第二十六話 出立
翌朝、太陽が出始めた時間帯に俺達は起床し、旅前の最終確認を行う。俺は奥の書庫を見回した後、その傍らにいるロベルドの黒い狼のしもべに目を向けた。
――このしもべには俺の幻魔としての従属が効いている。きっとロベルド自身そうすることを予期していたんだろう。現在俺はこのしもべを通して遺跡の状況を確認することができる。もし遺跡に何かあれば、すぐに伝わる。
「頼むぞ」
頭を撫でて歩き出す。遺跡の中央付近にはリュハが立っていた。
「リュハ、そのままの場所で待機。魔法を発動させる」
俺は遺跡のど真ん中に位置する場所に立つ。呼吸を整え、足下に意識を集中させる。
「――大地よ」
その言葉をきっかけにして、魔法陣が光り輝く。次いで足下から魔力を感じ、それと俺の魔力を同調させる。
結界そのものを解除するにはいくつかの方法があるのだが、その中で俺は結界と同調し操作する手法をとった。結界がどういう構造で構築されているかおおよそ理解できるので、とれるやり方だ。呼吸を整えながら結界を解除するべく作業を行う。
時間にして、ものの数分程度。この結界は大地と結びつき、その魔力を利用しているのだが……大地から供給される魔力を断ち切った。川をせき止め、別の流れに変えるような形だ。
もし結界が必要なら、その流れを戻せばいい――と、パアンと乾いた音が聞こえた。リュハが周囲を見回し、俺は息をつく。
「終わったよ」
「もう?」
「ああ。やってみたらあっけないことだけど……これでリュハは遺跡から出られる」
俺は、遺跡の入口を指差した。
「ほら、出よう」
「う、うん」
半信半疑なのか彼女は恐る恐るといった様子でついてくる。そして俺が入口を抜け、リュハはちょっと用心しながら歩み寄り、
――彼女はあっさりと、遺跡の外へ出た。
「行けたな」
「……うん」
あまりにも簡単に通ったため、当人もキョトンとするばかり。そんな彼女に俺は追い打ちを掛けるように告げる。
「それじゃあ、進む……といっても、リュハは移動についてはどうしようもないだろ? 冷気の魔法を維持させるだけでいいから」
「具体的にどうするの?」
そこで俺は返答せず、行動で示す。彼女の前で片膝立ちとなり、
「リュハを背負う」
「……へ?」
「背負って移動する。体を強化すればリュハを抱えて移動は簡単だ」
沈黙が生じる。最初意味がわかっていないのかと疑問に思ったのだが、
「……そ、それはさすがに申し訳ないよ……」
「いやいや、これが一番町まで早いよ。ちょっと揺れるかもしれないけど、ほら」
肩越しに振り返ってリュハを促す。当人はしばし立ち尽くしていたのだが、
「わ、わかった……」
「冷気の魔法はきちんと使うんだぞ」
「う、うん」
近寄ってきて、俺の背中に。普段荷物を持って帰ってくる俺からすれば何のことはない。
「速度出すからしっかりつかまっててくれよ」
言われ、両腕を首に回す。俺はそこで背中にある彼女のぬくもりについて心を滅却して押し殺し、
「出発!」
自分に言い聞かせるように叫び、駆け出した。一気に遺跡の敷地から出て、砂丘に到達。勢いそのままに登り切り、反対側へ。
遺跡の姿はこの時点で見えない。リュハの方はどう考えているかわからないが、俺は振り返ることなくひたすら突き進む。また自身にも冷気の魔法を行使し、暑さで体力が減らないよう注意する。
このペースでいけば……どうだろう。距離から考えて夜前には到着するだろうか。相当な速度だが、リュハのことを考えれば今日中に到着した方がいいのは事実。
「リュハ、途中休憩を挟むから……あと、ずっと同じような体勢を維持し続けるから、どこか痛くなるかもしれない。そうなったらすぐに言ってくれ」
「わかった」
その時、回している腕にほんの少しだけ力が入った……無理もないと思う。これから赴く町でさえ、彼女にとっては未知の世界だ。
俺はそれを不安と解釈し、口を開く。
「町に着いたら俺に後をついてくること。絶対に離れないように頼む」
「私はセレスに従うから」
「うん……頼む」
その言葉を最後に会話が途切れる――俺は無心で走り続ける。彼女を救い邪神を滅する旅が、今ここに始まった。
幾度か休憩を挟んだことで、結局町に到着したのは夜を迎えてからだった。
「セレス、大丈夫?」
砂漠を抜け一息つく俺に、地面に降り立ったリュハが声を掛ける。
「ああ、平気だよ。リュハは?」
「どこも痛くないよ」
「ならよかった。今日は時間も時間だから旅を始めるのは明日以降だな。さて、宿をとらないと」
というわけで夜遅くではあったが宿をとり、眠ることにする。ただベッドに入る前にリュハが部屋にやって来て、尋ねてきた。
「明日からどこに行くの?」
「えっと、『創神刻』の話はしただろ? 今から行くのはそれをやるための武器――剣がある場所だ。山に向かうから、それなりに準備もいるけど……まあ、それは最寄りの町に着いてからでいいと思う」
「そっか」
「そんなに急ぐ必要もないよ。俺が小説で書いた時点までまだ余裕はあるし」
そもそも俺自身騎士になるつもりはないから、小説通りに事が進むか疑問だけど……まあ、元より小説のようにしないために動くのだから、関係ないか。
「明日からそこへ向かうことにしよう」
「わかったけど……」
「どうした?」
「私は、どうしたらいい?」
――そこは俺も言及していない点だった。
リュハに魔法などを手ほどきしてはいるが、それはあくまで最低限の話。弱い魔物なら一蹴できるくらいにはなっているが、これから赴く場所に耐えられるかというと、難しい。
だから本来は宿で待機していてもらうのがいいわけだが……当のリュハが納得するかどうか。
「私は……何度も言うけど、セレスに従うから」
彼女の言葉。ならばと俺は「町に着いたら決める」と言い渡し、話し合いは終わった。
翌日、露店などが開きだした朝の時間帯に必要な物資を購入するべく、いつもの店を訪れる。
「お、いらっしゃい」
フロザが呼び掛けてくる……のだが、今回彼女は俺を二度見した。
「……後ろの子は、もしや遺跡にいた――」
「リュハといいます」
ペコリとお辞儀をする。それにフロザは俺と彼女を交互に見た後、
なぜか俺の胸ぐらをつかんで、引き寄せた。彼女の顔が視界に広がる。
「おいおい、女性とは一言も聞いていなかったぞ」
「……いや、その、なんというか話す機会もなかったですし」
「そういうことならもうちょっと色々薦められたものを……」
何やらブツブツ言い始める。たぶん女性だとわかったらここぞとばかりに高い宝石とか買わされていたかもしれない。
「まあいい。で、今日は?」
「旅に必要な物資の買い出しと、彼女の衣服を」
巫女装束のような出で立ちなのでさすがに目立つ。別に人目を気にするようなことをするわけではないのだが、変に注目を集めてもロクなことがないからな。
「それと一つ報告が。こうして店を訪れるのは、今日が最後になるかと思います」
「……素材も今日で終わりか」
「はい」
ここでようやく胸ぐらをつかんでいた手を離す。
「ま、いつか訪れることだと思っていたからショックはないよ。色々と助かっていたけど、そっちも目的があるみたいだからな」
「はい。それで彼女の衣服と……あと、剣と必要物資を今回売却する素材と今ある手持ちのお金で」
代金を差し出す。フロザは「承った」と応じ、リュハを手招きする。
「君に似合うものを見繕うよ。来て」
「はい」
頷いたリュハはフロザと共に店の奥へ。俺は店内でしばし待つことになった。




