第三話 目覚めた世界
――次に目を開けた時、視界いっぱいに青い空が広がっていた。死んだ、と思い気付けば目には青空……少しの間呆然となる。
何が起こったのか……気付けば痛みも消えている。出血だってしていたのに、血が流れた感触も喪失している。
どうやら自分は寝転がっているようだ。背中の感触からしてどうやら草の上。
空を見れば時刻は朝か昼なのは理解できるが……もし殺される寸前で誰かが助けに来てくれたのなら、本来は病室のベッドで寝ているはずだ。空が見え、草の上で放置などということはあり得ない。そもそも戦闘していたのは都だ。草の上で寝転んでいるとは、一体どういうことなのか?
理解できない中で、ひとまず体が動いたので上体を起こす――次の瞬間、あることに気付いて固まった。
「え……」
自分の手を見る。昨日までの手ではなかった。それどころか、明らかに昨日の俺よりも小さい。
次に体を観察。無論騎士候補生としての衣服ではなかった。薄い布でできたごくごく一般的な物。
そして至った結論は、
「体が……縮んでいる?」
当然ながら声も違う。そこで俺は周囲を見回した。少し先に森が見える。また別所には畑もあり、そこで農作業をしている人物も見える。
どうやらここは農村らしい……のだが、ここに至りさらに疑問が湧く。なぜ体が縮んだのか。そしてなぜ自分はこんなところにいるのか。
呆然とする中でヨロヨロと立ち上がる。体は小さいが自分の意思で動くことはできる。年齢は……三歳か四歳くらいだろうか?
「死んだことにより、子供の体の中に魂が入り込んだ、とか?」
それっぽい理由を口にするが、どうにも信じがたい……そこで顔つきも確認したいと思い、さらに周囲を見回す。
井戸を発見したのでそちらに近寄る。水桶の一つに水が溜まっていて、それを通して自分の顔を確認することができた。
――まず特徴的なのが金色の髪。次いで黒い目は優しげで、子供ということもあってか中性的な感じにも見える。
傍目からは利発そうな子供に見えるかもしれない……が、俺は別の感想を抱く。というより、顔立ちを見て一つの予感を抱いたからだ。
自分の衣服を調べる。ポケットの中を確認すると、ズボンの右ポケットに手のひらに収まるくらいの大きさの半透明な青い石が入っていた。
エルゼイア帝国では風習として三歳か四歳の子供に魔力を込めた魔法石をプレゼントする。この風習が存在しているということは、少なからず元いた大陸と同じ場所であることがわかる。
そして石には……ケインとは違う名が刻まれている。
『幸多き生を セレス=ファルジア』
親が幸福の願いを込めて贈られる魔法石――そこに刻まれていた名は、紛れもなく俺自身が小説に登場させていた名と同じものだった。
「セレスに……生まれ変わったってことか?」
呟いてみたが、現実感がなかった。人が死んだらどうなるのかは解明されていない以上、転生などという可能性はある……けれど、自分自身が考えていた小説の主人公に転生などということがあり得るのだろうか?
いや、そもそもこれは夢か何かなのか……? なんとなく井戸水に手をつけてみる。ヒンヤリとした感触が返ってきて、これが現実であると妙に冷静な気持ちになる。
ならば現実だとして――少し考えてみる。どこまで俺が考えた設定が反映されているのか。女神と邪神は実在するのか。あるいは、幻魔という種族については――
「セレス? どうした?」
背後から男性の声。振り向くと、そこにはいかつい外見の人物が立っていた。
男性は肩に当たるくらいの長さを持つ漆黒の髪に、ブラウンに近い色合いの瞳。服装は俺と同様村に溶け込むごくごく普通の衣服だが、鎧を着ていた方がさぞ似合うだろうというガッシリとした体格を持っている。
そんな彼を、俺は思わず凝視し絶句した。それは、小説内で書き記していた主人公セレスの近くにいる人物と特徴と合致――俺の頭の中で考えていた人物像そのままの存在であったためだ。
いや、そんなはずは……頭が混乱する中で、俺は口を開いた。
「ロ、ロベルドさん……?」
「ああそうだ。気分でも悪いのか?」
――ロベルド=バージェア。その名は紛れもなく、俺の小説における登場人物の一人だった。
過去存在していた幻魔の王に仕えていた将軍……それでいて王の親友。それが、ロベルドの素性。もっとも王が死んで以降は各地を放浪し傭兵稼業をしていた。そうした中、彼はセレスの話をどこからか聞きつけ、この村を訪れた。
また彼はセレスが十歳に至った時、剣を教え始める――つまりセレスにとって師匠と言える存在になる。
「何かあったのか? 顔が強ばっているぞ」
指摘に俺は「何でもない」と応じる。そうとしか返せない。
ロベルドは訝しんだが、俺言葉に「そうか」と応じ、
「もうすぐ昼食の時間だ。家に帰るんだぞ」
歩き始めた。そこで俺は大きく息をつく。
「これは……どうすればいいんだ?」
呟いてみたが答えは出ない。俺はひとまず心を落ち着かせようと家へ帰るべく歩き始める。
自分の家の場所については……体が自然に動く。程なくして辿り着いた家へ入ると、中では農作業に一区切りつかせた父親――養父が、俺を見て笑いかけた。
「おかえりセレス」
「……ただいま」
現在の俺くらいの子供を持っていておかしくない年齢。平凡な印象を受けるが、声を掛けられなんとなくじんわりと来た。
それは、前世が孤児であり親と呼べるものがいないまま育ったからか……やがて母親が台所からやってくる。長い茶髪をたなびかせる彼女は俺を見て笑いかけ、セレス自身とても幸せに暮らしている……そんな風に思った。
子供用の椅子に座り、食事をする。まだ生まれ変わったという事実に混乱しているため、どこか浮遊感もあったりするのだが……食事についてはきちんと食べることができた。
「……ごちそうさまでした」
俺の言葉に両親の顔がほころぶ……その後、俺はもう一度外に出て、改めて状況を整理する。
水の冷たい感触、食事、今こうして農村を歩いていること……全てがクリアで、とても夢の中とは思えない。俺は生まれ変わったという認識でいいと思う……執筆していた小説の設定が含まれている事実は驚くばかりだが。
こんな形で転生したことについて、意味があるのか――たぶん何かしらあるのだとは思う。けれどそれを今ここで解明することはできない。ひとまず置いておくしかない。
「なら次は……」
自分はどうすればいいのか――この世界は……いずれ、邪神との戦いが始まるのか? このまま十歳の時にロベルドに剣を教えてもらい、騎士になるべく学校へ行き、そして邪神の少女と出会い――謀略により、邪神が目覚める?
物語ではどうとも思わなかったけれど、これが現実だと思うと世界の行く末が途轍もなく暗いものだとわかり、暗澹たる気持ちになる。
誰かに事情を伝える……? けれど信用してもらえるのか? 例えばロベルドに話をして……でも、邪神をどうにかできるのは――ここでセレスの中に眠る素質を思い出す。
俺が書いた通りの設定なら、セレスは女神と幻魔の王――さらに勇者の血を受け継いでいる。世界には女神が残した武具を操る存在もいるが、それは武具を使いこなせているだけで、女神の力を自在に行使できるわけじゃない。
本当に使いこなせるのは俺だけ……邪神に対抗できる『神域魔法』を完璧に習得できるのは、世界で俺だけだ。
なら、俺自身強くなり、騎士となり戦う……物語以上に強くなればいい――
そこまで考えて、はたと思い直す。違う。
例えば目立つようなことをしなければ、物語と同じように物事が進むのだろうか? どうなるかは不明だが、もしそうならセレスが騎士となり物語が始まる……それまで敵も表立って活動しない。なぜなら敵側はリュハの体の中に封じられている邪神の指示によって動いていた。それが活動し始めるまで相手も動かない、つまり時間がある。
全てセレスが騎士学校に入ってからの出来事。ならばそれが始まるより前に勝負を決めればいいのではないか?
ふいに、談笑する声が耳に入った。目を向けると井戸近くに女性が二人、雑談をする姿が。
邪神が目覚めれば、ああした光景も見られなくなるだろう――邪神そのものを消すためには『神域魔法』が必要だ。それを習得するためには砂漠に存在する遺跡に赴く必要があるのだが、そこには邪神をその身に宿す少女リュハがいる。そこにいけば確実に彼女は目覚めることになる。
もっとも目覚めてすぐ邪神が復活するわけじゃない。セレスが遺跡へ赴くきっかけは、リュハの中に眠る邪神が彼女の体の中で目覚めたことと、遺跡内に存在していた邪神を隔離する結界が弱り、魔力が外に出るようになってしまったことだ。それは当初「正体不明の力」として、調査に出た。そして『神域魔法』に関する書物を発見し、女神の力と誤認した。
魔力を探知しセレスは遺跡へ向かい、また邪神を復活させようとする一派が動き出す……逆に言えば、それより前に遺跡へ行けば、少なくとも遺跡の中から邪神が出ることはなく『神域魔法』を習得できる。
また邪神を滅するには複雑な手順を踏まなければならない――例えば彼女を殺めればそれこそ封じる器がなくなるため、邪神そのものが本格的に復活してしまう。よって彼女を無事なまま、その手順を実行しなければならない。
それができるのは『神域魔法』を扱える俺だけ――
そう思った瞬間、体がブルッと震えた。
……セレスは最高の素質――それこそ世界最強になり得る素質を持っている。
先ほどの震えは、とんでもない運命を背負ってしまったことによる恐怖なのか。それとも強くなれるという期待からなのか。
――ずっと強さに憧れていた。それを得るために俺は騎士を志した。
けれど夢は潰え、魔獣に殺され転生した――不安もある。けれど、憧れていた強さ……それを手に入れることができるかもしれない。
いや、手に入れなければならない――なぜならこの世界を救えるのは自分だけなのだから。
途轍もない業だと思う。けれど、俺ならできる……そんな風に自分に言い聞かせ、強く決意した。
物語が始まる前に邪神を滅し、この世界を救う。