竜皇女と婚約者 21
目が覚めれば、傍にいるのはアルスだろうと思っていた。
「おや、お目覚めかい」
だが、予想に反して、そこにいたのは見覚えのない若い女だった。
看護師見習いの身分を示す服に、軍属である印が縫い付けてある。
「今、教授を呼んで来るよ」
いや、確かあの女は。
周りを見れば、どこかの屋敷の一室であるらしかった。
家具の類はベッドと机程度しか置いていないが、それでも品は悪くない。
窓から射す陽射しはもう中天を過ぎているが、まだ、傾いているとはいえない時間帯だ。
ゆっくり身体を起すと、ユーマ教授と、先程の女がやってきた。
「もう起き上がれるようだね。シルバ、殿下に知らせておいで。後は、こちらはもういいから、皆のところへ手伝いに行ってくれ」
「はいよ」
やはり、シルバであるらしかった。
しかし、どうしてここで、あんな格好を?
「気分はどうかな」
診察をしながらそう尋ねてくる。
「悪くはありません」
「結構」
「ところでここは?」
倒れたのは、森の中だったと思うのだが。
「森の近くの街の、第一特務部が詰め所にしている公邸だね」
既に皆引き上げてきているのか。
「では、何故倒れたのか、わかっているかな?」
それにしても、昨日と今日で、何度意識を失っているのだろうか。
情けない気もするが、この場にアルスがいない事から、遺跡を出てから倒れた原因を推察できた。
「いろいろ思い当たるものはありますが、恐らく、魔力に当たりすぎたのでしょうね」
あまりない症例だが、人間の中には、強い魔力にさらされると体調を崩し、倒れるものがいる。
私は魔力に対する感受性が鈍いので、今までアルスと共にいてもそんなことはなかったのだが、流石に今回は許容量を越えたらしい。
「わかっているならいいが。今までこんなことはなかったはずだね。一体何があったのか聞けるかな?」
何があったか、と聞かれれば、いろいろなことがあったが。
「あの二人に囚われて、意識を失う薬を嗅がされた上に、通常の数倍の鎮痛剤と正体不明の媚薬と毒薬を打たれ、ついでに電気か何かの衝撃を加えられ、教授がアルスに渡した解毒薬では足りなかったので竜の血を舐めたのと、魔素が非常に濃い空間に入った挙句に、アルスが魔力で作った異空間にも連れ込まれましたが」
沈黙。
ややあって、半ばあきれたような、驚いたような、複雑な表情で教授が呟いた。
「……よく、無事に生きているね」
全くだ。
「私もそう思います」
並べているうちに、倒れるのも当たり前だと、むしろ、何故無傷で生きていると、自分自身に問いたくなった。
医師から見れば、もっと不可思議なことだろう。
「いつの間にそんなに丈夫になったのだろうね。まぁ、簡単に魔力に当たるようでは、殿下の相手は無理だろうが」
視線が、人外生物を見る様なものになっているのは、気のせいだろうか。
正式に契約を結び、竜の血を受けた後も人間かと聞かれると、素直に頷けないものはあるが、今のところはまだ間違いなく人間であるはずなのだが。
「それで、事件は収束と見ていいのかな」
「あの二人に協力した者たちを追跡する必要がありますが、首謀者の『処分』は済みました」
「そうか」
そういえば、教授に聞くことがあった。
「ところで、先程の看護師は」
「遺跡で会っているはずだけれどね。あの二人の養女だったというシルバだが?」
いや、問題はそこではなく。
「それはわかりますが、何故軍属の看護師の服を」
すると、教授はああ、と頷いた。
「あの子自身には特に罪はないからね。ただ、あの二人の助手をしていたし、囚われていた女性達の管理もしていたようで、知識も経験も十分にある。こちらは急に患者が増えて手が足りなくなっているから、重宝しているよ。本来は処分が決定してないから、監視をつけて軟禁しておくべきだろうけど、本人は特に反抗的な態度もないし、こちらで保護したときから協力的だから、問題はないと見ている。殿下の許可も頂いているよ」
なるほど。
特に異常はなかったらしく、教授は診察に使った器具を仕舞う。
「もう少し休んでいた方が良さそうだが、頭ははっきりしているようだし、気分が悪くないならば起きていても構わないよ」
そして、そういい残すと、部屋を出て行った。
起き上がっても眩暈などの異常がないことを確認すると、ベッドから降りる。
上着を探して部屋を見渡すと、誰が持ってきたものなのか、嫌がらせのように二枚の上着が掛けてあった。
黒の魔技術師の服と並ぶ、碧緑の宰相服。
己がどちらであるのか選べというかのように。
馬鹿馬鹿しい。
片方に袖を通すと、もう一方を腕に掛けて部屋を出た。
と。
何故か空気がどんよりとしている。
視界の下のほうに僅かに引っかかったのは、いつもよりくすんで見える金の髪。
「……何をしている」
下を見ると、アルスが扉の横の床に座っていた。
「あ」
何故逃げようとする。
「何だその不審な動きは」
「……だって」
空気が澱んでいるように感じるのは、アルスが暗くなっているせいらしい。
床にしゃがみこんで、壁に向かって落ち込んでいる姿など、似合わないというのに。
「入って来ればいいだろう」
「……だって」
「何だ?」
「……魔力に当たりすぎで倒れた、って言うから」
それで距離をとろうとしているのか。
アルスは、壁に額をつけて、更に沈む。
「だって、異空間に巻き込んじゃったりしたし、遠慮なくばかすか魔法術使ってたし」
ぶつぶつと呟きながら、深みにはまっていく。
「私は、こうして無事でいるが」
「……でも」
「そうやって落ち込んでいる状態でも、周囲の空気を変えるほどの魔力を発散しているという自覚はあるか?」
「え。あ。ごめんなさいっ」
逃げようとする腕を捕まえる。
「なんで!?」
「魔力の影響だけで倒れた訳ではない。それに、今は何の異常もない」
「でもっ」
「普通の人間は、あれだけの薬物を使用されれば、倒れもする」
顔色を確かめるように、覗き込んでくる視線。
「本当に大丈夫?」
「ああ」
なだめるように、頭に軽く手を置く。
「……どうしようって、思ったの」
肩に額を当ててくる。
「死んじゃったら、どうしようって」
また物騒な。
「大事な人を殺しちゃうような力なんか、いらないのに」
力を持たない故に強大な力を羨む者と、生まれ持った強すぎる力を嘆く者と。その二者が理解し合える事は無いのだろう。
「私は、生きている」
「うん、でも」
うつむいたまま、続けた。
「一人で死んだりしたら、ゆるさないから」
赦す赦さないの問題ではないと思うが。
「勝手に殺すなと言うのに」
「『契約』、ちゃんと乗り越えてくれなきゃ、ダメなんだから」
竜と結ぶ血の契約は、人間の体を竜に近づけるもの。
故に契約者には、相当な負担がかかる。一歩間違えば廃人になる程の。
それでも、今まで竜の血が絶えることなく続いているのは、今まで乗り越えられなかった者はいないという意味でもある。
「大丈夫だ」
「本当に?」
「約束する」
そう言うと、やっと、安心したように顔を上げた。
空気の澱みもなくなっている。
まったく、世話が焼ける事だ。
そういえば。
上着の内ポケットを探る。指が探りあてたのは、小さな箱。
まさかこれの為に、気を回してこの服を持ってきたのだろうか。
有難く思いながらも、どうにも油断ならない人間が多いことに内心溜息を吐く。
箱の中には、赤黒い石の付いた指輪。
「アルス」
「なに?」
首を傾げるアルスの手をとる。
その指に、指輪をはめると、赤黒い石は光を吹き込まれたように、鮮烈な紅の輝きを放つ。
「あ」
それを見て、思い出す事があったのか、先程までとはまた違う意味で落ち込んだ。
「ごめんなさい」
「……まぁ、私も悪かったのだろう。説明が足りなかったことは認める」
アルスを納得させられれば、ここまでこじれる事はなかったはずなのだ。
「うん。説明足りてない」
半眼で睨みつけてくるところを見ると、まだ納得はいかないようだが。
「でも、終わったことならもういい」
憮然とした表情でそう言い、抱きついてくる。
「この先は、ゆるさないから」
まぁそれは、仕方がないだろう。
諦めてアルスを抱きとめかけ、ふと、ここが廊下であることを思い出した。
……今更か。
考えるのも無駄なので、そのまま、アルスを抱きしめた。




