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竜皇女と婚約者  作者: 凍雅
2/22

竜皇女と婚約者 2

 リュドラスの後宮は、単に皇族の私的領域であり、身元が確かであれば、特に立ち入りの制限は無い。

「アルス? 入るぞ」

 真っ直ぐに皇女の居室へ行き、扉を叩いても応答が無いので、一応一言声を掛けてから、扉を開けた。

「……」

 数秒間固まった後、扉を無言で閉め、踵を返す。

 何も見ていない。

 私は何も見なかった。

 心の中で呟きながら立ち去ろうとすると、背後で静かに扉が開く気配がした。

「うふふふふ」

 艶を含んだ微笑に、うんざりしながら振り返ると半開きの扉の陰から、予想通りの人物が覗いている。

「いらっしゃいませ。クラウス様」

 腰まで流れる緑がかった銀の髪、深い翠の瞳、真珠のように艶めく肌の美女。

 しかも夏とはいえ、昼間から肌が透けそうな淡い緑の薄絹という出で立ち。

 後宮は後宮でも、別な国の特殊目的の後宮か、高級妓楼にでも迷い込んだか。そう血迷うような男がいても仕方がない程。

 私は、今更うろたえる気にもならないが。

「アルス様がお待ちかねですわ」

 扉を広げるが、本人が退く気配はない。

「どけ」

「あら、十分空いておりますけれど」

 私は、お前に近付きたくない。

「ん~?」

 部屋の奥から寝ぼけた声がする。やっと目を覚ましたらしい。

「ん……。あ、クラウスっ!」

 横になっていた低いソファから跳ね起きると、駆け寄って抱きついてくる。

 その勢いに、バランスを崩しそうになりながら受け止める。

「で、何で戸口で固まってるの?」

 アルスは、扉を挟んで距離を取り合う私とヒスイを見比べるが、すぐに「ま、いいか」と呟く。

 細かいことは気にしない性質だった。

「とりあえずヒスイ。服着て来なさい」

(わたくし)は、このままでも構いませんが」

 うふふと艶めいた笑みが返される。

 よく晴れた昼下がり、この場所だけが異様に不健全だ。

「さっきまで本性になってたから仕方ないし、服作れるだけマシだけど、昼間からその格好はどうかと思うわ」

「そうですかしら?」

「それに、クラウスが動じないのはわかってても、なんかイヤ」

「かしこまりました。では、御前失礼いたします」

 すると、ヒスイの姿が掻き消えた。

 否、代わりに床にいるものは。

 真珠色の鱗を煌めかせる、大の男の腕よりも太く、長さは人間の身の丈の軽く倍以上はあるであろう大蛇。

「……クラウス……」

 体が強張ったのがわかったのか、アルスが呆れたように呟く。

 ヒスイは鎌首をもたげて翡翠色の瞳を向けると、笑うかのように二つに分かれた深紅の舌をひらめかせ、音も立てずに床を滑って奥へ消えていった。

 ……絶対に、からかわれている。

 あの女だけは、生理的に絶対に受け付けない。


「お休みとれたの?」

「ああ。今日は空いた」

 じゃれついてくるアルスを好きにさせ、上着を脱いでソファに体を預ける。

 本来なら、婚約者とはいえ皇女の前でとっていい態度ではないが、私的領域である後宮では咎められることはない。

 冷茶と茶受けを運んできた女官も、咎めるよりもむしろアルスの機嫌が直ったことに安堵している様子だ。

 ふと、先ほど扉を開けたときのこのソファの上の状況を思い出し、一瞬場所を変えようかと思ったが、流石にそこまでするのは憚られるので、何とか理性で堪えた。

「一つ聞くが」

 代わりに、アルスに問い掛ける。

「私が来ると分かっていて、あの態度か?」

 アルスは首を傾げ、少し考えてから、ああ、と声を上げた。

「だって暑かったから」

 悪びれる様子は欠片も無い。

「私は帰ろうかと思ったぞ」

「だって、ひんやりして気持ちいいのよ?」

 だからといって。

「あ。でも、クラウスはやっちゃ駄目よ? 他の女の人と添い寝なんて」

 頼まれても、誰が大蛇と添い寝なんぞするかっ!

「それでは、(わたくし)はお邪魔のようですので、退出させていただきます」

 奥から、胸元が大きく開いた上着に、太股までスリットの入った細身のスカートという、エンブレムと布地以外は全く原型を留めていない程に改造された軍服姿のヒスイが現れた。

 特三の者は、アルスの側近として特別な地位が与えられているため、身分を証明するエンブレムさえつけていれば、軍服をどれほど着崩そうが、改造しようが咎められはしない。しかし、物には限度というものがあるだろう。

「御用の際はお召しくださいませ」

 うふふふと、嫣然とした笑みと、微かな衣擦れの音を残し、ヒスイは部屋を出て行った。

 もう来なくていい。

 かつての悪夢のような出来事を思い出し、自然と深い溜息が漏れた。

 



 初めて竜を目にして逃げ出した私は、興味のある研究対象があった魔技術学舎に身を寄せていた。

 追われる可能性も考えないでもなかったが、その時は研究の方が重要だった。

 あまり無茶な追跡をされることもないだろうと、当時の私はまだ、アルスの無自覚の過激さを理解していなかったこともある。

 結局、あっさりと見つけられ、とりあえず逃げ出そうとした私の前に。

「クラウス様ですわね? 捕らえさせていただきます」 

 アルスの部下らしい、女性が進み出たきた。

 スリットが入っているとはいえ、細身のスカートという姿に、私の足でも撒けるかと思った瞬間。

 女の姿が掻き消えた。

 代わりに現れたモノに、身体は凍りつき。

「うふふふふ。捕まえましたわ」

 苦しくない程度に加減しながらも締め付けてくる、太い縄のような、ひんやりとしっとりとした、しなやかでそれでいて硬質の感触に、意識は遠のき。

「ヒスイ! なんでクラウスに抱きついてるのよっ! 離れなさい!」

 遠くに聞こえたアルスの声に、それはちょっと違うだろうと思いながら、意識は闇に沈んだ。




 さっき本性を見たせいで、厭なことを明瞭な感覚つきで思い出した。

「どうしたの?」

「……厭なことを思い出した」

 アルスは顎に指を当てて、しばし考えて、あ、と口に手を当てた。

「……まだ、根に持ってる?」

「当然だ」

「えっと……」

 アルスが視線を逸らす。

「だって、そんなに苦手だったなんて知らなかったし」

「普通の人間が同じ目に遭っても、一生忘れられないだろう」

 私の場合、心の奥深くまで抉られていると言って差し支えない。

 出来ればあの蛇女とは顔も合わせたくないが、特三でも屈指の実力者であり、アルスに仕えて長いヒスイとは、皇宮にいる限り厭でも顔を合わせることになるだろう。

 今から憂鬱だ。

 

 クッションに身を沈めて、この先を思いやる。

 己にこの大国を治められるのか。

 宰相になるということは、実質的にこの帝国を治める身になるということ。 

 魔技術の道を諦めたわけではない。

 趣味程度になるだろうが、一生の研究対象がある。

 アルスと共に生きるということは、大陸の守護たる竜帝と共に生きるということ。

 その重さは、想像を超えるものになるだろう。

 私で良いのか。

 私に出来るのか。

 やらなければならない。

 その重さに耐えられるのか。



  

「……クラウス?」

 隣で沈黙したままのクラウスに気づき、古いことを思い出してまだ怒ってるのかと、おそるおそるアルスが声を掛けた。

「……」

 返事はない。

「……?」

 顔を覗き込むと、目を閉じているのが分かる。それに、規則正しい呼吸。

「ね、寝てるぅ!?」

 思わず大きな声を出し、慌てて口を抑える。

「なんでここで寝る訳ぇ……」

 ぼやいてみても、目を覚ます気配はない。

 結局構ってもらえないことに嘆いてはみるものの、このところのクラウスの仕事量を思い返せば疲れているのは当然で、叩き起こすのも憚られる。

「後で、カルナーの執務室に殴りこんでやろうかしら」

 表向きの穏やかな人柄と、確かな政治手腕と、癖の強すぎるリュドラスの皇族並びに貴族たちを巧みに御していることから、おそらく皇帝よりも国民に尊敬されているであろう、宰相を思い出す。

 カルナーって、使える者は皇帝だろうと、他国の人間だろうと、とことんこき使うものねぇ。

 気がつけば、いつの間にか自分も手駒にされているので、その密かな人使いの荒さはアルスも身に沁みて分かっている。

 その直弟子であるクラウスが今どれだけのしごきを受けているかは、おそらく常人の想像を絶することだけは確かだろう。

「……寝ちゃってるってことは、やっぱりアレ、やらなきゃねっ」

 クラウスの寝顔に、アルスは悪戯を思いついた子供のような笑顔を向けた。




 ふと、姿勢が変わっていることに気が付いた。

 確か、アルスの部屋でうたた寝をしてしまった気はするが、いつの間に横になったのだろう。

 体はクッションに埋もれているようだが、枕が高い。それに堅い。違うな。弾力があると言うべきか。それに、それ自体が温もりを持っている。

 ……これは……。

 うっすらと目を開ける薄いカーテンを透かして和らげた光の中。黄金色の光が広がっている。

 見下ろしてくるのは、琥珀の瞳。

 この角度で見下ろされ、またこの角度で私が見上げるアルスの背景が天井だと言うことはつまり。

 膝枕、されているらしい。

 姿勢を変えられていることに気が付かない程、寝入っていたとは迂闊だった。

「あ、起きた?」

「どのくらい眠っていた?」

 問いかけながら体を起こそうとすると、肩を押さえられた。

「なんだ?」

 逆らわずにアルスの膝に頭を預ける。まぁ、これも悪くない。

「膝枕って言ったらこれでしょっ!」

 ばん、と目の前に出された物は、細い棒。材質はおそらく竹。一方の端には白いふわふわした物体が付いており、もう一方は、小さなへら状になっている。

 それは見間違えようもなく。

「耳掻きしてあげるっ」

「……何故そうなる」

「膝枕、っていったら耳掻き、でしょ?」

 関連があるようなないような。

 ふと、『膝枕で耳掻きは男の浪漫だ!』と喚きそうな人間の顔がいくつも浮かんで来たので、とりあえずそれに対しては突っ込まないことにした。

 問題は。

「そういうことだから横向いてね」

 耳掻き、しかも他人の。

 それは意外と細かい作業だ。

 それを、この破滅的に不器用な女にやらせて大丈夫なものだろうか。


 約十秒後。

「……もういい」

「なんで?!」

 不安が現実であることを確信し、アルスを止める。

「やりたいのにぃ」

「皇女が、他人の耳掻きなどする必要がない」

 というより、痛いから止めろ。あとむしろ鼓膜が突き破られるのはないかという恐怖感の方が強い。

「むー。でも膝枕はするのー!」

 どういう拘りなのかはよくわからないが、それは悪くないので構わない。

 眠ってしまいそうだが。

「眠るかもしれないぞ」

「いいわよ。疲れてるんでしょ?」

 口調は幾分拗ねているが、珍しく素直だ。

「なんでそこまで仕事する必要があるのよ」

「副宰相になる準備期間だからな。今まで城を空けていた分の埋め合わせがある」

「……でも、構ってくれないと暴れるわよ」

 魔力は落ち着いているが、目が据わっている。

「……お前が暴れると、私の仕事がもっと増える。確実に」

 破壊された箇所の修繕。それにかかる費用の試算、捻出。工事業者の選定。その間の警備の強化。場合によっては代替場所の確保。その他諸々。

 総て私に回ってくるのが目に見える。

「お前が破壊した城の修繕費用が、国家予算のどの程度を占めているか知っているか?」

「えっと……」

 アルスはあからさまに視線を逸らした。

 知らないし知りたくもない、といったところか。

「一度見て反省しろ」

「……はぁい。ってなんでこの体勢でお説教されないといけないのよ」

「事実だ」

「もっと婚約者らしくしてたいのに……」

 俯いてぽつりと呟く様子が、いつになく覇気に欠けていて。

「お前は、何がしたいんだ?」

 思わず、落ちかかってくる金の髪を払って、頬に手を伸べる。

「一緒にいたい」

「それで」

 私の手にアルスの手が重なる。

「そばにいたい。くっついてたい」

 軽く目を閉じて、私の手に頬をすり寄せてくる。

「今は」

「もっと構って欲しいけど、とりあえず満足」

 とりあえず、か。

「何かやりたいのなら、好きにしろ」

「じゃ、耳掻き!」

「それはやめろ」

 何故拘る。

「なら、寝顔観察」

「……一応起きててやる」

「さっき十分見たけどね」

 ……そういえばそうだった。

 厭な予感が。

「何もしていないだろうな」

「まだ、何もしてないわよ」

 まだ?

「お化粧したら似合いそう、って思っただけで」

 意地でも眠らない方がよさそうだ。




 結局、そんな他愛の無い会話をしながら、時間が過ぎた。

 アルスの言う『婚約者らしい過ごし方』に該当するのかどうかは分からないが、満足そうだったからこれで良いのだろう。

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