死亡フラグは立ちません
野戦病院での一コマ
青年が少女にプロポーズする話
「君ってきれいな手をしてるな」
「……離してください。治療が出来ません」
「ええ~、いいじゃん。減るもんでもあるまいし」
「現在進行形であなたの血が減っているのですが。出血多量で死にますか?」
「ごめんなさい」
ぱっと手を離すと何事もなかったように治療を再開する。そっけいない態度とは裏腹に薬を塗り、包帯を巻いていく手は丁寧で慈愛に満ち満ちている。
その手を見つめながら青年は減らず口を叩いた。
「あのさ。この戦争が終わったら、俺と結婚しない?」
「ここでプロポーズをされたのは七回目です」
「え!? めっちゃされてんじゃん!! え? 七回目? 前の六人はどうなったの?」
「察してください」
「……まじかー。フラグ立ちまくりじゃん。ヤベェ、俺もフラグ立てちゃった」
そう言って笑う青年に少女は呆れた表情を向けた。
「元気なことは大変よろしいのですが、静かにしてください。ここは談話室でもカフェテラスでもないんですよ」
「可愛い女の子を見たら口説くっていうのが俺の信条なんで。いくら君の頼みでも聞けないな」
少女の手が一瞬止まる。ほんのりと色づく頬に青年は緩んでいた顔を更ににやけさせた。
「少々、不謹慎ではありませんか? ここには……苦しんでいる人たちがたくさんいるんです。そんな中で冗談を言ったり、笑ったりして。あなただって怪我が治ってもまた」
「明日には死ぬかもしれないからこそ、笑ってなきゃ人生もったいないじゃん。明日死なないかもしれないし、十年後も二十年後も三十年後もしぶとく生きてるかもしれない。そんな未来に君がいるって想像したらめちゃくちゃ幸せなんだもん」
青年は言葉通り、少女の瞳の奥にある未来を見つめるように、本当に幸せそうに笑った。
ここは治療所などではない。更なる地獄へと送り出すための中継地点だ。
なおせば使える見込みのあるものだけがこの場所に運ばれてくる。
地獄を見たものたちは戦場に戻るのを恐れ、逃げ出そうとするものまでいる。けれど逃げ出せば、今度は戦犯として国に処分される。
だから、夢想する。あるはずのない未来を。幸福な結末を。ただ現実から目を逸らすために。
少女が治療を施した彼らは決して帰ってこないのだ。
この青年だって同じだ。同じはずなのに、なぜ、こんなにも違うのだろう。
夢想などではない。現実逃避などではない。青年の描いた未来が少女にも見えてしまった。少女自身、明日死んでしまうかもしれないというのに、何十年も先の未来に目の前の青年と笑っている自分がいとも容易く想像できてしまった。
いつもの自分なら幸せな脳みそですねなんて皮肉を言っているはずなのに少女の口から出た言葉は全く意味の異なるものだった。
「それは、幸せな未来かもしれませんね」
「でしょでしょ!? だから、俺と結婚しよう! 返事はオッケーってことでいいんだよね!?……よっしゃああああ!!っっっあいてててっ」
「ちょ、ちょっと!急に動かないでください!あと、叫ばないでください!!ていうか、オッケーしてません!!」
急に起き上がってガッツポーズしたと思えば、あまりの痛みにベッドに逆戻りした。
少女は少女でどこから突っ込めばいいのか混乱している。それでも、たくさんの治療を施してきたその手は正しい処置を施していく。
「……君の手はきれいだ」
「それはどうも」
「ちょっとツンケンしてるところも可愛い」
「そうですか」
「可愛いって言うとほっぺが赤くなる所もキュンです」
「はいはい」
「プロポーズの返事はいつもらえますか?」
「…………未来の約束は出来ません」
「わかった」
少女ははっと顔を上げた。否定の言葉にこんなにあっさりと同意が返ってくるとは思っていなかったからだ。けれど青年の顔を見て、少女はあっけに取られた。
「……なんで、笑ってるんですか?」
正しくはニヤニヤしている、だ。それはもう盛大に。怪我人でなければどつきたいほどに青年はやに下がっていた。
「いや、だって、それってさ。ううん。なんでもない! とりあえず今は、君に手当してもらえる幸せを噛み締めておこうかなって」
「なんですか、それ?」
少女は思わずふふっと笑う。そんな少女の微笑みを見て、青年は喜びに身悶える。
ここは戦場だ。
明日には死ぬとも知れぬ命。
それでも彼らは笑い合って今を生きるのだ。