竜皇女と婚約者 14
(残酷描写があります)
石造りの通路に、カツカツと靴音が響く。
足音を忍ばせようとすれば、完璧にこなすはず。だからこれは、わざとなのだろう。
恐らく、というよりも確実に、非常に機嫌が悪い。
理由は、聞くまでも無い気がするが、思い当たるものがあまりにも多すぎて、却ってわからない。
コハクも、いつも以上に無口で表情も堅い。
それでも、静かな怒りがひしひしと伝わってくる。
私はと言うと、ここまでに垣間見えたエセルとエデル――魔技術師の行いと、アルスたちによって眷属たちが裁かれる様に、この先どうするべきか、迷っていた。
人間の裁きは、法の下に、国家をはじめとする権力によって裁かれ、刑を科せられる。
極刑は、死。
例え、生よりも死のほうが安楽であろうと、法の下で最高の刑は「死」である。
対して、眷属達は、それがどんな罪でも、各部族によって内々に処分がなされる。
今回の様に、魔物――世界、竜帝への反逆者を出したと言うほどの事になれば、裁くのは竜帝だが、それでも実際に刑を執行するのは各部族。
通常の犯罪であれば、被害者が加害者を裁くか、もしくは、部族の上層部が裁き、処罰する。
極刑は……言い方は悪いが、生殺し。殺さずに、死を渇望したくなるほどの残酷な生を続けさせる。
人間から見れば、それは私刑に近いが、それで、彼らは満足しているし、うまく機能している。
問題は、魔技術師が眷属を利用した今回の様な場合。
眷属たちにしてみれば、自分達で、眷属の誇りを汚した人間を裁き、罰したいはずだ。
それは、アルスも変わらないだろう。
しかし、眷属と人間の間、正確にいうなら竜であるリュドラ皇家には、不文律がある。
『眷属は竜の名によって裁かれ、眷属によって罰せられる。人間は法によって裁かれ、法の下に罰せられる』
つまり、加害者が人間である場合、眷属たちがどれほど報復を望んでも、その裁きは人間の法によって行われる。それは、皇帝でも、竜であるアルスであっても変えられない。
そして、リュドラスにおいて、人間の最高位、法の最高の執行者は宰相。私はその次席。この場においては、全権を委ねられている。
つまり、アルス達にもある程度納得ができるように、裁きに手心を加えることも不可能ではない。
加えて、エセルとエデルに対しては、ジュロンの当主の代行者として、反逆者への制裁もある。これは、どのような罰を与えるかも含め、完全に私に一任されている。
どれを優先すべきか。
もちろん、その答えは見えているのだが、今一歩、迷いが断ち切れない。
私は、どう動くべきだろうか。
「……聞こえる?」
何かに気が付いた様に、アルスが不意に立ち止まった。
コハクも耳を澄まし、頷く。
「はい。確かに」
私には、何も聞こえない。
「何が聞こえる?」
「赤ちゃんの、泣き声。方向は、こっち」
見取り図を広げる。
方向がそれなら、その方向の部屋に向かうには……。
と。
赤い光が、視界をよぎった。
「な!?」
光は、私の体の寸前で見えない何かに反射し、さらに、通路の壁に反射しながら霧散していった。
「……これじゃダメか」
壁に向かって、更に魔法をぶつけようとするアルス。
「待て。この壁が魔法を反射するのはわかってるだろう。何をしている?」
防御系の魔法術で保護されていたとはいえ、今のは、あまりにも洒落にならない規模だった。
「急ぐの!」
「落ち着け。魔法で崩しても、ここはもう三層だ。上にも影響が出る。建物自体が崩れたらどうする」
今までにない剣幕で、尚も壁を壊そうとするアルスを制しながら、見取り図を確かめる。
「遠回りですね」
覗き込んできた、コハクが呟く。
「先ほどの部屋の床は、魔法術で変形させることが出来ました。基本的には魔法術を反射しますが、完全に無効ではありません」
アルスとは正反対に、異様な程落ち着き払ったコハクが私を見る。
その、あまりに冷えた瞳が、普段見ている少女をまるで別人に感じさせる。
「壁に穴さえあれば、それを広げることは可能だと思うのです」
それはつまり。
「何を急いでるのかは知らないが、この壁の向こうに、生物は?」
「おりません。仮にいたとしても魔物です。それに、よほど当たり所が悪くなければ、人間であっても、そう簡単には死なないのではありませんか?」
「わかった」
反論を許さない気迫に、懐から銃を取り出す。
壁の建材の継ぎ目に焦点を定める。
引き金を引くと、乾いた銃声が通路に反射した。
「貫通は、しているな?」
「充分です」
壁に開いた小さな銃弾の跡の傍に、コハクは手を付く。
ミルラぐらい自在に火薬を扱えるなら、もう少し行動の幅が広がるのだが。
銃弾を詰め直しながら、自分の無力さを思う。
コハクの魔力で壁が変形し、人が通れるくらいの穴が開く。
「急ぐわよ」
二人が何を焦っているのか、それを尋ねる暇もないまま、数枚の壁に銃弾を打ち込み、魔力でそれを変形させ、無理矢理通路を作っていく。
そのうちに、赤子の泣き声が私の耳にも聞こえた。
火のついた、というような泣き方。
「これで最後。何か置いてあるみたいだから、この辺狙って」
アルスの指示通りの場所を狙って、銃弾を打ち込み、素早く新しい弾を込める。
壁越しに僅かに聞こえた声は、間違いなく、数年振りに聞く物だったから。
「暫く会わないうちに、暴力的になったものですね」
皮肉気に笑って声を掛けてきたのは、片眼鏡を掛けた魔技術師。服は、リュドラス魔技術学院の物に近く、卒業生たちがよく着ているものだ。
「その子を放しなさい」
男の手には籠があり、その中から、赤子が泣き叫ぶ声が聞こえる。
「皇女殿下にはご機嫌麗しう。お二人には、ご婚約おめでとうございます」
「機嫌が麗しいわけ無いでしょう。その子を渡しなさい!」
魔導器が、覚えの無い魔力を伝えてくる。アルスの力の陰に隠れているが、コハクよりも若干強い。この場にいるのは、男と、私達三人、赤子、それに。
「か……かえし、て……」
男の足元に縋り付く、髪も衣服も乱した女。
これは人間。そして、恐らく、あの子供の母親。
眷属の父と人間の母を持ち、少ない確率を潜り抜けて産まれて来る子供は、一様に能力が高い。自身の生存本能から、母体が死なないように魔力の調整ができる程の能力がある者だけが、誕生まで生き残れるからだ、と言われている。
それでも、出産は母親の命と引き換えになる事が多い。
「おや、新顔ですか」
男は、コハクに目を留めて言った。
「素晴らしい能力ですね。それでも」
籠の中に、視線を転じる。
「この子には、劣りますか。純血の女王のヒスイも」
自分が生まれた後もなお、少なくとも一定期間は母を生き延びさせることが出来るのは。
「その子は、先祖返りなのですね」
コハクが一歩進み出る。
「魔法生物にしては、賢いですね。感心な事です」
教え子が鋭い質問をしてきたのを喜ぶような、微笑。それに、微かな違和感を感じた。
「やっと、手に入れた先祖返りです。それでも、本格的に着手して三年程度で手にできたのならば、運が良かったといえるでしょうね」
「その子をどうする気、エデル!」
いや、違う。
食って掛かろうとするアルス。それを軽く制する。
「何故、貴方がそんな格好をしているのですか。エセル」
「え?」
「……よくわかったな。さすがは『リセルスト』か」
その微笑は、私がジュロンになったばかりの頃、秘書官の先輩としてリュドラスの政務を教えてくれた時の物と変わらない。
やはり。では、エデルはどこで何をしている?
「クラウス。だが、私が魔技術師の服を着ていることが不思議か?」
「……いえ」
エセルも、リュドラス魔技術学院の専門課程を卒業している。専門は、確か遺跡構造学。私よりも一〇歳は年上だから、学問から離れて久しい筈だが。
「この遺跡を蘇らせたのは貴方ですか。政治家に転向しても、その腕は落ちていなかったようですね」
「君も、五年間も政務を離れていたとは思えない手腕だ。もう少し時間が掛かるかと思ったのだが、これなら、もう少し準備に念を入れておくべきだったな」
まるで、子供が泣いていることなど耳に入らないような、飄々とした態度に、腰に帯びた剣に手を掛け、コハクが一歩進み出る。
「その子をどうする気です」
「さぁ」
エセルは軽く肩を竦めて見せた。
「何をふざけた事を!」
「魔法生物の『加工』は、私の管轄ではないからな」
「加工、ですって?」
アルスの声にも怯む素振りさえないのは、流石は過去の宰相第一候補と言った所か。
「『合成』と言おうと『強化』と言い換えようと、本来ある姿を人工的に変える事に変わりはない」
「あの異形たちは、エデルが合成したのですか?」
「ああ。出迎えに出したのは気に入ったかな? 君の為に、爬虫類を主に選んだのだけれど」
やはり嫌がらせだったのか。
「やはり混血では、能力が低い。それでも、合成すれば、かなり使えるようになる」
「頑丈さだけです。魔法はまるで使えない」
「それでも十分だよ。かつて、まだ魔法生物が弱体化する前のものを合成すれば、それは確かに、魔法生物にとっても脅威になっただろう」
「とにかく、その子供を離しなさい! 貴方にその子供が育てられるのですか!」
泣き喚く子供に構わず、話を続ける私達に業を煮やしたのか、コハクが進み出る。
「ああ。あまりに力の強い魔法生物、特に先祖返りは、与えるものが違うらしいな」
流石にやかましく感じたのか、足元の女の襟を掴んで立ち上がらせた。
女が、籠の中の赤ん坊を抱き上げる。
真紅の髪は、火の属性。
目を凝らす。初めて見る種族だ。
「うそ……炎獅子!?」
アルスが驚きの声をあげた。
炎獅子。確か、非常に好戦的で、それ故にもはや集落もなく、絶えたと言われる種族だ。
それは、地虎であるコハクにも言えることだが。
「いいこね……」
いくら何でも、この状況で乳を含ませるのはどうなんだ。
視線を逸らすついでに、部屋の中の物をざっと見渡すが、合成や成長促進に関わりそうな魔導器は見あたらない。極めて普通の医療機器と、盥や大量の布。察するに、産屋や医務室のような場所なのだろう。
「いたっ!」
小さな悲鳴に振り返ると、女が胸元を抑えていた。
指の隙間から、赤い筋が流れている。それと、赤子の口元からも。
「なんで……わたしの、あかちゃん……」
女は呆然と赤子を抱き上げ、口元に覗く牙を見つける。
「……こん、な……」
そして、瞼を開いた赤子の瞳は、鮮血のような赤。
「ひぃぃ!」
その異様さに、女は赤子を床に叩き付ける。
……否。床に叩き付けられる直前で、アルスが魔法術で阻止した。
結果として、再度エセルの手中に渡すことになってしまったが、女は、怯えて、うわ言の様に呟き続けている。
「ば、ばけもの……、あんなの、わたしの、こどもじゃない。わたしのこどもを、わたしのあのこをかえしてぇ!!」
赤子をまた籠に入れるエセルに縋り付くが、振り払われ、こちらに倒れてきた。
「おねがい……あのこを、かえして……」
手近にいたコハクに縋り付く。
しかし。
意外にも、コハクは冷淡に女を振り払い、エセルに向かって歩み寄った。
「その子を、渡しなさい」
「先祖返りは、人間の母親の乳だけでは育たないらしいな。魔法力のあるものを与える必要があるとか。人間を母として産まれた者は、母乳のほかに生き血も飲んで、生命力を微弱な魔法力に変換するらしい。産まれなくても母を殺し、産まれてきても母を喰らい尽くす。まったく、先祖返りというのは罪深い存在だ」
……それを、先祖返りであるアルスの前で言うのか。
しかも、アルスの母、皇后は、出産後体調を崩しがちになり、アルスが幼い頃に亡くなっている。それは、周知の事だ。
アルスが一歩、足を進める。
「……喧嘩を売られてると、思っていいかしらね」
「御随意に」
エセルは底の見えない微笑を浮かべる。
アルス――竜は、人間から危害を加えられない限り、自分からは人間に手を下せないのを知っているから出来る事だ。
緊張感を孕んだまま、これ以上進めば、間違いなく瞬時に手を出してしまうために、アルスとエセルの距離は縮まらない。
「それを、どこで知りました?」
その代わり、珍しいことに、コハクが食って掛かっていった。
「何?」
「先祖返りの眷属の育て方を、何で知ったのかと聞いています」
「そんなものを聞いてどうする」
「答えなさい」
静かに、コハクがすらりと剣を抜いた。
今まで何度も目にしてきた剣だが、大抵は抜刀してから鞘に納めるまでが瞬きの間なので、しみじみと見るのは初めてだ。どういう金属なのかわからないが、黄金の刀身には、びっしりと古代語らしきものが彫り込まれている。
これは……。
「それは神代の?」
エセルは片眼鏡を直し、しみじみとみつめる。
作りは神の時代の剣に似せてあるが、そこまでは古くない。それでも数百年は経っているだろう。
「複製か。それでもかなりの魔力が込められているな。その剣で魔力を増幅するのか?」
確かに、感知できる魔力に変化が生じた。コハクの魔力が上がっている。それに、その剣の魔力だろうか、何か異質なものが混じっている。
エセルは、赤子を入れた籠を抱え上げ、一方の手で、手術用の小刀を構えた。
「魔法生物用の物だから、傷は確実に付く。この子供を害されたくなければ、剣を捨てろ。ついでに言って置くが、この部屋で魔法術を使えば、壁に反射して、思わぬ被害をもたらす事になるぞ」
コハクは逡巡し、アルスを見る。
そして、アルスが頷くのを確認すると剣を手放し、それと同時に、上着に手を掛けた。
コハクを包む、黄金の眩い光。
それが収まると、そこには、神々しいまでの気品と、威圧感に満ちた、黄金と漆黒の毛並みの虎が、静かに降り立っていた。
魔導器が感知する魔力は、通常を遥かに超えている。
恐らく、ヒスイをも上回るだろう。
つまり、あの剣が帯びていたのは、力を増幅する為ではなく、抑制する為の魔法術。
剣を抜いたのは、怒りで変化しそうになったのを抑える為。
「……コハク『も』なのよ」
ぽつりと、アルスが小さく呟いた。
「これは素晴らしい。先祖返りが三匹も揃うとは」
『答えなさい』
虎は、凛とした声で言った。
『眷属の育て方は、何から知ったのです』
いつでも跳びかかれるように、脚には、ばねを溜めている。
「私は専門ではないと言った筈だがね」
エセルは、やれやれといった風情で、答えた。
「三〇年程前の魔技術師の日記だ。偶にいる、魔法力が微弱なために、魔技術に転向した者らしいな。研究している間に、婚約者を寝取られたらしい。その報復として、生まれる子供を実験に使うため、気の触れた元婚約者を引き取ったと書いてあったな」
『……』
虎になったコハクからは、表情は読み取れない。
「子供は産まれたらしいが、乳児期以降は、読むべき所の無い代物だったな。生まれた子供に情を持ってしまったらしい。まったく、研究者としては失格だ」
『名は』
鋭い眼差しで、エセルを見つめている。
「署名は、確かセト・エルネステだったか」
『……それがわかれば十分です』
まさか?
――私を育てて下さった方は、魔法術師で魔技術師でしたので。
――私でしたらお気遣い無く。外見はこの通りですが、クラウス様よりも長く生きております。
『その子は、渡しません』
瞬間、虎が跳躍する。
狙いは、エセルの持つ籠。
だが、あろうことか、エセルは籠を放り投げた。
そして、こんな状況だというのに、笑う。
「好きにするといい。こちらも、必要なモノが手に入ったからな」
異変に気づいた時には既に遅く、私の足元の床が消えていた。
同時に、エセルの姿も。
泣き叫ぶ赤子に気を取られた二人は、反応が遅れ。
「クラウス!」
視界が暗転する中、アルスの声が、遠く、くぐもって聞こえた。




