プラネタリウム
とある貧しい若者の、恋と夢の話
都会暮らしを夢見て上京したまでは良かった。飽きっぽく粗雑な気性が災いしてか、バイトの面接はなかなか通らず、やっと受かったコンビニも一月で辞めてしまった。そんな僕が大学の単位など取れるはずもなく、留年するかどうかの瀬戸際だというのに一日中本を眺めては呆けているような男だ。親の仕送りで細々と暮らしているが、料理の一つも作れないがために月に三日はもやしで命を繋いでいる始末である。何とかこの自堕落な生活から脱する事はできないか。普通なら働くであったり、学業に励むであったりと今後について思案するだろう。ところがあの日の僕は、全ての原因をこの狭いアパートの所為にしたのだ。
先ずはこの四畳半を拡げなくては始まらない。かと言って、広い部屋に移り住むわけにもいかぬ。そうして考えているうちに、一時間が経ち、二時間が経った。その頃にはもう何を考えていたかすら忘れていた。いつ買ったのかも定かではない科学の本を手に取り、何の気無しにページをめくる。読み進めていると、子供向けの工作のページに行き当たった。
「これだ」
それからは早かった。その日のうちに必要な材料は買い揃えた。本の指示通りに材料を切り、貼り、組み立てる。そうして次の日の昼には出来上がっていた。問題はその後である。何を思ったか、見本には存在しない穴を一つ開けてしまった。取り繕うこともできない大きな穴を。そしてその穴にあまりにも痛々しい名前をつけた。貧相な大学生の、思い出すのも恥ずかしいような純情であった。
窓の外が暗く染まり、買い溜めていたもやしで腹を半分まで満たした。幾ばくかの期待と、それより少ない緊張を胸に、装置に明かりを灯した。
部屋の輪郭は失われ、ラメを振りまいたような満天の星空が広がった。思い返せば、それは余りにも見窄らしい工作だった。それでも、その光はあの時の僕の心の奥に沁み込んでいった。部屋の隅に一際目立つ光を見た。消えそうなくらい眩しく輝く星に、思わず僕は手を伸ばしていた。座ったままでは到底届かないそれは、まるで僕と君との距離を表しているようだった。それでも、夜空に一番眩しく輝くあの星の名前は僕しか知らない。それだけで十分に思えた。
その日から、夜になると僕の部屋からは天井と壁が無くなり、その代わりに宇宙が敷き詰められるようになった。あの一番星を眺めていると、部屋に君が居るような気がした。ついぞ窓を開けることなく、すべてを手に入れた。星空の片隅には、ここにしか無い星がある。臆病な僕は傷つくことを恐れ、傷つける事を恐れ、触れる事すら出来ないまま君を閉じ込めてしまったのだ。座ったまま手を伸ばしても、膝立ちになって手を伸ばしても、届かない。近づけば近づくほど、君が遠ざかっていくような気がした。いつしか君に触れる事は諦めてしまった。現実と同じように。
それから数日が経ったが、その夜も僕は性懲りもなく手を伸ばしていた。届かない星に手を伸ばし、追い続けていた。立ち上がって、背伸びをして。そうしたら、驚くほど容易く触れてしまった。触れてはいけなかった。刹那、僕の中で何かが崩れ落ちた。満天の星空は歪な明かりの集まりと化した。君は君では無くなってしまった。気付いてしまったのだ。
やめておけば良かった。届いてはいけなかった。醒めてしまった。夢は夢だからこそ夢がある。醒めて仕舞えば薄ら寒い空想でしかない。君には本当に届きはしない。あの星は君ではない。当たり前だ。今も消えてくれないあの星は、僕の夢だったのだ。
あれから四畳半に星空が広がることは無くなった。窓を開け、都会の空を見上げると、辛うじて見えるオリオン座がまるで現実を押し付けて来るような気がする。それでも、心のどこかで実在しない星を探してしまう。
目を閉じれば浮かぶ。消えそうなくらい輝いていて、決して消えてはくれない星。泣きそうなくらい近づいていて、決して届きはしない君。現実の空には見えなくとも、それでも尚光り輝くその星に手を伸ばしてしまう。何も変わらないままで、臆病なままで、君に触れようと何度も名前を呼ぶ。君に届きたくて、届かないで欲しくて。唐突に理由の分からない涙が込み上げてきた。滲む視界の中、一番眩しいその星が見えた気がした。
君の涙を見た気がした。
もう迷う事はない。君から逃げる事もないと思う。君の場所は、僕しか知らない。僕にしか見えないのだから
出典元:プラネタリウム / BUMP OF CHICKEN
ありがとうございました。