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竜皇女と婚約者  作者: 凍雅
3/22

竜皇女と婚約者 3

 リュドラス皇宮の朝は、皇帝と宰相、高級官僚数名の御前会議、通称『朝議』で始まる。

 以前は皇帝自らが欠席してただの官僚会議になる事が多かったそうだが、私が参加するようになって以来、皇帝は無遅刻無欠席。

 よほど私が気に入らないらしく、毎朝必ず何かしら議題を持ちかけてくる。

 無論、私が全戦全勝していることは言うまでもないが。

 今朝も、持ち出された議題に有無を言わせぬ回答を出し、連勝記録を伸ばした所で朝議を終える。

 退室しようと書類を片付けていると、憤懣やるかたないといった呟きが聞こえてきた。

「気に入らん」

 声の主は皇帝。

 向けられた相手は、私であるらしかった。

「何か?」

 皇帝の言葉を無視する訳にもいかないので振り返る。

「貴様が気に入らん!」

 そんな事は、びしっと指をさして宣言されずとも、分かっているが。

「私の何が、お気に召されませんか?」

 直球を返すと、様子を見ていたカルナー様に「お前は馬鹿か」といわんばかりの視線を向けられた。

 我ながら馬鹿馬鹿しいとは分かっているのだが、一度くらいやっておくのもいいだろう。

「貴様の全てがだ!」

 皇帝は吐き捨てるようにそう言うと、書類も乱雑に散らしたまま部屋を出て行った。

 誰がこの書類を片付けるというのだ。機密書類もあるというのに。

 部屋には、私とカルナー様しか残っていない。

 つまり、必然的に私の仕事になる。

 仕方がない。溜息を一つ吐き出して、片付ける事にした。




「怒りを煽るなどお前らしくもない」

 執務室に戻ると、カルナー様が言った。

「一度、ここまで厭われる理由を聞いてみたいと思いまして」

 未決済の書類を整理しながら答えると、返って来たのは盛大な溜息。

「いかに壮絶な親子喧嘩が耐えぬ仲とはいえ、殿下は大事な一人娘。それを取っていった男を、そう簡単に認められる訳が無いだろうに」

 何かの報告書だろう、束ねた書類をめくりながらカルナー様は続ける。

「しかも娘があれだけ惚れ込んでいるというのに、何度も逃亡する。かと思えば、何事も無かったかの様に帰って来て、平然と副宰相候補に収まる。その神経を疑うのも無理はなかろう」

 困った事に返す言葉が無い。

「難癖付けようにも、たかが魔技術師であった筈なのに、政務の能力には長けている。頭脳だけでなく、外見も出来すぎている。となれば、つつける所は、魔力が全くない事と」

 リュドラス皇帝は、大陸で最も強い魔力を持っている事が望まれる。代々の配偶者も、魔力の強い人間が選ばれる事が多い。それ故に、魔力を持たない者の血を混ぜることに反対する向きは多い。

 だが、それ「と」?

 言葉を途中で切ったまま沈黙するカルナー様を見る。

「……と、マイナールの出である事、であろうな」

 そう言って、それまで目を通していた書類をこちらに渡してきた。

 表紙は極秘扱いになっている。

 素直に見てよいものかと逡巡していると、目で促された。


 ……これは……!

 息を呑む。

 背筋を冷たいものが走る。

 書類を持つ手が震えるのを、懸命に押さえた。

「……ふむ。反応がつまらんな。お前が取り乱す姿が見られるかと思ったのだが」

 控えめな深呼吸一つで、何とか自分を落ち着かせる。

 目を背けたい気持ちを抑えながら、内容を確認していく。

「今頃、陛下の元にも同じものが届いている筈だ」

 人の気持ちを分かっている筈だろうに、いや、だからこそ、非常に楽しげにカルナー様が言う。

 指が止まった。

「……今更、ですか?」

 とうの昔に、この程度の事は把握されていると思っていたのだが。

「簡単な物はあったがな。細かい所でなかなか裏がとれずに苦労したらしい」

 詳細な裏付けを取る為の簡単な方法はあるが、それを使うのは、諜報員とはいえリュドラスの者には憚られたのだろう。

 だが、報告書の詳細さに、最終手段を用いたであろう事を確信する。

「担当した者に聞いてみたいものですね」

 自分の顔が、歪むのがわかる。恐らく、冷笑を形作っているだろう。

「何を」

「マイナールは『良い国』だったか、と」

 彼女達は過去を容易に語らない。

 だが、どうしても語らせたいなら、聞き手も彼女達の『過去』の一員になればいい。

 含む意味を悟ってか、カルナー様は少し複雑な顔で沈黙した。

「その報告書自体に、異議は?」

「……残念ながら」

 こればかりは、不本意だが認めざるを得ない。消してしまいたい過去でも、事実は変えられない。

 弁明したいことは山ほどあるが、それも見苦しいだけだろう。

「お前が、かの国で平和に過ごしていたとは思っていなかったが、予想以上に華々しいものだな」

 言葉と裏腹に、憐れむような視線が痛い。

「自ら望んだ事ではありません」

 これだけは、絶対に譲れない。

「まぁ、言い訳は私ではなく……」

 カルナー様がそう言い掛けた所で、遠くから、何かが崩壊する音が聞こえた。

「……」

「……」

 無言で顔を見合わせ、深々と溜息を吐く。

「……後宮ですね」

「そのようだな」 

 やれやれと立ち上がるカルナー様について執務室を出ると、衛兵が廊下を走ってくるのが見える。

「宰相閣下!」

「わかっておる、被害は?」

「後宮の庭に面した城壁が崩れました!」




 衛兵について早足で後宮に向かうと、湖に面した城壁は大きく崩れ落ちている。

 中庭には、ひっくり返されたテーブルと、割れたティーセット、それに、機密扱いの文書が散らばっている。

 まさか機密文書をそのままにするわけにも行かず書類を拾い上げ、城壁に近づくと、身体から立ち上る魔力をオレンジ色の炎のようにまとった皇帝が、険しい顔で空を見上げている。

 その側で、困惑した様子で立っていたコハクが私達に気づき、一礼してくる。

 見上げれば、空には二匹の竜の姿。

 一方は、真紅の鱗が太陽の光を返して輝く、竜帝。

 もう一方は、オレンジ色の炎が形作る、幻影の竜。

「コハク、事情を聞けるかの?」

「はい。詳細は存じませんが……」

 カルナー様に促されたコハクの説明によると、親子でお茶をしているうちに、皇帝が持ち出した書類を巡って口論になり、皇帝が切れかけ、煽られてアルスも切れたらしい。

 相変わらず、迷惑極まりない親子だ。

「指輪は?」

「私がお預かりしております」

「そうか、外したか」

 婚約指輪として渡しておけば、滅多なことでは外さないだろうと思ったのだが、無駄だったらしい。

 見上げれば、二匹の竜は上空で派手に絡み合い、魔法をぶつけ合っている。

「城下に被害が及ぶことはありませんか?」

「まぁ、湖の上でやっている分には問題ないだろう。城下は、久方振りに賑わっておるだろうし」

「……そう、ですね」

 空を舞う竜の姿は、帝都名物。

 その実態が、皇帝親子の壮絶な喧嘩であろうとも。

 それによって壊れた城の修復費は、国費で賄われる。つまりは税金。税金の無駄遣いをされる分、それをネタに商売をやろうという市民の逞しさを、責めることは出来ない。

「まぁ、殿下も鬱憤が溜まっておられるようだ。名物で商いをしておるものもおろうし、少し放って置くか」

 いいのかそれで。

「ああ、修繕が必要な箇所の一覧作成と、予算の試算はお前の仕事だからな」

「……はい」

 やはりそうなるのか。




「……さて、そろそろ止めるか」

 被害状況の確認を大まかに終えた所で、上空での竜の戦いを見上げていたカルナー様が呟く。

 視線を上げると、荒れ狂う真紅の竜に対し、幻影の竜がその姿を崩しつつあった。幻影を作り出している皇帝の顔にも、疲労が伺える。

「殿下の方は、任せるぞ」

「はい」

 カルナー様は皇帝に近づくと、声を掛ける。

「陛下」

 その、たった一言に込められた冷気に、皇帝が蒼ざめて振り返る。

 集中が途切れたせいか、幻影は消え、幻影に攻撃をかけていた紅の竜は、攻撃を外して崩れた体勢を建て直し、怪訝そうな様子で中庭を見下ろして来る。その視線と、見上げる視線がぶつかった。

「アルス」

 呼びかけると、慌てたように紅の巨躯が縮み、地上に降りてくる。

 腕を差し出して、人間の姿に戻ったアルスを抱きとめる。

「……怒ってる?」

 むしろ、諦めに近い感情の方が強いのだが。

「コハク」

 コハクに向かって手を差し出すと、心得たように、布に包んで持っていた指輪を差し出してきた。

 アルスが持った時程ではないが、そこそこの紅玉程度の光を放つそれを受け取ると、石は一度光を亡くし、アルスの手を取って指に嵌めると、同じ石とは思えない輝きを放つ。

「被害額の試算を聞きたいか?」

「……ごめんなさい。聞きたくない」

 一応、反省はしているらしい。

「何があった?」

「……ただの、親子喧嘩」

 と言いながら、アルスの視線が、私の手元に注がれる。

 視線の先は、先ほど拾い上げた機密書類。さっきまで、私が執務室で見ていた報告書と同じもの。

「……原因は、ソレ」

 半眼になって睨みつけてくる。

「『こんな男なんだから、やっぱり婚約破棄しろ』って」

 軽く肩に回されていた手が、襟元に伸びる。

「っていうことは、元を正せば、あなたのせいじゃない?」

 手が、襟元を掴む。ぎりぎりと締めていく。

「ちゃんと、説明してくれるわよね?」

 口元は微笑んでいるが、目は猛獣のそれに近い。

 つい先程まで竜の姿で暴れていたというのに、まだ魔力を発散し足りないのか、真紅の炎が立ち上る。変化した名残か普段よりも金に近い色の据わった眼に、抵抗できるはずもない。

「カルナー」

 普段よりも一段低い声で、アルスが呼びかける。

「……はい。何か」

 一見にこやかに、しかし有無を言わせぬ気迫で皇帝を叱責していたカルナー様が、振り向き、わずかに表情を引きつらせた。

「クラウスを、借ります」

 言いながら、手は既に私の胸ぐらを締め上げつつある。

 流石に少々苦しい。

「どうぞ」

 あっさりと見捨てられた。

「それじゃ」

 ぐい、と引っ張られると同時に視界が歪む。

 目眩にも似た感覚に目を閉じると、瞬きの内に周囲が一変していた。




 ここは……アルスの部屋か? すると今のは転移……。

「クラウスぅぅぅっっ!!」

 締め上げられる。かなり苦しい。

「あれって何!? どういうことっ!?」

 あれとは、あの報告書のことだろう。

「それは……」

 アルスは私の胸倉を掴んだまま、俯いて呟いた。

「それはね、私に会う前に、恋人の一人や二人、いたとしてもしょうがないとは思ってたわよ。思ってたけどぉぉぉっっ!!」

 顔を上げると、再度締め上げる。本格的に苦しい。

「なんなのあれはっ! 一人とか二人とか言う問題じゃないじゃない! ケタが違うじゃないのよ、ケタがぁっ!!」

 あー、だからそれは……。

「しかも、不倫までしてるしぃっ!」

 だからそれは……。

「クラウスの浮気者ぉぉ……」

 アルスの感情の激しさを表す様に、魔力が部屋中を荒れ狂い、風を起こして調度をなぎ倒し、壁を切りつけていく。

 指輪で抑えていなければ、此処まで感情が高ぶれば変化しているだろうから、それに比べれば被害はまだ小さい方だが。

  

「それで」

 アルスの怒鳴り声が一段落した所で、やっと声を出す。

「私にどうしろと?」

「否定しないのぉっ!?」

 涙目で訴えられても、過去は変えられない。いっそ、無かった事に出来るなら、どれだけ良いだろう。

「色々と事情があるが、過去の事故としては否定できない」

 そう、あれは事故の様な……いや、ほぼ犯罪だ。私はどちらかと言えば被害者の立場なのだが。

 アルスは私の胸倉を掴んだまま、俯いて小さく唸っている。

「それに、お前と会ってからは何も無いはずだが」

 正確にはマイナールを出奔してからについては、後ろ暗い事は何も無い。

 いい加減女には懲りていたし、マイナールほど無茶苦茶な事をする女もいなかった。唯一の例外がこのアルスということになる。

「……の?」

「ん?」

 顔を伏せたままの呟きを聞き逃した。

「……好きな人、だったの?」

「違うな」

 マイナールにいた頃は、そんな感情の存在を疑ってさえいた。

「じゃあこの人達は何っ!?」

 だから絞めるな。

「……マイナールの女傑達だな」

 自然と深い溜息がこぼれる。

 社交界を取り仕切り、王国を陰から牛耳りながら、個人的な欲望に正直な女達。その達成の為には、手段を問わない彼女達に手玉に取られた事は、苦い記憶として、教訓として、深く刻まれている。

「何よそれ」

 納得が行かないらしくまだ噛みついてくるが、やや落ち着いたらしい。

「少なくとも、今もこれから先も、お前だけだということだ」

 宥めるように軽く髪を撫でながら呟く。

「本当に?」

「ああ」

 胸倉を掴んでいた手を離すと、ぽすりと胸に顔を埋めてくる。

「他の女の人に誘惑されても、付いて行っちゃダメだから」

「誰がそんなものに乗るか」

 そんな失態は、一〇代の頃だけで十分だ。

「昔の人と、また付き合ったりしない?」

「……出来れば、顔も合わせたくない」

 胸に苦いものが広がる。

 顔も合わせたくないのは山々だが、婚礼には皆こぞって来るだろう。

 自分他人に関わらず、色恋沙汰が何より好きな連中だ。招待などしなくても押しかけてくると確信できる。

 リュドラスとマイナールは、国力には天地の差があっても古くからの友好国。あまり無碍に扱えないことを考えると、己の一族とは言えその対処に頭が痛い。

 知らずこぼれた溜息に、アルスが顔を上げた。

「……浮気しちゃダメだからね」

「お前一人で手一杯だ」

 むしろ手に余りすぎている。

「知り合う前のことはどうしようもないし、今も、これから先のことも信じてるけど。でも」

 視線を真っ直ぐに合わせて。


「浮気したら、殺すから」


 呟く口調は少し拗ねた程度のものだが、据わりきった眼が本気だと告げている。

 もっとも、竜は嘘を吐けない。

 身に備わった強大な魔力は、発した何気ない言葉さえも魔法術の呪文の様な「力ある言葉」に、嘘を事実へと変えてしまうからだ。

 よって、今のアルスの言葉は強力な呪いに等しい。

 呪いで死ぬのと、アルスに直接手を下されるのとどちらが先か。

「その時には好きにしろ」

 もちろん、そんな事をするつもりなどない。  

 そもそも、お前以上の女がいるはずも無いのだから。 

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