Chapter:79 「それが余計に火に油だったみたいで……」
博希の家は三代続く寿司屋である。
いつもなら昼間でも店に暖簾がかかっているものだが、きょうに限ってはそれがなかった。
「店、休みの日だったか?」
「違う。それがね、……」
茜の話によると、突然の暑さで店の冷蔵庫がぶち壊れたらしい。
仕入れた魚はだめになり、店が開けられなくなってしまった。
「お父さんが、それでだいぶ参っちゃって。お母さんは励ましたんだけど、それが余計に火に油だったみたいで……」
「父ちゃんにしちゃ、珍しいな」
博希は両親の性格を熟知しているつもりである。
そんなことで参ってしまったり、喧嘩に発展するほど深刻な事態になるふたりではないはずなのだが……
しかも年季の入った冷蔵庫だ、壊れるのは一回や二回の話ではない。
だが父と母が喧嘩したのはこれが初めてではないか……と、博希は思う。
博希が家の中に入ると、父と母はそれぞれの部屋でぶすくれていた。
「……こりゃきょうは店開けらんねぇな」
どのみち冷蔵庫が壊れている以上、直らないことには休業を続けるしかない。
字のうまい茜に頼み、半紙に【都合により休みます】と書かせると、博希は店の表にぱあんと貼って布団に潜り込んだ。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だ。当分もうあんなに暑くなるこたぁねえから、心配はいらねぇよ」
大丈夫。世界も、両親の仲も。きっと。
まだ、身体は少し痛んでいた。
博希の家は何度目かの夜が明けても冷戦が続いていた。
何度か博希や茜がとりなしてみたが、状態はよくならないままだった。
それでもともかく、夏休みは通常通り平和にやってきた。
数日後に特別講義を控えているから、その前にある程度旅をしておきましょう、というのが出流の考えだった。
「今度はオレンジファイだったっけ」
「ですよ。リテアルフィはそこの総統ですからね、まずどこか村を訪ねることにしましょう」
温室の前で、五月と出流はワイワイと話をしていたが、博希の気はやはり晴れなかった。
今朝の朝食の席にも、両親は姿を見せなかった。
博希は茜に『心配することはない』と言ったが、両親のことを誰よりも心配しているのは他ならぬ自分であったことに、彼はぼんやりと気がついた。
「博希サン」
「えっ!? ……ああ」
「ウワの空ですね。帰った方がよろしいのでは」
「バカ言え、お前たちだけコスポルーダにやれるわけないだろ!」
「だけどお」
「大丈夫だって。行こうぜ」
「うん、わかった。ホールディアっ!」
五月が元気よく唱えると、温室の片隅に“ほころび”が生まれた。
居室内で、スカフィードは三人から、かわるがわる、アイルッシュで起こったこと、博希の身に起こったことを聞いて、ふむふむとうなずいていた。
緑色のどろどろとした甘酸っぱい飲み物を口にしながら、出流がぎり、と唇を噛む。
「リテアルフィの強さは並ではありません、今までの幹部の比ではない」
「強い……という話は聞いたことがあったが、まさかそこまでとは……、それにしても気になるのがリオールのことなのだが、博希」
「あ?」
「お前、他になにか聞きはしなかったのか。彼女から」
「いや、別に」
あの小屋であったことの半分も、博希はスカフィードにも話さなかった。
なぜか、自分の心の中にだけとっておきたかったのだ。
「それより、早くオレンジファイに行こうぜ。リテアルフィのヤローにこぶしひとつくらい返してやんねェと、気がすまん」
「ではフォルシーを呼ぼうか?」
「そうしていただけるとありがたいですね」




