Chapter:99 「書けるわけないじゃないの!」
翌日、博希が目覚めるのは遅かった。
冷蔵庫の業者はとっくに来ていて、どうやら修理のみでカタがつきそうだということだった。
「悪いな、茜。業者の相手してくれたんだろ」
「ううん、気にしないで。それよりお父さんとお母さんのことなんだけど」
「ああ……」
冷蔵庫は直るという話だったが、父親も母親も部屋から出てはこなかった。
意地の張り合いが続いている。博希は茶の間に行くと、茜が入れてくれた茶をぐいっとあけた。
「…………」
無意識にカレンダーを見る。
ある日に、二重丸がつけられていた。
「……?」
この日が何の日だったか、博希にはすぐに見当がつかなかった。
ただ覚えているのは、この日は、自分たちが旅をして、リテアルフィに喧嘩を売られ、猛暑があって、……冷蔵庫が壊れたため両親が喧嘩したと茜が……
博希は茜に、この日は何の日だ、と聞いてみた。
「お母さんの誕生日で、お父さんとお母さんの結婚記念日」
「え? あっ、そっか……」
そうして去年までのことに思いをはせる。
確か毎年、豪華な寿司と刺身が食卓に並び、みんな大喜びで、……
「そうかっ!」
博希は湯呑をだんっ! とテーブルに叩きつけると、茜にざっと事情を説明し、ふたりで母親の部屋に走った。
「母ちゃん」
「何か用?」
「ロクにメシ食わねぇからそんなツラになっちまって。どこまで意地はりゃ気がすむんだよ?」
「放っといて。どうせこの家、明日には出て行くんだから」
「お母さんっ!」
「そこまで言うならそれだけの覚悟はできてんだろうな? もう離婚届け書いたのかよ!?」
「…………」
母親はふいに黙った。
「お母さん?」
茜は母親の顔をのぞきこんだ。
「書けるわけないじゃないの! わたしには書けないわよっ!」
「……やっぱりな」
博希はため息をついた。
ここんとこ自分的に精神がふらついてて、
ちゃんとモノ考えられなかったけど、冷静に考えりゃ、
父ちゃんや、まして母ちゃんが、離婚届けなんか書けるワケないんだ。
ダテに十六年もこの夫婦の息子として生きてきたわけじゃない。
母ちゃんなんか実家に帰った日にゃ、
じっちゃんから追ん出しくらうに決まってる。
博希が茜にそっとそうささやくと、茜は「そういえばそうだよね」と苦笑した。そういう夫婦なのである。母親は黙ったまま、うつむいた。
「ホントは父ちゃんと仲直りしたいんじゃねェのか。このままだと、家ン中バラバラなんだよ。店だって開けねぇし」
「あのねえ、お母さん。頭にきちゃったお父さんも悪いけど、お母さんが勘違いしたのも、原因なのよ?」
「勘違い……?」
「父ちゃんが落ち込んだままなの、理由も考えないで腹立てたろ。ちゃんと父ちゃんは父ちゃんなりの理由があったんだ」
「理由……」
「ケンカした日、お母さんの誕生日だったよね。お父さんとお母さんの結婚記念日でもあったよね」
「……あ……」
「……まさか忘れてた?」
母親は恥ずかしそうに頭を垂れる。
「ホントに忘れてたらしい」
博希が言うと、茜はちょっと首をすくめて、言った。
「毎年、この日には、お魚を余計に仕入れて、店で出す分とうちで食べる分と分けてたでしょ」
「だけど今年は暑さで冷蔵庫がぶっ壊れて、魚が全部ダメになった。もちろん市場はもうガラ空き」
「多分ね、お店休みにしてでも、お祝いのお魚だけは手に入れようと思ったはずなの。でもそれさえ手に入らなかった……」
「だから父ちゃんはホントに落ち込んだ。これ以上ないくらいに落ち込んだ」
「それで、お母さんが励ましても、ダメだったの。お母さんにお魚、食べさせてあげられないって」
母親は少し目を潤ませて、うつむいた。
「これで解ったろ。仲直りしろよ、いい加減」
「…………」
「あとはお父さんとお母さんの問題だよね?」
「そうだな。俺たちは出てくか。……ちゃんと仲直り、しろよ」
博希と茜はふすまを閉めた。
「俺、もっぺん寝るわ、明日のために」
博希は部屋に戻って、もう一度、布団にもぐった。




