A-05話 終点
「俺の力は、腐った世界を直す編集者だ」
鶴喰が指を動かした、その瞬きの一瞬。
息もつかないほどにわずかな時間で、エルフの手から雷で創られた剣が、姿を消した。
(消えた!?
いやっ……!
これは消滅ではないっ
まさか……盗まれたのか!?)
目をやった鶴喰の手に、雷で創られた剣が宿っていた。
いや、正確には、それはエルフが創った剣よりも、何倍も、目を疑うほどに、大きかった。
剣の柄からは、階段の方に通じる電気の筋があり、青白く光ったその剣が、鶴喰とエルフの間にそびえ立つ圧倒的な「壁」を無慈悲に照らしていた。
もちろんその「壁」は現実には存在しない。
しない、けれども、けれども……
全力のエルフと、それを遥かに超えた鶴喰の構造。
これが、先程までのエルフと鶴喰の壁を、想像を絶するほどにはるかに超えて、エルフの心に一切の歪のない「壁」を生み出していた。
照らされたエルフの顔は、唇は豆腐のようにプルプルと震え、髪はもやしのようにだらしなく垂れ、交感神経によってひどく開いていた瞳孔は、太陽が消えたみたいな絶望の影響下にあるようだった。
渾身の攻撃を無傷に防がれ、さらにその攻撃以上の魔法を相手が使っている。
それは、エルフにとって、走馬灯を見るほどに絶望的なものだった。
「せ…正義……俺は………妹を助けるため…に……」
エルフの頭はパニックに囚われていた。
「勝たないと…いけないのに……」
きっとどこかで自分は、選ばれた存在なのだと、思っていた。
「でも……」
妹を誘拐されてから、死に物狂いで鍛錬に励んだ。
「この状況を……どう…やって……」
それは実を結び、片足が不自由ながら、史上初の四属性魔法使いとして、王国最高魔法使いへと成り上がった。
「もう策はない……絶対に……勝て……ない……?」
だが、成り上がった時には、妹を誘拐されてから20年が経っていた。
鶴喰が振り下ろした剣が、エルフを襲った。
電気が絶え間なく骨の髄まで渡り、世界が終わるんじゃないかと思えるほどに壮絶な痛みが彼を覆った。
『もう生きちゃいないさ』
誰かが言った、誰もが思っていた言葉。
遠ざけていたその仮説を、はっきりと耳にしたその時から、彼は手段を選ばなくなった。
『正義とは、絶対だ。』
それを口癖に、
王国最高魔法使いという特権を活かして、
若い魔法使いを何人も使い潰して、
無関係な市民を巻き込んで、
冤罪を大量に出し、
部下を自殺に追い込んで、
それでも彼は足が不自由なのを言い訳にして王宮から出ることはほとんどなかった。
気が付けば、彼は孤立していた。
正義を身勝手に振りかざし、正義の悪魔と恐れられながら、部下に刺されて死んだのだ。
(あぁ……絶対というのは……正義というのは……こんなにも怖いものだったのか……その明かりが強ければ……影もまた濃い……)
渾身の攻撃を無傷に防がれ、さらにその攻撃以上の魔法を相手が使っている。
それは確かに、エルフにとって、過去を走馬灯を見るほどに絶望的なものだった。
だが、
(……少しだけ、俺を刺したあの部下の気持ちも……わかった気がする……)
エルフは知った。
自分は思ったより強いエルフではなかったと。
鶴喰の一撃を喰らい倒れ伏したエルフには……
新たな正義を目にしたエルフには、
とても、
醜い美しさがあった。
「指定」
鶴喰が小さく呟いた。
その途端、床のコンクリートが液体のように動き出し、エルフの体に被さると、今度はコンクリートが元の硬さを取り戻し、エルフの体をガチリと拘束した。
「さて、エルフ。実を言えば俺に心を読む力など無い。痛みが嫌じゃねぇなら、お前の知っている全ての知識、吐いてもらおうか」
鶴喰は拷問を仕掛けた。
しかし、抵抗の「て」の字も見つからないどころか、むしろ清々しい趣でエルフは答えた。
「……君は強い。私は弱かった。全て正直に答えよう」
鶴喰はエルフのそんな反応を見ると、妙なやりづらさを感じて、壁を背もたれにして床に腰を落ち着かせた。
「まずは、貴様のいた世界の魔法についてだ」
「そうだな、魔法というのはそもそも……」
*** 数時間後 ***
気が付くと雲は空からなくなっていた。
『鶴喰様の勝利条件達成を確認しました。
一件の異能所持者の殺害を確認――
これにより鶴喰様には、異能『錬金術師』が使用可能となりました。
"神の間"へと転移いたします』
風のように唐突に、数字の10が目の前に浮かび上がった。この荒廃都市に連れてこられた時と同じように、その数字は9へと変化する。入学して暫くが経って新生活が無感情に身にしみてきた生徒の目、とでも形容すべきか……転移のカウントダウンを、鶴喰はそんな目で眺めていた。