07-YARD
だから嫌だったんだ、とこの場に居ないオーナーに心の中で悪態をついている。
「R2に着くまで待って」ミントがそう言って、承諾したわけでもないだろうけどそれが賢明だと判断したのか単にショックが大きかったのかシェスカは機体が静止するまで静かにしていた。島からR2まで七時間近くかかったから沈黙の方が長かった。クヲンはもううんざりしてしまって、諦めて他二人の意識を読むのに徹する。少女は先程奪った原色の中身を、機体の振動が来たときにばらまいてそのままにしている。一枚のローズだけを摘んでみたり、握りしめてみたり、かと思えば手放して俯いてみたりと落ち着きがない。時折こちらの方や操縦席を睨んだが、その色は以前taffeeに来たときよりも鈍く、それでいて鋭かった。青年は何も言わないし、出発時と何も変わらない様子で操縦していた。重く捉えたようなあの返答や、到着までという提案を思うと当時からいくらか変わっているのが窺える。贖罪でもしそうだったから気味が悪い。
(胸糞悪いよほんと)
復讐者と贖罪者が揃ってしまってはもうそういう結末を臨むしかない。関わらなければよかったと心底思ったし自分を捩じ込んだリンガルトの意図も分からないので恨み言は絶えない。引き合わせるつもりなら二人でやらせればよかったんだ。戦闘要員なんていっても自分の身を守るのも精一杯だというのに、それでも、駒として必要だったのか。
シェスカが死なないための保険か、と溜息をついて残り三百分。雲の上を飛んでいるのだろう、操縦席の窓からは満天の星空がのぞいた。その数の多さを煩わしく思う。あんなに光っていたところで時刻はどうせ夜なのだ。
一度だけミントがインカムに向かって何事かを喋っていた。シェスカがかなり警戒した視線を向けていたのでドイツ語で内容を問うと、英語で返答が返ってくる。「上司がいつ帰ってくるのか聞いたから、あと地球一周してくるって言った」いつからそんな余計な気を回す奴になってしまったんだ、と内心ぼやく。くだらない、付き合ってられないから、そんな簡単には眠れないことを知りつつも目を閉じた。
「武器を置いて……」
慣れないもの持っちゃって。ぼんやりと、緊張した様子で搭乗席に小銃を向けるシェスカを見ていた。銃は木箱から出したもので、つまらない空の旅の間にも箱の内側をトントンやってたやつだ。ミントは無言で従い、身につけていたらしい武器をすべて後ろに投げる。その間に彼女は視界に入ったらしいこちらの眼差しにびくりとして「クヲンも動かないで」と震えた声で指示を出して来たので「手は出さないよ」と適当に合図した。
機体はネアの学校に降りた。つまり彼女が死んだ場所であり、復讐を果たすならうってつけだった。捜索が入りにくいという理由なだけで、ミントは敢えてここを選んだつもりもないだろうとわかってはいるのだけれど、安い悲劇みたいだと吐き捨てたくなる。そんなもの生まれてこの方殆ど触れていないものの、そう表現したくなるほどこの状況は遠慮願いたかった。機体から降りる二人にも着いていかなかったし様子を見るために上半身を覗かせたりもしない。目をつむって、その間にすべて終わってしまえばいいと思う。
風の音がしていたけれどそう強くもないから会話を遮ってはくれなかった。少女にしてはあまりに低い声音、青年にしてはあまりに軽い声音。何故殺したのかという問いに対する「仕事だったから」の答え、「学校を襲ったのは」に対する間、そして応え。「キライなんだよ、運動会」
どうしてか愛おしむような音がした気がして、もしかしたらこんな応酬はネアと済ませたのではないかと考える。僅かな間は失笑に使われたかもしれない。思い出して、自嘲して。(なんで、)なんで。理由を問う五音。ミントによって繰り返される日本語。
「目障りなものを殺して何がいけない?」
煽っているのだ。かつて少年が女に舌を突き出したように。だけれども、ここにいるのは青年と少女のはずで、あの日にミントを買えなかった愚かしさとあの日にローズを探しにきた愚かしさの原点は同じはずで、だったらこんな場所に閃光はいらないのではないか。
ただ、火種があって、火も点いたから。細く白い指が引っ掛ける鉄がひとつを終わらせようとしている。まだ、まっさらな、少女の指。人を殺すのなんてもう少年は平気なのだ。死ぬのだって、だって、もう何度も見てきたし、自分は生きているし、それでいいじゃないか。語らう間もなかった友人達なんて。
咽ぶ少女の声が最低、と紡ぐ。
——けれど少年はいつ彼らを友人だと定義したのか。
自分は生きているけども、生きていく中で見つけた失いたくないものはどうすれば。
“友達は沢山作るといい。”
押しやってた言葉とともにオーナーの嫌な笑みが蘇る。
(ああ、)
夜は既に明けていた。立ち上がる一歩。踏み切る一歩。土を蹴る一歩。火にぶつかっていく体は撃ち抜かれる痛みを忘れる。過去において、それは彼が生きるために。鉄を抱き込んで地面を転がる間も“彼女”の足の暴力を思い出したりはしないから、体勢を整えて手に入れた武器を握り直すこともできる。見上げた視界には跳ねた油から逃れるように身を引いたシェスカと、自身の無事を確認するように腹や胸にてのひらをあてるミントがいて、二人は各々飛び出してきたクヲンを見た。泣き虫な復讐者と、馬鹿正直な贖罪者。
彼らの対峙に入り込む必要などなくて、本当は自分が抱く違和感こそなければもっとシンプルな物語になったのかもしれない。知らないふりだって出来た。命の駆け引きなんてR2の子供がアニメを見るように繰り返し見てきたから今更恐れはしないのだし、自分さえ生きていればいいと。けれど、たとえばクヲンが抱いた違和感を見過ごすことを「クヲンは生きている」と言うのだろうか。
そうだ。クヲンは、ネアもミントもシェスカも気に入ってしまったのだ。だから、こうなってしまったのは何か違うと感じていた。気付かないふりをしていたのは、失うのが怖いから。どちらだって、ネアでさえ、死んでしまうのは嫌だったのに。
「友達が出来ても、……これじゃ、意味がないんだよ、オーナー…」
欲しいものを欲しいと、自分はここにいるのだと叫んだ子供は火傷をした。しかし火にぶつかっていく野生児は撃ち抜かれる痛みを忘れるのである。現在において、それは愛する友人達のために。
“クヲン”という少年の価値を信じて銃口はこめかみへ。言葉が通じることを信じて叫ぶ、動詞の語幹、依頼の語尾を。
「Kiettä!」
グラウンドの土は渇いて冷ややかだった。知らぬ間に汗をかいていて季節がよくわからない。第三者が自分を人質にするという冗談のような状態にシェスカとミントの二人も確かに緊張を感じている様子で、成功に対する喜びとこの事実に対する驚きとに揺らぎかけ、唾を飲んで気を引き締める。やがてシェスカが唇を震わせた。「な…何…?」怯えやら怒りやら、いくつもの感情が綯い交ぜになった複雑な表情だ。
「何、するの…?」
「どっちが攻撃するような格好取っても、俺は引き金を引く」
状況を判断するための数秒と絶句の後、クヲンは関係ないという彼女の悲鳴にも似た主張と、ミントの嫌に冷静で重たい「止めるなよ」の声が混ざる。
駄目なの? 切り返した声は生まれて初めてではないかと思うほど、素直で真摯な響きをした。「俺が、ミントを殺されたくないとか、シェスカを人殺しにしたくないとか思って行動するのは、いけないの?」
ミントは苦い顔をしたように思う。シェスカも一拍置いたものの、「でもネアを殺したわ」と強い口調で青年の罪を示した。
「聞いてシェスカ」
彼女の視界には多分、彼女とネアしかいないのだ。青年はあくまで青年。そこにもう一人二人突っ込んでみたい。
ギャップを埋めるための昔話の切り口は、島にいるときと違ってもう躊躇などいらない。
「俺はさ、ミントと一緒だよ」
直後空気が震えたような気がしたけれども、汗を少しだけ気化していく背後からの微風に気がついて安堵する。ただのかぜだ、とわざわざ頭の中で言い聞かせるように文字にして、ついでに自嘲した。
どういうことかと問うシェスカの言葉に端的に答える。すなわち、人殺しだ、と。中東で過ごしていた間に“不穏な仕事”に携わっていたことも付け加える。だからミントのことは予想がついたのだとも。
息を飲んだ彼女に起こる感情は怒りになるだろうか。
成る前に情報を注ぎ込む。
「ねえ、俺は、戦場がキライだよ。いがみ合って殺し合って……互いの顔も知らないままで」
自分が殺した相手にも、仲間を殺した相手にも、そのあたりに転がっている死体には生きている自分と同じだけの声と言葉があるはずだった。それを知らないままで奪い合うのは気味が悪かったのだ、と、他人に伝えてみてようやくその嫌悪の形を知る。そう、そしてやっぱり、シェスカとミントは互いをよく知らないままなのに戦場を作り出している。たったひとつを知ればこんなものは畳まれるはずでも。
ミントを呼ぶ。不機嫌そうな「何」を、クヲンは密かに笑った。彼のことだから自分が何に不機嫌なのかわかっていないに違いない。今お前最高に女々しいよ。そう茶化してみてもよかった。
「ローズのこと殺したいと思った?」
「……思ったよ」
「仕事だったから」
「……」
それ以外に無いだろう。彼は不真面目だが素直だから。「話すのスキだったくせに。ちがう? 仲良かった」
彼はしばらく沈黙し、やがて微妙に俯くと、でも殺したと呟いた。罪の意識があることが明白な反応。それを指摘し、テロリストとして育ったお前には命とりだろうにと、今度はわかるように笑ってやる。少女がはっとして青年を振り返った。
「シェスカ。君は頭がいいからね。——道徳なんて無い世界なんだよ、俺達が生きてきたとこは。殺したくないって気付くのも、殺した後だ」
きっとミントは、キープされる三箱を見るまで気付かなかった。あの緑のパッケージもクヲンの渡した餞別かもしれないと、今ようやく思い当たる。桃色の一枚はいつ手に入れたもので、それを捨てなかったのは何故なのか、彼女は察してくれるだろうか。
言葉はそれ以上続かない。ここまでが少年にできることだった。一度は上げた顔もまたミントは俯け、シェスカは肩で息をする。どれくらいの沈黙だったかはわからないが、クヲンにはとても長く感じた。乾きはじめていた汗もまた吹き出している。
届け、と強く願う視線は二人を行き来する。自分のいない空間を作り出すときの感覚によく似ていたけれども、決定的に違うのは、自分という存在をはっきりと解って貰わなければならないことだ。瞬間的にしたまばたきの直後頬に何かがこぼれてびくつき、足りない頭の容量をなんとか使っていつのまにか自分が泣いていたのだと理解した。だっさい、と脳内で呟きながら空いた腕で拭う。
そして慎重で、きらめくほど悲しげな声音。「……、…ネアは……?」シェスカだった。見間違いかもしれないが言葉のあと、彼女も涙を零したように見えた。
「ネアは、こいつのこと、」
言わんとしていることを汲み、いつか足りなくなった酸素を求めたときのような苦しさを覚える。
なんでもできる神様がいないとき、自分達はどうやって笑うのだろう。その横顔がこの言葉を聞き入れてくれるその瞬間を、誰が作るのだろう。
「…楽しそうに話してたよ。…すくなくとも、俺には、そう見えた……」
「——っ…」
「だから、やめてよ、シェスカ…!」
ずっとこれが言いたかったのだ。彼女がtaffeeを訪れたときから、「やめたほうがいい」なんてやんわりとした制止ではなくて確かな制止を。切れ切れになった言葉を吐き出すと堰を切ったように感情が溢れる。明けた世界、まるで今生まれたみたいだなんていう彼の声を思い描いた。
同じ、涙でいがんだ声が「聞かせて」と叫ぶ。
「あなたにとって、ネアは何だったの!」
本当はぼやけてもう何も見えなかったはずなのに、青年の戸惑いながら言葉を探す表情を覚えている。
「………。…はじめて、みた、……一緒にいて おちつく………。…死んでほしくなかった。死ぬことがどんなことか、知ってたら殺さなかった。——…ころさなかった。」
最後、悔しげに歪めた面も。