“WHITEY BLACK”
「貴方様には、成長を望みます。」
と、いうのは彼、ウィリアムに教養のすべてを教えた教師の言である。これに対しまだ少年だったウィリアムはその生真面目な顔つきをまじまじと見つめてから「豆は莢を成しても溶けてしまうし、愛された男はペットに成り下がるじゃないか」とごく真剣に馬鹿にしたが、返しとして「毒は投げつけるものじゃない」と言ったあの教師は自分と同等の会話ができる貴重な存在だったとこの歳になって思う。言葉遊びで皮肉を言い合えたのは後にも先にもあの人ひとりだろう。
上下のきちんとした人間関係ほどどうしようもないものはないと思う。上も下も役割に徹しているだけなら言わずもがなだが、誇れる主とそれを敬愛する下僕も救いようがないと彼が考えるのは、主的な信頼や下僕的な敬意は互いに一方的だと結論づけていたからである。事実、主が愚鈍であればあるほど下僕の敬意は宙に浮き滑稽になってゆくのだ。そのため主としてのウィリアムも僕としてのウィリアムも、相手を必要以上に愛さなかった。しかし人間関係というのは得てして上下の生まれるものであって、当然彼には愛すべき人など出来なかったし求めもしなかったのである。
彼をはじめて対等に見た人間のことを、彼は忘れたことがない。だからではないが、引き金を引いたことはあの一回以来ない。
ウィリアム・ゲティは白人を憎んでいた。自身がブラックだったこと、ゲティ家の本家が彼の生まれた分家を忌避していたこと、何よりも分家の生まれた歴史と血縁を辿った先にある史実は彼を怒らせた。その怒りを表情に載せた試しはなく、自分でも取り出すのが難しいほど深い腹の底でとぐろを巻くのをときどき冷静に感じるだけである。本家がやがて分家を始末しにきて、逃げ果せた彼を迎え入れたミスター・リンガードは、まさにウィリアムが厭うコーカソイドの一番白いやつだった。
ホモ・サピエンスが数多用意した遺伝子型の一つに大きな差はない。紙面では鉛を塗り付けるか否かの違い、空では雲が厚いか薄いかの違い、データともなれば入力された数値の違いであり、あまりに単純で眩暈すらする。机上には並ぶものが果たして対等になれないというのだろうか。それに対しては、ウィリアムは否を出した。彼の理論上では可能であると定義付けられたのはリンガードの死後ではあるものの、始めから決まっていたようにも実は思っている。だから、引き金を引いたことは運命と名付けた。
思えば彼は決してウィリアムのことを主的な観点からこの世界に招き入れたわけではないのだ。与えられていた信頼の大きさにその日感嘆した。難しいことに出会ったことがあまりないから、怯えは感じつつも大したことではないとどこかで思っていたらしい。自分で用意した癖に、小さな木を薙ぐような演目のフィナーレを待つのは想像を絶する恐ろしさだった。そうまでして僕が向ける畏怖を取り去ることもなかったかもしれないが、他方、実は西の木の成長にたいへんな期待も抱いていたようで、パラドクスの嵐には笑うしかない。道化のように生きようと決めてしまったその弊害には時々手を焼くから、自分の器用さは惜しみなく誇り、利用し、揶揄した。
信頼ならないなら情報を塞ぐために撃っていけと言ったリンガードはどこまでを求めただろうか。多分、知っていたんだろう。拾ったブラックが自分を信用していないことすら。
「イヴは重い足取りで歩く」
悪魔にかどわかされた乙女の絶望的な歩みか。酷いアナグラムだ。しかし、成長という名の本質がそこにないとも言えない。対等を得るための手段として情を選ぶという似合わない真似をした結果が今後の足枷になっていくのであらば、真実となる。さあ、今回の変化をなんと呼ぼうか。
オーナー、と呼ぶ声が店の方から聞こえる。一緒に鳩時計も鳴いているためにかなり張り上げた声であるが、呼ばれた当人は応じない。痺れを切らした少年が座敷まで上がってきて、あの鳩をいい加減なんとかしろと親しみのある話し方で苦情を申し立てた。あれはとてもいい貰い物なんだよ。かの、ゲティ家の調度品だそうだ。取り合わずにそんな言葉を吐けるのも確かに安定の証拠である。少年は気味の悪そうな顔をして、ゲティ家が情報屋に潰された貴族だと聞いたことがあることを呟いた。
「おや、それは奇遇だ」
「もっと驚くべき事実があるよ、オーナー。その情報屋、リンガードってファミリーネームらしい」
「驚きを通り越して恐ろしいよ」
「俺もだよリンガルト。ミドルネームのGってなんの省略だったっけ」
なんだったかなと惚けながら、彼が一体どこでそんな噺を聞いたのか思案する。どんな情報を持っていても不思議ではないのは、少年はこの間から自分のオーナーの詳しいことを知りたがり、機会さえあれば情報収集をしていたようだからだ。けれどもゲティ家の話題は少々マイナーに過ぎる品である。解体を目論んだ本人が名乗り出る前に銃殺されているし、推察できる人間も数少ない筈だ。寝言でも言っただろうかなんて呑気に考えていると、「少しは慌てろよ」と毒づくドイツ語が聞こえてきた。君のことだからそこまで危ない橋は渡っていないんじゃないか。問いかけてみれば嘆息が返ってきた。
「そりゃね。エリックなんて知り合いはいないしね」
「なら何も慌てることはないね。リッキーに聞いたんだ」
「うっわつまんない!」子供の悲鳴のようである。
優秀な飛行機乗りを育て上げた反社会組織は黒人主義体制の世界を目指しているから、白人主義の有力財閥を解体した『リンガルト』は神話的に語られているらしい。二代目がブラックで、そのブラックが一代目を殺したというから彼らは二代目のウィリアムに英雄像を着せたが、本人からしてみれば大した濡れ衣だ。ゲティの異端の所在が割れて本家からやってきた始末屋達から逃れる際に、漏れては困る情報を塞いだことくらいしかしていないから、同じころ本家がテロ組織に襲撃されたことを後から知って驚いたくらいである。ただ、英雄像はその組織との友好関係を繋いでくれているから、例えば依頼さえすれば密輸船や港くらいは攻撃してくれる。
店番は大いに落胆した様子を見せ、話を聞いたのは彼ではないことを話した。「シェスカは春休みにお母さんの故郷に遊びにいったんだ。そこで偶然ミントに会ったんだってさ」そもそもあの青年の名前も少女の方が先に知っていたらしい。そちらの話の方がむしろ怖かった。本人の意志の強さから無鉄砲さから、果ては運の良さまで、恐ろしい少女だ、と肝が冷える。両親に似て大層正義感も強いことだし、気を付けていないと彼女の祖父との約束以前に自分が滅ぼされてしまうかもしれない。情報屋の素行はとても世界の救世主とは呼び難い。
少年も呆れた調子で、普通カフェに誘って雑談とかしないよね、とうなり、そのまま少女からの土産話を欠陥の話でもするように連ねていった。鳩はまだ鳴いている。
滑稽だ、と腹の底で言葉が生み出されていく。愉快だ、と頭は今の状況を解析する。
此度の変化をなんと呼ぼうか。教師が求めた成長にはさして興味もないし、恩師が求めた友愛は溶けても莢くらいは形成したし、もたもたとエデンを退くのも、久遠を連れ添えばまた一興。
満足さ、と胸はほころんで言う。不安は静かに眠りについて、目の前の少年を彼は、親友と定義した。
☆アナグラム
成長(development)
豆は莢を成しても(even pod)溶ける(melt)
愛される男(loved man)はペット(pet)に成り下がる
毒(venom)は投げつけるための(pelted)ものではない
成長(develop)
イヴは重い足取りで歩く(Eve plod)
kuwon
久遠(eternity)
西(West)の小さな木(tiny tree)




