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Development.  作者: 外並由歌
3/10

03-BEACH

 肌寒さに波の音が加わった。クヲンはそうして目を覚ました。まどろみ続けるには寒く、しかし体は何故だか自由にならないほど怠い。起き上がる必要があった気がして仕方なく無理矢理俯せていた体を起こそうと右手で地面を押したが、バランスを崩してまた一歩ほど前へ倒れ込んでしまう。顔は先ほどとは逆の左側を向き、視界に広がった別の景色には人が倒れていた。女で、髪が短い。——“彼女”にしてはどこか幼げに見えた。

 ふと、現実をどこかにやってしまった気がして徐々に混乱してくる。“彼女”が、“彼女”は、…彼女は。

(あ、そうか)

 間違えていた。自分がクヲンだと思い出し、そこに倒れているのが誰かを思い出し、こんな砂浜で寝ていた理由まで思い当たって、今更全身が重いことに笑いが込み上げてくる。あの後遠くに見えたこの島に向かって、体力もなく泳法もろくに身につけていなかったシェスカが溺れないように気を使いながら泳ぎ続け、力尽きたようにここで眠ってしまったのだった。よくこんなになるまで必死になれたものだ。泳いでいる途中でさえ、なぜ自分がシェスカを助けているのか疑問に感じたというのに。

 笑いを零しながらもう一度体を起こし、よたよたと彼女の元まで行って肩を揺する。その手を嫌がるように、彼女は片腕を動かしたものの、やはり重たそうにしてクヲンを捕まえる前に地面に預けてしまう。その衝撃で漸く目を開けた彼女がしっかり覚醒するまで待ち、こちらを認めてくれたタイミングでクヲンは言葉をかける。


「髪、切ったんだ」


 シェスカは黙ったまま起き上がり、寝起きのものでしかないリラックスした溜め息を吐き出すと、「今?」と言いながら顔の砂を払った。


「気付かなかったよ」

「そういう意味で言ったんじゃないわ」

「違和感なくてびっくりした」


 シェスカは立ち上がり服の砂も落としていたが、服がまだ湿っているためそう上手くいかなかった。不服そうに眉根を寄せるので、乾いたらそのうち落ちるよ、と言っておく。その真偽を確かめるようにしばらくこちらをじっと見ていたが、そのうち靴下を脱ぎはじめた。顎までの髪はほぼ乾いており、大胆に広がっては彼女の顔を隠す。クヲンは、嫌な顔を無理矢理笑みに変える。「その髪型似合わないね。」

 脱いだ靴下と手を海水で洗う彼女は何も言わなかったが随分と傷ついているように見えた。けれど髪型のことでそんなに傷つくとも思えないから、おそらく別のことで落ち込んでいるのだろうとクヲンは考える。その原因がなんなのかについては特に興味がない。


「ここ何処」


 戻って来るなり彼女はそう聞いてきた。話の展開が読めるから、少し辟易してしまう。わざわざ順を追いたくはなかったが彼女の性質からすると結局一から話をすることになるので、半分はぐらかせることを期待して言葉を選んでみた。


「無人島じゃないかな。暗くなってきたのに明かりは見えないし。夕食どうしようか」

「アフリカまでの距離を聞いてるの」

「君には俺がそういう観測器とかに見えるらしいね」


 シェスカが目を座らせたのは言うまでもない。機嫌を取るため位置把握の重要性には同意したが、あくまでR2からどれくらい離れてるのか知りたいだけという立場であることもさりげなくアピールしておく。どうやって帰ろうかとかいうような話に転がして行きたいがそんな魂胆は見通しているようで、彼女は「まず目的地に行きたい」と静かに漏らした。叱るようでいて切実な声音であり、普通の男子であればこんな頼まれ方をしたら聞きたくなってしまうだろうと思えるものだったけれども生憎クヲンはそういった情感に疎い。彼女の言葉が具体的に何を意味するかよく分かっているから余計に、溜め息以外反応のしようがなかった。

 目的地と地続きの場所に上陸したならともかく、今この状況で言う「目的地に行きたい」は子供がする無い物ねだりに近い。——否、クヲンからしてみれば無理な話ではなかった。しかし、シェスカだけでは不可能なのである。クヲンが手を貸すという条件があった上で初めて次の行動設定として認められるものであって、だからこそ彼女の言葉は依頼であり、それを引き受けるつもりのないクヲンにとっては我儘に成り下がる。彼女はそのことに気がついてはいるだろう。ただ、認めてはいない。


「R2に帰ることだけ考えない?」


 シェスカがわずかに顔を歪める。


「……嫌」

「そっか。俺はそうするけどね」


 ねめつけるように振り返った彼女は、既に泣きはじめていた。裸足で砂を踏み締めてこちらまで来ると、無理矢理立ち上がらせる程強く胸倉を掴んで言う。「あなた何のためにここまで来たの?」

 することがあまりに幼稚で、“彼女”とのわずかなギャップもあって笑ってしまいそうだった。


「お前が言ったんじゃなかった? 『助けに来た』んだよ」

「はじめから、上陸したところを捕まえて連れ帰ろうとしてたとでも言いたいの? だったら東ユーラシアの港でそうしたらよかったわ。あなたは私の手助けに来た。違う?」

 確かにそうだ。「違うよ。誰がちょっと会っただけの人間のために自分の身を危険にさらす?」


 一際悔しそうに眉間に皺を寄せて、心なしか先ほどよりも多く涙を流しているように見える。声を震わせて、急き込むように彼女は言う。「あなただってネアを知ってるくせに…!」

 よくいう。


「ただの客だよ。お小遣をくれる一人のR2人ってとこさ」


 ——よくいう。

 事実だと感じながらも、嘘を言っている気分だった。リンガルトに言われた言葉をなにか思い出しそうだったけれど、彼の言うことはクヲンにとって大抵真理なので、思い出さないように気をつけようと思った。

 シェスカはしばらく頭を垂れて泣いていたが、少し治まるとまた言葉を連ねた。ほぼひざまずいた恰好で言うものだから、祈るようにも見える。


「私は嫌。あの子を殺すなんて、絶対許せない。……」嗚咽。「死んでもいいわ。せめて一言でも浴びせてやらないと、気が済まないの」


 そういう心意気で臨まれるとこっちも「死んでもいい」に含まれる気がして嬉しくないし、ついでに怨嗟がどれだけ人から視界を奪うかよくわかった。死んでいいわけがないし、一言で済むわけないし、気が済むか済まないかは彼女一人の問題であってネアには関係が無い。そんなことのために密輸船に隠れてテロ組織に潜入しようとして、死にそうになって今帰り方もわからないまま泣いているのだ。

 そうは言っても、クヲンは彼女にこれ以上冷たい言葉をかける気にならなかった。身勝手で馬鹿な行動だと思ったけれども、その行動力には改めて驚いたし、可能性として、リンガルトがどこかで手を貸したり引いたりしていたことも考えられる。

 シェスカの二の腕を出来るだけ優しく掴み、背を折って顔を寄せる。「今日はもう帰ろう」


「……」

「運が悪かったんだよ。今後会う方法なんかいくらでもある。今回は諦めて」

 顔を上げる。今はただ、幼げな少女の表情をしていた。「でも、」

「今から行ったって俺は助けられやしないよ。武器もないんだから」


 発作的な荒い呼吸を一つだけして、彼女は目を閉じ、こちらに寄り掛かってきた。どうしたらいいのかよくわからなかったが、形だけ抱きしめてみる。なんだか本当に優しくなったみたいだと思うと、自嘲するしかない。優しいも酷いもない。生きるために必要であれば人を殺して、不必要になったら殺さなくなるような流動的な人間のはずだから。

 確かに野生動物っぽいな、とそのとき考えた。それが人間の子供ならば野生児という表現は的確なのだろう。



 火種になるようなものがない上に火の起こし方など知らなかったため、下手に木々の中に入って行くことも暖を取ることも出来ないまま二人は相変わらず波打際で座っている。寒いと言うので時々抱きしめなおしたりもしていて、段々先ほどのような戸惑いは消えていった。ブランクがあったとはいえクヲンは苛酷な環境には慣れていたので、大して苦しさは感じず、波音や月明かりに幻想的なものさえ見出だしている。そもそも浜辺というものにクヲンはこれまで縁がなかったため、寄せては引いていく波を見ているだけでも面白かった。

 腕の中のシェスカがもぞもぞと動いて、離されたがっているのだと気付いて腕をのける。相手がどうだかは知らないが、抱きしめあうのは思ったよりも体があちこち痛くなる行動だった。軽くのびをする。


「迎えにきてくれるアテでもあるの?」


 疲弊して低くなった声が問い掛けて来る。視線をやると、彼女は寄せた膝に額を当ててじっとしていた。

 質問の意図を掴めていなかったクヲンは、なにそれ、とつぶやく。落ち着かないような強い波音が響く。「どうしてそんなに平気そうなの」と言ったシェスカは、言葉を色づけるほどに途方に暮れた声音をしていて、現実味を欠くような気がした。幻想的な、波音、波音。「慣れてるから」なんて自分の言葉さえふわふわと宙に逃げていくから、なんだか今なら何を話してもいいような気がした。シェスカは黙っている。


「アテなんてないよ。……いや、あると言えばある…のかな。なんで俺が君を助けに来たかは?」

 僅かに首を横に振るのが見えた。

「君のお祖父さんの知り合いの縁なんだ。俺のオーナーだけど、その人に命令…、誘導されて」

「……、誰なの…?」

 少し考えて、クヲンは近くに落ちていた貝殻で爪先に綴った。「リンガルト」

「……ミスター・リンガード…」


 知っているらしい。リンガルトはドイツ読みで、オーナーは英語圏の人間だったそうだから、本来は彼女がしたように発音する。「おじ様が、クヲンのオーナーなの?」呼び方が親しげであるので、面識もあるのだろう。本当に情報網の安全確保の為だけにシェスカの身辺を調べていたのか疑問を感じながら、Ja(yes)を答えた。「オーナーで、飼い主だよ」首輪つけたいタイプか使い捨てたいタイプかは知らないけどと付け足した言葉に彼女がみせた表情が意味不明だと語っていたが、単なる自虐なので説明する気はない。

 しかし発話を止めた自分の口に内心首を傾げ先程までの話の内容を改めて思い返すと、クヲンは今までゲリラとして買われたあの少年の話をするつもりでいたようだった。(……嫌がるだろうなあ、)隣の人間が人殺しだったと知れば、彼女は怒りそうだ。“彼女”そっくりに。“ミント”を憎むから。

 何故自分がシェスカを助けねばならないのかという考えに再び至る。殺してやりたい“彼女”に似た、一応友人である“ミント”に敵意を持った存在は、……ネアではなく彼女こそ死んでしまったら話はもっと綺麗で落ち着いているのではないか。——もちろん実際はそんな素敵じゃないだろう。シェスカが誰に似ていても本当はクヲンには関係がないし、“ローズ”が生きてたら彼女こそが“ミント”を憎んだかもしれない。

 けれど、そもそも人の為に体を張るなんて馬鹿げている。殺せると知ったら皆夢の中のある夫妻のような目をするに決まっているのに、だったらこちらが手を差しのべる必要などないのではないか、と。そして想像する。助けが来なくてあのまま溺れ死んだシェスカ。

 助けが来なくてこのまま野垂れ死んでいくクヲン。


「……オーナーが何か手配してくれるかもしれないから。そしたら帰れるんじゃない」


 嘘を固めたような言葉だと、自分で思った。それから、シェスカを助けるのは、自分を助けたいからじゃないか、とも。

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