Chapter:52 「――【花】となるのが、早まっただけ――」
ホワイトキャッスルに、深い闇の色が下りていた。
【万里の水鏡】を見下ろしていたレドルアビデは、映像を消し、そばにいた影につぶやく。
「スイフルセント……やはり、倒れたか」
「…………」
影――デストダは頭を下げたまま、レドルアビデの言葉を待つ。
「今から急ぎ、イエローサンダヘ飛べ」
「イエローサンダヘ?」
「スイフルセントの砂を集めてくるのだ」
「スイフルセント様の……」
「取りこぼしは許さぬ」
「ははっ!」
デストダが飛びさった後、黒い翼の支配者――レドルアビデは、【エヴィーアの花】の葉の上を、その長い爪で、つつうっ……と撫で、言った。
「実戦に役立たぬ者は、使い走らすまでよ」
牙が、鈍い光を放った。【エヴィーアの花】が、わずかに、震えた。
朝になって村に戻った博希たちを待っていたのは、村人たちの喝采の言葉と、宿の娘が結婚するという喜びの知らせだった。
「ありがとうございました、勇士様」
「勇士様がお帰りになったぞっ」
「詳しいお話は彼から聞きました。勇士様、本当にありがとうございます……」
もみくちゃになりながら、博希は「いやあ」と照れてみせる。
だが彼は、もっと、自分は――別のことが言いたかったはずだよな、と、考えていた。
しかし、二人の幸せそうな空気に当てられ、そんなことは頭の片隅どころかどこかへ消えてしまっていた。
「それで……勇士様がたにも、ぜひ、結婚式に参列していただきたいのです」
「ええ? 俺たちも?」
「お三人様には感謝してもしきれません。ぜひぜひ」
そういうわけで、三人の滞在期間は、すこし、延びることになった。
パチリ。
レドルアビデは、自分の手が、少しだけ、そんな音を立てるのを聞いた。
「やはりまだ、【覚醒】は確かでないらしい」
指先が、微妙に、ブロックのように崩れる。
目を閉じて、暗闇の中を見つめる。
精神統一――――やがて、指は、元に戻る。
「レドルアビデ様」
「デストダか」
「スイフルセント様の砂、持って参りました」
下がっていろ――それだけを告げると、レドルアビデは、スイフルセントの砂を受けとった。
これで、二人。
二人分の砂さえあれば、少しは、しのげるだろうか。
いや、
しのがなくてはならない。
【その日】が、来るまで――――。
「本当は、」
もっと別の道に使わなくてはならぬもの――だが、応急処置だ。
レドルアビデは、デストダの持ってきたビンに、手をかざした。が、そうしてすぐに、彼は、一つの異変に気がついた。
「なぜだ」
冷静にそう、つぶやいてみるが、彼一人で、答えが出るわけがない。
「デストダ!」
「はっ――」
デストダがすぐに飛んでくる。
「――砂は、残らず集めたのか」
「は……?」
「取りこぼしなく集めたのかと聞いている」
「はっ、確かに、集めましてございます」
「たわけ!」
「え!?」
「この砂――足りぬわ」
「足りない……!?」
「そう――ヴォルシガのものも、スイフルセントのものも、二つとも、一握りずつ足りぬ。どこかでこぼしたとか、そういうことはないのか」
「ありませぬ」
「ならばなぜ足りぬ!? ……捜し出せ。これは密命だ、ヴォルシガの砂とスイフルセントの砂を、何としてでも捜し出せ!」
「ははっ!」
――デストダの気配が、扉の向こうから消えてのち、レドルアビデは自らの手を見た。
まただ。
手が、ブロックのように――狂う、くるう、クル……ウ。
そしてふと、【エヴィーアの花】に、目をやった。
「………………」
歩み寄る。
「少し――もらう、ぞ」
そう言うと、まだ、マスカレッタとして残っている、彼女の首筋に――
――口づけた。
【マスカレッタ】、否、【エヴィーアの花】が、
ぶるり――と、震えた。
数秒の後、レドルアビデの手は、狂いから回復した。
「案ずる、な、少し――【花】となるのが、早まっただけ――」
笑い、その部屋から、彼は出ていった。
【マスカレッタ】の瞳から――涙が、すうっと、こぼれた。




