を集めた妓楼と、未確認種と思われる魔法生物の報告?」
アルスは書類にざっと目を通しながら話を続ける。
妓楼に関する書類は見事に無視して机に投げた。どうにも、先日の書類の件から、この手のモノに神経質になっているらしい。
「未確認種の眷属なんているの?」
魔法生物という呼び名はあくまで人間から見たもので、本人達は「眷属」と称している。種の起源が太古の神々の眷属であるからだ。
つまり、最後の神である竜帝さえも、アルスが先祖返りとしてかろうじて存在する程度まで神の力が薄れたこの時代には、絶える種があったとしても新しい種が発生することは有り得ない。
「ないだろうな」
「じゃあこれは?」
アルスが読み終えた書類をコハクに渡す。
「よくあるのは」
コクヨウが口を開いた。
「その地域が合わないはずの種を、見間違えることですが」
「そうでは無いようですね」
コハクが高速で書類に目を通し、終わった物はヒスイへ渡す。
「異種混血が考えられると思います」
魔法生物――眷属は、基本的に母系遺伝が強く、混血でも概ね母の属性を継いで生まれる。異なる属性を持つ父母から子供が生まれること自体確率が低いが、双方の属性を受け継ぐのは酷く稀な症例になる。仮に生まれたとしても個体として弱く、幼児死亡率が非常に高いことから、奇形の一種として扱われるほどだ。
「ただの混血というわけでも、ないようですわねぇ」
ヒスイが読み終えた書類をコクヨウに渡す。
序列がわかりやすいことだ。
「クラウス様のおっしゃりたい事は、だいたいわかりました」
ヒスイは、コハクが来るまでアルスの副官を勤めていた。五年前の事件にも関わっている。
「あの男が、裏にいるのですわね?」
アルス、コクヨウ、メノウが弾かれたように顔を上げる。
ターコイズは一気に緊迫した空気に気圧され、狼狽えている。
「あの男? なんだよそれ?」
コハクは記憶を探るように軽く目を閉じ、呟いた。
「クリムゾン三-六〇〇五、特殊機密レベルの事件でしょうか」
アルスはじめ一同が静まり返る。
「コ、コハク。か、過去の事件を、書類レベルで、覚えてるんですか?」
驚くメノウに、コハクは事も無げに答えた。
「アルス様の代になってからの第三特務部扱いの事件は、一通り目を通してあります」
私に確認の視線を向けてくるので、肯定の頷きを返す。
「まぁ、魔薬と妓楼は切っても切れないものですものねぇ」
溜息を吐くヒスイの眼も、今は僅かに厳しさを増している。
書類に眼を通している最中のコクヨウが尋ねてきた。
「管理指定植物は一体何が?」
「『混沌のかすがい』と呼ばれる魔法効果の強い薬草だ。属性を融合させるのに用いる」
本来は、相性の悪い植物や鉱物などを融合させるときに使う。生体に使うことは禁止されているが、これを使えば、水の属に炎の魔法を埋め込むこともできる。
「で、では、し、新種の眷属というのは……」
「恐らく、人の手が加えられている」
「確かに、あの男なの?」
アルスの冷えた声に、動揺していたコクヨウとメノウが押し黙る。
「魔薬の分析結果が来ているはずだが」
そこは威張るな。
「成分はほぼ同じ。改良……改悪と言った方がいいか。効力は強化されている」
「カルナーは何て?」
「『任せる』と」
「そう。それで貴方は?」
「暫くこちらに手を貸す。あの男が絡んでいるのならば、制裁を下すのは『リセルスト』である私の務めだ」
「わかった。こっちとしても、眷属がこんな風に扱われるのを、放置する訳にいかないから」
「……あの、何もわかってないの、俺だけ?」
ターコイズがおずおずと口を開く。
「そのようですね」
コハクが突き放す様に言い、ヒスイがその様子を見て呆れたように溜息を漏らす。
ターコイズは風狼、コハクは地虎。属性が正反対という問題もあるだろうが、潔癖症のコハクにとって、軽薄軟派なターコイズは性格的にも合わないのだろう。
ヒスイはその緩衝剤といったところか。
「眷属を使って生体実験をしている者がおりますのよ」
「なに!?」
やっと、事の重大さが伝わったらしい。
「そのために、眷属の女性を孕ませるのですわ。眷属を捕まえて生体実験をするよりも、数を増やせますし、胎児の状態から手を加えた方がいじり易いそうですから」
嫌悪感は隠せないが、普段通りのおっとりとした口調でヒスイが補足する。
「そのために、魔薬漬けにして妓楼に出しているのではないかと言うことですわ。胤を問わないならその方が効率がいいからですわね。おまけに資金も入って一石二鳥ですし」
更にはその口調のまま「眷属の種によっては、人間の相場の数十倍になりますのものね」などと、とんでもないことを呟いている。
「ご、五年前にも、お、同じ様な事件が、あって……」
メノウが、おどおどと付け足す。
「それも、首謀者が『ジュロン』だった」
苦々しく、コクヨウが吐き出す。
「な!? ジュロンが!?」
ターコイズが動揺するのも無理はない。
『ジュロン』
これは、リュドラスに於いて、特殊な意味を持つ『銘』。
官僚でも軍人でも、ある程度以上の役職の者に名を尋ねれば、二割近くが『ジュロン』と答えるだろう。
本来は宰相に与えられる一代限りの『銘』であり、次代の宰相候補となった者は宰相の養子となり『ジュロン』を引き継ぐしきたりになっている。
『ジュロン』となることは、親兄弟など生家と絶縁し、リュドラス皇家に絶対的な忠誠を誓う事を意味する。その為、今では外国人や、庶民の出身の者で将来に期待できる者も、宰相が後見になり『ジュロン』の名を名乗れる様になっている。
区別としては、宰相候補など高位の行政官は『リセル』、その他は『リーザ』という名が付く。そして『リセルスト』はジュロンの長を表す名であり、宰相と次期宰相と決定した者だけが名乗ることができる銘だ。
「エセル・リセル・ジュロン。当時、宰相の首席秘書官」
指名手配書を机上に置く。
そしてもう一枚。
「もう一人、エデル・リーザ・ジュロン。当時、特務部付研究所主任」
並べた手配書を見てコハクが呟く。
「同じ顔、ですが?」
「双子だ。今はジュロンの名を剥奪されているので名無しか。もしくは偽名を使っているだろう。エセルは当時次期宰相に最も近いと言われていた」
「そんな人間が、リュドラスを裏切るのですか?」
眷属にとって、竜帝は絶対的な存在。
その血を継ぐリュドラス皇家は、竜でなければかなり格は落ちるが、それでも敬意を払う対象。裏切る事など考えないだろう。
まして、今は皇女に『竜』であるアルスがいるのだ。
「……裏切った、などという意識を持っているかどうかも、疑わしいものですわねぇ」
ヒスイが手配書を眺めながら、口調に棘を含める。
「むしろ、このような『実験』をする為に、ジュロンの地位と力を求めた様なもの。それを見抜けなかったのは、カルナーの責でございましょう」
「だが」
コクヨウがヒスイを遮る。
「捕り逃がしたのは、我々だ。今まで、見つけられなかったのも」
「わかっておりますわ、そのくらい」
珍しく声を荒げるヒスイの口元には、牙が覗いている。
「で、ですが、なぜ今頃、ぜ、前回と同じ様な事件を?」
「こう並べれば似て見えるが、バラバラに出されたら分からなかっただろう」
コクヨウが唸る。
「この五年間、ずっと見過ごしていたというの?」
しばらく黙り込んでいたアルスが呟く。
「いや、これは明らかに挑発だろう」
その目的も、概ね予想がついている。
「挑発、でございますか?」
怪訝な顔で問いかけてくるコハク。
「面白いじゃないの。『ジュロン』の名を汚した上に、特務部にケンカ売るなんて」
アルスは傲然と微笑んだ。
「五年前の分も、きっちりと始末つけないね」
「クラウス」
とにかく、まずは情報の収集と整理に当てることにして、部屋を出ようとすると、アルスに声を掛けられた。
「後で、ちょっと話があるから」
振り返りもせず、そう告げられた言葉に、何故だか、非常に嫌な予感がした。
――その夜。
新月の闇夜に、赤い月よりも眩い魔力の炎を纏った真紅の竜が、帝都上空を荒れ狂ったように飛んでいるのが目撃された。