竜皇女と婚約者 17
(残酷描写があります)
部屋の中に響く、乾いた破裂音。
正面の壁に嵌め込まれた硝子にヒビが入るが、割れるには至らない。
もう一つ残った弾を、再度同じ場所に撃ち込む。
硝子の砕ける音。
しかしそれでも、僅かに穴が開いたに過ぎない。
まだ細かな動きが戻らない指先で、できる限り早く弾を詰め替える。
しかし、ここでの僅かな時間の浪費で、一瞬呆然としていた二人に状況を把握する余裕を与えてしまった。
「効いていなかったか。エデル」
「此処は退却ですね」
二人はそれぞれに黒いコートを翻して、部屋を立ち去っていった。
「間に合わなかったか」
軽く舌打ちして、銃を降ろす。
「……そんな事より、私、ものすごく納得いかないんだけど」
銃の運搬役にされた上に、肩を射撃の際に腕を固定する台代わりにされれば、それも無理は無い。
「気にするな」
まだ、完全に運動機能が回復したわけではないが、とにかくあの二人を追わなくてはならない。
「気にするわよ! 私、本気で悩んだんだからね!?」
「ああ、すまない」
「心がこもってないっ!」
「悪かった」
「本当にそう思ってる?」
確かに、一時的にだが、精神的に相当追い詰めたのは間違いない。
「悪かった」
涙目で見てくるアルスの髪を軽く梳く。
指先まではまだ感覚が戻らないが、それでも、慣れたしなやかな感触に落ち着く。
「……あとでちゃんと、埋め合わせしてもらうんだから」
何をさせられるか想像もつかないが、仕方がないだろう。
アルスは一つ溜息を吐くと、少し真面目な顔になる。
「血、なめたでしょ? 大丈夫?」
確かに、竜の血は、人間を死に至らしめることもある劇薬だ。しかし、それは同時に、最高の妙薬でもある。
「大丈夫だ。却ってそれまでに使われた薬を中和しようと思ったら、あのくらいは必要だったのだろう」
「『だったのだろう』って、確信無しでやってたの!?」
「半信半疑だったが」
媚薬の影響が皆無でなかったとは言い切れないが。
「さっきの短い間に、普段の何十倍くらい、いろいろ考えてすごく悩んだのに……」
ぶつぶつと呟き続けるアルス。
それは普段いかに頭を使っていないか、というだけではないかと言いかけたが、そんなことよりも、今までに見たことの無いような疲労感を滲ませた姿に、この部屋が、アルスにとっては牢獄であることを思い出した。
「お前は、大丈夫なのか?」
「誰のせいよ」
それは、まぁ、私のせいだろうな。
「魔力の調整が、ちょっと難しくて疲れるけど、大丈夫」
立ち上がりかけ、途中で私に声を掛けてきた。
「怪我は? 歩ける?」
「走るのは無理だが、歩くくらいなら」
アルスに支えられ、立ち上がる。
眩暈がしたが、何とかこらえた。
「全然大丈夫じゃないじゃない」
しかしそれも見抜かれ、あきれたような声が聞こえたが、そうのんびりしてもいられない。
「私の服を見かけなかったか」
まずは、持ち物を取り返さなくては。何しろ魔導器がなければ、私はほとんど役に立たない。
アルスに預けていた銃一丁だけでは、流石に不安が残る。
二人に奪われた物があるかどうかも確かめたい。
「向こうの部屋に置いてあったわよ」
割れた硝子の向こう、実験機材が並ぶ部屋への扉は、当然鍵が掛かっているものと思ったが、何故か簡単に開いた。
机の上には、私の上着と、様々な魔導器が几帳面に並べられている。
服から取り出して、検分している途中だったのだろうか。
ざっと見たところ、攻撃系の魔導器に関しては、持ち去られた様子はない。
油断なのか、それとも単に関心が薄いだけなのか、これだけでは判断がつかない。
そういえば、捕らえられてからどれだけの時間が経っているのだろう。
「あれから、どのくらい経っている?」
普段持っている懐中時計を見ると、動いてはいるが、遺跡に入る前とほぼ変わらぬ時間を示している。時計が間違っていないのならば、恐らく。
「もう夜になるわね」
やはり、かなりの時間、囚われていたようだ。
魔導器を装備しなおす隣で、アルスは私が囚われていた間のことを語りだした。
私が階下に落とされた後、アルスたちは赤子とその母親を保護し、一度戻って道中別れてきたヒスイやターコイズ、コクヨウ、更に遅れて遺跡に入ってきた第一特務部やユーマ教授と合流したらしい。
そして、囚われの身であった女たちを保護し、活動不能に追い込んだ魔薬中毒者を捕獲し、特一に遺跡の出口を固めさせ、エセルとエデルの養女であったというシルバの情報と、ユーマ教授の見取り図を元に、特三が遺跡の中に散らばり、魔物の殲滅に当たっているという。
「二人で二層ずつね。で、貴方を探す都合もあるし、下の方が魔法力を使いにくいから、私が最下層に来てるわけ」
だからってお前は単独行動をとるか。
「自ら檻に飛び込んでどうする」
「助けられといて、そういう事言うの?」
そう言われると、反論のしようがないのだが。
「それとも、何? ヒスイやコハクに助けられた方が良かったの?」
いや、できればヒスイに助けられるのは遠慮したい。
まともに会話が成立しているので油断していたが、どうにも一度思考が悪い方に向くと、なかなか戻ってこないらしい。
普段はどうしようもなく脳天気だというのに。
「とりあえず、貴方の安全だけ確保すれば、遺跡の中に残ってるのはあの二人と、特三と魔物だけだから、遺跡が崩壊しようと遠慮はいらないってこと」
……それにしても、その物騒な思考は、どうやっても治らない物なのか。
「でも、何なのあの二人は」
憮然と呟く。
「こんな所でクラウスと契約させてどうしようっていうのよ。ちゃんと準備もしてないし、失敗するのが目に見えてるじゃない」
「ああ」
そんな事は、予想が付くだろうと思ったのだが。
「契約に失敗させるのが目的だったのだろう」
「何で? クラウスが廃人になっちゃうじゃない」
また、さらっと不穏なことを。
「目的は、『赤き記憶者』を得ることだ」
そう言うと、アルスは首を捻った。
「……何で?」
何でと言われてもな。
「人は知識を求める生き物だから、ということになるか」
「その辺の理屈はよくわからないけど、それで何を知りたいの?」
「竜の血に眠る記憶、神代からの知識を手に入れたいのだろう」
竜の血に秘められた、古代からの莫大な知識。
それは確かに、非常に魅力的なものだ。
「知らなくても困らないことも、知らない方がいいことも、いっぱいあるのに」
例えそうであっても、人間は、知識を求めずにいられないものだ。
「あの二人は、竜を超えたかったそうだ」
「『竜を超える』……? またそれ?」
魔薬に侵された眷族が言っていた言葉と重なり、不快感を露にする。
「人間の限界を超えたい、神の領域に近づきたいという野心は、多くのものが少なからず持っているものだ」
だが。あの二人と眷属たちでは、何かが違っていた。何処がと問われれば難しいが。
感覚も、手足の機能も大分戻ってきた。
魔導器を仕舞い終えて、上着を羽織る。
「これからどうするの?」
「二人を追う。此処まで来て簡単に諦めるような相手ではないだろう」
魔導器がほとんど残されているのも、扉の鍵が開いていたのも、きっと、私たちに後を追わせる為なのだろう。
「そうね。あては?」
しかし、五層の見取り図は欠けている部分が多く、構造はよくわからない。
「ないな。怪しいと思う場所を当たっていくしかない」
「そう」
答えは予想していたのか、アルスの表情に変化はない。
「じゃあ、私もやりたいことがあるの。付き合ってもらえる?」
アルスのやりたいこと。
それに思い至り、苦い思いで頷き返した。
仕掛けを解除して扉を開ける。
そこには、巨大な水槽。
その液体の中には、養分を送るためかそれぞれに管をつなげられた、子供くらいの大きさの異形が多数。
「……」
いくつも部屋をまわる内に、口数が少なくなっていくアルスが、酷く冷めた眼でそれを見る。
数百年も前の設備が動いていること自体が驚異だが、所々新しい部品や機材が入っている。
この設備にあわせたものか、それともこの時代から、成長促進に関する技術は停滞したままなのか。
初めて見る魔導器だが、一度要領を掴んでしまえば、目的を達することはそう難しくはない。
この作業も何度目か。
溜息を心の内に留め、装置を動かす。
水槽を満たす液体が抜かれ、中に浮かんでいた異形は、折り重なるように底に崩れる。
苦しげに蠢くそれらを前に、アルスの手に魔力が宿り、水槽を砕き、そして、異形を包み込む。
深紅の魔力に包まれた姿が、消滅するのを見届ける。
その間は、終始無言。
全てが消え去ったことを確認すると、アルスは踵を返した。
「行くわよ」
その声は、今までの任務のときにさえ聞いたことがないほど、硬いものだった。
アルスが何か異変を察知した場所を探していく。
それは、先程のような成長促進の施設であったり、複製をする設備であったりした。
他の階を回っている面々も、それぞれに複雑な思いを抱えて魔物と対峙しているのだろう。
それでも。
人工的に手を加えられている途中のモノは、完全に魔物とは言い切れず、そして何よりも、まだ幼い姿をしている。
それを、滅していくこと。
いかにそれが歪んだ存在であり、世界から排除しなければならないものであったとしても。
実際に手を下していくアルスにとって、どれほどの苦痛を与えるものなのかは、私には想像もつかない。
「……なに? ここ」
扉を開けたアルスが珍しく声を上げる。
部屋の中は、私が捕らえられていた場所に似ている。
扉を開けた場所は、機材が並ぶ部屋。
奥へ続く壁は、厳密には違うのかも知れないが、硝子のような透明なものでできており、隣室の様子が見られるようになっている。
此処に来るまでにも、似たような部屋はいくつかあった。だからこの構造自体は、声を上げるほど珍しいものでもない。
ただ、その部屋が異なるのは、奥の空間に敷布や、上掛けのようなものが見られる所。
しかし、生活感はない。
「誰か、いたの?」
「いや、これから使う予定で用意していたようだな」
機材の間に、整理された書類の束を見ると、火の属性を持つ眷族の資料が並んでいた。
「この部屋、炎の防御に重点を置いてるわね」
「すると、あの子供を連れてくる為の部屋か」
属性は察知できたのか、それでも絶滅したといわれる炎獅子だったのは予想外だったことだろう。
資料の他に、数冊の本が置いてあった。
眷属の生態に関する本のようだが、その中に、手書きの本――日記が入っていた。
署名は、セト・エルネステ。
開くと、三十年以上前の日付から、日記は始まっていた。
婚約者に裏切られた怨嗟。愛する女を傷つけ去っていった正体不明の男への復讐心。己の無力さへの嘆き。学者としての好奇心。
心情の吐露はすぐに終わり、詳細な観察記になる。
細かな字で綴られたそれは、数年間詳細に書かれた後、ふと途切れ。
やたらと間を置いて、ぽつぽつと書かれた内容は父親が娘を見つめる物へと変わる。
「これ……」
横から覗き込んでいたアルスが呟く。
「持っていくが、異存はないな?」
「……ちゃんと、返すなら」
渋々と頷くアルスに頷き返し、コートの中にしまう。
「何がどれだけ入るのその服は」
何か呟いているが、獣に姿を変える時に魔力で服が消し飛ぶからと、服の中に着替え一式を仕込んでいるお前達に言われたくはない。
「しかし、これで大方の部屋は回ったな」
「そうね。どこか見落としてるのかしら」
ここまでの道筋を書き加えた見取り図を広げる。
目測が大きく間違っていなければ、機材の背面の壁が異様に厚い他は、概ね空間は埋まっている。
特に大きな機材のあった場所を繋いでいく。
「何してるの?」
「これだけの機材を動かす動力源が、何処かにあるはずだ」
魔導器である以上、何らかの魔力を動力としている。
これだけの施設を動かすとなれば、それなりに大掛かりなものになるだろう。
何処から魔力を供給しているのかも気になる。
「動力源?」
「あの二人が何を用意して待っているつもりか知らないが、私同様、魔導器の力を借りなければ大した事はできない。ならば、大掛かりな仕掛けほど、動力源に近い場所で作業する必要があるはずだ」
比較的効率の良い動力の供給路を予想し、通路を進んで行くと、壁に行き当たった。
見取り図を見返すと、他の面も壁に囲まれているが、王宮の部屋には至らないものの、学生の宿舎の一室以上の広さがあるはずだ。
「壁、壊すしかないわね」
「何かしら、入り口のようなものはあるはずだが」
直ぐに物を壊そうとする思考は、どうにかならないものだろうか。
周囲の通路を含め、壁を調べる。
仕掛けらしいものはない。
この面からでは入れないのか。
「やっぱり壊した方が早いと思うのよ」
移動しようと言いかけると、アルスに促された。
壁は魔法術を弾く。
少なくとも、壁面に穴を穿つのは、物理的な方法が必要となる。
「……止むを得ない、か」
銃を取り出し、壁に向かって構える。
今日一日で、今までにないほど銃を使っている。予備の銃弾はまだいくらかあるが、やや心許なくなってきた。
銃を構え、壁に撃ち込む。
僅かに開いた穴を元に、アルスが魔法術で人が通れるだけの大きさに広げる。
先程から、ずっと魔力を使っているが、疲れはないのだろうか。
「お前は、大丈夫か?」
「え、何が?」
「魔力が使いにくいのだろう?」
ああ、と頷く顔からは、疲労感は薄れていた。
「感覚つかんだし、かえって簡単に暴走しない分、やりやすいかもしれないわね」
杞憂であったらしい。それならばいいのだが。
壁に開いた穴の先は闇。
僅かにこちらから射した光で、管のようなものが見える。
そして、僅かに不快感をもたらす風が吹き上げてきた。
「この下、かしらねぇ」
覗き込んでも底は見えない。
「どうする?」
「下りられそうな梯子か何かは」
私よりも暗がりを見通せるはずのアルスに問う。
「あることはあるけど、向こうの壁ね。魔法術使えば、落ちる速さは調整できるけど」
……向こうの壁に渡って梯子を使うという発想はないのか、それとも暗に却下されたのか。
「わかった、任せる」
確証はないが、恐らくこの先にあの二人が待ち構えているという確信を持って。




