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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

物語の断片集

傷跡

作者: 風白狼

「ねえアクア、宿でもその小手、着けてるの?」

ふいに発せられた言葉。声の主である女性は、いらだっているというよりも、純粋に疑問に思っている。言葉通り、アクアと呼ばれた女は未だ手の甲から肘にかけてを覆う小手を身につけていた。

 それぞれ出身地は違うものの、共に世界を旅する一行。町にたどり着いた彼らは、宿で男女に分かれて休もうとしているのであった。すでに女性陣は部屋に入ってくつろいでいた。その中でアクアという女性だけは、日頃身につけている鎧や刀などは外していたが、両腕の小手だけは外そうとしなかったのである。声の主である女性、ナナミが疑問に思っても無理はない。

「久しぶりに野宿しないですんだんだからさ、取っちゃいなよ。」

もう一人、その話を聞いていたラティアが、おもしろそうに乗り出す。小手の下に何か隠されているのではないかと興味津々だ。対して、話題となっているアクアは恥ずかしそうに頭をかいた。

「外すのは構わねえけど、古傷があるから、ちょっと、見苦しくて…」

アクアの碧玉色の瞳がゆれ、うつむきがちになる。そんなことにはお構いなく、といった感じで二人は身を乗り出した。

「何を今更水くさいこと言ってるの。気にしないから、取ればいいよ。」

ナナミの返答に、アクアは照れ笑いをする。気持ち悪いかもしれないぞ、と忠告して、その小手を外し始めた。ナナミとラティアの二人は、その様子をじっと見つめていたが、右腕が現れ、左の腕もその姿を見せた時、その表情は引きつった。

 左腕には、手のひらから体に向かって肘の手前まで大きな傷跡が伸び、そこだけ紫色に変色している。気にしないといったものの、その程度の甚だしさに、絶句するしかなかった。

「アクア、この傷…」

いつの間にこんな傷を負っていたのだろう。今までこんなにひどいケガをしながら、隠していたというのか。気づけなかった自分を情けなく思う。そんな心情を感じたのか、アクアは苦笑いする。

「そんな顔するな。古傷だって言ったろ?この傷は5年前―つまりお前達と会う前につけられた傷だ。それに、もう塞がってるしな。」

すでに治っている傷だとは見て取れるが、それだけでは落ち着かない。

「そ、そうだ。傷跡、消してあげるよ。きれいな腕なのにもったいないよ。それに、『見苦しい』って言ったでしょ?だから「だめだ。」」

ケガや傷を治すことにできる自分なら…ナナミはそう思ったが、即座にその提案は否定された。一瞬の静寂ののち、アクアは静かに話しだした。

「この傷は、おれにとって大切なものなんだ。消してしまいたくない。」

決意のようなものに満ちたその瞳に、ナナミは引き下がるしかなかった。しかし、ラティアは腑に落ちないようであった。

「傷が大切って…わんぱく小僧じゃあるまいし。」

皮肉をこめた言い方だが、アクアはそれを気にしなかった。

「古傷ってのはな、その人にとって何か“意味”があるんだ。例えば、あまたの戦場をくぐり抜けた勲章、とかな。」

冗談でも言うような、軽い言い方で答える。それならば、とラティアがさらに問う。

「じゃあ、その傷は、アクアにとって何の“意味”があるの?」

少しショックを受けていたナナミも、聞く体勢になる。一呼吸ほどの間のあと、静かに答えた。

「“戒め”だ。」


 会話は弾み、冗談が飛び交う。いつ終わるともしれない長旅の休息は、何にも代え難い。男3人は宿の温泉に入ろうと思い、別室にいる女達にその旨を伝えようということになった。

 旅の一行のうちの、一人の男、シェラン。彼は戸をノックし、女性陣の休む部屋へとった。3人はなにやら話していたが、シェランが入ってくると視線を向けた。

「全員いるみたいだな。俺たちはこれから」

そう言いかけて、ふとアクアの傷が目に入った。左腕に、長く伸びた傷跡。紛れもなくあの時オレがアクアにつけたものだ。悲哀と後悔の念が込み上げ、視線が宙を泳ぐ。ナミとラティアに、そのシェランの行動を理解することはできない。だが、古くから互い知るアクアは、慌てて小手で傷を隠した。

「悪い、シェラン。ところで、どうかしたのか?」

一見自然なアクアの取り繕いに、シェランはさまよわせていた瞳を元に戻す。

「あ、ああ。俺たちはこれから宿の温泉に入ろうと思っているんだが、お前達はどうする?」

「温泉があるの?もちろん行くよ!」

ナナミがきらきらと眼を輝かせる。その様子に、シェランは苦笑した。

「そうか。じゃ、俺たちは先に行くな。」

そう言って、シェランは部屋をあとにした。


 乳白色の湯につかり、アクア、ナナミ、ラティアの3人は旅の疲れを癒していた。

「アクア、さっき言ってた“戒め”って、なんなの?」

この場に似つかわしくないほど禍々しい傷。意味というものを聞きそびれてしまったがラティアはどうしても知りたかった。

「この傷のことか?うーん、話せば長くなるけど…」

何から話そうかなあと腕組みして考える。

「どこからでもいいけど、私達が分かるように話して。」

ラティアにせかされ、仕方ない、と一息ついて、アクアは話す。

「さっきも少し言ったが、5年前のことだ―――」



*****



 身動きが、とれない。声を出そうにも、猿ぐつわを噛まされている。その上、“沈黙の魔法”もかけられていた。体は縄で幾重にも縛られている。何人か、その状態になっていた。不気味な笑いを浮かべた男達が、何か話している。

「親方、こいつら、どれくらいで売れるんでしょうかねえ。」

親方、と呼ばれたのは大柄の男だ。彼もまた、同じような笑いを浮かべている。

「さあな、女どもはそこそこの値で売れるが、男は買い手のつかねえ時もあるからなあ。」

「もし売れなかったら、どうするでやんすか?」

今度は先ほどとは違う男が質問する。

「決まってるだろ、売れないときは皆殺しだ。いつまでも置いておく必要はねえ。」

皆殺し…その言葉が、シェランの胸に引っかかった。

 子供を誘拐し、その身を闇市で売りさばく犯罪集団。10歳前後であるシェランとアクアは、彼らの捕らえられるところとなっていた。極悪非道なその振る舞いに、シェラン怒りを覚えずにはいられない。売れないときは皆殺し?冗談じゃない。オレ達の命運がこいつらみたいな人でなしに決められてたまるか。ちくしょう、この縄さえほどければ…精神を集中させ、己に眠っていた力を呼び覚ます。怒りが、さらに力を倍増させた。

 シェランの拘束が勢いよく解かれ、周りの男達は飛び上がって驚いた。その隙に、シェランは立てかけてあった槍をつかみ、男達を払いながら捕らえられていた子供達の縄を解く。だが、シェランは止まらなかった。殺す。てめえらに生きる価値はねえ。死ね。オレがこの手で殺してやる。槍でもって男達の腕を、足を、首を落とした。

 まずい。アクアは直感した。このままでは、あいつは分別のつかない殺人鬼となり果ててしまう。未だ暴れ続ける親友に、アクアは叫んだ。

「やめろ!シェラン!!」

だが、攻撃の手はゆるまない。あいつには、もう声すら届かないのか…。絶望にも似た感覚に襲われたが、アクアはあきらめなかった。他に捕らえられていた子供達を逃がし、シェランに向かって拳をたたき込んだ。それは相手の鳩尾に入る会心の一撃のはずだっただが、今のシェランには全く歯が立たず、自分に敵意を向けさせるだけとなった。切り返した槍が目元を掠る。シェランは構え直すと、突撃してきた。決死の覚悟で突っ込み、槍をつかむ。到底止まりきるものではなかった。左腕に激痛が走り、流れ出る血と共に体の力が抜けていくような感覚だった。

 手応えを残したまま、槍が止まる。槍の先からは血がしたたり落ち、痛みに揺らぐ碧玉色の瞳を正面に捕らえる。そこでシェランは我に返った。自分は、親友に槍を向けている。その事実が、そこにあった。

「オレは、一体何を…」

状況は分かっていたが、頭が追いついていかなかった。涙があふれ、こぼれ落ちる。

「良かった…。元に、戻ったんだな。」

あえぎながら、アクアが笑う。苦しいはずなのに、何でもないかのようだ。あまりの恐ろしさに、シェランはその姿を直視できなかった。だが、逸らした視線の先には、先ほどの男達の無惨な死体が転がっているばかりであった。

「オレが、殺したのか?こいつら、全員を?」

槍が手から滑り落ちる。もう、どうしていいか分からなかった。

「そうだ。お前がこいつらを全員」

言い終わらないうちに、力を失ったアクアの体が崩れ落ちる。すんでの所でそれを支えるが、出血がひどく、息が絶え絶えになっている。

「アクア!?おい、しっかりしろ!アクア!!」

幸いなことに、逃げ出した子供達が大人を呼び、アクアは一命を取り留めた。

 静寂に包まれた部屋の中、シェランは眠り続けるアクアのそばで泣いていた。アクアの左腕は出血こそ止まっていたが、包帯が幾重にも巻かれていた。オレのせいだ。オレがもっとしっかりしていたら、こんな事には…。後悔することしかできず、こうして泣き続ているのだ。その時、わずかにアクアの体が動き、うめき声が上がった。やがてその目が合い、アクアはシェランの姿を認めた。

「シェラン…。良かった、無事だったんだな。」

それはこちらのセリフだ。オレはほとんど無傷だ。だが、アクアは違う。それにもかかわらず、お前はこのオレを心配するというのか。泣き顔のシェランとは対照的に、アクア笑顔だった。

「それはこっちのセリフだ!無茶しやがって…もう、二度と目をさまさないんじゃないと…。本当にすまなかった、アクア。」

何を言っていいのかすら、分からない。それでも、横たわったまま、アクアは明るく笑う。

「大げさだな、お前は。助かったんだから、ちょっとは喜べよ。」

ケガしたのは左腕だしな、とアクアは冗談めかした。そうは言われたものの、やはり後悔してしまう。素直に、喜べない。

「でも、オレはお前を殺してしまったかもしれないんだぞ?第一オレは、悪人とは言え多くの人間を手にかけてしまったんだ。喜べる方がどうかしてるよ。」

そこまで言われて、アクアはうーんとうなる。何か思いついたのか、ぱっと顔を輝かせた。

「よし、シェラン。おれの左腕に誓え。『この力で他人を傷つけるのはこれで最後にします』ってな。」

「は?」

唐突すぎて、一瞬固まってしまう。

「お前はもう他人を傷つけたくないと思った。なら、今度力が暴走したら、おれの腕を思い出すんだ。そうすれば、もう傷つけなくて済むだろ?」

そういうことか。ああそうだ、もう傷つけたくない。それは変わらない思いだ。

「分かった。お前の腕に誓う。オレは、この力で他人を傷つけるのはこれで最後にします。」

「良くできました。」

満面の笑みを浮かべる親友に、オレもつられて笑った。



*****



「ってことは、その傷跡はシェランへの“戒め”ってこと?」

ひとたび話し終えて、ラティアはアクアにそう聞いた。その首が縦に動くのを見届けて、ナナミが口を開いた。

「それってさ、シェランを苦しめることにならないの?だいたい、その傷を見たときのシェランの様子も何かヘンだったし。」

あの時、シェランは視線をさまよわせていたのだ。まだ事情は理解していなかったが、動揺と後悔の念は感じ取れた。それほどまでに辛いものを背負わせて、何が楽しいのか。ナナミには、どうしても理解ができなかった。

「この傷を見て苦しんでもらわなきゃ困るんだ。あいつが人間であるために、な。」

人を殺したという罪の念がなければ、モンスターと変わらない。後悔しないというのは、人間として認められないのだと、言っているのだろう。それは、ナナミにも分かった。だが、やはりまだ腑に落ちない。

「でも、あなたたち親友でしょ?友達を苦しめて、嬉しいの?」

非難するような、責め立てるような口調になる。それほどまでに、ナナミは憤慨していた。だがアクアは、そんなナナミを見据えた。

「相手の全てを肯定するのが友達じゃない。互いに律し、支えるのが本当の友達だ。」

迷いなき声音と揺らがぬ瞳に、ナナミは沈黙するしかなかった。しーんと張り詰めた空が重い。ふた呼吸ののち、アクアは表情を和らげた。

「それにな、過去は振り返るものじゃない。見るものなんだ。」

アクアの白い歯が見える。どういう意味だろうか…。ナナミもラティアも、その真意を計り損ねていた。

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