06-GIRL
耳が詰まっている感覚がするので、かなりしつこく唾を飲み込むようにしているが治まっていない。左斜め前に座る一介の店番であるはずの少年はそういった仕種を見せないが平気なのだろうかとシェスカは考える。そういえば浜にいるときも、あんな状況に際して慣れているなどと言っていた。リンガードに言われて助けに来たのだという発言から考えると、こんな役割をよく課されるのかもしれないけれど、そんなのは、どうなのだろう。シェスカも密輸船に忍び込むまでにかなり危ない橋を渡ったが、簡単に着いて来るあたり彼らは真っ当な一市民ではなさそうだ。祖父はリンガードの詳細についてあまり話したがらなかったが、彼から様々な情報を得ていることは知っている。お守りに、と渡されたものを握りしめてみる。この飛行機に乗れない何かが入っていた、巾着。
視線を搭乗席の方へやる。くせ毛をしたインカムを付けた頭は、落ち着いた様子で空を眺めているようだった。互いのことは聞かない、だなんていういかにも裏社会でのしきたりめいた約束を口にしていたし、姿の見えない相手に対して一度、発砲している。あの島がどこの国のものかは分からないが、その国の公的人物であれば説明があるだろうから少なくとも何かやましいことのある立場の人間であることは予想がついた。がたがたと鳴る目の前の箱には布がかけてある。触るな、と言っていた。何か鈍器が木を叩く音がしている気がするが、武器だろうか。ありえなくはない。そんな人物が乗せていると困る、指の先ほどのものとは、触った感じでは硬かったけれども、何だったのだろう。
(このまま、)
このまま、R2に帰ってしまうのだろうか。こんな不審人物を足に帰るのであれば、どうせならアフリカまで飛んだらいいと思った。彼の機体に乗っていることはそんなに安全なことに思えなかったから。
「日本語は?」
急に、パイロットが日本語で話しかけてくる。先程クヲンと英語ではない別の言語でやりとりしていて——おそらくそれはドイツ語だったが、加えて全く聞き慣れない何語かで独り言を言っていたからそこまでで計三ヵ国語を話しているので、まさかそれなりに難しい言語として知られる日本語まで話すとは思わなかった。もちろん、そういう人もR2には時折いるが、たまたま自分たちを拾った人物が話せば当然驚く。
話す、という返事をすると引き続き日本語で「夜の海岸は寒くなかった?」と彼の他人に無頓着そうな雰囲気に似合わない問いをされて、なんだか居心地が悪かった。
「寒かったわ」
「火があればよかったね」
「溺れて流されてきたようなものだから火種なんてあってもみんな役に立たなかったと思うけど」
「火の付け方…火起こしの仕方とか、そっちの子は知らなかったの?」
「普通は知らないでしょう」
「そっか」
少々不毛な会話のような気がするから、場を持たせるためのものだろうかと勘繰りながら返事をしていたけれど、そこまで話すと彼は一旦間を置いて「俺の日本語は変?」と問うてきた。それを確かめたかったらしい。変じゃない、上手だと思う、と告げると、何やら嬉しそうに笑って「よかった」と呟く。幸せそうな笑みだった。
会話が終わるなりクヲンがドイツ語で何か問いかけていて、英語で話したらいいのに、と思いながらシェスカは膝を抱く。
間もなく機体が一定期間だけ速度を上げ、また落ち着くとパイロットが「お腹すいてるんじゃない、」と英語で問いかけてきた。密輸船に乗ってからろくに食べていないから空いていないはずもなく、肯定する。クヲンはそれなりに、と答えていた。
「ガムならあるよ。ガムしかないけど」
言いながら何か取り出そうと左手をポケットに突っ込んでいる。はじめ、クヲンはそれじゃ唾しか飲めないと笑ったが突然はっとしたかと思うと「ちょっと待って!」と身を乗り出して制止の言葉を投げかけた。それより少し早く、ガムの緑色をしたパッケージがシェスカ側から差し出される。見覚えがあるパッケージだった。「何?」「ガムはいらない、」二人の会話を尻目に、飛行機の振動にふらつきながら這うようにしてパッケージに近寄る。
“PRIMARY COLOR”
その緑が何の風味をしているのか、当然シェスカは調べていた。奪うように箱を受け取り中を確認する。強烈なメンソール臭。その中に一枚、むりやり詰め込まれたようなピンク色のガムがあった。——ローズ。
情報が繋がっていく。ミントを噛む、日本語を話す、不穏な仕事をしているアラブ系の青年。灰色の戦闘機。クヲンが話をつけるのに成功したのは顔見知りだったからではないか。ドイツ語を使って話をしたり、今慌ててガムを仕舞わせようとするようなことを言ったのは。
「ネアを…ころしたの、」
呟きでもあったし、二人の男に対する問いでもあった。あなたが。彼が。こいつが。
迷うような口調でクヲンが名前を呼んだ。制止のつもりかもしれないが何にもならない。“ミント”は何も言わなかった。
「R2で人を殺したでしょう」
自分でも嫌気がさす程攻撃的で憤怒に囚われた声音で、一音一音確かに発音する。覚えはないと言われようと、否定されようと、既に決定事項として彼女に根をはったので取り合うような酌量の余地はなかったけれども、そこに彼は答えた。
「……殺したよ」